Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

愛国心について

2006-05-23 08:09:36 | 歴史から学ぶ
 教育基本法改正について意見はさまざまである。多様な時代だからさまざまでけこうである。しかしながら、愛国心を表現しようとする改正派の意図はうさんくさいといえばうさんくさい。結局改正させる側と、それに反対する側が二者択一という世界であーだこーだ言うから、そのうさんくささはいまいち飛んでしまう。うさんくさい部分をさし当たって拾ってみると、たとえば政府案の第2条で「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という部分である。

 まず、「伝統と文化を尊重し」とあるが、今までの政治は伝統と文化を本当に尊重してきたのだろうか。いや、政治が目指していた伝統と文化とはどんなものだったのだろうか。地方に住むわたしにとってはそういわざるを得ないわけだ。地方の伝統と文化は、すでに風前の灯火を過ぎて消えてしまったといっても差し支えない。なぜそれがいえるかといえば、地域が伝統を大事にしなくなった根底には、国の施策がそうさせたと明らかにいえるからだ。その典型的なものが農業施策の失敗といえるだろう。農村の落胆振りを見るにつけ、地方の伝統文化などというものは金にもならず、中央に画一化されていったわけだ。サラリーマンのためのハッピーマンデー制度などというものは、あきらかに地方の伝統を奈落の底に陥れていった。

 つぎに「それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに」というが、これも前記同様に郷土を捨てる施策を行なってきた国が、何を言うかということになる。そして「他国を尊重し」と続く。隣国との外交がなかなかうまくいかない現状をみるにつけ、尊重する必要のあるのは、あなたたち改正派の政治家ではないだろうか。

 いっぽう民主党の対案は「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求する」というものだ。こちらも対案というがどこがどう対案なのかわたしにはよくわからない。

 つまるところ、子どもたちに「自分たちにはそんな気持ちが欠けていたから、ぜひあなたたちにはこの精神で勉学に励んでほしい、そしてそうした環境を整える努力をするとともに、わたしたちもあなたたちと一緒に勉強していきたい」ぐらいのことを言ってもらえればずいぶん気持ちは伝わる。こともなげに「今の若いやつらは」なんていうふしだらな言葉を前置きして、子どもたちに自分たちの時代を経験しろ、みたいに改正論が浮上したのならうさんくさいことになるのは当たり前だ。

 5/19朝日新聞の三者三論は、そんな意味でどれも的を得ている言葉である。とくに江川達也氏が、「国を愛したいのであれば、まず「知」を愛する心を持たないと危険だ」という。改正論者にもっとも欠けている部分かもしれない。伝統や文化、国や郷土を愛する、というのなら、まずそれらをどれだけ知っているかということになる。自らの国のことを理解せずに他国のことは理解できない。他国ばかり見ていて「愛国」などといえない。「英語教育を小学校から」に対してそれよりも国語をもっと理解しろ、という意見があるが、英語も必要だろうが自国の言葉も勉強しなくては同じことになったしまう。まずもって足元をもう一度「知る」ことだ。にもかかわらず、今の多くの人々はよそばかりを見ている。生まれた地を愛せずに国など愛せるわけがない。そう思う。

 なお、生まれた地を愛するとは、生まれた地が「良いところだ」風に良いところだけを拾って愛するというばかりではなく、まずいところもしっかり把握し、受け止めることは言うまでもない。
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