今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

佐武流山

2005年11月14日 | 山登りの記録 2005
平成17年10月26日(水)

 20数年前、白砂山の頂上から黒木に覆われ、どっしりとした奥深い山を見た。それが佐武流山で、深い藪に覆われて道もなく、鳥甲山のある秋山郷から更に奥まった長野・新潟・群馬の三県境が接する山域にあって、屈指の登頂困難峰として知られていた。この山の名前を知ったのはいつ頃だろうか?昔から暇さえあれば地図であちこちの山を探したりすることが好きだったから、名前だけは知っていたと思う。

 具体的に、佐武流(さぶる、またはさぶりゅう)という変わった名前の山について知ったのは川崎精雄の「雪山・藪山」を読んでからだ。「雪山・藪山」はかなり昔に単行本として発刊され、その後長らく絶版となっていたが、中公文庫で復刻され、その文庫版を買った。だから、もう20年も前になる。川崎さんの著作の影響で登った山も多いが、この佐武流だけは残雪期に相当な困難を伴って登らなくてはならないから、まあぼくには縁の無い山。言ってみれば、遠くから眺めるだけの「憧れの山」だった。
 ところが、その佐武流に道が開かれて、日帰りで登ることができるようになったというのだ(昔は登山道があったようで、事実はそれを復活させたと言うことらしい)。登れること自体は嬉しかったが、道ができてしまったことは少し複雑な気持ちだった。昨年登った錫ヶ岳も憧れの山だが、そこには明瞭な登山道は無く、長いアプローチも加えて秘峰の名を相変わらず保っている。佐武流といえば秘峰中の秘峰と言っても良い。少なくともぼくにとっては、栃木の大佐飛山や新潟の矢筈岳、地元群馬の越後沢山・下津川岳・小沢岳などの利根源流の山と匹敵するくらいの登頂困難峰であった。人が沢山行くようになれば、山も変わってしまう…袈裟丸や皇海山がいい例だ。なんとか名山とかいうのも、それに追い打ちを掛けている。悪いことに佐武流は200名山とかいうものに入っているらしい。「佐武流おまえもか…」
 複雑な気持ちはともかく、そんなに簡単に登れるとあっては。やはり登らないわけにはいかない、というのが正直な気持ちだ(やっぱり、登りたいもんね)

 10月は、というより今年は夏以降晴れない日が多く、全国的には晴天でも関東近辺は雲が取れないという状況がずっと続いている。特に9月半ばの3連休以降は週末に雨が降るというパターンを繰り返している。10月に青空が広がった日は今までのところ数日しかない。要するに悪天続きで山に行ける日はほとんどなかった。前回の黒岩山にしても、ダメ元で行った訳だが、やはり晴れてはくれなかった。山に行けない日が続いて、このところ気持ちがクサル。そんなところに、先週の金曜に真冬並みの寒波が来て、赤城や袈裟丸まで例年より早く冠雪したのだ。あーあ、こんなんじゃこの秋はもう大した山に行けそうもないわ…。
 各地の山が一斉に初冠雪した先週末から数日、この水曜日は晴れそうな予報がでた。よし、いよいよ佐武流だ!この秋に登りたい、登れそうな山をピックアップして資料を揃えてパソコンのデスクトップにホルダを作ってある。「さぶる」という名前のホルダにちゃるが「なんだこれ、さぶるって何?」と聞いた。ふふふ、秘密だよボーヤ。
 「さぶるやま」に行くよ、と言ったら、「何その名前?どこにあるの」と聞くから、関東甲信越の地図(うちのダイニングに張ってあります)で、群馬・長野・新潟三県境の近くだ、と指さした。

