戦国武将の叡智-人事・教養・リーダーシップ

2023年06月07日 11時31分51秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
群雄割拠の戦国時代、数多の武将が激しい合戦を繰り広げながら、独自の領国経営を行っていた。
下剋上・弱肉強食・合従連衡による淘汰が進む実力主義のなかで、リーダーたる武将たちは何を考え、どう行動したのか。
部下の諫言を重視した武田信玄、「戦わずして勝つ」を極めた豊臣秀吉、歴史書に学んだ徳川家康など、名将たちの〝乱世を生き抜く叡智〟とは。現代にも生かせる教養、人材活用術、リーダーシップの本質を凝縮。
 
著者について
小和田哲男
一九四四年静岡市生まれ。七二年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。静岡大学教育学部教授を経て、現在、同大学名誉教授。
主な著書に、『近江浅井氏』『駿河今川一族』『城と城下町』『豊臣秀吉』『桶狭間の戦い』『軍師・参謀』など。戦国史研究の第一人者として、NHK大河ドラマの時代考証なども手がける。
 


明智光秀を褒める織田信長、家臣の諫言を歓迎した武田信玄、火縄銃を複製させた種子島時堯

『戦国武将の叡智――人事・教養・リーダーシップ』(小和田哲男著、中公新書)を読んで、とりわけ印象に残ったのは、「褒める信長と『パワハラ』の信長」、「諫言を歓迎した信玄」、「火縄銃の複製に成功」の3篇です。

信長――。
「褒めて、部下を上手に使った武将として取りあげたいのが織田信長である。信長の発給文書の中に、部下の働きを称讃したものが何通かある。ここでは、明智光秀を褒めた文書を紹介しておきたい。まず、1通目は天正2(1574)年と推定される7月29日付光秀宛信長墨印状である。

・・・戦いの状況がくわしく書かれ、信長自身、『眼前に見る心地がする』と、光秀からの(戦況)報告に満足し、褒めている様子が描かれている。

・・・光秀が、信長からその能力を高く買われていたことがわかる」。

「(天正)8年8月、光秀はまた信長から称讃されているのである。・・・信長にしてみれば、光秀・秀吉の働きぶりに対し、佐久間父子の働きがどうも腑甲斐なくみえ、8月に、佐久間父子を高野山に追放し、十九ヵ条の折檻状を認めているのである。注目されるのは、その第三条で次のように記している点である。

・・・これをみてもわかるように、信長は光秀の丹波平定を絶讃していた。光秀を織田家臣団随一の働き頭をみていたことはまちがいないように思われる」。

「では、そんな光秀に対し、信長が『パワハラ』にあたる行動を取ったのはなぜなのだろうか。

絶讃と『パワハラ』は矛盾するように思われる。これに対する答えは簡単ではないが、信長の性格的なものが根底にあり、他人からの批判や諫言を受けいれず、それは、働き頭の光秀からの批判や諫言に対しても同じだったと思われる。

光秀を褒めて使い、その能力を引き出すことには成功したが、光秀からの苦言には耳を貸そうとしなかったのではなかろうか」。こういうことが、本能寺の変の原因の一つになったのかもしれません。

信玄――。
「信玄のまわりには、この(馬場)信房のように、諫言できる家臣がたくさんいたわけで、また、(武田)信玄自身も諫言を受けいれる度量があったことになる。

どうしても、ある程度偉くなると下の者の意見に耳を貸さなくなりがちである。『聞く耳をもたない』といったいい方をされるケースが多くみられる。

信玄はその逆であった。永禄11(1568)年12月13日の駿府今川館攻めのときの馬場信房の諫言が効いたのか、その後、信玄は家臣の諫言に耳を貸している。信玄が日常話している言葉が『甲陽軍鑑』にいくつか採録されている。

・・・信玄は、『自分と同じ考えの者ばかりをまわりに置きたくはない』といっているわけで、さしずめ、今風ないい方なら、『イエスマンばかりに取りまかれるのはご免だ』ということになろう。

