Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

山菜の季節

2006-05-01 08:01:09 | 自然から学ぶ
 山菜の季節がやってきた。長野県でも南信の方が温かいから、もちろん南信から山菜前線は北へ進む。オコギをおひたしにして食べたのはもう半月以上前のことだ。オコギといってもよくわからないかもしれないが、正式名称はヤマウコギという。雑木林などにある木で、木の芽をとって食べるのだ。5枚の葉が手のひらのように出るもので、小さな葉っぱである。伊那谷では早い時期に食べられる山菜とあって、けっこう親しまれている。おひたしにすると少し苦味があって、大量に食べるしろものではない。小皿に一口、あるいは二口ばかりのせられている姿が上品でよい。でも自家で食べる時は、だいたいはちにどかっとあるから、あまり上品には見えない。

 そんなオコギが食べれるようになると、次から次へと山菜が姿を現わす。今年になって食べた山菜は、ノノヒル・ヤマウド・セリ・コゴミ・ワサビとまだまだ県北の方では早い山菜ばかりだ。そういえば、オコギより早くに春を味わったものにフキノトウもある。どの山菜も妻の実家の裏山に出る。自生しているものもあるが、植えたものもある。ヤマウドは知人にいただいたものを植えたという。ずいぶん昔に植えたもののようで、すでにあちこちに増えている。加えて同じ土手にウドも生えていて、しばらくはウド三昧である。すでにヤマウドもウドも出ているが、あくの強さではウドの方が強く、ヤマウドはウドらしい匂いやあくは弱い。その昔、飯山に暮らしていたころは歳若く山菜にそれほど興味はなかった。それでも給料が安くお金がなかったから山菜も食材になり重宝した。意外にも山菜が美味しいことを知り、それからは山菜が好物となった。今日は自宅に帰るという土曜日に、同僚に連れられて飯山市富倉にヤマウドを採りに行ったことがあった。国道から少し入った道端だというのに、川を隔てた対岸にやまほどのヤマウドが出ていて袋に入るだけ採ったと記憶する。それを自宅に持ち帰ったのだが、ヤマウドというものを知ってはいたのだろうが、あまり大量さに母が驚いていたものだ。それこそ「どうやって料理するんだ」と問われるくらい、ヤマウドというものは認識が薄かった。わたしは天ぷらにするのが好きだったこともあり、「天ぷらにすると美味しいよ」とすすめたものである。あくの強いものは好みもあるため、あまり家では喜ばれなかったように記憶する。やはりヤマウドは北信の代表的山菜という印象が強い。

 タラノメは誰にでも好まれるが、わたしにはヤマウドの天ぷらの方が好みであった。そしてウドのあくの強さも好きで、けっこう大きくなったウドでも天ぷらにしてくれと妻に頼んだりする。すると妻は、「こんなあくの強いものよく食べるね」とびっくりするくらいである。

 オヒタシではセリが大好きである。これもまた生え始めたころのセリは小さいものの、やわらかくてあくは弱い。そんなセリはいくらでも食べてしまう。しばらくすると大きくなるが、食べられればいつまででも食べる方だ。セリについては生家にいたころからよく食べたもので、実家の母はわたしがセリが好きだということが常に頭にあって、実家に帰ると必ずセリのおひたしを出してくれるのだ。

 さて、このごろの食卓には、青いものばかりが並んでいる。レタスの初物が食べられるようになり、それこそ青一色である。わたしにとっては、連休前後がもっとも食事の楽しい季節である。
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