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利根輪太郎の競輪人間学 本命の本質

2023年06月04日 21時31分58秒 | 未来予測研究会の掲示板

オッズ表は見ないという競輪ファンもいる。

本命は言わば「偏り」「惑い」の表れだとして、黙殺するのある。

だが、現実には、オッズ表は、多くの競輪ファンの期待値であり、まったく無視はできないのが現実

GⅢ 大垣競輪  水都大垣杯

6月4日

7 レース

並び予想 1-9 2-5-8 6-3 7-4

レース評

差のない一戦だが点数最上位の山田が好位確保から捲り勝利。川村がマークし京都両者から。地元橋本の大駆けや菅田の一撃も

1番人気 7-4(6・0倍)

7-4-1 7-1-4で勝負する

結果 4-1 1万2,210円(28番人気) 4-1-7 2万1,710円(72番人気) 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 川村 晃司   11.2   山田久乗り
2 1 菅田 壱道 タイヤ差 11.1   脚溜直線迫
3 7 山田 久徳 1車輪 11.4     大外捲って
4 5 山口 富生 1車身 11.5     BS外出捲
  5 3 岡本 大嗣 1/2車輪 11.6   S 前団自力捲
6 9 佐藤 友和 1/4車輪 11.1     菅田追込策
  7 8 山内 卓也 1車身1/2 11.6     前に続いて
× 8 2 橋本 優己 3/4車身 11.8   B 踏合捲られ
  9 6 金子 哲大 大差 13.0     雁行踏合い

ジョン・デューイー民主主義と教育の哲学

2023年06月04日 10時47分58秒 | 社会・文化・政治・経済
 

教育とは何かを問い、人びとがともに生きる民主主義のあり方を探究し実践した、アメリカを代表する思想家デューイ。

彼の構想したコモン・マン、すなわち一般の人のための哲学は現代の教育や社会にも大きな影響を及ぼしている。

広範な学問分野に亘るその思想をデューイ研究の第一人者が丹念に読み解き、今日的意義を展望する。

あとがき

 引用・参考文献/追記

内容紹介(「BOOK」データベースより)
教育とは何かを問い、人びとがともに生きる民主主義のあり方を探究し実践した、アメリカを代表する思想家デューイ。彼の構想したコモン・マン、すなわち一般の人のための哲学は、現代の教育や社会にも大きな影響を及ぼしている。広範な学問分野にわたる思想をデューイ研究の第一人者が丹念に読み解き、今日的意義を展望する。

目次(「BOOK」データベースより)
第1章 デューイの思想形成ー生きることと学ぶことへの問い/第2章 シカゴ大学実験学校の挑戦ー学校と社会をつなぐ/第3章 民主主義と教育の再構成/第4章 日本と中国への訪問/第5章 教育の公共性と民主主義/第6章 コモン・マンの教育思想

著者情報(「BOOK」データベースより)
上野正道(ウエノマサミチ)
1974年生まれ。上智大学総合人間科学部教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。大東文化大学准教授、教授、山東師範大学、済南大学、西北大学客員教授などを経て、現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

【感想】
デューイの中国訪問及びその影響に関する記述については、かなり興味をもって読むことになった。そういった影響を日本以外のアジアに与えているとは初耳だった。
経験主義は「這い回る」と揶揄されることもあるが、彼の目指した教育は決して這い回るようなものではなかった。
彼の目指す教育は、今日においても応用することが可能であり、今の時代だからこそ実践しやすい側面もあると思った。

評価3.003.00投稿日:2023年01月10日
後半はともかく、前半については、無駄に難しく、かつ、とっちらかった印象を受けましたが、あとがきを読んで、著者のこれまでの経緯を知り、それらの理由が少し納得できました。

デューイについては、「現代の教育は、100年ほど前にデューイが考えていたことを、少しも超えられていないのではないか」という思いを持ち続けていたこともあり、図書館で見つけたこの本を、手に取りました。

デューイについては、その著書である『学校と社会』でしか知らなかったのですが、教科か子どもか、知識か関心か、科学か生活か、などの二元論を踏まえつつ、二律背反・二項対立を超える姿勢を持ち続けた人だったのですね。
そして、教育学者、というだけでなく、哲学者であり、民主主義について考え続け、啓蒙し続けた人だったのですね。

この本を読んで、デューイの考え方や生き方には、改めて感服しましたし、「デューイを超えられていない」という点については、その意を強くしました。
同時に、教育について、新しいとされている様々な動きがある現代は、まさにデューイを見直すべき時であると思いました。

 

デューイは、教員になった人なら誰でも名前は知っていると思いますが、最近まではその著作をあまり読む人はいなかったかもしれません。

本書は、デューイが単なる講壇教育学者ではなく、社会的な活動も含めて活動した実践者であったことを示してくれます。
アクティブラーニングや主体的・対話的な学びと直結させるのは、筋違いだとしても、今、学びとは何かを考えるとき、デューイに立ち返ってみるのが良いのではないか、と思い手にとりました。
その哲学を、もう少し掘り下げてもらえると良かった感じがしますが、新書としては十分なのかもしれません。

 