どうしても、耳の痛いことばかりをいう家臣を遠ざけ、耳に快いことをいう家臣を身のまわりに置きたがるが、『それはだめだ』と信玄は考えていたことになる。

諫言がいえる家臣を忠臣とすれば、胡麻をすってばかりいる家臣は寵臣といってよい。実際、寵臣に囲まれた戦国大名は例外なく没落しているのである」。現代の組織にも通用する教訓ですね。

 

火縄銃――。

「鉄砲伝来についての通説は、天文12(1543)年、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が、九州南方の種子島に漂着し、そのポルトガル人が持っていた鉄砲を、島主種子島時堯が買い取ったというものである。

・・・鉄砲を持ったポルトガル人を引見した種子島時堯は、その鉄砲に興味を示し、実際に鉄砲を撃たせ、高価で2挺を買い取ったことが『鉄砲記』に記されている。注目されるのは、その後の時堯が取った行動である。

何と、城下の鍛冶師八板金兵衛に、1挺を分解し、複製することを命じているのである。ふつうに考えれば、高い値段で買ったものなので、秘蔵して当然であろう。年配者だったらそうしたかもしれない。

ところが、時堯はこのときまだ16歳の少年領主だったのである。少年らしい好奇心で『分解してみろ』といったのかもしれない。ある意味、この好奇心が歴史を変えたといってよい」。

「複製に成功した鉄砲製造法はその後どうなったのだろうか。時堯が製造法を秘匿してしまっていれば、やはり短期間に普及することはなかったはずだからである。『鉄砲記』によると、この鉄砲製造物がいくつかのルートで伝播したことがわかる。

・・・同時進行の形で西日本の各地に伝わったと思われる。鉄砲は筒の部分は比較的単純だが、引き金の部分は複雑なカラクリがある。

それをまたたく間にまねして作ってしまったわけで、すでに戦国日本に、それだけの技術を受容する素地というか、条件があった点も見のがせない」。鉄砲の普及がよいことかはさておき、好条件が重なって、鉄砲は短期間のうちに広まっていったのです。

 

ありがたいです

著者の深く広い知識から、
戦国武将たちのエピソードを多数紹介して下さっています。
勉強になりました。
小テーマに分けながら、複数のエピソードを簡潔に紹介して下さっているのも、本作を楽しく読み易くして下さっていると思いました。

ありがたいです。


チェックが甘いのが残念

色々な話が分かって面白い、しかし家康が土井利勝を叱る「岩淵夜話」の話が2回出てくる、最後の出展を見ると月刊誌に連載した部分を中心に書き加えを行っており、この書き加えの部分で内容の重複になってしまっている、これは作者と編集者のチェック漏れであろう、そういう所が残念
 
 傑出した戦国武将の生き様


生死が常に隣り合わせだった戦国時代における武将達、例えば、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが乱世を生き抜くためにどのようなことを心掛けていたかをエピソードを交えて紹介している。
 本書を読むと、戦国武将達が日頃からどんなことを心掛けていたか、戦法やら家臣の人心掌握や指揮、あるいは教養の磨き方などがいろいろと紹介されていて興味深く、傑出したリーダーというのは普段からの生き方が凡庸でなかったことが分かる。
 歴史物を得意とする中公新書ならではの内容であるが、他の本より読み易く、理解しやすい点が特徴的な一冊である。


 興味深い歴史エピソードが満載

多くの史料や文書から戦国武将たちの叡智を探った一冊です。戦国武将といってもトップがワンマンでは長続きせず、部下を褒めたり意見を聞いたり部下の能力を引き出して体制を作り上げていたことがわかります。
第一部リーダーシップ篇では「名を惜しむ」という武士の美学を貫き、卑怯な勝ち方をしなかった立花道雪の逸話、第2部人事術篇では「己が心を捨て、ただ人の長所をとれ」と言った家康の人材観がそれぞれ印象深く心に残りました。
月刊誌の連載を集めたものなので所々話題が重複している箇所もありますが、興味深い歴史エピソードが満載なのでとても面白く読めました。


 一国一城の主の度量とは


武術に長けるとの印象が先行する戦国武将だが、彼らには一国一城の主として国や家や民を守るための度量・行動原理・リーダーシップ・教養が例外なく備わっていた。その本質をエピソードを交えながら軽快に解説する一冊。

 

 


 
 

 

 

 

 

 

 
 
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