Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

休廃止されたスキー場

2006-05-03 09:28:44 | ひとから学ぶ
 『信濃』最新号(675)に小山泰弘氏の「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」という論文がある。スキー場開発の小史から廃止後の植生実態はどうかという視点で記述されている。わたしはスキーをしない。かつて5年を県北の飯山で暮らしたものの、そんな環境がわたしからむしろスキーというものを遠ざけた。スキー観光というものの存在が、わたしにとっての暮らしにはマッチしなかったということもあるし、当時はスキー観光がピークで、その観光そのものに抵抗感のようなものもあった。だからこそ、スキー場のことには少なからず気をとめているし、現在の知事が力を入れるスキー王国NAGANO構築事業の考え方にも思うところはある。

 記事には廃止された、あるいは休止しているスキー場の一覧がある。あらためてスキー場の衰退を感じるのは、自分が知っている親近感のあったスキー場がその一覧に掲載されていることだ。飯山市の市街地からもっとも近いところにあった飯山国際は、わたしが飯山に暮らしていたころにはまだまだ賑やかなスキー場だった。数年前に休止している。信濃平も同じ年に休止している。記事にも触れられているが、人工降雪機の普及により、それまでなかった地域にもスキー場が開設された。スキー場のなかった佐久地方にもスキー場ができて、関東からもっとも近い長野県のスキー場となっている。集客が都会からということになれば、その入り口にあたる佐久や南信のスキー場はそこからさらに遠いスキー場に目的がない以上、そこで「とりあえずスキーを楽しむ」ことは実現できるわけだ。もちろん、人工雪と自然の雪は異なるし、自然に頼れるスキー場は広大なスペースを持つことができる。だから、それぞれの意味合いというものがあって存在しているものだろう。しかし、かつては「とりあえずスキーを楽しむ」にも、長野県なら奥まったところにあるスキー場まで足を伸ばすのが一般的であった。それが近いところでできるようになれば、当然そこに一般客は集まる。とくに家庭重視の価値観は、家族で行けるスキー場を有利にしたことは確かである。

 最近冬場にその近くを通ることはないが、南信の県境の近くにあるスキー場は、ゲレンデがかなり小さくても、土日ともなれば国道が渋滞するほどスキー客が訪れていた。それらは長野県内の客ではなく、多くは中京方面からの客であった。

 一覧には43施設が掲載されている。最終営業年をみると、最近年に休止したものばかりではなく、すでに閉鎖して30年、あるいは40年という施設もあげられている。昔に開業したスキー場は、リフト施設などない、こじんまりしたものも多かったのだろう。それが大規模なスキー場が開発されるに従い、自ずと閉鎖に追い込まれていったわけだ。もちろん、スキー観光がピークへ向かう途上には、そうした施設がニーズに合わなくなるのは当然のことである。かつて伊那谷でもっとも知名度の高かった宮田高原スキー場ですら、閉鎖してすでに20年近い。都会からやってくる「スキーを楽しむ」客は、近ければ雪道がなくて到達できるスキー場がもっとも求められる。そういう意味で、宮田高原スキー場は、そこまで到達する道路状況が、都会向きではなかった。中央自動車道から数分で到達できる駒ヶ根インター近くのスキー場や、伊那スキーリゾートなど、高速道路沿線のスキー場は、そうした立地を備えているといえるだろう。そして、名古屋市から1時間と少しで到達できる平谷スキー場や冶部坂高原スキー場のように、「近い」という立地は、小規模であっても一定のニーズにはまっているといえるのだろう。

 そんな意味で、南から到達するにもっとも奥まっている野沢温泉スキー場が、かなり厳しい状況にあるという報道もうなづけるわけだ。

 記事では休廃止後の植生回復状況に触れているが、大規模な面積を開発しているわけだから、回復が遅れることは当たり前のことだろう。そんななかで意図的に植樹する、あるいは回復させようという事業が行なわれているようだ。休廃止といっても時代によって、あるいは規模によってその造成規模はさまざまで一口には語れない。いずれにしても造成(土をどれだけうごかしたか)という判断によって回復には差が出るのだろう。今ならこれほどの多くのスキー場を開設するといえば、たくさんの反対があがるのかもしれない。そういう意味で開業しているスキー場は、どんなに赤字でもなんとか続いてほしいと思う気持ちが、さまざまな分野にあって当然だ。

 長野県内の観光客は、年に一億人近いという。国民が一年にほぼ一度は長野県を観光で訪れているという計算になる。そのうちの1割程度がスキー場利用者という。そう考えれば長野県にとっては大きな産業なのだろうが、「観光事業」というものにいまひとつ理解を示せない部分もある。記事の冒頭で、「長野県は、日本アルプスに代表される美しい自然、県下全域に点在する温泉、特色のある地域文化など、豊富な観光資源に恵まれている。」とあるが、「自然や地域文化が観光資源」といえるのかどうか、そしてそれを「有効利用する」ということがどういう意味を持つのか、単純な言い回しで捉えてしまっては問題が山積みされるだけだと思うし、それは本当なのかと疑問を感じるばかりである。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****