宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

「防潮堤」は効果がなかったこと。これからも期待できないこと。

2011年09月17日 | 津波直面体験


ここにきて、テレビなどのドキュメントや写真報道や被災者のナマの体験から、防潮堤や防潮壁の今回の大津波に対する無効性がはっきり分かるようになった。…
防潮堤の有効性とは何であるのか? 結論的に言えば、お金の動く単なる土木公共工事である。コンクリート族の知恵の限界である──懲りていない。検証されておらず有効性などまったく期待されていないパフォーマンスにすぎないものまであったように思われる。

1、防潮堤の構造から 2、機能面から 3、防ぐべき対象から
 
それぞれ解き明かして防潮堤の無効性を述べたいと思う。

 

 

1、防潮堤の工学的構造は本物であったのか?


マグニチュード9.0の地震による大津波に、東北太平洋沿岸の防潮堤、防波堤、防潮壁、一言ではコンクリートによる津波の防御は無効であった。繰り返し言われる岩手県宮古市田老地区の世界一の防潮堤、国土交通省(=東北地方整備局=釜石港湾事務所)が世に誇る水深63メートルの釜石市の湾口防波堤、いずれも津波によって破壊されて後背地の市街地を津波から守ることが出来なかった。



種明かしをすれば簡単なことばかりである。釜石の巨大な湾口防波堤は、湾口に、海面からちょっとアタマを出す海底から最高63メートル、全長2kmにせまる台形ピラミッド状のコンクリートの山脈を築いたデザインであった(上、一部図面)。津波として押し寄せる水量のエネルギーを押しもどす構造にはなっていない。圧倒的量の海水が楽々この防波堤を乗り越えてくることは、結果論ではあるが、あまりにも明らかである。堤防が破壊されたことよりも、堤防自体のデザインが問題であることを深刻に認識してほしい。津波はそうしてデザインの不備をついて(不備のままに)釜石市街地を襲ったのであった。固定観念か何かに取り憑かれたデザインと言わざるを得ない。国土交通省はコンクリート省と言われてもしかたがないのではないのか?

今頃、港湾空港技術研究所というところではこの釜石のスーパー堤防が「市街地への浸水を6分間送らせる効果があった」という見解を出している。コンピュータによるシミュレーションというが、堤防が破壊される過程での効果であるという、問題がすりかわっている。またシミュレーションが正しいとだれが断言するのか?市井ではこの6分間とスーパー堤防の安心対価(避難の遅れ)の比較が云々いわれている。気をつけないと「6分間」はデマ化する危険性がある。港湾空港技術研究所はれっきとした(?)国土交通省の外郭団体らしいが国土交通省はここでもコンクリート族でありつづけるのか。被災者の気持ちを逆なでするようなデマ化だけはやめるべきだ。


宮古市田老地区の防潮堤にしても、新旧二重の防潮堤で町を守っていたが、今回、古い方の堤防はほぼ残り、新しい方はほとんど壊れてしまった。「新しい堤防はコンクリートの塊を二重に積み上げただけで、鉄筋を通したり、積んだコンクリートを上下でかみ合わせたりしていませんでした」(東大地震研究所都司准教授9/2赤旗)という実態。ここでは世界に誇る巨大さや効果の問題よりも欠陥構造のことを言いたい。都司准教授はこのような(手抜き)堤防は他でも見られます、という。

私は、宮古市の女遊戸海岸では、薄皮まんじゅうのような防潮堤が津波で壊れているのを見た。周りのコンクリートが波ではがされて、中から赤土が漏れだしているのをこの目で見たのである。どんな効果を期待してこのような防潮堤を作っているのか? 何か基準でもあるのだろうか? と思った。

ケーソンに石をつめてぎりぎり海底に据え付けただけのぐらぐら動いている防波堤の話は前からあった。壊れるべくして壊れている防波堤、防潮堤、河川堤防、は、いま、東北沿岸では死屍累々である。国土交通省、県、市町村は、ごまかさないで対処すべきである。この一つ一つが津波の甚大な被害を呼び込んだものである。単に巨大津波に破れたのではない、想定の甘さ、デザインの不備、工学上の手抜き、明らかな不正工事など、コンクリート族には退場を求めたい。

 

 

2、防潮堤の機能性とは?本当に津波を防ぐ効果があるのか?


