東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

鎌倉

2024-07-16 22:21:57 | 日記
 疲れたなあ。
 
 岩手県奥州市の江刺に豊田館跡があって藤原経清の居館跡だそうだ。奥州藤原氏の初代の藤原清衡は藤原経清と安倍貞任の妹の息子ということになってるらしい。藤原清衡は江刺で生まれたことになってるらしい。藤原経清は宮城県の亘理郡にいた人で、亘理権太夫といわれるらしい。豊田館跡の近くに藤原経清の墓所の五位塚がある。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになっていて、藤原経清も安倍氏の人たちと一緒に戦って首を刎ねられたことになってる。
 
 前九年の役の後に後三年の役があって、その後に奥州藤原氏は今のほぼ東北六県を治めたことになってて、奥州藤原氏の初代が藤原清衡で、2代目が藤原基衡で、3代目が藤原秀衡で、4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて奥州藤原氏は滅びたことになってる。
 
 岩手県の平泉町にある中尊寺は天台宗の寺で、山号は関山だ。中尊寺の金色堂には藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、鼻と耳が削がれていて、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。
 
 藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるらしい。藤原忠衡は泉三郎(和泉三郎)といわれるらしい。
 
 源頼朝は鎌倉幕府を開いたことになってるけど、神奈川県鎌倉市には鶴岡八幡宮があるらしい。日本の歴史は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 鶴岡八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
この記事についてブログを書く
« 八幡 | トップ | 南方 »