Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

合併後の思い

2009-01-03 22:48:44 | 歴史から学ぶ
 長野日報元旦版に伊那市合併3年を迎え、市民の評価についてのアンケート調査が掲載された。それによると、合併の評価については旧伊那市民は「良かった」「まあまあ良かった」という肯定派が42.6%、「あまり良くなかった」「良くなかった」の否定派が32.8%だったという。いっぽう旧高遠町市民は肯定派41.1%、否定派52.1%であり、旧長谷村市民は肯定派37.9%、否定派51.5%だったという。旧伊那市民は肯定派が否定派を上回り、旧高遠町と旧長谷村の市民は否定派が肯定派を上回ったということになる。この流れで当然のごとく「三地区のまとまりを感じるか」という問いには、まとまりは感じられないという回答が目立つことになる。合併前にそれぞれの地区で合併の賛否を問う住民意向調査は実施されていない合併である。ようは有力者主導の合併劇だったということになるが、今回この賛否も聞いている。「賛成」が44.2%、「反対」が31.3%だという。この回答についてはわざわざなのだろうか、3地区の回答詳細に触れていない。おそらく旧高遠町と旧長谷村の市民は「反対」が多かったのではないだろうか。

 この質問で問題になる部分は、肯定派と否定派の比率が、旧伊那市民と旧高遠町と長谷村の市民とで異なるということである。人口の多い側は、対等であったとはいえ高遠と長谷の合併は吸収に近いものがあった。したがって大きな側は小さな側をそれほど大きな変化をもたらすとは考えていないということだ。むしろ高遠という桜の名所、そして南アルプスという常に眼前に現れている仙丈ケ岳が自らの市のものになるとなれば、イメージは膨らむ。そのあたりがこの回答結果に十分に現れているといえるだろう。大きな側は、小さな側の良いイメージだけをもってして合併のメリットと考えるかもしれない。同じことが全国で起きたといってもよいだろう。合併の良否はともかくとして、利用されたように小さな側が思えば、そして実際の行政が遠くなったと意識すれば、誰も「良かった」などと思うはずもないが、こうしたアンケートには実数に対してのまやかしがあるとまでは言わないが、否定するわけにはいかない派みたいな回答があって不思議ではない。

 年賀状が届き、そして年賀状を書きながら、最近めっきり郵便を使わなくなっていた自分が気がつくことがある。○○郡といった具合の住所がめっきり減ったことだ。見てみれば多くが○○市なのである。少数派となった郡部。そして合併後にかつての町村名がすっかり消えてしまった住所もある。もちろんそれが合併後の一体感を早期に意識させるためには良策という考えもあるだろうが、とくに消えている「村」の旧名は吸収された側はどう思っているのだろうか。いっぽうで旧名はもちろん自治組織として別待遇されることでより一層一体感が持てなくなることだってあるのだろう。合併したからには消えてしまった方が良いのかもしれないが、それぞれに葛藤をしていることなのだろう。そしておそらく「村」であった地域の多くの人々が「良かった」とは思えずに先々を不安視しているのだろう。それでも後おいで合併していく村があるのだから、国の地方苛めと言われても仕方がないだろう。
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