面白いところをあげてみよう

○デューイは同志的妻のアリスをメキシコ訪問の翌年の1927年に亡くし、戦後の1946年に87歳で、42歳の寡婦ロバータと再婚し、戦争孤児2人を養子とした。その5年後、養子たちと遊んでいて、転んで怪我をし、翌年に肺炎で亡くなった。


○デューイは東京帝大での講演のため、アリス夫人と二人で1919年2月海路で、大正デモクラシー下の日本に到着した。資金は渋沢栄一が援助した。講義は数回行われ、1回目の参加者は1000名だったが、3回めは500人、終盤は数十名になった。西田幾太郎も内村鑑三も講義に失望した。


○2ヶ月半の日本滞在後に、夫人同伴で清朝崩壊後の中華民国にわたり、2年3ヶ月中国に滞在し、各地をまわり、200回ほどの講演を行った。


○デューイは1924年の大統領選挙で進歩党のラフォレットを応援したが、当選は共和党のクーリッジだった。1928年には社会党のトーマスを支持していたが最終的に民主党のスミスに投票し、当選は共和党のフーヴァーだった。1932年には共和党のノリスに新政党設立と出馬を勧めたが、説得できず、社会党のトーマスに投票し、結果は民主党のローズヴェルトの圧勝だった。


○デューイは貧困状態の移民労働者の支援に取り組み、女性の権利向上にも取り組んだ。全米有色人種地位向上協会の設立にも加わった。進化論を教えて有罪判決を受けた教師の弁護側に加わった。クークラックスクランを非難し、サッコとヴァンゼッティへの死刑判決に反対した。


○デューイは1928年に教育視察団に加わってソヴィエトロシアを訪問し、帰国後ロシアの学校を称賛したが、次第にスターリンの神格化に失望し、距離を置くようになった。

1937年にはトロッキー防衛のためのアメリカ委員会の委員長に就任し、起訴調査委員会の調査の結果、モスクワ裁判でのトロッキーの起訴内容はすべて捏造であったと発表した。

○デューイはアートを「経験」「生命活動全体に関わる想像性」「公共的なコミニュケーション」「探究」「民主主義の文化的基盤」と位置づけた。そのアート思想、アート政策は大恐慌下のニューディールアート政策に大きな影響を与え、失業アーティストの救済、芸術支援プロジェクトを後押しした。


○デューイは今日の「アクティブ・ラーニング」につながる教育論を提唱した人物として知られている。

しかし、パッシブな学びに代わってアクティブな学びを取り入れることを主張したわけではない。私達が経験する世界において能動性と受動性の関係は「能動ー受動的な事柄」として連続的なものなのである。

 

 
教員採用試験などに必ずと言って良いほど出てくるジョン・デューイであるが、92年の人生で40冊の著書と700本以上の論文を発表した「知の巨人」である。現在も世界中に彼の名前を冠した学会や研究機関があるなど、その影響は計り知れない。本書ではデューイの生涯を辿りながらその思想について丁寧に読み解いた一冊である。

デューイは、子ども中心で、その実生活と結びついた教育を重視する一方、知識偏重の教育に批判的なポジションという印象を持っていたが、本書を通じて実際には教科、知識、科学などの重要性も認識していたことが分かった。
若い頃から親しんでいたヘーゲルの思想などを頼りに、この二項対立を超えようとする考えが随所に見られ、大変興味深かった。

また、本書では日本や中国での滞在の様子などにも紙面を割いており、デューイの人生と思想、そしてその影響について幅広く理解できる。デューイを学ぶ上で絶好の入門書となっており、教育関係者に限らず、おすすめの一冊。
 

日本の戦後公教育に多大な影響を与える教育哲学。
その根幹はプラグマチズムに裏打ちされた革新的教育観の理解を説く。
啓蒙的な新書。現在進行中の「著作集」への架け橋的存在。流暢な筆致は澱みなく読み進められる。
 

探究的な学び、問題解決学習など今日の教育施策に普及している実践にデューイの教育思想が重なる面が多く、多くの教育書でデューイの書物が引用・参考文献になっている。なぜデューイは約一世紀も前にそのような発想に至ったのか、その背景が本書を読むとよくわかる。
 

デューイについて知りたくてこのような本を探していましたが、なかなかありませんでした。
とても読みやすいので、少しでも興味のある方におすすめです。
 

 

 

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デューイの思想を現代に

2023年06月04日 10時47分58秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

現在の学校教育に大きな役割を果たしたといわれる、ジョン・デューイ。

激動の時代にあって、よりよき社会とは、そして、よりよく生きるとはどういうことなのか。

それを真摯に問いながら、人間と世界の新しいつながりをつくり直そうとしたのが、デューイであった。

翻って現代もまた、平和や環境、人権などを巡ってさまざま問題が噴出している。

生命が脅かされ、「いかに生きるか」が切実に問われている。

代表作「民主主義と教育」の冒頭に、「生命は世代を超えて更新され、継承されていくものである」とある。

デューイは、早くは19世紀末から、社会から取り残されがちな人々を支援する慈善活動にも、精力的参加している。

格差や貧困といった社会的課題に目を配りながら、特権階級の人たちだけではなく、生活困窮者も、移民も、障がい者も、あらゆる人たちが幸福と希望を抱いて暮らせる社会の実現を志向した。