 前夜9時頃に出発。遅くなってしまった。佐武流は野反湖の向こう側だから、道でも繋がっていれば近いんだけど、残念ながら凄く大回りして行かなくてはならない。17号線で三国峠を越え、新潟入り。新潟方面はいつも関越利用だが、今回は17号を走った。お金の節約もあるけど、久しく三国峠を通っていないから、たまにはと言うこともあった。関越ができてから三国峠は昔日の半分以下の交通量で、すきすきだ。でも、所々で道路工事をしていたのでスイスイと言うほどでもなかった。「特装車は三国峠通行止め」とかで、大きな車はみな関越に回ってしまうから良かった。三国峠を越えるとガスっていた。苗場・湯沢と通過し、セーブオンで食料を調達。石打からR354に入り、清津峡を越えてR117に出た。津南からは秋山郷に向かう。
 昔、鳥甲や苗場山に登ったとき以来の秋山入りだ。中津川の懸崖をへつって、奥へ奥へ。良くもまあ、こんな山奥に昔から人が住んだモノだ。平家の落人集落というのも各地に多いが、ここはその中でも伝説ばかりでなく、本当に平家の落人が住んでいた所のようだ。鈴木牧之の「北越雪譜」に、この秋山郷の暮らしぶりが詳しい。冬は豪雪に埋まり、交通は完全に遮断された。早春は懸崖からの雪崩におびえ、その雪崩に押しつぶされた人々は数知れず。まったく、想像を絶する辺境の地であったようだ。川崎さんの「雪山・藪山」の「鳥甲山・佐武流山」にもそのことが書かれている。川崎さんが登った昭和初期の秋山郷は、鈴木牧之のころと大差無かったようだった。
 苗場山に登った時に訪れた小赤沢を過ぎ、屋敷・和山と辿って、最奥の切明までかなり長かった。R405は和山の先で土砂崩壊の恐れのため交通止めで、切明方面は下の別の道を迂回する。この辺りの様子は、昨日たまたまネットの情報で、先月佐武流山に登った人のレポから得ていた。このレポのおかげで、登山口である中津川林道入り口まで迷わずに来られた。全く感謝至極。
 さて、中津川林道のゲート前までやって来た。ところが、ここには駐車スペースというものが全くない。「ゲート前に2,3台」とあったが、とても無理だろう。林道に入る車の邪魔にならない場所に、ぼくの車を停めるほどのスペースは無かった。ここは、通行止めの405号線が、またいつの間にか復活して現れ?先に舗装道路が続いているが、すぐ目の前の崖が崩落して道路は土砂に半分埋まっている。405号はバリカーで通せんぼしてあり、そこを鋭角に折れ曲がった地点が中津川林道のゲートで、「佐武流山→」の真新しい標柱が立っていた。ネットで見た写真にはこの標柱の脇に登山者カード入れのポストが立っているが、ここにはそれはなかった。撤去してしまったのだろうか?支柱からなにから、跡形もなかった。林道の入り口には北信森林管理局という役所の案内看板の他、営林署長名や秋山郷…組合などの看板類や制札が賑やかだった。あるいは何らかの意図の元に、登山者カード入れは撤去してしまったのかも知れない。その辺の事情は分からないが、あった方がいいのではないかと思うのだが…。
それはそうと、林道のゲート前に車を停めるスペースが無いので、405号のバリカーの前に停めた。仮にこの埋まった道路を復旧させる工事車両や何かが来ても、道幅は広かったし、トラックの一台くらいは楽に通れるから大丈夫だろう?ここしか駐車できそうな所はなかった。あるいは、休日に何台も車がやってきたら、何処に停めるのだろうか?ここに来るまでの林道の待避スペースにでも停めるしかなさそうだ。車の外は冷え込んでいて寒かった。オリオンがぎらぎらとまたたく真っ暗な山の中で、遙か下に明かりが見えた。切明の発電所の建物らしかった。時間は午前1時、やはり4時間近くかかってしまった。明朝5時出発とし、アラームを4時半にセットしてシュラフにもぐった。