宮古市においての状況を書くが、大事なことは「防潮堤があってもなくても」被災者の95%近くの人が津波から避難することが出来たということ、つまり、助かって生存しているということである。

参 考)宮古市の死者・行方不明者551人/津波被災人口8836人/人口60000人 概数

生存者が多いことは防潮堤のせいではなく避難行動のせいであった。 


「防潮堤があってもなくても」と書いたのは、田老や鍬ヶ崎や、宮古湾沿岸の集落の人は津波のことを普段から、子どもの頃から熟知していて、防潮堤が津波に対して無効だということ、ひいき目に見ても効果は限定的であることをよく知っているからである。今回の被災地の生存者が多かったことも防潮堤のおかげだとは考えられていない。津波になったら「てんでんこに」急いで避難することが大事であり、そのための口伝をし、口伝を聞き、教育をして、避難の訓練をしてきている。親は子に強く「防潮堤はあてにするな」と教えている。とにかく大きな地震があったら、津波の兆候があったら、高いところに逃げることを教えているのである。津波地帯では防潮堤があってもなくても普段からこのようなコンセンサスがとられているのである。

しかし、防潮堤の有効性を口にせず、むしろ無効性を知っていながら、なぜこの人たちはそれを否定しないのかと言えば防潮堤を必要とする人が他にいると思っているからである。不思議なことである。だれも必要としていないのに「必要なもの」として祭り上げられている現象がこの地域一帯に存在している。大きななぞである…

防潮堤は景観だけでなく目の前の津波襲撃をブラインドする凶器の遮蔽壁となった。

防潮堤があっても(=宮古市田老地区)、防潮堤がなくても(=宮古市鍬ヶ崎地区)ほとんどの市民が助かったのは大地震に次ぐ津波第一波のうちに住民は皆高台への避難を完了しているからである。しかし少なからずの人が避難できなくて亡くなった。主に徒歩や自転車やクルマで市街地を通行している人、また病気や余裕や仕事など、いろいろな事情があって屋内から外に出れないで残留していた人だったように思える。テレビのドキュメントは田老地区で国道をクルマで通行中のドライバーの危機的事情を伝えていた。防潮堤のために全く波浪の様子が分からず、また市中も平穏で音も聞こえず、突然、防潮堤を越えてきた濁流のことを語っていた。防潮堤があるがために安心してかえって逃げ遅れた例もあって、大防潮堤のある「防災の町(安心の町)」のスローガンは返上した方が良いと言い切る人もいた。同じ現象を他のテレビの映像も伝えている。宮古市の中心市街地の築地や新川町で、閉伊川の防潮堤を車や船とともに黒い海水が滝のように超えてきた有名な写真や映像は、その防潮堤のそばに建つ宮古市役所の職員が庁舎の4階~5階から撮影したものである。彼らは、波が防潮堤を越える前には、庁舎のその4階~5階から、防潮堤に沿って走る国道45号の地上の通行人、自転車、往来する自動車に大声で津波が防潮堤を越えることを絶叫して知らせている。高いところからの呼びかけは必ずしも(ほとんど)届かなかったようであった。さらに河口の光岸地地区では同じ防潮堤が、壁の反対側で遡上し膨れ上がる津波をブラインドして、ぎりぎりまで、海水が防潮堤を越えるまで、また越えた海水が家屋を破壊するまで、事態の重大さに気づかず、遅きに失した避難行動をとる住民の映像を記録している。

 

⚫︎  世界一と言われた防潮堤があった田老地区の場合はどうだったのか。


──防潮堤は何の役に立っているのか? 時間軸で冷静に振りかえってみると、今回の津波では何の役にも立っていなかったように思える。かえって住民の目から、耳から、すぐそこまで来ている津波襲撃を隠して市民を危険にさらしている。究極の危険は、防潮堤が津波から市民を守るという神話がはびこっていることである。そのために避難をしなかった人がいたり、避難に余裕をもったり、躊躇したり、ものを運んだり、さがしたり、避難途中の帰宅などがあったのではないかと思われる。幸いほとんどの人は神話を信じてはいなかった。まじめに避難して助かった。神話が崩れ、防潮堤が壊れ、その上を津波が越えたりすると、市民の間に大パニックが生じて津波被害は甚大になるように思われるが、口伝や教育や訓練を積んでいる津波地帯の人々は、そのようにはならなかった。

そのようにならなかった事は世界一の防潮堤のせいではなく、津波に対する口伝など田老地区の長年の文化・風土のせいであることだけは、第一に、しっかり肝に銘じておかなければならない。田老地区では昔から「うまいものから先に食え」と言われているという。なぜなら「津波が来るから」という。

第二に思うことは、しかし世界一の防潮堤の名の下に長い時間をかけて住民の海の自然に対する五感を退化させてきたのではないか、の思いを禁じえない。海の景観と空気感の感受性、波浪の気配の察知力、そして集落の過去の記憶力・伝承力…は弱くなってきていないだろうか?

