朝、渡女から、残念の電話「テニスしたいよ~」としばらく嘆きあう。
サーと家事をして、ウォーキングを兼ね郵便局と接骨院へ。
K君の5歳の誕生日が7日なので、お祝いを贈る。
もう一つは漸く腕の捻挫が治ったので、必要書類を確認しに行く。
これで、午前は終わってしまう。
9時ころT女から「雨でテニスないでしょうからあそぼー」のメール。
ゴルフの打ちっぱなしとも思っていたが、雨で移動がめんどう。
この前の笑い話の続きをしに、1時過ぎからお出かけ。
相変わらず、予定の入る徹子です。
こんなゆったりした日はゆったりすればいいのに、1日中考え事をしながら行動しています。
少し前のNHKテレビの課外授業で、戦争の原因を身近な町に置き換えて、クラスの武器を持つ派と持たない派に分けて議論していた。
まさに今の日本の縮図。とても興味がありマトを得ていた。
武器を持つ前に相手と話し合う
結論は多数が正でなく、少数意見も尊重する。ということだったと思うが・・・・
これって普通の人間関係でもいえるな~なんて。
つい最近目撃した縮図。
ひとりひとりは善人なのに、その人たちが集まって、トラブッた離れるべき場所でぴったりと張り付いてテニスをしている。離れていれば心の傷も癒されるであろうが、行く度にかさぷたがはがされる。決して癒されることはありません。そこしかテニスができないと、張り付いている。ここに人間のおぞましさを見ました。いや心の傷はないのかも。この執着心がたたかいのはじまり。永遠に続く戦い。
「自分たちはなにも悪くないので堂々とテニスをします」と言うことでしょうが、目もあわせない、あわせられない同士が2面しかないコートでテニスをすることは
小さな戦争。心の貧しさをさらけ出しているようなもの。強い心の持ち主の集まり。同じ価値観の親友たちと楽しいテニスさえできれば理不尽なことも平気。 こわいこわい。
たとえは悪いが飢餓に苦しんでいる場所で仲間と楽しい宴会をしているようなもの。