アラームで目覚めた。まだ、当然寝るときと同じで真っ暗闇だ。空には星が一層またたいている。予報では関東は曇りで、この方面は曇り時々晴れだが、この晴天はさい先の良いスタートだった。晴れている分、かなり冷え込んでいる。パンをかじり、支度をして予定通り5時に出発した。上着を着ていくかどうか少し躊躇したが、歩いているうちにどうせ暑くなってくるから、ラグジャーのままで行くことにした。
今日は檜俣川の渡渉がある。川にはザイルが渡してあり、飛び石づたいに渡れるらしいが、増水時は流れも速くて危険とのこと。登山靴のままでは水流に足を入れるので、濡れることは必定。幸い余り深くはないらしいから、この渡渉地点まで長靴を履いていくことにした。長靴で川を渡り、渡ってから登山靴に履き替える。今回持ってきたデモンのトレッキングシューズとスパッツはレジ袋に入れて、手にぶら下げて林道を歩き出した。LEDヘッドランプの光は余り遠くに届かないから、闇の中ほんの数㍍先しか見えない。林道はフラットだが、小石が多く薄い長靴のゴム底だと足裏が痛かった。しばらくは落葉松の植林を行く。真っ暗とはいえ、半月が出ているから真の闇とはいえない。見上げる樹木はシルエットになって、樹種くらいは見当が付く。クマさんには会いたくないが、ここはもちろんクマの巣といって良いところ。鈴をちりんちりん鳴らしていくが、その音より風や川の流れの音の方が大きい様に感じる。前回、黒岩山の時は少し怖い思いをしたから…ザックを時々大きく振って鈴の音が大きく鳴る様にした。ちょっと、びくびくだったかも知れない。

林道はどこまでも続いていた。目安になるようなキロ程の標柱がある、と言うことをネットの情報で得ていたが、1キロ・2キロと来て、3キロまで来たら次はまた1キロに戻っていた?一体何処から何処までのキロ程なのか分からない。檜俣川の川床から遙か高みを奥へ、奥へと遡っていくのだが、大きくカーブする辺りから登りがきつくなってきて、案の定汗をかく程になった。また、再び直進するようになる。植林が終わり、周囲も次第に明るくなってきてヘッドランプは要らなくなった。川の対岸右手に、始め鳥甲が見えていたが、大きく左折して直進になると見えなくなった。その替わりに、西に大きく烏帽子岳がうっすらと雪を被って見えてきた。今回の山登りで、この烏帽子岳がどの山よりも立派で崇高に見えたのだった。烏帽子が高い樹林に見えなくなると、三叉路に出た。佐武流山を指す真新しい看板と、和山への近道を知らせる2つの看板があった。佐武流への道を進む。

行けども行けども、4キロの林道歩きと言うことが、1時間以上経っても檜俣川渡渉点に辿り着かない。檜俣川が右手の遙か下をごうごう流れていて、その音を聞くと、渡渉地点の水量が懸念されるのだった。川の対岸には青空の下に高く、尖峰が見えている。その尖峰が何という山か分からないが、そこから東奥に更に高い大きな山が見えているから、あの辺が佐武流かなあ?等思いながら、更に林道を進んだ。頭上にのしかかるように、紅葉に彩られた見事な岩峰が大きく聳えている。これが月夜立岩だろう。その更に奥に高く大岩山が笹原のカーペットの稜線を見せている。
月夜立岩の下を少し行き、大岩山との鞍部真下辺りに待望の下降点があった。佐武流山と切明の方向を示す標柱と、「登山道」と書かれた看板が道の下、藪道へと導いている。覆いかぶさる笹やシダ類がややうるさく、足は夜露で濡れてくる。これを随分下って、支流沿いに下りきると、ややセメント色の川床を見せる流れの畔にたどり着いた。そこには確かに太いザイルが二重に対岸に渡してあって、幸いなことに水流は問題ない程度のものだった。しかし、流れ自体は結構急流だ。雨の後などで増水すれば、冗談ではなくここで引き返すことになりそうだなと思った。今日は長靴で正解だった。飛び石はしっかりしていたが、くるぶしを越える水流の下に石があるので、登山靴のままでは浸水しないで渡ることは不可能だった。ザイルに掴まり、登山靴とスパッツの入った袋を腕に通して肩までたぐり、慎重に向こう岸まで渡った。長靴はもちろん浸水してこないが、水流が速いのでザイルがなくては流される危険性があると感じた。檜俣川の周囲は紅葉していてきれいだったが、今年の紅葉は本当に遅れているようだ。10月下旬であるのに、ここでまだ紅葉が半分程度なのだった。この分では色づかないうちに霜が降りて枯れてしまうだろう。

