Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

用便後に尻を拭く

2006-05-10 07:54:49 | ひとから学ぶ
 〝わたしにとっての「便所」〝の第3章である。

 〝わたしにとっての「便所」〟において、野糞に触れて大便をしたあとに葉っぱで拭く話をした。わたしの子どものころ、30年ほど前の便所には、ちり紙というものはまだなく、新聞紙をちょうどティッシュペーパー程度に切断した紙が置かれていた。新聞紙はけっこう大便所に落としてもそれなりに解けたのか、あるいはそれほど紙を使わなかったのか、落とすことは許されていた。便所から汲み取って肥料にする際に、まだ新聞と解る姿であったことを覚えている。そののちちり紙を置くようになったが、そのころのちり紙というやつは、今のようなティッシュペーパーのように柔らかくはなかったが、新聞紙に比較すれば格段と改善された尻の感触であった。ところが、わたしの場合きれい好きだったせいか、拭いても何もつかなくなるまで何度も紙を使ったため、母に「紙をたくさん使うな」と戒められたものである。そのうちに肥料としては使わず、汲み取り業者に引き取ってもらうようになると、紙を多用すると便所がすぐにいっぱいになってしまうといって、使った紙は備え付けの箱に入れるように母に指導されたものだ。そうすることによって、汲み取り料を節約しようとしたもので、なかなか考えたものではあるが、あまり気の進むことではなかった。

 民俗学者、向山雅重先生の著書にこのお尻を拭く道具のことが書かれている。『伊那』昭和45年4月号に書かれた「ヨウトギ」には、なかなか興味深いことが書かれている。清内路村の方から聞いたところによると、下肥を背負い桶へ入れてセータ(背負板)で運ぶ際、山坂を歩くからなるべく水気を少なくしたかったという。そのために小便と大便は区別することを考えたわけだ。そうするには、もちろん小便と大便は別の溜めに入れるのだろうが、女性も男性用のいわゆる小便器で小便をしたというのである。女性の先生が宿を借りていたとき、「先生すまないが、小便と大便を区別しておくんなよ」と言われたというのである。以前「オンナの身体論」において、女性の立ち小便のことに触れた。「質疑のなかで、トイレの話が出て、かつては女性が立小便をしたというが、そうなると、トイレで必ずしもしゃがんでいたとは限らなくなる。その辺も含めて検討の余地はある。」と述べた。清内路の事例から導けば、小便と大便を区別するために女性の立ち小便が生まれたとも考えられる。年寄りがかがむのが大変だからといって立ち小便をするのではなく、下肥から水分を減らすためにしたわけだ。そうはいっても実家の母が座るのがつらいといって、このごろ立ち小便をするようになった現実を見る限り、そればかりでもないとは、少し思うわけだ。

 さて、向山先生書かれた「ヨウトギ」とは何かということになる。ヨウトギとは、大便の後始末をする木片のことである。ようは紙のかわりである。昔は紙などというものはなかったから、木を使ったわけである。栂や樅の木のマサを5寸ほどに切り、薄く割って使ったわけだ。表で拭き、次には裏で拭く。これを箱に入れておき、たまると「ヨウトギ、捨てに入ってこい」と言われてナギへ行って捨ててくるというのである。ここでいうナギとは、もちろん崩れている崖のことである。「ゴミのはなし」でも崖に捨てる行為について触れたが、やはり崖は捨てる空間であっことをここでも知ることができる。そして、ヨウトギが紙に変わっても紙を便つぼに落とされると下肥としては邪魔だといって、「紙は便所に落とさないでください」と張り紙をすることになったわけである。

 清内路ではヨウトギといったが、上村(現飯田市)ではステギとかステンボウといった。このステンボウという呼び方はけっこう一般的だったようだ。さらにステンボウ以前には、藁を吊っておいてそれを端から使っていった、などという伝承もある。もちろん野に出れば葉っぱを使ったもので、向山先生の『続山ぶどう』の「ステンボウ」には、「ふきの葉、イタドリの葉なんぞは、山へでも行ったとき、まことに具合よかった」と泰阜村栃城で聞いた話が書かれている。

 今ではトイレットペーパーが当たり前のように使われているが、日本のトイレットペーパーの品質は高いといわれる。紙が日常的に身の回りに出現したのは新聞の購読に始まるのだろう。新聞を購読しなければこんなに紙は氾濫しなかった。それがヨウトギやステンボウをなくした。いや、食生活が変わることにより、かつてのヨウトギやステンボウでは用は足せなくなったかもしれない。だから紙が登場したから用便に使われるようになったという見方もあるだろうが、軟便になれば必然的に木片は消える運命だったのかもしれない。

 余談であるが、中国ではかつて木片であとを拭いたといい、その木片を袋に入れて持ち歩いたという。また、インドでは用弁後、尻を高くしてこれに水をかけて指でこすったという。乾燥した地域では何分間か尻を乾かしているだけで何も使わなかったともいう。動物が尻を拭かないことを思えば、人間の用便始末は多様でおもしろいものだ。

 …続く
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****