Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

食料自給率と農民②

2009-01-06 12:28:11 | 農村環境
食料自給率と農民①より

 現実的には食料自給率アップの鍵は穀類であるということは前回触れた。飼料の中身に穀類が多いことからも、それが数字上の食料自給率を上げる直近の課題であることは国もよく承知している。現在推進されている集落営農の法人化の根底にも法人化した人々が耕地を荒廃せずに維持していく方法として営農作物の主たるものとして穀物を対称にしている。国はみかけの数字を下げることなく、上げていくという方向で策を講じていることは確かなのだが、そうした具体的数値を上げる意味では、民主党の言うような農家への直接払いよりは将来を見通したものといえる。ところが、農業を営む者、農民がこうした国策には乗りたがっていないのも事実である。ようは国策と農民が同一の問題意識を持って目標に進むという方向ではないのである。これは強いて言えばもし数字上の食料自給率が上がろうとも農業の衰退は押し進んでいくということである。

 少し話は変わるが、昭和50年代、山の中、いや山の中ばかりではなく里山周辺や平地農村でもまだ道のない家というものがときおりあった。そうした家あるいは集落までとは言わなくとも数軒あるところに何百万、何千万という金をかけて道を開けた。個人の土地に道が接していないでは利用度の下がるご時勢だけに、そして土地神話とまで言われ土地の価値の高かった時代には当然のように゜みな道を求めたものである。他との交易環境を向上する、これが高度経済成長期やそれ以降も、そして現在もひとつの経済発展の土台とも言われ、そしてそれが格差を無くす指標と考えた。これは間違いではない。そして今もそれを皆が願う。

 月刊タウン情報「いいだ」という無料配布の雑誌がある。その1月号に「『リニアモーターカーについて』一言」という投稿コーナーがある。直線ルートと迂回ルートという議論の中、もちろんのごとく飯田地域の多くの人々はどちらにしても駅ができる可能性が高いと考えている。そうしたなか当然のように歓迎のことばが並ぶ。そうした意見の中に①「早く開通して欲しい。そうすれば長野県内で一番便利な土地になり、飯田がバカにされなくなる筈」。②「人口十万都市で首都東京へ行くのにかかる所要時間は、日本全国広しとはいえ、飯田が一番時間がかかるそうです。なのに村井知事を筆頭に飯田駅設置はつれない。十五年後に「東京は飯田だ」というCMが流れることを期待したいです。(郷土愛)」というものがある。どちらも飯田という地域が「バカにされている」という印象でのものである。世の中は多数決であることは言うまでもない。どれほど実力があろうと、金と人という数には勝つことはできない。とすればバカにされていると思う根底にはよそとの比較があるわけで、それはもしかしたら飯田に対しての同じような周縁部との比較があるはずだ。それを解消できずにいれば結論的に地域は消えていく運命となる。自らの地域にどう価値観を持つかというところは、地域の多くの人々が共有できるものでなくてはならない。そういう意識を持った地域を具体的な事例で説明できるほどわたしはよそを知らない。いずれにしても長野県内のどこの地域を見渡しても、おなじことを繰り返す。かろうじて反対意見もしっかりと掲載されているが、そこでも多数決をとれば歓迎が勝る。かつて道のないところに道を開けたり、あるいは時間短縮のために道を良くすれば、結局そこを出て行くための道の整備になり、また過疎を一層助長することとなった。確かにベッドタウン的な期待はあるが、この価値観の根底には自らの地域の価値観を見出している姿ではなく、相変わらず大都会を目指した価値観しかないのである。地域有力者にかつてなら農業者がいたものだが、今や地域有力者は経済関係者と彼らが支える自治関係者ばかりだ。これでは食料自給率に還元できないシステムが構築されていても不思議ではないのである。

 続く
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