東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

考古学

2023-07-14 20:17:53 | 日記
 聖徳太子の話も怪しいんだけど、この人たちが関わってるんでしょうか?。
 
 宮崎県にあった延岡藩の藩主は何度か変わって、廃藩置県の頃は内藤氏が藩主だったらしいけど、延岡藩の最後の藩主の内藤政挙は静岡県にあった掛川藩の太田氏から来た人らしい。内藤政挙の息子の内藤政恒という人は考古学者だったようだ。内藤政恒は愛知県にあった挙母藩の内藤氏に養子で入ったらしく、内藤政光という人の養子になったらしい。内藤政光も考古学者だったようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、内藤政恒は東京帝国大学に入学し、大学時代は飛鳥地方の廃寺の瓦を採集したり、東北の陸奥国分寺や陸奥国分尼寺や多賀城の遺跡の調査をしたらしい。内藤政恒は石田茂作という人を考古学の師と仰いでたらしい。内藤政恒は太平洋戦争の終戦前までは宮内省に務めていたらしいけど、終戦後は考古学の道に戻り、玉川大学の教授になり、東京薬科大学の教授にもなったようだ。内藤政恒は日本歴史考古学会の会長を務めたようだ。内藤政恒は明治40年(1907年)の生まれで、昭和45年(1970年)に亡くなったらしい。
 
 石田茂作は東京国立博物館の前身の東京帝室博物館に務めたらしいけど、昭和32年(1957年)から昭和40年(1965年)まで奈良国立博物館長を務め、文化財保護委員会委員や文化財保護審議会委員も務めたようだ。法隆寺の再建説も確定し、飛鳥時代や奈良時代の寺院の伽藍配置を分類したり、仏教考古学を提唱したらしい。石田茂作は明治27年(1894年)の生まれで、昭和52年(1977年)に亡くなったらしい。
 
 考古学ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

南北朝

2023-07-14 20:14:54 | 日記
 ほら吹き部ですか・・・。
 
 青森県には南北朝の南朝の3代目の天皇の長慶天皇が落ち延びてきた伝説があるらしく、弘前市の旧相馬村の紙漉沢というところに上皇宮があって、長慶天皇の墓所があるらしい。インターネットで調べると、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宝龍権現を祀ったのが始まりということになってるらしい。上皇宮は宝龍権現宮や法龍宮や龍田神社ともいわれてたらしいけど、昭和40年に上皇宮にしたらしい。他人のブログを見て書いてるんですが、いいんでしょうか?、これで。
 
 インターネットで調べると、弘前の長慶天皇陵は明治時代に調査が行われたようだ。南北朝については、その後も論争が続いたようだけど、昭和19年(1944年)に京都にある嵯峨東陵が長慶天皇の陵墓に決まったらしい。
 
 南北朝は南朝の4代目の天皇の後亀山天皇の時に、三種の神器が北朝の6代目の天皇の後小松天皇に渡され、統一されたことになってるようだ。
 
 明治維新の頃に宮家が増えたらしいけど、明治維新の頃に創設された宮家はすべて伏見宮家の系統らしく、他の宮家を継いだりして、太平洋戦争の終戦の後に皇籍離脱した旧皇族の人たちは、みんな伏見宮邦家親王の子孫らしい。本当か知らない。
 
 伏見宮邦家親王の息子の伏見宮貞愛親王は陸軍の軍人で、軍人としての最高位の陸軍元帥大将に就き、各種業界団体の要職を務めたようだ。伏見宮貞愛親王の息子の伏見宮博恭王は海軍の軍人で、伏見宮博恭王は昭和7年(1932年)に海軍軍令の最高位の海軍軍令部長に就き、海軍軍令部は軍令部になって軍令部総長になり、海軍の最高権力者になったようだけど、昭和16年(1941年)まで軍令部総長を務めたようだ。
 
 伏見宮家は南北朝の北朝の3代目の天皇の祟光天皇の息子が創設した宮家らしい。伏見宮家の3代目の伏見宮貞成親王の息子が天皇を継いで後花園天皇として即位し、今の天皇は後花園天皇の子孫らしい。本当か知らない。
 
 幸徳事件というみたいだけど、明治43年(1910年)に明治天皇の暗殺計画を企てた人たちが捕まって、そのことが発端になって、社会主義者や無政府主義者の人たちが明治天皇の暗殺計画とは関係無く、でっち上げ捜査で捕まって処刑されたらしい。
 
 幸徳秋水という人は法廷で、今の天皇は南朝の天皇を暗殺して三種の神器を奪った北朝の天皇じゃないかみたいなことを言ったようだ。南北朝正閏論というみたいだけど、南北朝の南朝と北朝のどちらが正統かみたいな議論になって、国会でも取り上げられ、明治天皇によって南朝が正統ということになったらしい。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

