Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

出生率が上がった村

2006-05-26 08:25:57 | 農村環境
 5/22朝日新聞の「地域マリオン」というページに〝出生率の上がった村〟と題して長野県下條村のことが紹介されている。全国版の記事だからけっこう目立っている。県南の飯田市から約20キロ南にあるこの村は、峰竜太の出身地として知られている。芸能人が極度に少ない長野県だけに、峰竜太というメジャーな芸能人が生まれたということが、この村の象徴である。そして、その有名人が高校卒業まで、この村に暮らしていたということも、地域にとっては身近さを印象付けている。ごく普通の田舎人が、有名になったといっても差し支えない。その村に、集合住宅が目立ち始めたのは10年ほど前からだ。当初は民間の不動産屋が建てているのか、と思ったりしたが、聞いてみると村営住宅だという。飯田市から南は、すぐに山間の風景になるから、下條村に至るまでの長い道のりでも、数階建ての集合住宅は見られない。それが下條村に入ると、そんな建物がいくつか目に入るのだ。すべて村営住宅である。

 人口を増やすことが村長の公約だったと言うから、公約のために必死だったのだろう。さすがに10年近く対策を講じてきたから、効果も現れてくる。妻の友人に役場職員がいるということもあって、財源確保のために行なわれた施策は、職員にとっても厳しいものだったようだ。そんな村の状況を聞いて、各地の自治体が視察に訪れるという。なぜ、この村によそから移り住む人たちが多いのか、理由はいろいろあるのだろうが、今だからそんなことが言える、そうわたしは思う。基本的な立地条件などから勘案すると、地域の中心地である飯田市から20kmも離れているとなると、移り住むには立地は良くない。飯田市近郊で、同じ市内にあって通勤にそれほど支障がないような地域であっても、人の流出に歯止めのかからない地域がある。同じようなことは、長野県内のあちこちに起きていて、県内一の市域を持つ長野市近郊でも同じである。できればなるべくマチに近いところに住みたい、そう思う人々が多い。飯田市内から下條村まで、国道151号を走ると、短くもまた早くもない。そしてその村に入っても、国道周辺はほとんど山峡の地で、唯一役場から南へ少し行ったところにある〝ひさわ〟のあたりだけ視界が開ける。それほどの地であっても移住者呼び寄せることができる。

 この要因は長年の施策の継続なのかもしれない。1、2年で成果を出したいと思っても無理だろう。現在こうした集合住宅が9棟あるという。造り始めたころの住宅が埋まり、次へ次へと展開していくなかで、しだいにそうした移住者を迎える体制が整ったと言えるだろう。田舎に移住者が住むという空間作りは、早急にはいかない。結果として成功と、〝今は〟言える、その程度だとわたしは思う。もう10年たったとき、再び成功だったといえるかどうかはわからないのだから。

 下條中学は卓球部が有名である。男女ともに長野県一である。そして最近は、皮肉にも卒業すると県内、あるいは県外の有力校へ進学する生徒もいるという。

 さて、同じことを他の自治体がやって必ずしも成功するとは限らない。下條村が必ずしも成功したとは言い切れないからそう思うし、飯田市と下條村という空間的立地や、この地域の特性が現在の出生率増加という要因になっているわけで、他の地域にそのまま当てはまらないはずだ。
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