無事に渡渉ができたのでほっとしたが、ここで時間を確認すると6時半、既に出発から1時間半も経っている。林道は4キロではなくて、5キロだったようだ。最初の見通しは甘すぎたか、5時間半の登りで10時半には着けるというのは難しそうだ。食べ残していたクリームデニッシュとチョコレートを口にして、今汲んだばかりの水をがぶ飲みして落ち着いた。ここからがいよいよ登りだ。
急な登りだ。木の根や石があって滑りやすいが、もうこの感じでは普通に登山道と言って差し支えない、登る人も多いから道がこなれてきている。誰でも登れる道ができて、200名山という余計な飾りも付いているから、札所巡りのような人たちにも登られているのだろう。一段登って振り返ると、樹間からドーム型の月夜立岩が真向かいに見えている。月夜立岩とは何ともロマンチックな名前で、いったい誰が付けたのだろうか?この小山は南面と裏の北面が岩壁になっているようで、大岩山に繋がる東側と切明側の西には岩が無いようだ。平らな苗場山傾斜湿原の南西端にある大岩山から派生する小さな支稜の末端にもっこりと盛り上がっている。岩壁の高さは100㍍程だろうか、水による浸食の作用で深いルンゼが切れ込み、固く残った部分は妙義山のように岩塔状になっていた。大岩山の西端にも大きな鉾岩という岩壁があるらしいが、ここからでは見えなかった。しばらくはこの月夜立岩がだんだん低く見えるようになることが楽しみだった。

檜俣川渡渉地点から約1時間で、物思平というこれまたロマンチックな名前の地点に到着。ここの看板にはワルサ峰まで60分とある。すっきりとした晴天で、全く今日は最高の山になりそうだった。暑くなってきて汗をかいてくる。吹く風は秋の風だが、日差しは温かく春のようだった。そのせいか、やや霞んでいて遠くの山はうっすらとしか見えていない。烏帽子は良く見えるが、その向こうの岩菅山は雲が隠していた。南の方角には雲が広がっていて、群馬県側は曇りのようだ。

物思平を過ぎると急登は一段落し、尾根の稜にそって南向きから東向きに登るようになった。登り初めは落葉松の植林だったが、広葉樹林を抜けるとコメツガやシラビソの登りになる。尾根の稜に取り付くと、アスナロの巨木が尾根筋にそって見事だった。下の林道を歩いているときに見えた尖峰が急峻な岩混じりのピークとなって、沢をへだてた向かいの尾根にそびえ立っている。このピークは後で調べたらサルヅラという大変おかしな名前が付いていた。成る程、写真でこの山をよく見るとサルの顔に見えなくもない。猿面峰という名前の山が苗場山の北東端にあるが、これも同じ様な意味なのだろう。川崎さんはこのサルヅラを経由して佐武流に登ったようだ。サルヅラに突き上げる沢はおそろしく急峻で、会津の山で良く見るスラブのように雪崩に削り取られた独特の景観を見せている。それに向き合う、今登っているワルサ峰の西面も大ガレになって悪相を見せていた。悪沢の源頭に当たるからワルサ(悪沢)峰という名前らしかった。
アスナロの巨樹が枯れて白骨のようになったまま、天に向かっていくつも立っていた。樹皮が赤っぽいアスナロの中にあって、枯れ木は尚更良く目立つ。この辺り、下の急な斜面より木の根が絡み合って登りにくい。行く手はこのまま登り続けてワルサ峰に一直線で続いていたが、一度ギャップを下って登り返す所があった。そこは岩の上にアスナロが固まって生えている変わった景観だった。登り着いたワルサ峰も、やはり岩の上にアスナロが固まって生えていた。

