東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

三井

2022-12-17 22:30:16 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、俺は、一応、こうやってブログを書いて、世の中に情報発信して、声を上げてるからなあ。
 
 曹洞宗の大本山は福井県にある永平寺と神奈川県にある總持寺で、總持寺は明治44年(1911年)に神奈川県横浜市に移ったらしく、その前は石川県輪島市にあったみたいです。石川県輪島市に總持寺祖院があるみたいです。總持寺の山号は諸嶽山のようです。横浜に移った時の總持寺の貫首は石川素童という僧で、曹洞宗の管長だったようだ。
 
 ウィキペディアを見ると、石川素童の次の總持寺の貫首で曹洞宗の管長も務めた僧で新井石禅という僧がいて、新井石禅は福島県伊達市の梁川町の出身らしく、梁川町にある興国寺という寺で出家得度したらしい。興国寺の山号は臥龍山のようです。HPがある。新井石禅は大正9年(1920年)に總持寺の貫首になり、皇室から「大陽真鑑禅師」の勅賜を授けられたらしい。興国寺は明治3年から昭和3年まで曹洞宗認可僧堂で、昭和4年から昭和18年まで曹洞宗専門僧堂で、曹洞宗の修行寺だったようだ。
 
 福岡県には戦国時代に高橋氏がいて、高橋氏は高橋紹運と高橋元種の2つの家系に分かれたらしい。高橋紹運の息子の立花宗茂は柳川藩の初代藩主で、立花宗茂の兄弟の立花直次の息子の立花種次は三池藩の初代藩主らしい。高橋元種は宮崎県にあった延岡藩の初代藩主らしいけど、高橋元種は秋月氏から来た人らしい。
 
 三池藩の立花氏は文化3年(1806年)に福島県伊達市に移されて下手渡藩の藩主になり、三池藩領は西国郡代の領地になり、その後に柳川藩の預かり地になったみたいです。下手渡藩の立花氏は嘉永3年(1850年)に旧領地の三池郡にも領地を与えられ、下手渡藩は戊辰戦争で新政府軍の側に付き、奥羽越列藩同盟に攻撃されて藩庁を焼失し、明治元年(1868年)に福岡県に戻ってきたみたいです。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、こんなかんじでいいんでしょうか?。
 
 九州にあった三池炭鉱は明治時代に三井財閥に払い下げになったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に払い下げになり、明治25年(1892年)に三井鉱山が創立されたようだ。團琢磨という人が三井三池鉱山社の事務長になり、三井鉱山の会長になって、三井財閥の総帥にも就いたようだ。團琢磨という人は昭和7年(1932年)にあった血盟団事件で暗殺されたみたいです。
 
 三井鉱山の利益は三井銀行を追い抜いて三井物産と肩を並べるようになったとウィキペディアに載ってる。三井財閥は日本最大の財閥になったようだ。三井鉱山と三井銀行と三井物産が三井財閥の三本柱だったようだ。
 
 三井財閥ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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