東日本大震災の発生から11日で13年です。

2024年03月11日 21時17分21秒 | 社会・文化・政治・経済

東北放送 

 東日本大震災の発生から11日で13年です。

被災地には朝早くから遺族などが訪れて鎮魂の祈りを捧げています。

13年前に宮城県内を襲った大地震と大津波。その被害と復興状況をまとめます。

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災。地震の規模を示すマグニチュードは9.0、県内では最大震度7を観測しました。

また沿岸部を巨大な津波が襲いました。

県によりますと、2月末現在、県内の死者は関連死も含めて1万571人。

今も1215人の行方がわかっていません。

住宅の被害は全壊がおよそ8万3000棟半壊が15万5000棟余りに上ります。

自治体(21市町)が管理している災害公営住宅は、去年9月末現在で1万5773戸あり、被災した世帯は1万1887世帯が入居しています。

一方で、亡くなったり転居したりする人もいるため、空室は増加傾向にあります。

防潮堤の建設は県が計画した232.8キロのうち2月末現在、99%にあたる231.9キロで整備が完了していて残るは気仙沼市内の4カ所となっています。

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宮城野部屋の存続を

2024年03月11日 16時25分28秒 | 沼田利根の言いたい放題

沼田利根が相撲部部屋へ初めて招かれたのは、30代のころである。

営業の仕事で出会ったW さんが、たまたま相撲部屋の関係者であった。

それは、千秋楽の日であり、「これから、打ち上げ式がありますので、接待します」とその人が言うのだ。

九段下の事務所から両国の宮城野相撲部部屋へタクシーで向かった。

部屋の受付の相撲関係者から「会費を」と請求されたら、すかさずWさんは「この方は接待なんだ」と言うので、相撲部屋へそのまま通された。

Wさんは、まず親方夫人に挨拶をしていた。

多くの弟子たちの両親たちも、打ち上げ式に出席していて、御祝儀を出していた。

いわゆる、「ごっさん」の世界の相撲界。

後援会の方々も集まってきて、座は多いの盛り上がる。

沼田利根のために接待する若い相撲取りも居た。

「どんどん、食べてください。飲んでください」と勧められた。

当時は、十両力士数人と、幕内力士は1人のみの宮城野相撲部部屋であった。

まさか、あの部屋から横綱が誕生するとは!

実に感慨深いものがあった。

打ち上げ式後の記念撮影の写真は、今も手元にあるはずだが、どこへ仕舞ったのやら・・・

 

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ミロク情報サービス

2024年03月11日 15時47分45秒 | 社会・文化・政治・経済

MIROKU JYOHO SERVICE CO.,LTD.
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社
市場情報 
東証プライム 9928
1997年8月28日上場
略称 MJS

〒160-0004
東京都新宿区四谷4丁目29番地1
MJSビル
設立 1977年11月2日
業種 情報・通信業

事業内容 コンピューター、同周辺機器、情報通信機器および事務用機器の販売、賃貸、リースならびに保守サービス 他
代表者 代表取締役会長 取締役会議長
是枝伸彦
代表取締役社長 最高経営責任者
是枝周樹
資本金 31億9800万円
(2021年3月31日現在)[
発行済株式総数 3480万6286株
(2021年3月31日現在)
売上高 連結: 340億6600万円
単独: 299億3300万円
(2021年3月期)
営業利益 連結: 45億2600万円
単独: 47億8100万円
(2021年3月期)[2]
経常利益 連結: 45億1100万円
単独: 48億7400万円
(2021年3月期)[2]
純利益 連結: 26億7300万円
単独: 30億1000万円
(2021年3月期)
純資産 連結: 204億3000万円
単独: 189億5800万円
(2021年3月31日現在)
総資産 連結: 429億5800万円
単独: 400億4500万円
(2021年3月31日現在)
従業員数 連結: 1,891人
単独: 1,406人
(2021年3月31日現在)
決算期 3月31日
会計監査人 三優監査法人
主要株主 株式会社エヌケーホールディングス 33.3%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 5.8%
NORTHERN TRUST CO.(AVFC) RE FIDELITY FUNDS 3.6%
是枝伸彦 3.4%
株式会社エヌ・ティ・ティピー・シーコミュニケーションズ 3.4%
株式会社日本カストディ銀行(信託口9) 2.5%
J.P. MORGAN BANK LUXEMBOURG S.A. 380578 2.5%
株式会社日本カストディ銀行(信託口) 2.3%
文化シヤッター株式会社 2.1%
SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 1.5%
(2021年3月31日現在)[
主要子会社 株式会社エヌ・テー・シー 100.0% 他
外部リンク https://www.mjs.co.jp/
テンプレートを表示
株式会社ミロク情報サービス(ミロクじょうほうサービス 英: MIROKU JYOHO SERVICE CO.,LTD.[3] 英文略称: MJS[3])は、東京都新宿区に本社を置く1977年に設立された企業向けコンピュータ管理会社でシステムインテグレーター(独立系)。財務管理のソフト・ハード両面のバックアッパーとして活動する。

