Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

三つ目の舞台へ譲る

2009-01-22 12:31:43 | つぶやき
 日々日記を綴ること、稀に空かすことはあってもほとんどここ2年ほどは毎日綴ってきた。「ネタ切れ」という言葉をどこかのブログで見ることがあるが、そのネタとはそこに掲示される写真なのか、言葉なのかは解らないが、気持ちは解らないでもない。わたしも毎日2KB程度の言葉を綴るのは、けっこうネタ切れと思う時もある。いや、2KB以上目標3KBという文量は400字詰め原稿用紙で3枚分を超える。それを前提で文字を打ち始めるとなると、テーマとしてイメージほ持っていないとできそうでできない。これがメモ程度でエンドにしようとすればまた構えは違ってくる。だからどうしても下書きあってのものとなる。ネット上に向かっていきなりこの文量を打ち続けるのはしんどい。

 したがってこれは「日記」と表明しているが日記ではなく、随筆みたいなものである。むしろ日記としては別のものを用意していて、そちらの方は目標文量も定めてはいない。にもかかわらず日記としてなり得ないのは公開されているからだろうか。きっと日々これほど身勝手に思っていれば、もっと本音のところを記録しておきたいものだ。それほど過去にはそれらしいものを残してこなかった。そう思うと、かつての筆記の日記に代用するものとして、若者たちの文字離れを回避する道具が現れたといえるだろう。にもかかわらずまだ思う存分とはいかず、不足しているのかといえば、やはり表裏があるというところに起因する。人には隠しておきたいと思いながらも、記録としては留めたいというものがある。非公開のものでそれを補えば良いのだろう、そう思いながら三つ目の舞台を開くことにした。ここにリンクすることもない。公開は当面するがそこには年老いていく自分の思いが綴られることだろう。もちろん年老いていくから記憶に残っている過去を今以上に紐解いていくことにもなる。

 さて身勝手と言われるような行動を最近は会社でとるようになった。これを「協調性が無い」と捉えればそれまでだが、実はこれまでにもどこかに記してきたが、わたしの行動の原点は試しである。とくに言葉で「○○へ行くときは一緒に行かせて欲しい」と何度も口にしながら、それを相手は記憶にあったかなかったか定かではないが実行にうつさなかった。日時が合わなかったというわけではない。何も言葉もなく、彼は別の上司を引き連れて現場に向かった。おそらく感度がわたしとは異なるという印象を持っていたから、試しでいきなりいくのではなく、言葉ではっきりと誘うようにと口にしたはずだ。すでにその段階で少なからず悪い結果を予測していたのかもしれない。今まで長いつきあいがあって、性格を知り尽くしていたという関係ではない。まだこれからという段階だからこそ「試し」ではなく「言葉」で訴えたにもかかわらずである。こうなると次はもう「試し」しかわたしにはない。何度も「言葉」で引導を渡さなくてはならない立場ではない。解るまで「試し」を続ける。この意図を周りはほとんど理解しない。人にはそうした行動が少なからずあると思っていたのは、自分の思い過ごしであったのである。ほとんどそんなことを考えずにわが道を行く人もけして少なくないし、また若い人たちには増え続けている。それを思いやりのなさと言うのかもしれないが、必ずしもそんな簡単な説明のものではない。

 年老いてもいまだ若き頃の矛盾への思いと同じように行動している自分をみていて、きっといつまでも人間の思いに矛盾が消えることはないんだと思うとともに、現実を見極めようとする自分が情けなくも立ち尽くしているのである。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****