Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

境界という風景

2009-01-31 17:46:48 | 農村環境


 別の日記で触れた立て札の場所は南箕輪村と伊那市の境界域である。境界域であるというのが、実はこんな立て札を意図めいて見たくなる理由でもある。この境界域には、広い村道が走っている。南箕輪村の整備した道路であるが、下っていけば下段の田端へと通じる。もともと伊那市と南箕輪村は境界が入り組んでいる。長野県においては市町村界というと、川が境になったり山の尾根が境になったりと、だいたい法則のようなものがある。そうしたなかで特に目印もないような場所に境があるから、おおかたの人はそこが市町村界だとは解らない。たまたま西天竜の一様な扇状地にあって目印もないということで、南箕輪村が村界にそれを示す表示板を立てているからそこが境であると解るが、まったく一様な世界である。場所によっては田んぼの畦が境になっていて、そんな場所は境界域という理由があるかどうかは知らないが、雑草の丈がひどく高い。市町村界でなくとも田んぼの境界ラインはさまざまな葛藤があって、争いごとも起きたりする。そんな境界が行政区が異なるとなると、さらに思うところがあるのかも知れない。市町村界が先にあったのか、それとも地権者が市町村を選択したかは定かではないが、そうした境界域に不安定要素があるということを、雑草の丈で感じたりする。

 ところで写真の道路の右手の水田は道より少し高くなっている。実はこの道路の右端を境に(地図では道路の中にラインがあるが、現地での表示板は南側に立つ)左は南箕輪村、右は伊那市になる。道路が南箕輪村を走っているということで、右側の水田はその道路からは入れない。この水田への耕作道は水田のさらに右手にあって、その道は乗用車で走るには心もとない幅しかない。何度かわたしも走ったが、その先にある直角曲がりは、軽自動車でもへたくそな人は脱輪しそうである。にもかかわらず、この水田を耕作する人たちは、南箕輪村の道路から入ることはしない。できないのかしないのかについても定かではないが、いずれにしても道路と水田の間には用水路があって、その用水路は伊那市側にあり、そこから用水を引いている。わざわざ村界の道路を広く整備したのも理由があるのだろうが、両者の葛藤のようなものを想像すると楽しい。実際はそこに葛藤などというものはないのかも知れないが、それにしても不自然な土地利用である。そしてその境たるやこんな具合に雑草が伸びる。川や山で隔たれた境界はともかくとして、こひうしたあいまいな空間の境を、それに沿って歩いてみると、少し違った雰囲気を堪能することになる。もちろんそうした境界ばかりではなく、家を隔てて隣同士が別の市町村ということもあって、どちらも何事もなく暮らしている人たちもいるのだうが、こうした接近した空間に不安定な空気が流れると感じるのも、わたしが境界域を意識しすぎているせいなのかもしれない。
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