宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

▲宮古湾の津波防災はどうあるべきか ?

2012年01月09日 | どうなる避難対策

1、閉伊川河口水門 2、宮古湾のディレクション 3、防災施設



1、閉伊川河口水門には疑問がある


鍬ヶ崎地区を襲った津波は、くり返し映像で見た通り、そのあふれた水量は出崎埠頭の表面を洗って閉伊川の遡上津波と合流、閉伊川の上流に向かった。

 

 



もし、将来閉伊川河口水門ができたら、鍬ヶ崎を襲った波は、閉伊川に遡上すべき量の波と、直接藤原・磯鶏地区方面を襲った波と合流して、高まり、現地を襲い、更に宮古湾奥に向かうことになる。
そして、この事は逆の事も言えるはずである。湾奥、藤原・磯鶏、閉伊川河口方面からの戻り波は再び高まって鍬ヶ崎地区を襲うであろう。戻り波については、北進した激浪が鍬ヶ崎を襲った慶長の大津波の記録がある。

 


もし、閉伊川河口水門ができ、鍬ヶ崎にも防潮堤ができて、磯鶏方面の防潮が更に完璧になったなら、行き場を失った波は「ごめんなさい」と湾口に向かって勝手にに退散することになるのであろうか? そんなうまい話はないのである。仮定の話としてもその場合は対岸や湾奥の諸集落に一層甚大な被害を及ぼす事になるのである。有名な話は釜石湾口防波堤ができたがために両石地区の被害が大きくなったと言われていることである。



ある地区がコンクリートの作り物で一時的効果があったとしても、(後述するように一時的でも効果は見いだせない)他の地区でその分のマイナスの被害を引き受けることになる。津波は一旦湾内に入ったらその破壊のエネルギーを放出し終えるまでは湾内にとどまり、沖に消える破壊のエネルギーは少ないと見なければならない。鍬ヶ崎地区が助かるという事は他の宮古湾内の地区がやられるという事である。閉伊川河口水門で宮古市街中心地区が被害を免れるという事はほかのどこかが被害をこうむるという事である。



以上は仮定の話であるが、あり得る話である。現実的には、河川水門は、防潮堤と同じで、津波防災には役に立たない。すくなくとも大いに疑問がある。津軽石川の水門の例は、事実は遠隔操作による閉門ができず、地元消防団の献身的な勇気ある手動操作により閉めることが出来た。福島原発の停電のように緊急時に役に立たない水門管理そして人命に関わる人力操作、なによりもこの津波に対する水門の効果、これらの事はこれからの検証課題として,手づかずで残っているのである。



閉伊川河口水門は、津波に対する効果への疑問、自動開閉の信頼性、消防団など人的危険、なによりも繋留漁船や自動車などの通行問題等から見て現実性はない。津軽石川水門、田老防潮堤の実態をよくよく考えなければ、…それが鍬ヶ崎地区の施設でないからといって簡単に見過ごすことが出来ないのだ。



各地区の津波防災施設を考えるとき、次ページのような視野で宮古湾全体のグランドデザインを考えることが大事である。住民は目先きの地区地区の問題だけでなく行政に対しては湾全体の防災・減災対策を求めなければならない。そうでなければやまご的発想によって閉伊川水門のような意味のうすい施設だけが並ぶようになる。



 

 

 

 

 

 

 


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6 コメント

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よい方への転機になればと… (コーケやん)
2012-03-05 02:01:38
t.hiraさん いつも当を得た意見をありがとうございます。

前から、防潮堤で鍬ヶ崎のぼろ家のシロアリやネズミを守るのか?という声もありました。今はネズミやシロアリすらいなくなりました。確かに誰もいない50坪~60坪の土地を10mの防潮堤で守るとは滑稽な事ですね。
しかし被災地にとっては3.11は否応無しに転機になると思います。よい方への転機になればよいですね。