概要
設立当初より大型コンピュータを導入し、多くの企業とオンラインで結び、バッチ処理を代行する企業として知られていた。

設立時、多くの企業では大型コンピュータの導入が困難な企業が少なくなく、それらの企業のデータ処理を行っていた。現在で言うデータセンターの先駆けといえる企業である。

基本的には会計士・税理士を対象に会計ソフト等による支援を行うが、これらのクライアントである一般企業に対しても一部提供しているサービスもある。

ミロク情報サービスという社名は、別名「世直し御仏」とも呼ばれている、弥勒菩薩みろくぼさつから命名したもの。

沿革
1977年 - 会社設立。ミロク経理と計算センター運営の『JACOS』が共同出資。
1980年 - ミロク経理の100%子会社となる。

同年11月、是枝伸彦会長(是枝周樹社長の父)がミロク経理から全株を買取り、代表取締役に就任[5]。
1986年 - ミロク経理が倒産した影響で一時的に業績が悪化、すでにミロク経理とは資本関係も取引関係も無く、是枝社長は風評被害に巻き込まれたと主張した。
1992年 - 株式を店頭公開。
1997年 - 東京証券取引所第2部上場。
2012年 - 10月31日 東京証券取引所第1部指定替え。
2013年 - 中小企業向けERPシステム「MJSLINK NX-I」を開発・発売
2014年 - 中小企業の事業承継、事業再生を支援する子会社「株式会社MJS M&Aパートナーズ」を設立 韓国「Webcash」社と資本業務提携

 

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境涯とは「容量」「心の広さ、深さ」

2024年03月11日 13時55分44秒 | その気になる言葉

例えば、雨が降った日、<傘が必要になる>

自転車に乗るのも大変になる。

「雨は嫌だな」と思う日もあれば、雨の音で落ち着いた気分になったり、好きなレインコートなどでおしゃれを楽しんだりすることもある。

同じ雨でも、自分の「境涯」次第で見え方、感じ方は変わっていく。

例えば、野球の練習で、うまくいかない時に落ち込む場合と、<もっと頑張ろう>と思える時もある。

境涯によって、物事の見え方、捉え方がより広く、深く、豊かにもなっていく。

一つの失敗経験が、次の挑戦の中で、生かせるものになるのだ。

「自分の境涯」が変われば、自然に周囲も変わっていく。

さらに自分の境涯は自分の回りの人の「境涯」にも影響していく。

人間が人間らしく生きるためには「境涯」を高めることだ。

つまり、自他共の幸福を願う、共生の理念。

「アメリカファースト」などの利己の精神の対局にあるのが「人間主義」の理念。

 

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平和と生命尊厳の地球社会へ<世界市民教育>

2024年03月11日 13時32分18秒 | 社会・文化・政治・経済

気候変動の課題などにも、生命の尊厳の思想を根本とした実践が期待されている。

SDGs(持続可能な開発目標)が採択され、社会の発展や人類の幸福のために企業が果たすべき社会的責任が大きくなってきている。

その責任を全うするためには、一人一人の倫理を向上させる必要がある。

期待されるのは、生命の価値を認め、民族文化の差異を受け入れられる「智慧の人」「勇気の人」「慈悲の人」の存在である。

それらの人材を育成するための教育が<世界市民教育>である。

「ダイヤを磨くには、磨く側もダイヤモンドでなければならない」

つまり、学生の人格を育成するためには、教職員が<ダイヤモンド>にならなければならない。

自由競争は、ともすれば利己主義に陥りがちだ。

その思想と対局にある哲学こそが人間主義であり、自他共の幸福を幸福を願う共生の精神である。

また、専門知識を学ぶことだけに偏り、教養、すなわち倫理を身に付けることをおろそかにすると、誰もが悪人になりえる。

だから世界市民教育が大切だのだ。

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災害から命を守るー東北大学災害科学国際研究所

2024年03月11日 12時46分07秒 | 社会・文化・政治・経済

一人の声に応える

心理的面では、被災直後は、日々を生き抜くことに精一杯で、目の前の課題に追われています。

その後、ふと我に返り、「自分はなぜ被害に遭わなければならなかったのか」

「これからの仕事はどうなってしまうのだろうか」などと考える時間が増え、将来に不安を感じる人が増えてきます。

孤立しない、させない

「前を向けるまで一緒にいますよ」と、そばで寄り添ってくれる人の存在や、コミュニケーションやコミュニティがますます重要になってきます。

互いに寄り添い合う関係を築くことが重要です。

置き去りにしない

「知の泉」、つまり過去の教訓や災害科学の知の泉を汲み、実の森を育む―ことを大切にしてきたいと考えています。

「実の森」、つまり人の命を守るための<防災実践の森>を育む挑戦なのです。

災害から命を守るための科学的な探求が欠かせません。

もう一度、知の泉を汲み直すのです。

その往復の中で、<誰も置き去りにしない防災>というのものが、実効性のあるものになります。

そうした流れも、互いに寄り添い合い、互いに学び合うという関係性から始まります。

一人一人の復興への道筋はあまるにも多様で、一律の<特効薬>はありません。

だからこそ、幅広いネットワークが不可欠なのです。

これからも起こる災害においても、一人一人の声に耳を傾け、被災した人々の気持ちを分かち合ってほしいと願っています。

はじめに
設立理念
 東日本大震災という未曽有の災害を経験した東北大学は、新たな研究組織「災害科学国際研究所」を設立し、東北大学の英知を結集して被災地の復興・再生に貢献するとともに、国内外の大学・研究機関と協力しながら、自然災害科学に関する世界最先端の研究を推進します。
 東日本大震災の経験と教訓を踏まえた上で、わが国の自然災害対策・災害対応策や国民・社会の自然災害への処し方そのものを刷新し、巨大災害への新たな備えのパラダイムを作り上げます。

このことを通じて、国内外の巨大災害の被害軽減に向けて社会の具体的な問題解決を指向する実践的防災学の礎を築くことを目標とします。

ミッション―「実践的防災学」の創成―
 災害科学国際研究所が推進する自然災害科学研究とは、事前対応、災害の発生、被害の波及、緊急対応、復旧・復興、将来への備えを一連の災害サイクルととらえ、それぞれのプロセスにおける事象を解明し、その教訓を一般化・統合化することです。
 東日本大震災における調査研究、復興事業への取り組みから得られる知見や、世界をフィールドとした自然災害科学研究の成果を社会に組み込み、複雑化する災害サイクルに対して人間・社会が賢く対応し、苦難を乗り越え、教訓を活かしていく社会システムを構築するための学問を「実践的防災学」として体系化し、その学術的価値を創成することを災害科学国際研究所のミッションとします。