8:44ワルサ峰に到着。この山頂は素晴らしく眺めが良かった。中でも目を引くのは、北に高く平らな稜線を見せる苗場山だ。苗場山から左手に大岩山と低くなった月夜立岩が続き、その向こうには鳥甲山が見えた。遠い山は霞に埋まって良くわからない。西には烏帽子と岩菅が見えるが、烏帽子の向こうは雲に埋まっている。苗場山から南に延びる稜線が、檜俣川西沢を挟んで向かいに大きく、赤倉山・ナラズ山から佐武流へと山並みが繋がっている。しかし、肝心の佐武流山は行く手に逆光で大きく見えている山だとこの時は思ったのだが(この上が坊主平だった)、後でそれは長細く幾つものコブを連ねる、佐武流の頂稜の一番手前のピークに過ぎないことが分かった。帰りに振り返って、佐武流の頂上は行きに群馬との県境稜線だと思った辺りであったことをあらためて確認し、この山の大きさを知ったのだ。遙かにシルエットになり、幾つものピークを連ねている山こそ群馬・新潟県境の山並みだった。ここで小休止。登り始めて4時間近くになろうとしている。佐武流山までの標高差のほとんどは、このワルサ峰の登りだが、ここからまだ山頂までは遙か彼方だった。あと300㍍登れば良いんだと思ったのは、実は甘かったと後で思い知った。この時頂上と思った目の前に大きい山から西に続く稜線にサルヅラが聳えていた。食べ物を少し口に入れ、水を飲んで一息入れて出発した。

「ワルサ峰」と木にぶら下がった看板のあるピークを下って、緩く登り返した次のコブにも、またワルサ峰の看板があった。檜俣川西沢側の東面は木が少なく、笹が広がっている。総じてここも、冬の季節風が強く吹き付ける豪雪地帯の山らしく、非対称な山稜を連ねていた。ワルサ峰から同じような幾つかのコブを越えて大きく下った鞍部は平らな笹地にダケカンバがまばらに生え、数日前に降った雪が斑に残っていた。この先、少しずつ登山道にも雪が出始めた。ここから振り返るワルサ峰は、アスナロをトサカのようにつきだした岩峰で、なかなか見応えがある。2番目の「ワルサ峰」看板に「苗場山分岐まで35分」とあったが、展望の良さにデジカメで写真を撮るのが忙しくなり、一向にそこに辿り着かない。かなりスローなペースになって時間ばかり経っていった。

苗場山分岐の西赤沢源頭に9:44に到着。この分だと10時半山頂到着はもう絶望的だ。ここから山頂まで70分とある。苗場に続く尾根にも、やはり前進クラブが拓いたしっかりした道が延びていた。佐武流山は東面が笹の斜面で、逆光に浮かび上がってまだ遠くて高かった。ここから見て、山頂と思われる高みには幾つものコブがあり、どれが山頂なんだか良くわからない。思いの外、佐武流まで遠くて、やはり道ができたとはいえ秘峰と呼ばれた山だけに、早々簡単には登れないのだ。こうして辿ってきたこの道を拓いた人々の苦労が忍ばれる。
しかし、ここまで来れば、いよいよ憧れの佐武流山山頂は目前だ。東面が笹原の急斜面で見晴らしが良く、清津川の果てに苗場スキー場のある筍山のアンテナが見えた。その向こうには平標・仙ノ倉から谷川岳まで微かに見えている。更にその向こうには朝日岳と大源太が本当にうっすらと、更に北にはかろうじて分かる程度の越後三山が見えた。見晴らしの良い稜線沿いから、西側の樹林帯に回り込む。窪状になった(二重山稜だろう)その真ん中がルートらしいが、積もった雪が融け始めてぬかるみ状になっている。へりの笹を掴みながら、滑らないようにそのぐちゃぐちゃした樋状を過ぎ、再び東に向かって登り切った上が樹林に囲まれた坊主平だった。「坊主平」と書かれたプレートがあった。不快なことに、そのプレートの下に真新しい缶詰の空き缶が多数散乱していた。こんな所までやって来て、その上こういった仕業をする無神経な連中がいるんだな。おそらくここで幕営した数人のグループがやったことだろう、同じような魚の缶詰の空き缶が10個程もあったのだ。非常に気分が悪くなった。

