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Pretenderの備忘録

蝶々夫人 新国立劇場

2005-06-27 21:49:38 | 音楽 Opera
蝶々夫人 プッチーニ作曲
指揮:レナート・バルンボ
演出:栗山民也
蝶々夫人:大村博美、ピンカートン:ヒュー・スミス、シャープレス:クラウディオ・オテッリ、スズキ:中杉知子他

栗山演出で見せる蝶々夫人。ノヴォラツスキー総監督との組み合わせでどんな舞台になるかと楽しみにして出かけた。月曜日は空いてるだろうと当日で行ったのに、お客さん、入ってた。先週の金曜日の初日はこれだと相当だったのでは?次期監督に決まった若杉さんをホワイエで開演前に見かける。誰も声をかけず、一人で歩いてた。彼はエジプトのヘレナを一度見たことがある。埋もれてたオペラを発掘してくれるのではと期待する。Rストラウスもレパートリーだし。
さて、本日の演出、日本人としては比較的安心してみていられる衣装や所作。どの演出も縦の空間を非常に使うのだけど、やはり舞台が小さいのかな。今日も上から螺旋階段を通していた。舞台は、非常にシンプルな蝶々夫人の家。板間とちょっとデフォルメされたような障子。照明等で若干色が変わったが、基本的には白に近いベージュ系。衣装は、白と黒とネイビーと、その他の人は普通に日本の時代劇の地味な町人という感じのグレーの着物。今まで見た中ではリアリティーがあった作り。家のつくりがもうちょっとなあと思わないこともない。
大村博美さんというソプラノは初めて観ましたが、いい声してますね。これからもっと艶やかさが出てくるといいと思う。あの歌い方だと声をつぶさないかがちょっと心配ですが。ヒュー・スミスはちょっと本調子ではなかった気もするが、オテッリとともにしっかりと聞かせてくれた。
エンディングの演出が唸らされました。蝶々夫人が死んで、救いがない終わり方をするわけですが、そこに最後に、子供を登場させて幕にする。一つの希望なのかもしれないし、いろいろな解釈ができるかと思います。ミス・サイゴンをブロードウェーで観たのは1989年だったと思いますが、最初に観たときに、これは蝶々夫人のパクリだと思ったんですね。アメリカに行けば子供は幸せになれるみたいなところが。今回の演出は、本歌取りをしたミスサイゴンから、本家がヒントを得たのではないかとか思ってしまいました。
このオペラ、イタリアオペラですが、将来、政治的に非常に微妙な時期が来るんじゃないかと思ったりします。
ピリッと、ちょっぴり斬新に、キレイにまとめたというところでしょうか。

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