東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

阿蘇

2022-12-17 22:57:37 | 日記
 龍の国ですか・・・。
 
 熊本県阿蘇郡高森町に草部吉見神社があって、日子八井耳命を祀っていて、日子八井耳命は国龍神ということになってるようだ。草部吉見神社は日本三大下り宮といわれてるようだ。
 
 熊本県阿蘇市にある阿蘇神社は肥後国の一宮のようだけど、健磐龍命を祀っていて、健磐龍命は阿蘇の開拓神らしい。阿蘇市にある国造神社の祭神の速瓶玉命は健磐龍命の息子で、速瓶玉命と雨宮姫の息子が高橋の宮と火の宮ということになっているらしい。熊本県阿蘇郡小国町に小国両神社があって、高橋の宮と火の宮を祀ってるみたいです。
 
 阿蘇神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

阿蘇

2022-12-17 22:50:46 | 日記
 恋も愛も縁が無かったなあ、俺は。幸せにはなれませんでした。それか、自分で壊してしまったんだろうか?、恋も愛も。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、磐鹿六雁命は高橋氏の祖神で、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様のようです。
 
 ウィキペディアを見ると、小山市の高椅神社も鯉の明神といわれるらしい。鯉は滝を登ると龍になるの?。
 
 熊本県阿蘇市にある阿蘇神社は肥後国の一宮のようだけど、健磐龍命を祀っていて、健磐龍命は阿蘇の開拓神らしい。阿蘇市にある国造神社の祭神の速瓶玉命は健磐龍命の息子で、速瓶玉命と雨宮姫の息子が高橋の宮と火の宮ということになっているらしい。熊本県阿蘇郡小国町に小国両神社があって、高橋の宮と火の宮を祀ってるみたいです。
 
 阿蘇神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

阿蘇

2022-12-17 22:47:29 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、疲れたなあ。
 
 福岡県には戦国時代に高橋氏がいて、高橋氏は高橋紹運と高橋元種の2つの家系に分かれたらしい。高橋紹運の息子の立花宗茂は柳川藩の初代藩主で、立花宗茂の兄弟の立花直次の息子の立花種次は三池藩の初代藩主らしい。高橋元種は宮崎県にあった延岡藩の初代藩主らしいけど、高橋元種は秋月氏から来た人らしい。
 
 熊本県阿蘇市にある阿蘇神社は肥後国の一宮のようだけど、健磐龍命を祀っていて、健磐龍命は阿蘇の開拓神らしい。阿蘇市にある国造神社の祭神の速瓶玉命は健磐龍命の息子で、速瓶玉命と雨宮姫の息子が高橋の宮と火の宮ということになっているらしい。熊本県阿蘇郡小国町に小国両神社があって、高橋の宮と火の宮を祀ってるみたいです。
 
 阿蘇神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

三井

2022-12-17 22:30:16 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、俺は、一応、こうやってブログを書いて、世の中に情報発信して、声を上げてるからなあ。
 
 曹洞宗の大本山は福井県にある永平寺と神奈川県にある總持寺で、總持寺は明治44年(1911年)に神奈川県横浜市に移ったらしく、その前は石川県輪島市にあったみたいです。石川県輪島市に總持寺祖院があるみたいです。總持寺の山号は諸嶽山のようです。横浜に移った時の總持寺の貫首は石川素童という僧で、曹洞宗の管長だったようだ。
 
 ウィキペディアを見ると、石川素童の次の總持寺の貫首で曹洞宗の管長も務めた僧で新井石禅という僧がいて、新井石禅は福島県伊達市の梁川町の出身らしく、梁川町にある興国寺という寺で出家得度したらしい。興国寺の山号は臥龍山のようです。HPがある。新井石禅は大正9年(1920年)に總持寺の貫首になり、皇室から「大陽真鑑禅師」の勅賜を授けられたらしい。興国寺は明治3年から昭和3年まで曹洞宗認可僧堂で、昭和4年から昭和18年まで曹洞宗専門僧堂で、曹洞宗の修行寺だったようだ。
 
 福岡県には戦国時代に高橋氏がいて、高橋氏は高橋紹運と高橋元種の2つの家系に分かれたらしい。高橋紹運の息子の立花宗茂は柳川藩の初代藩主で、立花宗茂の兄弟の立花直次の息子の立花種次は三池藩の初代藩主らしい。高橋元種は宮崎県にあった延岡藩の初代藩主らしいけど、高橋元種は秋月氏から来た人らしい。
 