田老地区では消防団員が防潮堤の海側からのクルマを退避させるため、通用口扉を閉めることが出来ずに進退窮まったエピソードもテレビは伝えていた。
 ──また本物の津波となれば水門や通用口扉を誰が閉めるかと言う問題もプラスされる。そもそも閉めることが出来るかどうかの問題もある。私見では「閉めなくてよい早く逃げろ」という事であるが…。(miyako on Web「宮古伝言板」より引用、2010/03/07、コーケやん)※

津波に対して防潮堤が役に立つのは津波が被害を及ぼさないほど小さい時である。役に立たないときは、防潮堤は反対に被害の複合原因になって被害を甚大にする。

参 考)田老地区の死者・行方不明者229人/津波被災人口3000人/地区人口4436人


⚫︎「防潮堤がない鍬ヶ崎地区の場合はどうだったのか。


鍬ヶ崎地区は、宮古市内沿岸の集落で防潮堤のない希有な地区である。注)防<波>堤は文字通り水揚げ港や漁船繋留の岸壁を波から守るための実用堤防で、岸から離れ、灯台をつけたりして昔から湾港の景観をつくっている。防<潮>堤は集落を津波や高潮から守るために陸地に造られたコンクリートの擁壁とされる。私見では、検証もなく、一律に外国のまねをしただけの公共事業である。鍬ヶ崎地区に防潮堤がなかった理由は他の機会に譲る。

さて、防潮堤がない鍬ヶ崎地区の防潮堤の機能とは?その有効性、メリットとは? もともと「ない」からその事について語ることはできないが、それ故に「防潮堤のある」典型である田老地区の、いろいろな機能性(防潮堤の無効性、災性,マイナス点)が存在しなかった。不幸中の幸いと言いたい。もちろん、市街地が外海向き、内海向きなどいろいろな要因があるので言いにくいことではあるが、地区人口や被災人口に占める死者・行方不明者の数は、鍬ヶ崎地区は決定的に少ない。田老地区と同じように鍬ヶ崎地区も津波の浸水地区の家屋建物はほとんど全壊したが、しかし死者割合は小さかったのである。鍬ヶ崎地区で人的被害が少なかったのは、端的に言って、防潮堤がなかったから、避難行動に真剣だったからである。

参 考)鍬ヶ崎地区の死者・行方不明者65人/津波被災人口3200人/地区人口5400人

しかし、鍬ヶ崎防潮堤の黒い計画はすぐそこにまで迫っていたのである。考えて私はぞっとする。もしこの防潮堤計画が完成してマグニチュード9.0の地震と津波に襲われたら、防潮堤の内側でどんな事態が生じたのか?鍬ヶ崎地区の人的被害は今回の比ではなかったはずである。永久に海の景観を閉ざされ、更に安心という名の厄災を抱え込むことになる。東日本大震災は東北の沿岸一帯でその事を証明したといえる。平成21年頃に決定されている岩手県のこの事業「鍬ヶ崎防潮堤整備案」(※※)は事業が着工される前に、地元のコンセンサスがうまく取れず、かつ3.11の大津波に遭遇して、…立ち消えたのか、継続中なのか良くわからないが、ここにきて、白紙に戻ることは必至であろう。事業中止、予算返上を視野に入れて、全面的に見直す必要がある。

いずれにしてもこの事業の今後のプロセスからは目がはなせない。それは今後の津波対策、復興計画と同じプロセスを辿るからである。



※(miyako on Web「宮古伝言板」記事、2010/03/07、コーケやん)
>りっぱな防潮堤ができると、あまり避難しなくなるそうです。



1)本物の津波の場合(防潮堤がない場合の避難)

 

津波の「つ」を聞いた瞬間にはじかれたようにみな逃げて鍬ヶ崎地区から人が一人もいなくなる。これが理想です。家から、事務所から、浜の漁師、観光客、何が何でも人間と名のつくものは高いところに逃げる。それが成功すれば一人残らず命に別状なく悠々津波をやり過ごすことが出来るという事である。そうでなければならないのです。


 
a、そういう訓練、b、そういう情報ネット、c、そういう相互扶助組織、がふだんから存在すること。そのような仕組みを作っておく事が課題です。繰り返しますが、本物の津波の場合、一瞬にして逃げて鍬ヶ崎地区から人がいなくなる。これが理想です。残った家や事務所、資材や船が全部流されてもしかたがないのです。もちろん終始一貫、落ち着いて行動する事です。そのためのふだんの a、b、c、が大事ですね。

 宮古市の広報誌2010.3.1号はその事を強調しています。この号は増刷して長く保存されるべきです。田老の田畑ヨシさんの「命はてんでんこなのす」という悲しい教訓。他人(ひと)も防潮堤も助けてくれない。自分で生きる(=逃げる)心がまえを強調していると思います。広報みやこの記事はぜんぶ本物だと思いました。そしてその発刊のタイミングに脱帽!はやばや「伝言板」のトップにのせたじんさんにも脱帽!(われながら脱帽は古いですね「まいった」と読んでください)山さ逃げるタイミングもまさにこうあるべきです。注)直前の2010.2.28、チリ地震津波が三陸沿岸を襲った。



