Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

同化した汚れ

2009-01-23 12:32:50 | つぶやき
 「あかぎれ」でも触れたように食事後の洗い物を最近はよくする。今までしてこなかったわけではなく、単身赴任中は自ら弁当も作っていたから洗い物をするということは、日常の一コマだった。汚れをどう落とすかについても、できれば短時間に終らせれば、他のこともできるし考えることはよくあった。そうしたなか、弁当というと合成樹脂の器がつきものである。その合成樹脂の器は、使用しているうちに汚れがなかなか落ちなくなるものであった。それを洗い方が悪いという言葉で結論付けることも可能なのだろうが、例えばステンレスやアルミ系のものより汚れが残る傾向は強い。

 最近わたしの利用しているものはアルミの器でおかずの仕切りにはアルミを使っている。息子のものは違っておかずは合成樹脂のもので、外側はステンレスである。妻曰く「あんたはボケてもしょうがないからアルミ、息子はそうもいかないから少し気を使ってステンレス」と言う。どちらが溶け出し易いのか知らないが、傷つき易いアルミの方が、長い間には口にしている量は多いはず。それを避けるには何が良いのか、ということになるが、「添加物の入らないもの」がどれほど身体に影響が少ないかという問いにも等しい。なかなか目には見えない世界である。しかし、合成樹脂はどうかといえば、汚れが落ちないということは同化してしまうということも言えないだろうか。ようはそれらも溶け出しているということが言えなくもない。どれほどこすってみても取れる汚れではなく、こするほどに樹脂を削っているという印象すら起きてくる。なかなか汚れが落ちないものといえば油を使ったものということになるから、結局油と油が結合して汚れがそのまま消えなくなるという感じなのである。

 詳細な科学的な分析は知らないから、単に雰囲気で言っているだけである。しかしアルミ系にしても樹脂系にしても、身体にはよくないという話は昔から耳にしている。落ちない汚れを擦りながら、自認しながらも同じことを繰り返していくのが、人というものなのだ。

 そういえば妻とこのごろこんなことも話題になった。おかずの仕切りに何を使うかということである。妻は紙製のものを使いたがる。わたしはアルミ系のものを好む。どちらも一回使えば再利用することはない。とすればゴミになるわけだから、「どちら」という視点もそうした後始末にまで関わる。小さくて丸めればゴミの中に同化してしまうようなものも、この時代の再生観を取り入れれば、洗って分別するということになるだろうか。紙ならまず洗って分別はない。したがって後処理を考えるとアルミとして出せる方が選択として正しいのか、とわたしが言うと、妻は「使わないのが一番」と言う。たしかに妻に弁当作りすべてを任すと、汁の出るもの以外は、とくにそうした仕切りを入れなかった。自らその作業を手伝うようになってそれは変わった。できれば一品ごと仕切りが欲しいわたしなのである。とても小さなことなのだが、こんなところにも性格や認識の違いが出るものなのである。
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