Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

議会だよりから

2009-01-25 22:10:29 | ひとから学ぶ
 記憶ではそんなこともあった、という程度なのだがわが町の「議会だより」というものは以前廃止の話があったと記憶する。しかし、議員にしてみればその活動の様子を町民に広報するにはすがりたいような場所だと思っている議員もいるはずで、そんな思いが通じてか今のところ20ページにも及ぶ広報が毎回印刷されて配布されてくる。議会を直接傍聴することもできない住民にとっては、議会が何をしているかということを知るには確かにひとつの方法なのだろう。どれだけの人が読んでくれるのかということはともかくとして、議員の活動をアピールする場所ではないとわたしは思うので、集約した紙面で十分なのではないか、などと感じている。

 改選後初めての議会が終わったといって発行された1/20発行号を拝見して、議会だよりを否定するものではないが、これでいいの?というような内容が一般質問のやりとりに目立ったことから、少し触れてみたいと思う。もちろん議会でのやりとりを報じていることから、議会だよりに問題があるのではなく、議会のやり取りそのものに問題があるという捉え方もできるが、どうここに反映されているかが解らないため、あえて議会だよりの編集上の問題、とここでは捉えておくこととする。

 まず、新たな議員が加わってということもあるのだろうが、顔見世興行的な内容は省いて欲しいものである。もちろん新たな議会という気持ちがあるだろうが、住民はずっとここに暮らしている。何も議会が新しくなったからと言って人々の暮らしが再生されるわけではない。 トップである町長が変わったというのならともかく、そうしたトップに向けて「町長は新議会にどう臨み、どう対応していく考えか」というような質問は、質問をしたとしても広報して欲しくないものである。さらには住民と行政、そして議会の三者がまちづくりを推進していくなどという回答をあらためて町長から聞きたくもないものである。こうした無駄なやり取りはせめて掲載しないこと、そして編集者は掲載する内容を精査するべきではないだろうか。

 またある議員が若い世代の自殺に触れ、「解決するには地域で支えあう人間関係の組織化が必要だ。これは公民館活動につながることだと思うがどうか」と問うと、教育長は「公民館を構成する皆さんは、20~30代の若者であり、地域のコミュニティー活動の核として活動している。現在は高齢者や小学生などを対象としたイベントが多く、若者にとって魅力のあるものを模索していくことが必要だと考えている」と答えたようだが、構成する人たちが若い人たちなのに若い世代に自殺者が多いという現実と照らし合わせれば、両者とも本質を把握していない姿が浮かぶ。果たして本当にこのままのやり取りがあったものなのか、と疑うとともに、もしそうだとすればやはりそのまま掲載するのではなく、議会の内容そのものを省みて、やり取りだけでは質問の意図を得ていないというコメントを入れて欲しいものだ。これについてはすべての一般質問のやりとりに同じように言えることである。対話方式で掲載されているが、あまりにも的外れな対話になっていて、議会を疑いたくなる部分も少なからずある。また「昔のように気楽に釣りやボート遊びができるような管理釣り場や公園が健全育成の上からも必要だと思うがどうか」という質問に対して、教育長は「都会の子ども達に比べて、町の子ども達の方が自然に接する機会が少ないことが、小中学校の実態調査で判った」と述べ、質問に対して大切に受け止めたいと答えて締めくくっている。質問の意図が具体的でないために、答える側が的確な答えになっていないような気がする。果たして質問者は本気でハード整備をしていくべきだと言いたかったのか、そして教育長は本気で都会の子ども達に提供できている自然に接する機会の場を提供しようとしているのか、とてもどこをみても自然だらけの山村にあってこうした滑稽なやり取りが掲載されていることこそ掲載内容を疑いたくなる部分である。

 さらに滑稽なのはある議員は、職員の「能力を最大発揮してもらうことで住民サービスが向上すると考える。(中略)職員教育と研修をどのような考えで進めているか」と問うと、町長は「職員教育は挨拶より始まることを6年間言ってきて、当初より良くなってきている」とまず答え、適切な研修を計画して実行しているとありきたりな回答を掲載している。町長のポリシーとしての挨拶をアピールした形になっているのだろうが、質問の意図が適正に回答されているのか疑問であるとともに、事前に質問内容に対しての把握を両者で行っておかないと、こんな内容の羅列になってしまう。もしかしたら「こんな程度」なのかもしれない。いずれにしても議会だよりがそれをあからさまにしてしまっているようで、むしろ無い方が議会のボロ隠しになるんじゃないかなどと思ってしまうしだいである。

 議員定数というものが良く議論される。前述したもののなかに、教育長の「公民館を構成する皆さんは、20~30代の若者」という言葉があるように、地域ではその地で暮らし続けないと一人前にはなれないという現実を知らしめる、リーダーの認識を表したひとつの言葉である。実はそうした場面に現れてこない若者はもちろん、多くの住民がいる。そうした人々の言葉を代弁する議員はほとんどいないだろう。ようは議員を減らせばより一層偏った認識と意見に集約されていくという問題がある。誰かが「自治体は三輪車」と住民と議会、そして行政という三者を捉えて表現していた。しかし、そうした構造というか発想そのものを変えてもいいんではないかとわたしなどは思っているが、法律上無理なのだろうか。いずれにしても意味不明な議会だよりを読んで笑ってしまうしだいである。
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