ビジョン 中長期的な活動目標
 東日本大震災の被災自治体等との連携を強化し、被災地の復興への具体的貢献を果たしながら、複雑化・多様化する自然災害のリスクに対応できる社会の創成を目指し、新たな防災・減災技術の開発とその社会実装に取り組みます。

災害という脅威を防ぎとめるだけでなく、人間・社会が賢く備えて対応する、さらに災害による被害や社会の不安定から回復しながら教訓を語り継ぐ災害文化を醸成し、社会システムにそれを織り込んでいきます。

①地球規模の自然災害発生とその波及機構の解明
②東日本大震災の被害実態と教訓に基づく防災・減災技術の再構築
③被災地支援学の創成と歴史的視点での災害サイクル・復興の再評価
④地域・都市における耐災害性能の向上とその重層化

設立経緯
東北大学では、2007年、地域社会の防災・減災に関する19分野からなる学際的な研究チーム「東北大学防災科学研究拠点」(事務局:東北アジア研究センター)を発足させました。

当時、東北地方では宮城県沖を震源とする地震が30年以内に99%の確率で発生すると予想されていました。この地震に備えるため、本学の理学・工学・地学・心理学・情報学・経済学・医学・歴史学等、さまざまな専門分野からの研究者が結集し、文理連携で実践的な防災・減災の研究を推進することになりました。


同拠点の活動を展開するなかで、東北地方太平洋沖地震が発生しました。

巨大津波により沿岸自治体の機能が失われ、また原子力発電所事故による環境汚染や全国的な風評被害・生活支障が生じました。

この東日本大震災を受け、同拠点にはさらに多くの教員が参加し、震災に関する多角的な調査・研究の展開のみならず、現地の復興支援にあたることになりました。災害科学国際研究所は、東北大学防災科学研究拠点を大幅に拡充する形で、東日本大震災の約1年後に発足しました。

沿革
2012年 4月 東北大学災害科学国際研究所 (IRIDeS)設立(初代所長 平川 新 教授)
2013年 2月 宮城県多賀城市と連携協力に関する協定締結(以降、9つの自治体と協定締結)
2013年 3月 東日本大震災2周年シンポジウム(以降、毎年3月に定期開催)
2013年 4月 気仙沼サテライトオフィス設置
2013年 6月 研究成果を書籍化した「東日本大震災を分析する」を上梓
2013年 秋田岩手豪雨土砂災害・フィリピン台風等 現地調査・報告会
2014年 4月 災害科学国際研究所 新体制発足(第2代所長 今村 文彦 教授)
2014年 9月 災害科学国際研究所棟 竣工(青葉山新キャンパス・11月 落成式)
2014年 長野県北部の地震等 現地調査・報告会
2015年 3月 第3回国連防災世界会議 仙台での開催に全面協力
2015年 4月 国連開発計画(UNDP)と共同で災害統計グローバルセンター発足
2015年 ネパール中部地震・2015年台風17号18号災害等 現地調査・報告会
2016年 熊本地震・台湾南部地震等 現地調査・報告会
2017年 4月 今村 文彦 教授 所長2期目
2017年11月 第1回世界防災フォーラム 仙台で開催(以降、隔年で定期開催)
2018年 北海道胆振東部地震・大阪府北部地震・インドネシア パル地震津波等 現地調査・報告会
2019年 山形県沖の地震 現地調査・報告会
2019年11月 第2回世界防災フォーラム
中期目標・中期計画
災害科学国際研究所の理念に則り、以下の重点戦略・展開施策を中期目標・計画に掲げ、活動を行っています。

災害科学研究の世界的拠点を目指す
文理連携及び多様な学際連携による研究の推進
実践的防災学の構築
防災知識を身に付けた人材の育成
防災教育の社会的展開
産官学及び地域社会と連携した防災対策の強化
国際社会との連携強化
共同利用・共同研究への取り組み
指定国立大学「災害科学・世界トップレベル研究拠点」にむけた取り組み

IRIDeS(読み方:イリディス)
「災」の字を上下逆に転じさせたデザインで、「災いを転じて福となす」(東日本大震災の災禍を転じ、復旧・復興を促進し、災害に賢く対応できる社会に変えていく)という決意を表しています。
ロゴはアヤメ・カキツバタ・花菖蒲もかたどり、アヤメの色は、東北大学のロゴマークに由来。
アヤメは「希望」「高貴」の象徴。

 

所長ごあいさつ

世界が必要とする災害科学の知の創造と蓄積に貢献。

得られた知見を迅速に発信し、ローカルかつグローバルに、防災を実践します。

東北大学 災害科学国際研究所所長 栗山進一

 このたびの東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)所長就任にあたり、ご挨拶申し上げます。

 発足以来IRIDeSは、東日本大震災の教訓から学び、被災地の復興を支援するために、工学、理学、人文・社会科学、医学、防災実践の研究者が集まり、分野の枠を超えて学際的に協力してまいりました。当研究所の使命は、世界が必要とする災害科学の知の創造と蓄積に貢献し、得られた知見をすみやかに発信してローカルかつグローバルに実践していくことです。

IRIDeS設立11年目に入った今、私は所長として、これまでに築いた成果をしっかりと継承しつつ、IRIDeSの最重要目標「東日本大震災をはじめとする、災害で被災された方々、また将来被災しうる方々の助けとなること」を見据え、長期展望を持って災害科学を深化させてまいります。

 

 私は医師であり、専門は災害公衆衛生学です。公衆衛生学は、人々の集団の中で病気を予防し、健康を増進させるための科学であり、実践です。
 東日本大震災に際し、私は各地の支援活動に従事するとともに、今日に至るまで、震災に関する大規模な中長期調査を実施してまいりました。

この研究により、東日本大震災がもたらした被災者の方々の健康への悪影響の問題がいまだに続いていることが示されています。このようにして明らかとなったものを含め、被災地の課題に引き続き取り組んでいく所存です。
 また今後、人を健康な生活へと促す公衆衛生学の手法を防災分野にも応用し、一人ひとりが実際に防災行動を取られるように働きかけ、防災・減災をはかっていきたいと考えています。公衆衛生学では、疫学調査による健康状況把握、学習、法律制定、文化としての健康行動の定着など様々な手段を用いて国民健康運動を展開してきました。

防災対策においても、無関心である方々や、その必要性を認識されつつもまだ実践されていない方々への働きかけを含め、同様の手法を用い、災害に対する備えや対応を格段に進めるための貢献を果たしたいと思っています。

「ソナエル、ニゲル、タチナオル」をキーワードに、拡がりのある防災運動に結びつけていきたいと思います。

 東北大学は「社会とともにある大学」であり、IRIDeSは「社会とともにある研究所」です。

これまでもIRIDeSは、災害発生時、情報を必要とされている方々に科学の知見を届けるため、ホームページや緊急速報会で社会発信してまいりました。今後も大きな災害が発生した際は、関係機関とも連携しながら原因を究明し、災害科学の総合知の観点から的確で有用な情報・提言を発信してまいります。
 一方で、災害被害を減らすためには、事前の防災が不可欠です。

これは「仙台防災枠組」の根幹をなす理念でもあり、病気になる前に予防する公衆衛生学の考え方と合致するものでもあります。

IRIDeSも平時からさまざまな方々と連携し、ともにレジリエントな社会を築いてまいりたいと思います。

 社会は、国難とも形容される南海トラフ地震、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震、首都直下地震や、気候変動により激甚化する災害をはじめ、様々なリスクに直面しています。

IRIDeSは、これら社会の重要課題を見据え、東北の復興と国内外の防災に引き続き取り組んでまいります。皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

 
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劇症型溶連菌感染症が昨年は過去最多

2024年03月11日 10時45分29秒 | 医科・歯科・介護

急速に症状が進み、致死率が3~7割と極めて高いことで知られる劇症型溶血性レンサ球菌感染症が、過去最多を記録した昨年を上回るペースで広がっている。

患者数は今年に入ってからの2カ月間で既に昨年の4割に達した。拡大の背景は不明だが、厚生労働省は、病原性や感染力が強いことで知られる株の調査をするなど監視を強めている。

 国立感染症研究所によると、昨年、全国で報告された患者は941人(暫定値)に上った。今年に入っても患者数は増えており、2月25日までに378人(速報値)に達した。秋田と岩手を除く45都道府県で確認されている。

手洗い・嗽・マスク等の励行を!

溶連菌感染症(ようれんきんかんせんしょう、Streptococcal infection)は、広義にはグラム陽性球菌のうちレンサ球菌属(Streptococcus, 複数形は-cocci)によって惹き起こされる感染症すべてを指す。レンサ球菌属のうち特に感染症を起こす頻度が高く、一般によく知られているのは化膿レンサ球菌Streptococcus pyogenes)であるため、通常単に「溶連菌」といえば化膿レンサ球菌の事を指し、「溶連菌感染症」といえば化膿レンサ球菌による感染症のことを指す。

化膿レンサ球菌には他に「A群レンサ球菌」(Group A streptococcus, GAS)という別名もある。

化膿レンサ球菌について

化膿レンサ球菌は、環境中に広く常在するグラム陽性球菌のひとつであり、通性嫌気性菌である。感染様式は飛沫感染である。

臨床症状と治療

溶連菌感染によって起こる病気には、溶連菌がヒトの組織を直接破壊すること、あるいは生きた溶連菌に対する免疫反応によって症状が発現する急性感染症と、溶連菌の産生する毒素によって惹き起こされる毒素性疾患がある。また、免疫異常によって起こると考えられている病気の中には、溶連菌感染が引き金になることが知られているものが少なくない。

このうち、いわゆる「溶連菌感染症」として扱われるものは急性感染症と、毒素性疾患のうち猩紅熱であるが、ここでは溶連菌によって起こされるほかの疾患にも触れる。

急性咽頭炎・急性扁桃炎
年長小児から成人に発症する、一般的な溶連菌急性感染症。A群β溶連菌(Streptococcus pyogenes)による急性咽頭炎は、小児の咽頭炎の15〜30%、成人の5〜10%を占める[1]。主症状は発熱咽頭痛で、その他、頭痛・腹痛・嘔気・鼻閉などを伴うことも少なくないが、咳や鼻汁などの気道症状には乏しい。咽頭は著しく発赤し、口蓋扁桃(いわゆる扁桃腺)は腫脹して黄白色の滲出物が付着することが多く、所属リンパ節である前頚部リンパ節が圧痛を伴って腫脹することが多い。問診におけるCentor's score(38度より高い発熱、圧痛を伴う前頸部リンパ節腫脹、扁桃の白苔や浸出液、咳嗽を欠く)がすべてそろえば、A群β溶連菌の可能性が75%程度になる[1]
治療の第一選択はペニシリン系抗菌薬(ベンジルペニシリンが理想だがアモキシシリンが一般的)の投与であり、通常は内服治療が可能。咽頭痛などのために内服が困難な場合、抗菌薬の筋注または点滴静注を行う。ペニシリンアレルギーのある患者にのみ、マクロライド系クラリスロマイシン)の適応がある。リウマチ熱(心炎、多関節炎など)の予防のため、計10日間の服用が必要[1]
乳幼児では典型的な咽頭扁桃炎の症状とならずに、発熱が軽度で持続したり、全身のリンパ節の腫脹が見られたり、鼻汁を伴う場合も見られる。
伝染性膿痂疹(でんせんせいのうかしん)
一般的に「とびひ」として知られる。伝染性膿痂疹の起炎菌はそのほとんどが黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureus)である。
まれに溶連菌によるものが報告される。しかし、複数回培養により菌を確認した報告は少なく、ほとんどが単回培養による報告である。このため単に皮膚付着菌をみているだけの報告も一部混ざっていると考えられる。
黄色ブドウ球菌によるものは周囲に紅暈(こううん、皮膚が部分的に充血して赤く見えること)を伴う「黄色い膿」(膿痂)が皮膚にでき、そこを掻破した爪によって皮膚の他部位に細菌が播種され、播種された先にまた膿痂を形成する。しかし、黄色ブドウ球菌によるものでも紅暈を伴わなかったり、膿が「黄色」でないものもあり、このことで鑑別してはならない。発熱は伴わないことが多く、一般的には全身的症状はない。ただし、アトピー性皮膚炎の患児や水痘の経過中に発症した場合などには重症化する場合があり、注意が必要である。
治療はペニシリン系抗菌薬の投与が有効。
壊死性筋膜炎(えしせいきんまくえん)
溶連菌急性感染症の最も重症な病型であり、後述する毒素性ショック症候群とともに「劇症型溶連菌感染症」と呼ばれる。きわめて急速に進行する軟部組織の感染症であり、典型的な例では指先や足先など四肢の末端部から、1時間に数cmもの速さで壊死が進行する。高熱、全身状態の不良、局所の腫脹・疼痛が主症状。死亡率は30%以上と高く、一般に人食いバクテリア感染症と呼ばれることのある疾患の1つである。
その他
溶連菌はその他、化膿性リンパ節炎、蜂窩織炎、化膿性関節炎骨髄炎結膜炎などさまざまな感染症を来たしうる。ペニシリン系に対する感受性は常に良好であり、どの部位の感染症に対してもペニシリン系抗菌薬の投与が第一選択となる。感染症の部位により、切開排膿や掻爬などの治療をあわせて行う必要がある。
猩紅熱(しょうこうねつ)
猩紅熱(Scarlet fever)は、乳幼児に多い、溶連菌の産生する毒素及び菌体に対する一種の免疫アレルギー疾患である。
猩紅熱の症状は発熱のほか、体幹に始まり末梢に広がる発疹(サンドペーパー様皮疹)、舌が舌苔を失い、赤く発赤して味蕾による小さな隆起が目立つ苺舌が特徴的である。
治療はペニシリン系抗菌薬の内服が第一選択。
毒素性ショック症候群
Toxic Shock Syndrome, TSS。TSSの原因としてはTSS toxin-1(TSST-1)産生性の黄色ブドウ球菌がよく知られるが、溶連菌によるものもある。血流中に放出された毒素に対する免疫アレルギー反応により、急性のショック状態を発症し、多臓器不全に至る。既に毒素は血中に流れているため、抗菌薬では治療できず、ガンマグロブリン投与や血液浄化法(血漿交換持続的血液濾過透析など)が必要となる。
リウマチ熱
rheumatic fever, RF
心炎、多関節炎、発疹(輪状紅斑)、皮下結節、不随意運動が主症状である。溶連菌感染症から数週間経過後に発症する。膠原病関節リウマチとはまったく異なる疾患である。
血管性紫斑病
Henoch-Schonlein purpura, HSP
アレルギー性紫斑病、アナフィラクトイド紫斑病、ヘノッホ=シェーンライン紫斑病とも呼ばれる。溶連菌感染症などの上気道感染の1~3週間後に発症することがある。先行感染は必須ではない。
特に四肢に多い皮下出血(紫斑)が主症状で、その他限局性の浮腫、腹痛・嘔吐、関節痛、腎炎などがみられる。
急性糸球体腎炎
Acute glomerulonephritis
溶連菌による呼吸器感染からは1 - 2週間後、皮膚感染からは3 - 6週間後に発症することがある。菌体成分または菌が産生する抗原と患者が産生する抗体とが結合した免疫複合体が、糸球体に沈着することが原因とされる。
3大症状(trias)は、血尿、浮腫、高血圧である。治療としては水分および塩分制限、安静を行い、高血圧が著しいときにはカルシウム受容体拮抗薬などの降圧薬を用いる。慢性化することはまれで予後は良好。
掌蹠膿疱症
これらの皮膚疾患は細菌アレルギーが関与して生じているという報告があり抗ストレプトリジンO(ASO)の上昇がみられる

検査

咽頭扁桃炎、伝染性膿痂疹など、病巣を直接綿棒などで擦過できる部位の感染症では、擦過物を血液寒天培地で培養することにより溶連菌が発育することをもって、溶連菌感染(あるいは保菌)を診断できる。化膿性関節炎、リンパ節炎などで膿が採取できる場合には膿の培養が有用であり、敗血症を伴う感染(侵襲性感染症)では血液培養が陽性となることも多い。

咽頭炎の場合、迅速テストの感度は80〜90%、特異度は90%を超える[1]。陽性なら抗菌薬を開始し培養は不要となる[1]。陰性の場合、咽頭ぬぐい液の培養24〜48時間で結果が得られる[1]。感度は90%を超える[1]。治療の開始が9日遅れてもリウマチ熱の発症率に影響を与えないといわれる[1]


リンパ節炎があるが化膿していない場合や、蜂窩織炎など直接検体を採取できない場合、または急性糸球体腎炎やアナフィラクトイド紫斑病など、急性感染症以外の合併症の場合にGAS感染を証明するには、血清診断が有用である。抗ストレプトリシン抗体価(ASLO)、抗ストレプトキナーゼ抗体価(ASK)がこの目的で使用される。

予防

感染経路は飛沫感染である。ワクチンはなく、手洗いやうがいなど以外に有効と考えられる感染予防法はない。患者と接触した者に抗菌薬を投与して感染症の発症を予防すること(予防的投与)は理論上は可能だが、無症状の保菌者が少なからずあることから、通常行われない。

ただし、溶連菌の中でもリウマチ熱や急性糸球体腎炎を起こしやすい株があることが知られているため、リウマチ熱患者や急性糸球体腎炎の患者と接触した家族などには、溶連菌保菌の検査を行ったうえで、保菌者に対しては除菌のための抗菌薬投与を行うことがある

また、家族内で長期にわたって保菌が続いているために、繰り返し溶連菌感染症の患者が発生することがある。このような場合には無症状であっても家族全員を同時に治療する必要が生じることもある

関連法規

学校保健安全法によって定められその他に分類される伝染病であり、溶連菌感染症に罹患した学童は、適切な治療が開始されてから24時間は登校することができない[3]

参考文献

  • 『小児疾患診療のための病態生理1』p.876-879 小児内科第34巻(2002)増刊号 東京医学社 ISSN 0385-6305
  • 米国小児科学会編 岡部信彦監修『R-Book2000 日本版小児感染症の手引き』p.526-536 日本小児医事出版社(2002) ISBN 4-88924-136-1
  1. a b c d e f g h 今日の治療指針 2018年版「付録1 抗菌薬による感染症の外来治療 Ⅰ.上気道感染症の外来治療」
  2. ^ 皮膚疾患診療実践ガイド 文光堂
  3. ^ 学校において 予防すべき感染症の解説 文部科学省

関連項目[編集]

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生ける死者の震災震性論

2024年03月11日 10時04分23秒 | 社会・文化・政治・経済

ー災害の不条理のただなかで 

金菱 清 (著)

なぜ震災の被災者が自らを罪深いと思うのか、亡き人を思い、なぜ深い後悔に涙するのか。

言葉にできない沈黙の中で、幽霊や夢に仮託しているのは何か。

人知れず孤立し、苦しみ続ける被災者への綿密なフィールドワークを通じ、実存から立ち上げる霊性論。


* 聞き取り調査を究めた著者が明かす「インタビューの敗北宣言」。
*「語り」から「書く」へ。質的調査法の転換をフィールドワークの現場から明らかにする。
* 大切な人をある日突然奪われる災害。誰もが直面しうる残酷な現実と、そこから立ち上る霊性とは何か、鋭く映し出す。

著者について

関西学院大学 社会学部 教授、社会学者。専門は災害社会学、環境社会学。
 
私たち生存者と3・11の死者と向き合う営みを記録したものだ。
 
手記や手紙を書いてもらったり、幽霊や夢の話を聞き取って大切な人を突然、災害に奪われた被災者の心象風景に分け入った。
震災後、著者が教えていた東北学院大学の学生らと続けた共同作業の集大成である。
あの日から経験を<他人事から自分事>へ。
それが<喪われた膨大な数の人命が救えたかもしれないという未来への教訓>となるだろう。
 
関連書籍
 
「私の大切な人はいまだ行方不明。本当に亡くなったのだろうか?」大震災と原発災害によって「宙づり」にされた人々が抱える悲痛な思いとは。愛する家族、動物、住み慣れた土地、故郷のわが家を奪われたあの日から曖昧な喪失を受け容れるまでの物語。

 *被災地のタクシーと幽霊の調査で注目された金菱ゼミ学生による渾身の書き下ろし論文集。
 *行方不明者の遺族や原発避難区域の住民が初めて語った貴重な証言、隠された現地の声を伝える。
 *復興のかけ声からこぼれ落ちる現実を、当時小学生だった学生たちの曇りない目で追う。
 
 
タクシードライバーが語る幽霊現象が大反響を呼んだ災害書ベストセラー。亡くしたわが子を想い慰霊碑を抱きしめる母親たち。土葬した672人ものご遺体を掘り起こし改葬した葬儀社員ほか,被災地の悲しみに満ちた別れのプロセス,生と死のはざまで交差する霊性に初めて迫る8編。
 
阪神淡路大震災でわが子を亡くし、障害を抱え、家や店を失った人々が、学生の問いかけに応えて言葉を紡いだライフストーリー。復興と繁栄を急いだ都市の底に沈んだ記憶をほどき、当事者の孤独や負の感情、災害の不条理をどう語り継ぐかを再考させる。

* 阪神淡路大震災の地元大学で行った大学ゼミ活動の論集。
* 四半世紀後の被災地・神戸で、震災を知らない学生が当事者にインタビューし、伝える。
* 東日本大震災の震災記録の実績をもとに、日本の震災史を遡る。

関連書籍

 
 
 
 
 

 

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魂にふれる 大震災と、生きている死者

2024年03月11日 09時38分18秒 | 社会・文化・政治・経済

若松 英輔 (著)

私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。

死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。

悲しみは死者が近づく合図なのだ。

大切な人をなくした若い人へのメッセージを含む、渾身のエセー。

著者について

[著者]若松 英輔(ワカマツ エイスケ)
1968年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。批評家。
(株)シナジーカンパニージャパン代表取締役。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞受賞。
その後『三田文学』に「小林秀雄と井筒俊彦」、「須賀敦子の足跡」などを発表し、2010年より「吉満義彦」を連載。また『小林秀雄――越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会、2010)を編集。著書『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会、2011)、『神秘の夜の旅』が大きな話題を呼ぶ。
 
 
石川県出身の西田幾太郎は京都大学で哲学教授として頂点を極めても、破れた外套を羽織っていた。
それは早世した長男の形見だっっという。
<息子の魂を身にまとい、生きていた>
著者は「魂にふれる」で西田哲学を「悲しみの哲学」と記している。
 
 
良い意味で若松氏の他の書籍はもう読みたくないと思った!
 
あまりにも腑に落ちる内容ばかり。
生者と死者の関係。
若松氏の他の書籍は、幻滅したくないのでこの書籍だけで十分だと思った。
 
このような経験は初めてで、素晴らしい書籍に出会った感激から、同じ著者による他書も読みたいと思うのが通常だったが、今回ばかりは、この書籍を繰り返し読むことで満足したい、と考えていましたが、その後の講演録『死者との対話』をさきほど、アマゾンさんに注文してしまいました(苦笑)
 
ともあれ、とても優れた分析で、的確であると思いました。
 
 この書籍の言わんとすることの大意は、帯の説明文にあるように、
 
 私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。
 死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。私たちが見失ったときでさえ、それを見つづけている。悲しみは、死者が近づく合図なのだ。━━死者と共同し、共に今を生きるために。
 
と書かれている。
 
 これは比喩的に述べているのではない。
 
 帯に書かれている案内文だけではやや物足りない。
 本文に沿って補足すれば、
 
「生者は寄り添ってくれる死者のお陰で、今を生きることができるのだ。」
 
 を加えるべきか。
 いずれにせよ、かなり的確と思います。
 
 実際の内容は、いずれも既に故人となられたフランクルやリルケ、池田晶子・柳田国男・鈴木大拙・西田幾多郎・田辺元・神谷美恵子など、哲学者や思想家の著作を読み解く「死者論」であるから、そこいらへんにころがっているお気楽なスピ本とは異なります。
 
 愛妻を長期間の闘病の末に亡くされた著者の実体験あってこそ、愛妻との共著といえる作品と思われます。
 
 ちなみに、著者の若松英輔氏は慶応大学仏文科卒の批評家であるが、「三田文学」編集長を務め、読売新聞読書委員であるかたわら、「薬草を商う人」でもあるという。
 
 
死者とのつながり
 
処女著作『井筒俊彦 叡知の哲学』や『神秘の夜の旅』が
大きな話題を呼んだ若松英輔氏の3冊目の著作。
 
本書で若松氏は、彼をつねに「書くこと」へと誘い、超越の世界へ触れるよう導いてきた「死者」に向き合う。
 
そこで描かれる対象は、上原専禄や田辺元、鈴木大拙、神谷美恵子など、
不滅の「死者」や死への問いを、個人的な喪失を経験し、主体的に向き合った人たちである。
 
「死者」とは何か? それは言葉の上の理論的で抽象的な存在などではなく、
わたしたちが愛し、大切に思い、身近に感じ、共に生きた人たちである、
まずそのことに本書は読む者を立ち戻らせる。
 
大震災のあと、復興に国家的な規模で全力が注がれている今、
命をおとした「死者」や彼らとのつながりを求める「残された人々」について、
生きた言葉で発する者は――宗教家を含め――誰ひとりいなかった。
若松氏を執筆に駆り立てたのも、そのようないたたまれない現状だったのだろう。
 
死者について語ること、想うことは、身を切るような思いを伴う。
2年前に最愛の妻を喪った若松氏も、本書で彼女の死と向き合っている。
時折、頁を繰るのも辛くなるような生々しい筆致で、
壮絶な体験が語られるが、そんな悲しみについて若松氏は、
「悲しむのは死者が訪れるから」ではないか、という実感をもつようになったという。
 
「悲しみは容易に癒えない。でも(中略)ぼくらが悲しいのは、
その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか」
 
若松氏が東京新聞(2012年3月10日)でのインタビューで言うように、
現代は「死んだら何も残らない」という虚構が蔓延している。
人の「魂」を卑小するような考え・慣習が出来あがってしまった。
 
そんな世界の中で、若松氏のような強靱な精神力をもった著者の言葉は、
計り知れないほど多くの人を勇気づけ、救うだろう。
 
現代社会に警鐘をならす一冊としても評価されるべきだが、
何より、一人でも多くの死者とのつながりを求める人びとの手に届けられて欲しい。
 
 
死者とともに、、
 
死者とともに生きたいと願ってしまう日々に そっと寄り添ってくれる本です。
優しく書かれた文章と行間からも 言葉がこんなに人を勇気づけてくれるのかと
涙をにじませながら読みました。
そして いつも手元に置き、気持ちが落ち込んでしまったときに開く本です。
 
 
大切な人を亡くした方に読んでもらいたい良書です。
 
「私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる」
ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、
むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。
 
若松さんの衝撃的な語りかけに、私は絶句した。
私が涙がどうしても止まらないとき、
それは、亡くなった息子が近くにいて、手を伸ばしても触れることができない、
近くにいるのに声も聴こえないことが悲しいということだったのか?
 