いつかオフ会でもしたいものです。
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だれも何もしてくれないのでないか? (t.hira)
2012-03-04 02:16:25
宮古市のプログの「漁師のつぶやき」もこの「コーケやんのプログ」もすぐれて情勢分析は正しいと思うが、t.sasaki氏のいう「なにも作らないほうが・・・」がより真実味があると思います。
今もっとも重要な問題は「日本の人口推計値」による100年後の推計値として日本の人口は3000万~6000万人になるという「少子高齢化問題」である。
復興計画で再構築されようとする防波堤や防潮堤で守るべき「後背地や住居地」は100年後にないのかもしれないという問題に考えが及んでいなのでないかと思う。解っていても目を背けているのでしょう。3.11震災は「この閉塞状況の日本」が変わる転機になるのかもしれないと感じていたのですが、違ったようです。
「自由参加の第二検討委員のような」な組織は必要です。
「自由で創造的な人々が集う革新的なまち」という発想が必要です。なんかすこしでも力になれればうれしいなと思います。ちょっとお会いして話をする場が設定されればよいのでは。
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お怒りですね。もっともです (コーケやん)
2012-03-04 01:04:15
多くの首長は平時の時の選挙でなったのではなかったかでしょうか。その他の議員も、無理な人が目立ちます。どこもただ乗りだけ。

3.11から一年経って、いよいよ市民による、国民による総査定が固まってきたと思いたい。選挙がなければ不発でもリコールの声を上げるべきです。ネットであげるのも一案。

もうひとつ、地区地区の小さい単位で、やはり若い人の集まりがほしいです。漁業者,港湾関係者,一般市民のやる気のある人、商店,公務員、各種各層から。宮古市の場合、自由参加の第二検討委員のような。第一検討委員はただ乗りだけで任務を終わりました。その地区まちづくり案をたたき台に少人数からでも集まるべきです。その後横にもつながれば最高ですね。
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だれのための復興か? (t.hira)
2012-03-03 14:41:03
各被災地の復興が始まったが、その復興計画の裏付けとなる、国からの「復興交付金」の行方が、なんともあやしいことになっています。
すでに指摘していたように、復興計画の全てが中途半端に終わるような予感がします。
今こそ、一人ひとりの「新たな発想」による復興計画の「再検討と再構築」が必要になる時期が来ることになると思います。それまでしばらくは「勝手に復興計画」を「深化」させていこうと思います。

「復興庁ではなく査定庁」宮城知事、復興交付金に怒りあらわ

 復興庁が復興交付金の第1回配分額を被災自治体に通知した2日、要求額の5割しか認められなかった宮城、福島両県には動揺が広がった。村井嘉浩宮城県知事は県庁内で「復興庁でなく、査定庁だ。交付金なんかやめればいい」と怒りをあらわにした。

 宮城県は1月末の交付申請時、市町村分も含め2032億円を要求したが、配分額は1162億円と57%にとどまった。
 村井知事はぶぜんとした表情で「残念というよりは、大変あきれる結果だ」と指摘。6日に県市長会長の奥山恵美子仙台市長、県町村会長の鈴木勝雄利府町長と上京し、平野達男復興相に抗議する考えを明らかにした。
 「国が決めた40事業に該当すれば自由に使えるのが復興交付金。該当しても認めないのなら、全部を国庫補助金にしてもらった方が、よっぽど復興は早く進む」と知事。「自治体を信用しないなら、復興事業は全て国がやればいい」と述べた。
 復興庁との協議で「国庫補助金の申請時を上回る量の資料を求められ、県も市町村も混乱した」と明かし、同庁が掲げるワンストップを疑問視し「復興庁は被災地でなく国の側に立っている。復興のブレーキになり、期待した役割を全く果たしていない」と批判した。
 福島第1原発事故の対応に追われる福島県も、875億円の要求額に対し、配分額は58%の505億円だった。同県地域政策課の金子隆司課長は「使い勝手の良い交付金のはずが、実際は津波の直接的な被害に限定され、評価が厳しすぎる。柔軟な運用や制度の見直しを求めたい」と語った。
 一方、ほぼ満額回答の配分額となった青森、岩手両県は安心した様子。三村申吾青森県知事は「復興の取り組みが加速することが期待される」と歓迎のコメント。達増拓也岩手県知事も「緊急性を重視し、必要な事業を採択してもらった」と評価する談話を出した。

