Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

新聞をめくる

2006-05-05 08:40:25 | つぶやき
 明日は新聞が休みである。ふと新聞をめくっていって、テレビ欄が真ん中にあるとき、「なぜ今日のテレビ欄が右側で、明日のテレビ欄が左なんだ」と何も考えずに思ったりする。そんなことがよく子どものころにあった。その癖が残っているせいだろう、今もぼーっとしているとそんなことを思ったりする。でもそれは当たり前のことで、新聞を表紙からめくっていけば先のページに今日、あとのページに明日のテレビ欄があるのはごく普通だ。ところがなぜそんなことを思うか、ということになる。

 新聞の読み方というのも癖がある。購読はしていないが、スポーツ新聞を読む時には必ず表から読み始める。目的がスポーツ欄なのだから、表からスポーツ記事が並んでいれば当然表から開くのは普通だ。ところがわたしの場合、普通の新聞は裏から読み始める。読むというほどではなくとも、必ず裏から左に開いていく。従来の本というものはほとんど右へ開いていくのが普通なのに、なぜ新聞だけそんな開き方をするようになったか不思議で仕方ない。子どものころの新聞を読む目的が、まずテレビ欄、そしてスポーツ欄という具合だったから、そんな開き方が定着してしまったのだろう。だからテレビ中心に新聞を読むと、2日分が並んで掲載されているテレビ欄に違和感を覚えるようになってしまったのだろう。

 「そんなのおまえだけだ」といわれる仕方がないが、きっとほかにもそういう人はいるのではないだろうか。

 そんな意図で今日の新聞を開いてみると、明日が休日ということで最終ページ、いわゆる裏表紙は1面広告で、めくると「第一社会」面があって、右側(ひとつ前のページ)には「第二社会」面がある。「なんで」と疑問が湧いてしまう。社会面は左が優先ページになっている。なぜだろう。一般新聞の構成というのは不思議なもので、たとえば表紙にある記事に「関連記事○面」という表示があったりする。表紙は目次的な意味合いがあるといえばそれもわかるのだが、時には関連記事があちこちの面に分散していることもよくある。そして典型的な記事が大きな事件報道である。大々的に報じている面は必ず1面と裏表紙をめくった最終面である。そう考えれば新聞のトップはもちろん表紙だが、第2面はテレビ欄をのぞけば最終ページあるわけだ。そう考えれば社会性の高い記事を最優先に読む人は、表紙をざっと見通した後に、必ず裏返して裏表紙をめくっていく、そんな読み方をするのではないだろうか。「きっとわたしだけではない」、そう結論づけたい。
コメント (3)


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****