 坊主平からは道に雪が多くなった。まだその後も幾つかのコブにだまされ、ようやく10時45分に山頂に到着した。予定時間はオーバーしたけれど、写真を撮りながらゆっくりだったから、まあしょうがないだろう。やっとの思いで到着した佐武流山の山頂は、南と西に高い樹林があって、結局今までの稜線から見ていた景色以外の展望はなかった。一番見たかった白砂山はここから見ることができなかった。かねてからの憧れの山としては、やや拍子抜けする山頂だったが、やはり嬉しかった。山頂には立派な山名標柱があり、三角点はその下に半ば埋まって、かろうじて頭を土の上に出していた。笹の切り開きが少しあるだけで、余り広い山頂ではなかった。白砂側に行ってみたが、直ぐに腰を越す笹の密藪でトレースもない。無雪期にここを辿ることの困難さを思い知った。こうして切り開かれて登山道が出来なければ、おそらくぼくなんか、決して登ることの出来ない山だったろうな。
 遅くなってしまった分、あまり長く頂上にいられない。頂上には半分雪があったけれど、今日は2,000㍍を遙かに超えるこの山も陽春のように暖かい。雪が無くなっている日だまりにレジ袋をしいて座り、いつものカップ蕎麦を食べた。ああ、至福の時間…。ここからは人工物がほとんど見えない。唯一、遙か彼方の筍山のアンテナだけ。もう一つ、しいて上げれば大岩山と月夜立岩の下を通っている林道が一筋傷を作っているくらいか。本当に山奥の、そのまた奥という場所だった。

 11時半、頂上を後に下りに掛かる。雪はますます腐ってきて、べちょべちょ状態。靴やスパッツはおかげさまで泥だらけになった。帰りは余り写真を撮ることを控えてどんどん歩こうと思ったが、やはり立ち止まっては一枚、もう一枚とやっていると、少しも速くは無いのだった。
 13:02にワルサ峰に戻る。最後の展望をここで楽しみ、急な下りを一気に下った。サルヅラは、やはり逆光で見事な鋭鋒を見せていた。木の根がうるさく、余り急いでは下れない。14:18分に渡渉地点に下り着く。この時期もうこの時間で、既に夕方のような雰囲気。林道の登り返しが苦しかった。後は長靴でぽこぽこ5キロの道を歩き続けた。林道を歩き出して間もなく、森林管理事務所(営林署か?)の見回りの車が後ろからやって来たので、期待したが、停まりもせずに走り去っていった……。
 林道ゲートに16:00丁度に帰り着いた。林道歩きは、ここのところいつも長くて少しうんざり…。帰り着いてみれば、実際には前回行った黒岩山の半分くらいの疲労度だった。
 
 帰りに切明温泉・雄川閣(栄村営です)に寄って汗を流した。岩風呂で、余り広くはなかったが、いわゆる日帰り温泉施設と違って旅館のお風呂だから、雰囲気が良く落ち着く。会社の慰安旅行客みたいな人たちや、老人が少し居たが、比較的静かだった。岩風呂につかって足を伸ばすと、達成感と充実感で幸せだった。長年の憧れだった佐武流山に登れたことと、奥深い山の気をたった一人、終日独占できたことのせいだった。登りはじめから帰り着くまで、一人の登山者にも会わない、正にこの日の佐武流山はぼくだけの山だったのだ。

切明から和山を抜け、絶壁の縁を通って秋山郷を後にした。途中、夕日を浴びた鳥甲山が凄絶な景観を見せ、いかにも秘境の山旅のフィナーレにふさわしかった。
行きと同じで、津南に出て清津峡を経由、三国峠を越えて家路についた。途中で食事をして、9時前に家に帰り着いた。

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