河北新報社HP 2012年03月03日より

そして
全てが中途半端に終わるような予感がします。高台移転しかり、防波堤の復旧、嵩上げしかり防災まちづくりしかりである。各被災地の県、市、町、村の行政組織は硬直化し、ただただ「予算」取りだけが目的化し、国の平面的な復興計画にただ乗りし、何とか時の過ぎ去ることを待っているかの様である。いったい何をしたいのか解らなくなっているのでないかと思う。今の日本の抱える諸問題(少子高齢化、産業構造の空洞化、財政破綻、過疎化)等、3.11震災前から問題は山積みであることに目を背けて、なにか震災復興計画により、豊かな未来が待っているような「錯覚」を被災住民に与えようとしている。今は単に「計画」であって、東北地方の小さな町が、年間予算の何十年分の予算を計上し、「復興計画」と言って被災住民に「夢」を与えようとしているが、みんな「バカ」ではない。実現性のない計画を信じる人は少ないだろう。防潮堤なり防波堤なり、その「実効性」が「砂上の楼閣」だったと分かった今、何故また多くの税金を投入して「再構築」しようとするのか理解できない。さらに「津波防災の町」が崩壊した原因の究明さえしようとしていない。被災住民はどうしたいのだろうか。ただ前の生活に戻ればよいのだろうか。流された家が元に戻ればよいのだろうか。次の年の3.11が迫る中、何も急ぐ必要はないが、「やる気」までもが、流されていては、津波に「負けた」ことになってしまうのでないか。
どうみても「だれのための復興か?」になってしまう。
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Unknown (コーケやん)
2012-03-03 01:09:38
まったく同感です。

政治家や役人は土建やと組んで宮古湾のぐるりに10.4mの壁をまわすつもりのようですが、そしたら津波の圧倒的水量と破壊的エネルギーはどこに行くのでしょうか?湾奥はたまったものではないですね。…曲がり曲がってわたしの鍬ヶ崎かもしれませんが、とにかくすごすごと湾口にもどっていくとは思えません。

そうですね、…自然災害に対しても過剰福祉はだめだという事がいえますね。ただ行政には求めるものは求めた方がいいと思いますよ。裏切られ、痛いめにあって気づく面もおおいですから。

宮古湾防災についてもあたり前に考えていかなければなりません。また、いろいろお聞かせ下さい。



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何も作らないほうが・・・ (T.Sasaki)
2012-03-02 22:42:38
はじめまして。

先日、市議会議員と話する機会がありましたが、「水門案を蹴ったら、くるカネは、ゼロ円かもしれない」と。
つまり、みなさんの予想通り「水門ありき」。

どうせなら、何も作らないほうが、世のため人のため。

そもそも、土地や建物は、自分の所有物であり、自由選択の上で購入したものですから、それを失った場合、その責任は自分にあり、役人に頼んで守ってもらうものではありません。

「そこに住んでいた自分が悪い」

素直に反省し、自分で対策するしかない。
私は、個々の財産まで、公が守る義務はないと思います。

もし、「守るべき」というなら、とんでもなくカネが必要になりますから、もっと高額の税金を払わなくちゃいけない。
これにより、喜ぶのは、お役人たち。
仕事が増えるのですから。
そして、偽善の押し売り。

災害復旧以外は、何もしなくてもいい。
役人の押し売りは、カネの無駄遣い以外、何もないと思います。
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