物部

2023-07-14 20:10:42 | 日記
 ほら吹き部ですか・・・。
 
 青森県には南北朝の南朝の3代目の天皇の長慶天皇が落ち延びてきた伝説があるらしく、弘前市の旧相馬村の紙漉沢というところに上皇宮があって、長慶天皇の墓所があるらしい。インターネットで調べると、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宝龍権現を祀ったのが始まりということになってるらしい。上皇宮は宝龍権現宮や法龍宮や龍田神社ともいわれてたらしいけど、昭和40年に上皇宮にしたらしい。他人のブログを見て書いてるんですが、いいんでしょうか?、これで。
 
 東温市にも長慶天皇の伝説があるらしく、浮嶋神社があって、長慶天皇の御陵があるらしい。物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジの降誕伝説もあるらしく、ウマシマジと大山祇神を祀ってるらしい。大山祇神は河野氏と関係あるらしいけど、省略。
 
 島根県大田市にある物部神社では物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジを祀っているらしい。物部神社では鎮魂祭が行われるらしく、猿女の鎮魂法というみたいだけど、鎮魂は魂を鎮めるみたいなことではなく、魂を揺り動かし、魂に活力を与えるみたいなことらしい。ウィキペディアで鎮魂祭を調べると、猿女の鎮魂法は巫女さんが箱の上に乗って箱を矛で突くらしい。物部神社の鎮魂祭は宮中で行われる鎮魂祭に最も近いらしい。
 
 物部神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

物部

2023-07-14 20:09:23 | 日記
 ほら吹き部ですか・・・。
 
 大阪府南河内郡太子町にある叡福寺という寺には聖徳太子の御廟があるらしい。叡福寺は上之太子ともいわれ、山号は磯長山のようだ。聖徳太子の妃は膳部大郎女という女性のようだけど、ウィキペディアで調べると、膳氏の出身で、高橋妃とも記されてるようだ。
 
 膳氏の祖は磐鹿六雁命で、膳氏から高橋氏がでてきたことになってるらしい。奈良県奈良市にある高橋神社では磐鹿六雁命を祀っているらしいけど、インターネットで調べると、奈良市にある高橋神社が発祥の高橋氏は物部氏の系統の高橋氏とでてくる。なんでか知らないけど・・・。
 
 奈良県天理市に布留の高橋という橋があるみたいだけど、インターネットで調べると、人が歩ける幅の数mのコンクリートの橋というんだろうか?、そういう橋があるだけみたいなんだけど・・・。石上神宮は布留山にあるらしく、そばに布留川という川も流れてるらしい。石上神宮は天理市の布留町にあるらしい。石上神宮のHPを見ると、石上神宮は布留社ともいわれてたらしい。本当か知らない。
 
 奈良県天理市にある石上神宮は物部氏の神社で、布都御魂と布留御魂と布都斯魂を祀っていて、布留御魂は物部氏の祖のニギハヤヒが持ってきた天璽十種瑞宝の霊威ということになってるらしい。
 
 神武東征の話も嘘の気がするけど、ニギハヤヒは神武東征の話に出てきて、神武天皇よりも先に関西に来ていて、長髄彦の妹を妻にしていたことになってるらしい。長髄彦は神武天皇の敵ということになってるらしい。
 
 石上神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平群

2023-07-14 20:06:18 | 日記
 南部せんべいですか・・・。
 
 青森県には南北朝の南朝の3代目の天皇の長慶天皇が落ち延びてきた伝説があるらしく、弘前市の旧相馬村の紙漉沢というところに上皇宮があって、長慶天皇の墓所があるらしい。インターネットで調べると、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宝龍権現を祀ったのが始まりということになってるらしい。上皇宮は宝龍権現宮や法龍宮や龍田神社ともいわれてたらしいけど、昭和40年に上皇宮にしたらしい。他人のブログを見て書いてるんですが、いいんでしょうか?、これで。
 
 奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺は聖徳太子の創建の寺のようだけど、法隆寺の鎮守は龍田神社でいいんだろうか?。他にもあるみたいだけど・・・。
 
 青森県平川市碇ヶ関に国上寺という寺があって、東北三十六不動尊霊場の札所になってる。国上寺は真言宗智山派の寺で、山号は古懸山だそうだ。国上寺は飛鳥時代に聖徳太子が秦河勝に命じて伽藍を建てさせて創建されたことになっているらしい。国上寺の不動明王像は座っているので、ねまり不動といわれるらしい。東北三十六不動尊の本を見ると、汗かき不動ともいわれるらしい。
 
 奈良県生駒郡平群町にある信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗の総本山で、毘沙門天王の総本山といっているらしい。朝護孫子寺の由緒は聖徳太子の物部守屋討伐の話と関係あるらしく、朝護孫子寺の奥の院には汗かき毘沙門天が祀られてるらしく、聖徳太子が物部守屋と戦った時に毘沙門天が現れて物部守屋と戦ったことになってるらしい。
 
 朝護孫子寺のHPを見ると、戒壇巡りがあって、毘沙門天から授かった如意宝珠が収められてるらしい。行ったことが無いので、わからない。朝護孫子寺には塔頭寺院が成福院と千手院と玉蔵院があるらしい。
 
 朝護孫子寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか