Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

開封されない給与明細

2009-01-24 21:52:01 | つぶやき
 暇になって勤務時間が減って不安であるという投稿が、定期的に発行される無料配布の新聞や雑誌に投稿されているのを最近よく見かけるようになった。忙しいにこしたことはないということなのだろうが、世の中は暇になれば収入に影響するということでそういうことになる。しかし、他人の姿を追っていれば、本当に厳しい状況にあるのかないのかについては、その生活実態にまで踏み込んでみないと、同じ比較はできないものである。まずもって人は意識差というものがあるからだ。収入を今はそれほど意識しなくとも暮らせている自分は幸せということになるのだろうか。しかしいずれ定年まで安定した暮らしはできそうもないと解っていれば、今はともかくとして、その先のためにも今の生活の中から余裕を搾り出さなければならないと解っているから、冒頭の言葉を発する人たちとそう変わらないと思わずにはいられない。働けば働くほどに収入がアップするという日常を過ごせている人たちには、世の中の動向が大きくのしかかるということになるだろう。ところがわが社のようにすでに何年も前から減収にあえいでいると、このごろの情勢などどうということはない。むしろ仕事が増えると言われるとピンとこない。だからといって収入が上がるわけではない。以前にも触れたように、このごろは給与の明細をもらっても開封することもない。そのままゴミ箱というわけにもいかず、自宅に持ち帰って妻の見えるところに出しておくが、妻もそれを開封することはない。そのうちに自分の給与はいくらなのか忘れてしまいそうである。もしかしたら知らない間にカット率が上がっていたり、あるいは減俸されていたりするのかもしれない。

 そんなことはどうでもよい、と思うほどに日々を送っている。毎月きまった額が振り込まれているのだろう、などと思い込んでいるだけであるが、開封したところでその現実が変わっているはずもない。下がることはあっても上がるはずはないと解っている会社の社員の給与とはこんなものなのだ。

 最近は床に入るときも、また目覚めの時も、常に仕事のことが頭にある。夢を見ない方のわたしだが、時に夢の中にまで仕事の風景が登場する。頭の中で「間に合うだろうか」という意識が渦巻く。しかし、だからといって時間は限られる。間に合う方法を模索しているが、そうしているうちに1週間は過ぎる。予定していた量の資料分析が終っていない。まだ現場の調査もずいぶんと残っている。そして別の業務も残されている。すべて現場に出て蓄積していく業務だから、ショートカットが難しい。残された時間の枠でどう組み立てるか、そこで頭の中がいっぱいだ。このままでは寝ずに仕事をしても間に合わないと解る。それでもとショートカットの方法を練る。これがわたしの夢の中に登場するのだ。とても自宅に持ち帰るには膨大すぎる資料。しかしのん気な空間で「忙しい」を口にすることはしたくない。わずかな資料に集約して処理していく試行錯誤を繰り返し、今日もまた「お先に」と言って真っ先に退社し、5時の電車に乗る。だからわたしにとっては暇になってくれた方がありがたい。これ以上仕事はいらない。もちろんこんな思いをしても給与明細には同じ数字が並んでいるはずだ。

 先日まで居間に無視されていたように転がっていた給与明細が、ようやく姿を消した。きっと新聞広告の中にまぎれてストックボックスに埋まっていることだろう。
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