 三池藩の立花氏は文化3年(1806年)に福島県伊達市に移されて下手渡藩の藩主になり、三池藩領は西国郡代の領地になり、その後に柳川藩の預かり地になったみたいです。下手渡藩の立花氏は嘉永3年(1850年)に旧領地の三池郡にも領地を与えられ、下手渡藩は戊辰戦争で新政府軍の側に付き、奥羽越列藩同盟に攻撃されて藩庁を焼失し、明治元年(1868年)に福岡県に戻ってきたみたいです。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、こんなかんじでいいんでしょうか?。
 
 九州にあった三池炭鉱は明治時代に三井財閥に払い下げになったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に払い下げになり、明治25年(1892年)に三井鉱山が創立されたようだ。團琢磨という人が三井三池鉱山社の事務長になり、三井鉱山の会長になって、三井財閥の総帥にも就いたようだ。團琢磨という人は昭和7年(1932年)にあった血盟団事件で暗殺されたみたいです。
 
 三井鉱山の利益は三井銀行を追い抜いて三井物産と肩を並べるようになったとウィキペディアに載ってる。三井財閥は日本最大の財閥になったようだ。三井鉱山と三井銀行と三井物産が三井財閥の三本柱だったようだ。
 
 三井財閥ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2022-12-17 22:15:38 | 日記
 このブログは、一応、歴史ブログということになってるんだろうか?。明治維新の嘘を暴くブログって書いちゃってるからなあ。1つの記事を読んでも意味不明だったりするし、前に書いたのから急に話が変わると、更に、わけがわからなくなってくるんだよなあ。
 
 明治維新の話は嘘の気がするけど、この頃に日本に来た人たちがいたとしか思えないって何度も書いてるんだけど、財閥っていうの?、この人たちも怪しいんだよなあ。
 
 日本人は社畜ってことで・・・。いや、俺のせいじゃないよ?、たぶん。
 
 京都にある木嶋坐天照御魂神社の祭神は天之御中主神でいいんだろうか?。木嶋坐天照御魂神社は蚕の社ともいわれるみたいだけど、本殿の隣に蚕養神社があるみたいです。木嶋坐天照御魂神社は秦氏の神社らしい。
 
 造化三神は天之御中主神とタカミムスビとカミムスビ。ウィキペディアで調べると、造化三神は古事記に登場するらしく、日本書紀では本文に記載が無く、付け足しのように書かれた文に登場するらしい。造化三神は天地開闢の時に現れたことになってるようです。
 
 木嶋坐天照御魂神社にある元糺の池には三柱鳥居があって、三本の柱で三角形になって立ってるらしい。インターネットで調べると、三本の柱で囲まれてる中には石が積んであって御幣が立ってる。池には今は水が無いようだけど、昔は水が湧いてたらしい。本当か知らない。
 
 木嶋坐天照御魂神社には三井家の遠祖の三井高安という人を祀る顕名神社があるらしい。三井高安の息子の三井高俊が松阪に質屋兼酒屋を開業したのが商人としての三井家の始まりで、三井高俊の息子の三井高安が三井家の礎を築き、三井家の中興の祖といわれるようだ。三井家からは分家がたくさんできたみたいだけど、本家の人は三井八郎右衛門を名乗ってたようだ。三井家の人は名前に高の字が付くらしい。三井高福という人が明治時代の頃の人で、三井銀行と三井物産を築いて三井財閥の基礎を築いたようだ。
 
 九州にあった三池炭鉱は明治時代に三井財閥に払い下げになったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に払い下げになり、明治25年(1892年)に三井鉱山が創立されたようだ。團琢磨という人が三井三池鉱山社の事務長になり、三井鉱山の会長になって、三井財閥の総帥にも就いたようだ。團琢磨という人は昭和7年(1932年)にあった血盟団事件で暗殺されたみたいです。
 
 三井鉱山の利益は三井銀行を追い抜いて三井物産と肩を並べるようになったとウィキペディアに載ってる。三井財閥は日本最大の財閥になったようだ。三井鉱山と三井銀行と三井物産が三井財閥の三本柱だったようだ。
 
 木嶋坐天照御魂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか