東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

水沢

2023-07-29 23:13:08 | 日記
 疲れたなあ。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところは南部鉄器の工場が密集してる場所で、他のところには南部鉄器の工場は奥州市には無いはず。羽田というところは江刺のすぐ近くで、新幹線の水沢江刺駅がある。水沢市と江刺市と胆沢町と前沢町と衣川村が合併して奥州市になってる。羽田の近くで江刺に愛宕という地区があるけど、愛宕と書いて「おだき」と読む。
 
 羽田には坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があって、田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってる。奥のほうに愛宕神社があって、古塚がある。去年の秋に行ってきたけど、明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 アテルイは阿弖流為と記述されてるみたいだけど、アテルイの名前が知られるようになったのは平成になってからの気がするし、その前の坂上田村麻呂の敵の蝦夷というと大嶽丸や高丸や悪路王だった気がする。
 
 奥州市の水沢には日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に水沢伊達氏の留守氏の祖霊社の瑞山神社がある。妙見宮が明治時代の前に日本にあったと思えないし、留守氏も明治時代の前に水沢にいたと思えないんだけど、呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平泉

2023-07-29 23:11:40 | 日記
 毎日、同じようなことを書いてるけど、呪われた人生だったなあ。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸がいるようだ。日本各地に坂上田村麻呂伝説があるらしいけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 岩手県の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。ウィキディアで調べると、達谷窟信敬という人は達谷西光寺の僧だったらしいけど、戊辰戦争の時に還俗したらしい。本当か知らない。達谷窟信敬という人は衆議院選挙に立候補して当選し、衆議院議員を一期務めたようだ。

 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

比叡

2023-07-29 23:10:13 | 日記
 ヅラ疑惑ですか・・・。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。江刺にある勝軍寺という寺の息子らしいけど、行ってみたら、寺が無かった。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、本当か知らない。久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が太平洋戦争の終戦時の伊勢神宮の祭主らしい。
 
 久邇宮朝彦親王は明治維新の前は出家していて天台座主にも就いたこともあるらしいけど、本当か知らない。梨本宮守脩親王が江戸時代の最後の天台座主で、梨本宮守脩親王も還俗して、梨本宮守脩親王には後継ぎがいなくて、梨本宮家は久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が継いだようだ。
 
 明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らない。ウィキペディアを見ても、明治時代や大正時代に特筆するような天台座主はいなかったみたいなんだよなあ。
 
 天台宗は天台法華宗ともいうらしく、法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。日本の天台宗の総本山の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺では、密教や禅や念仏もあって、総合仏教といってるらしい。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2023-07-29 23:09:22 | 日記
 真言宗が今のようになったのも明治以降の気がするけど、仁和寺の僧が関わってるんだろうか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山で、仁和寺は明治時代の前は皇族の人が出家して住職を務める門跡寺院ということになってるみたいだけど、昭和天皇は太平洋戦争の後に出家して仁和寺の門跡に入る話もあったようだ。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。釈雲照という僧は高野山で学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照は十善会という会を発足したらしい。次の仁和寺の門跡の泉智等という僧も高野山で学び、真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡や江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、高野派の管長や金剛峰寺の座主や真言宗連合総裁に就いたようだ。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王が教えを受けに行ったようだ。土宜法龍は明治26年(1893年)にシカゴで開かれた万国宗教会議に日本の代表として行ってきたらしい。土宜法龍は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたらしい。土宜法龍は仁和寺の門跡や高野派の管長や真言宗連合総裁を務めたようだ。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

高野

2023-07-29 23:08:19 | 日記
 疲れたなあ。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているらしい。真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の御廟があるらしい。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようだ。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海の御廟のようだ。空海は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というらしい。
 
 空海が高野山の奥の院で生きているという信仰を入定信仰というらしい。高野山の奥の院には、毎日、空海のために食事と服が運ばれてるみたいです。詳しいことは知りませんけど・・・。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか