人生にも、社会にも、ここぞという時がある

2023年06月07日 20時15分29秒 | その気になる言葉

▼人間を含め、あらゆるものは深い次元で結ばれ、支え合っている。

他人を競争相手ではなく、生命を磨き合う尊い存在として接する。

▼目標に向かって挑戦すれば、大きく前進できる。

勇気を出して挑んだ分だけ、夢に近づいていける。

毎日が楽しく充実する。

▼人生にも、社会にも、ここぞという時がある。

▼人類の発展とは、私たちが人間的により大きくなることであり、過分に所有することではない。

「人間的により大きく」慈悲と共生と価値創造の智慧を発揮しながら、協働して未来創造の歩みを先導していく。

▼私たちが力を合わせれば、世界の課題は解決できる。

▼「何のために」目的意識、理念が大切!

金儲けや事業、あるいは政治、文化などすべてに通じることだ。

▼人の不幸の上に、自分の利益だけを追い求める人になってならない!

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利根輪太郎の競輪人間学 貫けない出目作戦

2023年06月07日 20時15分29秒 | 未来予測研究会の掲示板

FⅠ 弥彦競輪 デイリースポーツ賞

初日(6月7日)

1レース 3-4

2レース 7-5

3レース 1-7

4レース 5-7

5レース 2-4

6レース 1-7

7レース 1-4

8レース 2-4

9レース ?

利根輪太郎の出目作戦なら、当然!上がり目の3-4と4-3である。

だが、その肝心な出目に思いが至らないほど、7-3 7-2車券に気持ちが奪われてしまう。

負けが続き金に余裕がないと、どうしても無難な本命志向になるものだ。

9レース

並び予想 3-7 4-2 6-5-1

レース評 

航続距離長い藤根の飛び出し。粘り込む藤根を阿部がゴール前でとらえてワンツー。山口の捲りも鋭さがあり関東コンビ一考。

 

1番人気 7-3(2-7倍)

結果 4-3 1万40円(19番人気) 4-3-6 15万2,970円(160番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 山口 翼   12.1 B カマシ千切
2 3 藤根 俊貴 2車身 11.6   叩れ立直し
3 6 菅原 裕太 3/4車身 11.6     掬い位置奪
4 5 川口 直人 1車身1/2 11.5     位置死守し
× 5 2 武藤 篤弘 3車身 12.4   S 離れ急追も
  6 1 勝瀬 卓也 2車身 11.7     殿尻落避け
7 阿部 拓真         掬われ競負
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利根輪太郎の競輪人間学 1-4を買えに自らに腹が立つ!

2023年06月07日 19時40分52秒 | 未来予測研究会の掲示板

FⅠ 弥彦競輪 デイリースポーツ賞

初日(6月7日)

5レース 2-4

6レース ?

利根輪太郎の出目作戦で、2-4の下がり目の1-4を買った。

だが、1番人気1-7で決まる。

7レース2-5-6 1(単騎) 7-3-4

並び予想 

レース評

菊池が自分のタイミングで仕掛けて一蹴。決め脚確かな佐藤が迫って両者の争い。小原が粘り腰発揮ならマーク中川が浮上。

 

1番人気 5-2(3・3倍)

5-2 1-2 2-1 1-5 5-1の3連単で勝負する。

だが、6レースで買った1-4のことが、頭に浮かび、慌てて1-4を押さえに車券を買うべく、投票所へ急いのだが、列が出来ていて投票が寸前で閉めきられてしまう。

実は、1-4の車券で過去に、何度も大穴車券を的中させていたのだ。

それも、50万円単位、70万円単位、80万円単位、100万円単位の払い戻しであり、その都度、競輪仲間に金を還元してきた。

親友の宮さんには10万円を進呈!

1万円札を7人の競輪に配ったことも・・・

結果 1-4 2万7,970円(32番人気) 1-4-5 11万8,210円(129番人気) 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 1 杉山 悠也   12.3   消耗戦脚溜
2 4 伊藤 大志 1/4車輪 12.3   切替1着続
3 5 佐藤 壮 1/2車輪 12.7   S 乗り追込む
4 2 菊池 竣太朗 3/4車身 12.8     踏合飛付き
5 7 小原 唯志 1/2車輪 13.1   B 強引叩後敵
  6 6 大西 健士 1/2車身 12.7     コース無く
× 7 3 中川 貴徳 大差 15.2     再追上競負

 

 

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「運命」と「宿命」の違い

2023年06月07日 16時21分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

たとえば災害や事故という予測を超えた不条理な運命。

一見、まったくの偶然のように見えるのだが、理不尽をどのうに受け止め、立ち向かっていくかは人それぞれである。

重い病を宣告された時、諦観をもって身をゆだねる人もいるだろうし、とことん病魔と闘う決意をする人もいるだろう。

その対処の仕方そのもに、その人がまさに、その人でしかあり得ぬリアルティ、つまり「宿命」が立ち現れるのである。

「運命」は偶然に支配されるが、「宿命」は実に豊かな必然だ。

そう考えることによって、われわれに訪れる不条理を「自分らしさ」を発現させる契機と捉え直していくことができるのではないだろうか。

作家の個人全集を通読すると、一人の人間の一生を行き直したような不思議な感動に襲われる。

その作家がどのような言葉で自分の「宿命」を問い続けたのか、という関心が、私のその後の文学研究の出発点になったように思う―東京大学 安藤 宏 教授

 

宿命は生まれる前から決まっているものなので、変えることのできないもの。

 運命は人間の意志によって幸、不幸を左右することはできないが、巡り合わせによるものなので、日頃の行いや選択の積み重ねにより、結果として変わるものである。

宿命と運命はどちらも自分の意志に関わらずやってくる避けて通れないものという意味です。

宿命とは自分の意志に関わらずやってきて、避けて通れないもののうち、生まれる前に決まるものを指します。

そして、生まれる前に決まってしまうため、まったく変えることはできませんし、避けて通ることはできません。

ちなみに、宿命の「宿」は「前世からの」という意味を表します。

 

しかし、宿命が生まれる前に決まるのに対して、運命は生まれた後に決まります。

そして、宿命の例としてはやがて死ぬこと、家族や貧富などの生まれた時の環境、身長や顔など身体の特徴、運動神経などの才能などがあります。

つまり、生まれてからの努力で変えるのが難しいものを宿命と言うわけです。

また、みなさんの中には性格は変えられると思っている方も多いと思いますが、性格はある程度遺伝によって決まっていて、大きく変えることは難しいので、これも宿命と言えるでしょう。

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戦国武将の叡智-人事・教養・リーダーシップ

2023年06月07日 11時31分51秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
群雄割拠の戦国時代、数多の武将が激しい合戦を繰り広げながら、独自の領国経営を行っていた。
下剋上・弱肉強食・合従連衡による淘汰が進む実力主義のなかで、リーダーたる武将たちは何を考え、どう行動したのか。
部下の諫言を重視した武田信玄、「戦わずして勝つ」を極めた豊臣秀吉、歴史書に学んだ徳川家康など、名将たちの〝乱世を生き抜く叡智〟とは。現代にも生かせる教養、人材活用術、リーダーシップの本質を凝縮。
 
著者について
小和田哲男
一九四四年静岡市生まれ。七二年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。静岡大学教育学部教授を経て、現在、同大学名誉教授。
主な著書に、『近江浅井氏』『駿河今川一族』『城と城下町』『豊臣秀吉』『桶狭間の戦い』『軍師・参謀』など。戦国史研究の第一人者として、NHK大河ドラマの時代考証なども手がける。
 


明智光秀を褒める織田信長、家臣の諫言を歓迎した武田信玄、火縄銃を複製させた種子島時堯

『戦国武将の叡智――人事・教養・リーダーシップ』(小和田哲男著、中公新書)を読んで、とりわけ印象に残ったのは、「褒める信長と『パワハラ』の信長」、「諫言を歓迎した信玄」、「火縄銃の複製に成功」の3篇です。

信長――。
「褒めて、部下を上手に使った武将として取りあげたいのが織田信長である。信長の発給文書の中に、部下の働きを称讃したものが何通かある。ここでは、明智光秀を褒めた文書を紹介しておきたい。まず、1通目は天正2(1574)年と推定される7月29日付光秀宛信長墨印状である。

・・・戦いの状況がくわしく書かれ、信長自身、『眼前に見る心地がする』と、光秀からの(戦況)報告に満足し、褒めている様子が描かれている。

・・・光秀が、信長からその能力を高く買われていたことがわかる」。

「(天正)8年8月、光秀はまた信長から称讃されているのである。・・・信長にしてみれば、光秀・秀吉の働きぶりに対し、佐久間父子の働きがどうも腑甲斐なくみえ、8月に、佐久間父子を高野山に追放し、十九ヵ条の折檻状を認めているのである。注目されるのは、その第三条で次のように記している点である。

・・・これをみてもわかるように、信長は光秀の丹波平定を絶讃していた。光秀を織田家臣団随一の働き頭をみていたことはまちがいないように思われる」。

「では、そんな光秀に対し、信長が『パワハラ』にあたる行動を取ったのはなぜなのだろうか。

絶讃と『パワハラ』は矛盾するように思われる。これに対する答えは簡単ではないが、信長の性格的なものが根底にあり、他人からの批判や諫言を受けいれず、それは、働き頭の光秀からの批判や諫言に対しても同じだったと思われる。

光秀を褒めて使い、その能力を引き出すことには成功したが、光秀からの苦言には耳を貸そうとしなかったのではなかろうか」。こういうことが、本能寺の変の原因の一つになったのかもしれません。

信玄――。
「信玄のまわりには、この(馬場)信房のように、諫言できる家臣がたくさんいたわけで、また、(武田)信玄自身も諫言を受けいれる度量があったことになる。

どうしても、ある程度偉くなると下の者の意見に耳を貸さなくなりがちである。『聞く耳をもたない』といったいい方をされるケースが多くみられる。

信玄はその逆であった。永禄11(1568)年12月13日の駿府今川館攻めのときの馬場信房の諫言が効いたのか、その後、信玄は家臣の諫言に耳を貸している。信玄が日常話している言葉が『甲陽軍鑑』にいくつか採録されている。

・・・信玄は、『自分と同じ考えの者ばかりをまわりに置きたくはない』といっているわけで、さしずめ、今風ないい方なら、『イエスマンばかりに取りまかれるのはご免だ』ということになろう。

どうしても、耳の痛いことばかりをいう家臣を遠ざけ、耳に快いことをいう家臣を身のまわりに置きたがるが、『それはだめだ』と信玄は考えていたことになる。

諫言がいえる家臣を忠臣とすれば、胡麻をすってばかりいる家臣は寵臣といってよい。実際、寵臣に囲まれた戦国大名は例外なく没落しているのである」。現代の組織にも通用する教訓ですね。

 

火縄銃――。

「鉄砲伝来についての通説は、天文12(1543)年、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が、九州南方の種子島に漂着し、そのポルトガル人が持っていた鉄砲を、島主種子島時堯が買い取ったというものである。

・・・鉄砲を持ったポルトガル人を引見した種子島時堯は、その鉄砲に興味を示し、実際に鉄砲を撃たせ、高価で2挺を買い取ったことが『鉄砲記』に記されている。注目されるのは、その後の時堯が取った行動である。

何と、城下の鍛冶師八板金兵衛に、1挺を分解し、複製することを命じているのである。ふつうに考えれば、高い値段で買ったものなので、秘蔵して当然であろう。年配者だったらそうしたかもしれない。

ところが、時堯はこのときまだ16歳の少年領主だったのである。少年らしい好奇心で『分解してみろ』といったのかもしれない。ある意味、この好奇心が歴史を変えたといってよい」。

「複製に成功した鉄砲製造法はその後どうなったのだろうか。時堯が製造法を秘匿してしまっていれば、やはり短期間に普及することはなかったはずだからである。『鉄砲記』によると、この鉄砲製造物がいくつかのルートで伝播したことがわかる。

・・・同時進行の形で西日本の各地に伝わったと思われる。鉄砲は筒の部分は比較的単純だが、引き金の部分は複雑なカラクリがある。

それをまたたく間にまねして作ってしまったわけで、すでに戦国日本に、それだけの技術を受容する素地というか、条件があった点も見のがせない」。鉄砲の普及がよいことかはさておき、好条件が重なって、鉄砲は短期間のうちに広まっていったのです。

 

ありがたいです

著者の深く広い知識から、
戦国武将たちのエピソードを多数紹介して下さっています。
勉強になりました。
小テーマに分けながら、複数のエピソードを簡潔に紹介して下さっているのも、本作を楽しく読み易くして下さっていると思いました。

ありがたいです。


チェックが甘いのが残念

色々な話が分かって面白い、しかし家康が土井利勝を叱る「岩淵夜話」の話が2回出てくる、最後の出展を見ると月刊誌に連載した部分を中心に書き加えを行っており、この書き加えの部分で内容の重複になってしまっている、これは作者と編集者のチェック漏れであろう、そういう所が残念
 
 傑出した戦国武将の生き様


生死が常に隣り合わせだった戦国時代における武将達、例えば、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが乱世を生き抜くためにどのようなことを心掛けていたかをエピソードを交えて紹介している。
 本書を読むと、戦国武将達が日頃からどんなことを心掛けていたか、戦法やら家臣の人心掌握や指揮、あるいは教養の磨き方などがいろいろと紹介されていて興味深く、傑出したリーダーというのは普段からの生き方が凡庸でなかったことが分かる。
 歴史物を得意とする中公新書ならではの内容であるが、他の本より読み易く、理解しやすい点が特徴的な一冊である。


 興味深い歴史エピソードが満載

多くの史料や文書から戦国武将たちの叡智を探った一冊です。戦国武将といってもトップがワンマンでは長続きせず、部下を褒めたり意見を聞いたり部下の能力を引き出して体制を作り上げていたことがわかります。
第一部リーダーシップ篇では「名を惜しむ」という武士の美学を貫き、卑怯な勝ち方をしなかった立花道雪の逸話、第2部人事術篇では「己が心を捨て、ただ人の長所をとれ」と言った家康の人材観がそれぞれ印象深く心に残りました。
月刊誌の連載を集めたものなので所々話題が重複している箇所もありますが、興味深い歴史エピソードが満載なのでとても面白く読めました。


 一国一城の主の度量とは


武術に長けるとの印象が先行する戦国武将だが、彼らには一国一城の主として国や家や民を守るための度量・行動原理・リーダーシップ・教養が例外なく備わっていた。その本質をエピソードを交えながら軽快に解説する一冊。

 

 


 
 

 

 

 

 

 

 
 
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自分自身が主体者となって活動する

2023年06月07日 10時35分32秒 | その気になる言葉

▼進歩というものはすべて冒険―ゲーテ

▼真の英雄とは 無私の心で 人々のために 社会のために 最高の価値ある 人生のみちを勇敢に 戦い開く人のことである

▼<使命の道>を敢然と進む人は、周囲に勇気の波動を広げる。

その人生の軌跡そのものが、後世の「希望の光」となる。

▼多種多様な文化や価値観があるなかでは、社会の調和が大きな課題である。

▼他人任せではなく、自分自身が主体者となって活動する。

困難な時こそ、自らが率先して戦うことだ。

▼誰もが自分の強みを生かしながら活動に励むことができるだろう。

▼利他の実践に無駄なことはない。

▼青年の人間革命で世界は変革される―アウレリオ・ペッチェイ:イタリアの経済学者、実業家。ローマクラブの創設者、初代会長として知られる。

 

 

    

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利根輪太郎の競輪人間学 またまた悔やまれた

2023年06月07日 03時36分44秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅢ 大垣競輪 水都大垣杯

4日目(6月6日)

12レース決勝戦

並び予想 2-9-5 1-3-6 8-7-4

レース評

強烈ダッシュの犬伏が本命。快速ぶりを発揮して前団をひと飲み。犬伏の番手は荒井だが逆転候補は実績上位の佐藤と浅井だ。

利根輪太郎は昨日、 あえて浅井 康太選手を軸に車券を買った。

ベテラン選手の奮起・元赤パン選手の復活に期待したのだ。

それなのに、最終的に犬伏 湧也選手を車券の軸にしてしまう。

2-1 2-7 2-9の3連単で勝負する。

だが、犬伏 選手が圧勝する構図は実現しなかった。

期待された<本命ラインの捲り不発>これが、まさに競輪。

利根輪太郎を含めて多くの競輪ファンたちの甘い期待は、頓挫する!

1番人気 2-7(5・2倍)

 結果 1-3 6,210円(19番人気) 1-3-4 5万7,050円(132番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 1 浅井 康太   11.1    
  2 3 松谷 秀幸 1車輪 11.1    
3 4 菅田 壱道 3/4車身 11.1      
  4 6 山賀 雅仁 1/8車輪 11.0      
5 7 佐藤 慎太郎 1/2車輪 11.2      
6 9 荒井 崇博 3車身 11.2      
  7 8 橋本 壮史 4車身 12.0   B  
8 2 犬伏 湧也 3車身 12.1   S  
9 5 園田 匠 大差 12.4

戦い終わって

戦い終わって写真

 大垣競輪開設71周年記念水都大垣杯を制したのは浅井康太。

決勝を迎える時間には雨が本降りとなりバンクはしっかり濡れた状態に。沢山の傘を差した観客がフェンス越しに見守る中での決勝戦。早目に主導権を握ったのは橋本壮史ー佐藤慎太郎ー菅田壱道。浅井康太が単騎ながらも巧く中団へ。そのまま犬伏湧也より先に仕掛けて松谷秀幸らが続いていく。後方の犬伏は不発になり、浅井がしっかり前団を飲み込み押し切って優勝。続いた松谷が二着。佐藤の後位からゴール前伸びた菅田が三着。

 優勝した浅井は「橋本君が行くと思ったし、そのラインに乗っていくのがセオリーですからね。もし松谷さんがあの位置主張してきても下げてくれるかなと。それでも下げなきゃ自分が下げてと。橋本君が落ち着いて駆けてましたね。犬伏君も来るのが厳しいだろうという感じで。脚を使いながら中団取って、(犬伏が)来る来ない関係なく、しっかり仕掛けて勝負と思っていました。松谷さんや山賀さんが自分を追っていてくれていたし、後ろにラインがあるつもりで仕掛けました。しっかり仕掛けられたのが大きいですね。自力で、力のある犬伏君を相手に勝てたのは気持ち的にも大きいです。今は中部の層も薄いし、強い気持ちを持って仕掛ければ、強い相手でも勝てると身をもって感じました。次の宮記念杯もしっかり準備して頑張ります」。

二着の松谷は「一回ジャン過ぎには詰まると想定していた。後ろに山賀雅仁さん付いてもらって、九着でもいいやと思って踏んでいこうと思っていたのに申し訳なかった。イメージしていた展開と違って、あんなに早くいくとは。二着でも内容が良くないので、宮杯には気持ちを切り替えて臨みたい」。

三着の菅田は「犬伏君と橋本君の同期対決を想定していた。橋本は絶対に踏むのはやめないと言ってくれていて。相手がすんなり引いたのでペースで駆けてくれましたね。三番手なので内締めに集中して追走。でも、後ろからの浅井さんのスピードが違い対応出来なかった。最後は山賀さん振りつつ、自分の位置を確保しながら慎太郎さんと被らないコースで。ハンドル投げた分、三着に届いた。今回はあまりごちゃついたりしない展開であまり仕事も出来なかったけど、付いてみないと学べないので良い経験になりました。宮杯までには自信もって前でと言えるように仕上げます」。

 

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大垣競輪  今年2度目のGⅢ優勝となった浅井康太

2023年06月07日 03時36分44秒 | 未来予測研究会の掲示板

浅井康太が最終2角からの4番手まくりで快勝 通算32回目のG3制覇飾る 【水都大垣杯】

中日スポーツ

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