哲学者である若松さんは、池田晶子、井筒俊彦、スワラルディー、
リルケ、など著名な哲学者の言葉を用いて、「生と死」を語る。
 
『私たちは死とは逆の方向に行かなくてはならない。
なぜなら、死者は死の彼方で新生しているからである。
心、あるいはココロにも、その扉を開ける重要な鍵が潜んでいる。
ココロの中とは、私たちの記憶を意味するのではない。
死者は、私たちの思い出ではない。ココロはもう一つの世界である。』
・・・・・・
こんなふうに、なんだかとっても不思議な感覚で話は進む。
 
震災で大切な人を亡くした人へ語りかけている若松さんは、
ご自身も、その一年前、十年の闘病の末に愛妻を亡くされた体験をもつ。
 
『妻を喪い、悲しみは今も癒えない。
しかし、悲しいのは逝った方ではないだろうか。
死者はいつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。
死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。
悲愛とは、こうした二者の間に生まれる共同の営みである』
 
若松さんの、この言葉で、私は涙が止まらくなった。
 
私の哀しむ姿を見て、息子がどんな思いでいるのだろう。
哀しいのは息子の方だ・・・。
 
 
レトリックでも思想でもない、死者との対話ストリーム
 
 「死者が接近するとき、私たちの魂は悲しみにふるえる。悲しみは、死者が訪れる合図である。それは悲哀の経験だが、私たちに寄り添う死者の実在を知る、慰めの経験でもある」(p.8)
 
 読み始めてまもなく見つけたこの言葉に、これはあらたなレトリックの創造なのか、それとも、思索ゆえの思想なのか、あるいは、そういうふうにわけられない出来事なのか、と問わずにはいられなかった。
 
 「死者は、万人の内に共に生きている。死者の姿は見えない。見えないものに出会うことを望むなら、見えないものを大切にしなくてはならない」(p.12)。
 
 聴覚においても同様であろう。接近してきた死者は、わたしたちに語りかける。祈りとは、願いを解き放つことだけでなく、沈黙のうちに、死者の声を聞くことである、と著者は言う。
 
 沈黙のうちに語りかける者はひそかにともに歩く者でもある。わたしたちは死者のできなかったこと、死者の残した課題を果たすのではない。「死者は、『課題』のなかで、君たちと共に生きる、ひそやかな同伴者になる」(p.20)。
 
 最初の十枚余をめくりながら、この人はもしかしたら・・・という想いが生じてきた。
 
 そこから百枚にわたり、著者は文字通り、死者の声に聴き、対話を重ねる。上原専祿、池田晶子、井筒俊彦、小林秀雄、鈴木大拙、西田幾多郎、田辺元、神谷美恵子。彼らの声は、最初は、当然、活字を通して聞こえてきたに違いないが、文字にとどまるものではなかったであろう。
 
 著者の妻は逝った。慟哭し、天を糾弾する。
「そのとき、心配することは何もない。わたしはここにいる、そう言って」(p.218)彼女が彼を抱きしめた。「誰も自分の悲しみを理解しない、そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である」「悲しいのは逝った方ではないだろうか。死者は、いつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。悲愛とは、こうした二者の間に生まれる協同の営みである」。著者がもっとも深く、長い時間、語り合った死者は妻であり、本書はその対話の果実ではなく、育ちつつある樹木そのものだ。
 
 
 
紹介されていました。
その書評に感動しましたので、即購入しました。染みる内容です。
 
 
大震災から1年というメモリアルな時節、新たなる死者論の誕生である。生者と共にあり、こちらを見、呼びかけてくる死者の「実在」は、どのようにしてあるのか、ふれられるのか、これを池田晶子や小林秀雄、柳田國男や鈴木大拙や田辺元ら、「私」の経験から死者を語った、あるいは語らされた人々の言葉とコトバに導かれながら深く深く思考していく。
昨今のこれに近似した死者論としては、末木文美士氏の仕事を即座に想起するが、より学問的なニュアンスが強く、非常に啓発的で勉強になる感じはあったが、本書のように、どこか彼方の世界を意識させられながらする読書経験は得られなかった。こういう表現は眉唾かもしれないが、より死者に「近い」ところで、全身の感性、五感を研ぎ澄ませながら言葉をつむいでいる感触があった。
著者が約2年前に最愛の妻を喪った、そのことの影響がむろん大きいのだろう。そして、その約1年後に同じ国に住む人たちが、短い間に多くの大切な生命の終わりを経験したということも。死者とともに生きていくとはどのようなことか、根柢から考えていく機会を、幸か不幸か得られたというわけだ。
「このたびの震災は多くの死者と遺族を生んだ。遺族は死者を探して、存在の深みへと導かれる。人は、あるときは外界から隔絶され、あるいは疎外されたと思うことがあるかもしれない。だが、内実は別である。深層における個の経験は、個にとどまることを十分とせず、他者に向かって自ずと開かれていく。人知れず刻まれた無数の悲しみが今、私たちをつないでいる。彼らの掘った悲しみの井戸から湧き上がる水を、今、私たちは飲んでいる。彼らが毎夜ひとり、涙で石を削るように作った道を、私たちは歩いている。」

 

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価値を創造できる哲学

2024年03月11日 09時16分10秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼世界は、未来に向かって限りなく価値を創造できる哲学を希求している。

それは、生命尊厳の仏法の哲学である。

超人とは、ニーチェの言葉で、ニヒリズムに陥った人間を通過点とし、その超越の極限にたつ存在である。

超人は価値が喪失した中で、なおをも生を肯定し、キリスト教に代わり、道徳や倫理の彼岸に立ち、民衆に命令を下す存在である。

ニーチェは、ヨーロッパの伝統的な形而上学やキリスト教を否定し超人思想を語ったが、その定義が曖昧で明確でなかったため、その後、さまざまな解釈を可能にすることとなる。

文学や芸術、哲学、思想に影響を与え、政治的にはナチスドイツに利用されるなどした。

▼ビジネスにおける価値創造の意味合いについて整理しておこう。

ビジネスにおける価値創造とは、自社で定めた事業領域の中で、顧客を獲得・創造しつつ、他社との競争に勝つための「競争のポイント」を創りだすことを指す。

簡単に言うと、自社の製品やサービスを「顧客が買う理由」を創りだすことである。

経営戦略は、この価値創造を基点に以下の視点で自社組織全般の仕組みを構築することにある。

 

 

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