Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

コゴミ

2006-05-04 08:54:04 | ひとから学ぶ
 「山菜の季節」は継続中である。子どものころは気にもしなかった山菜だと書いたが、ゲテモノはけっこう食べても山菜はあまり注目しない伊那谷であったように記憶する。それは、前回にも紹介したヤマウドをあまり認識していなかったということもあるが、知るまで食べたこともない山菜にコゴミもあった。コゴミも北信の飯山に暮らしていたころに教わったものである。やはり会社の先輩に雪解けの栄村に連れていかれ、そこで大量のコゴミを採ったことがあった。肥料袋にいっぱいのコゴミを持ち帰り、味噌汁や天ぷらにしたものだ。こんなにたくさん出るものなのだとびっくりしたことと、こんな山菜は南信にはないんじゃないか、というのが感想であった。そんな話を南信でしてみると知っている人がいて、「伊那谷では食べるということをしないが、けっこう生えているんだ」という。わたしがそのことを気づいたころには、すでに伊那谷でもコゴミというものを認識している人が増え始めたころだった。実家の母もどこかで聞いたらしく、数株どこからか採ってきて、家の近くの用水路端に移植した。それからは時期になると実家でもコゴミを食べるようになった。

 飯山から飯田の事務所に異動して、高森町のある現場を訪れた際、その現場一帯一面に大量のコゴミがちょうど食べごろの状態で出始めていた。周辺には人家もあり、また果樹園もあったりと、けして人目のつかないところではない。いや、隣には幅の広い町道も開いている。ところがその生えている大量さは、栄村に先輩に連れられて行った姿をはるかに越えていた。その現場に数回訪れたが、そのコゴミを採る人の姿はなく、伊那谷ではこれを採って食べる人がいないということをつくづく認識したものだった。ある日このコゴミを何株も掘り出して、当時まだ購入したばかりの現在の宅地の端に移植した。その株は年々増えて、家を建てたころには土が肥えていたということもあるのだろうが、とても太いコゴミがたくさん生えるようになっていた。ところが妻は、このコゴミをわたしが採っても食べたくないというのである。それは、近隣が果樹園地帯ということで、消毒が舞ってくるようなところの山菜は食べたくないという理由なのだ。「いいよ自分で食べるから」といったものの、料理をするのは妻だったということもあって、結局自宅の庭に植えたコゴミを食べたのは一時的なものだった。そのコゴミは今は株も増えて、とても立派な姿を毎年見せている。しかし今も採って食べるとということはせず、夏場には草刈機で刈っている状態である。

 さて、そんなこともあって自宅のものでは嫌だという妻の要望に応えて、再度高森町の現場で株を掘り出して妻の実家の土手に数株移植した。もう10年ほど前のことだ。そのコゴミも増えて、今やたくさんの株となっている。写真はその妻の実家に出始めたコゴミである。昨日も食卓におひたしとして並んだが、わたしが満足するだけの量は十分採れるようになった。妻の実家に生えている場所は日陰の方ということで、比較的出始めるのは遅いと思うのだが、自宅のコゴミはまだまだ頭を見せていない。それだけ寒いのだろう。何十年かのち、果樹園がなくなり、環境が良くなり、加えて年老いて動けなくなるころには、自宅に植えたコゴミを食べるときが来るのだと思う。
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