2) 本物の津波の場合(防潮堤がある場合の避難)

 

人が逃げる時、防潮堤に対する心の安心から生じる危険。大事なものを持っていこうとしたり、電気やガス栓をさささと片付けて…と一瞬の気回しが命取りになる。どこからか水が入って、水が回って、Gのかかった大量の水流が防潮堤のなかを走りまわり急流になって外洋と行き来する。この防潮堤を越えた海水のもたらす災害については、大分前になるがNHKのドキュメントでくわしくやっていた。西日本の海抜ゼロmのどこかだったように思う。それは単なる高潮・高波の災害であったが逃げる場所もなくて人的な被害もかなりのものだったように記憶している。津波時の防潮堤に対する信頼が逃げる時の遅れや躊躇、落ち着き以上の余裕を生じるとすれば事態は同じことになる。

 

また本物の津波となれば水門や通用口扉を誰が閉めるかと言う問題もプラスされる。そもそも閉めることが出来るかどうかの問題もある。私見では「閉めなくてよい早く逃げろ」と言う事であるが…。閉め損なった防潮堤の開口部からの海水の出入りは、防潮堤がない場合と同じダメージを一帯に与える。Gのかかった海水の出入りは予断できない二次災害をもたらすように思う。遠隔操作で、電動で閉門という事もあるが作動への信頼感は薄いのでは…。責任問題をどうするのか?もある。そして閉門閉扉には消防、警察、民間人などの人的パワーは絶対使うべきではないと思う。津波のパワー、津波の速度に対しては無力だからだ。

 

広報みやこにのった田老の昭和8年の写真!津波前と津波後の2枚の写真を見て防潮堤の効果を疑問視したのは私だけであろうか?自然の力にあ然とするばかりである。戦おうとするな!



※※「鍬ヶ崎防潮堤整備案」図面

 

 

 

 3、防潮堤は津波から何を守るのか?


防潮堤は津波から一体何を守ろうとするのであろうか? 今度の3.11大津波以降その事があやふやで曖昧だったことが分かってきた。これまで述べたように津波に対しては人の命が一番に守られなければならない、と思う。二番に守られなければならないもの、三番に守られなければならないもの…、そのようなものはない。一番だけが大事なのである。私自身、親戚や友人を亡くしてつくづくそのように思う。多くの親戚や友人が助かって、またそのように思うのである。して、これまで述べてきたように防潮堤が津波から人の命を守ったとは思えない。

これも述べてきたことであるが、津波から命を守るのはただ一途の「避難」だけである。避難訓練、学校教育、地域コンセンサスにおいて避難の精度を上げることだけが、今後も、命を守ることにつながる。3.11大津波時点では、東北沿岸の津波地帯でも、避難行動はまだ充分ではなかった。多くの犠牲者がでてしまった。避難のためのノウハウ、ハード面、ソフト面でまだまだ改善すべきことが浮上してきた。ここではその内容に言及しないが以下の記事だけは当面しっかりとアタマにとどめておいてほしい。期待するところが大きいからである。

─津波避難の実態を面接調査へ 内閣府、2万人規模想定─
 内閣府は18日、東日本大震災の津波から住民がどう避難したか実態を検証し、減災対策に活用するため、大規模な面接調査を行う方針を固めた。津波被害が出た青森から千葉までの太平洋岸6県の沿岸市町村を対象に、住民避難を支援した消防団員らを含め最大2万人規模を想定している。必要経費として本年度第3次補正予算案に約2億円を盛り込む考えだ。
 多くの人から避難体験を直接聴き取ることで(1)住民らの意識を高め安全に逃げる方法(2)高齢者や入院患者ら災害弱者のスムーズな避難の在り方(3)消防団員らが被災を避けながら支援する方策?などを多角的に検討する狙い。(2011.9.18、47ニュース等)
内閣府は、すでに岩手、宮城、福島の3県で被災者の避難行動を調査した。(2011.9.19、日本経済新聞)


最後の行の日本経済新聞記事については大いに気にかかる記述であるがそれが本当なら(1)特に、すでに調査したという岩手県下の避難行動調査については県庁、各市町村では内容を公表、直ちに今後に生かすべきである。
(2)国は、県、市町村でも、独自・独自に、死者・行方不明者のサイドに立った避難行動ないし被災状況調査を行うべきである。徹底した人的実態把握こそ今後に向けた喫緊の課題であるからである。
(3)公的調査以外でも、民間で、団体で、個人で、同じような直面体験の記録を残すべきである。

本題に戻るが、防潮堤は津波から人命を守れなかった。もしかして、防潮堤の守るべき対象は「人の命」ではなく「もの」ではなかったのか?と思う。家や工場などの建物…、道路や電柱、橋…、車…、畑…。…しかし、それも守れなかった。

(了)

 

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【参考】にしでんじがたのブロク

 

コメント (23)
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