彼にとって、そうした社会の実現の鍵となるのが、教育であった。

デューイは、教育を、もっと根底から捉え直そうとした。

学校とは「学ぶ場所」であるだけでなく、何よりもまず「生きる場所」であった。

「子どもが太陽となり、そのまわりを教育のさまざまな装置が回転する」とデューイは構想している。

それは、「教育におけるコペルニクス的転回」とも呼ばれる変革であった。

人間は誰もが未完成で、学び直していく存在であり、教師も子どもも、共に生き、互いに豊かな学びを生成しる場が、学校であると捉えたのだ。

また、デューイは、学校とは、今すである社会に子どもを順応させる場所ではなく、これから向かうべき社会への、発達の「芽」を宿す場所であると述べいる。

対話が途切れたときに、偏見や暴力が生まれる。

だから、対話を諦めてはいけない。

デューイの「人間性の持つ可能性への信頼」は、対話し続けることの可能性への信頼でもあった。

「顔が見える関係」で対話し、活動するコミュニティーをつくることだ。

ごく普通の、庶民たちにとって織り成されていく対話が、他者や世界への想像力を広げていく。

上智大学 上野 正道 教授

 


世界のほとんどの人々が自分が安全ではないと感じている

2023年06月04日 10時20分55秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼「人類は自ら、世界をますます不安定な場所にしている」

▼「核戦争に勝者はなく、決して核兵器で戦ってはならない」

▼「核の先制不使用」の確立を」

▼人類を覆う脅威と不安の解消へ「共通の安全保障」を築く挑戦を。

▼世界のほとんどの人々が自分が安全ではないと感じている。

背景には、<人々が自由と尊厳の中で貧困や絶望のない生活を送る権利>を意味する「人間の安全保障」の喪失感がある。

▼<希望への処方箋>を生み出す建設的な議論が行われるべきだ。

今こそ、民衆の力で「歴史のコース」を変え、「核兵器のない世界」、そして「戦争のない世界」への道を切り開くことだ。


映画 アフターマス

2023年06月04日 10時04分25秒 | その気になる言葉
6月3日午前1時30分からCSテレビのザ・シネで観た。

アフターマス

解説

アーノルド・シュワルツェネッガーが飛行機の衝突事故で妻と娘を亡くし、復讐のために事故の真相を追う男を演じるヒューマンドラマ。2002年7月にドイツ上空で実際に起きた「ユーバーリンゲン空中衝突事故」と、その後に発生した事件がベースとなっている。

建設現場の現場監督ローマン・メルニックは、数カ月ぶりに帰ってくる妻と身重の娘を迎えに空港へ向かう。

しかし、妻と娘が乗った飛行機が空中で衝突事故を起こしたという衝撃の事実を聞かされる。事故による生存者はゼロ。

家族を奪われたローマンは航空会社に謝罪を求めるが、表面的な補償のみという航空会社の心ない対応に憤りを感じていた。

事故の真相を追いつづける中で、ローマンは事故に大きく関わる1人の航空管制官の存在を知る。主人公ローマン役にシュワルツェネッガー、航空管制官役に「それでも夜は明ける」「アルゴ」のスクート・マクネイリー。

2016年製作/94分/PG12/アメリカ

 

 

 

 

アフターマス』(Aftermath)は、2017年アメリカ合衆国で公開されたドラマ映画。2002年7月に起きたユーバーリンゲン空中衝突事故後に発生した殺人事件を題材にした作品である。監督はエリオット・レスター英語版、主演はアーノルド・シュワルツェネッガーが務めた。

ストーリー

工事現場で働くローマン・メルニックはニューヨークから自分に会いに来る妻子を空港で迎えるために、仕事を早退した。愛する家族との再会を待ちわびていたローマンの元に、2人が乗る飛行機が上空で衝突事故を起こしたとのニュースが飛び込んできた。しばし呆然と立ち尽くしたローマンだったが、事故を未然に防げなかった管制官への怒りが沸々と湧いてきた。

そのしばらく前。管制官のジェイコブ・ボナノス(ジェイク)は飛行機2便がレーダーから消失したのを見て混乱していた。目の前のデータを検討した結果、両機が衝突して墜落してしまったという結論に至ったジェイクは顔面蒼白となった。

事故調査委員会はジェイクの法的責任を問わなかったが、彼は自分を責め続けた。時が経つにつれて、ジェイクの苦痛は和らいでいったが、その間に家族との関係はすっかり冷え切ってしまった。また、ジェイクは事故に関することを一切他人に語ろうとはしなかった。

衝突事故によって亡くなったのは271人であった。ローマンはボランティアとして墜落事故現場の整理に携わり、そこで娘のブレスレットと2人の遺体を回収した。家族を失った悲しみから、ローマンは自宅に引きこもるようになった。そんな彼の元をジャーナリストのテッサが訪ねてきた。テッサは「事故についての本を書くために、貴方のお話を伺いたい。」と言ってきた。しかし、ローマンは彼女に何も語ろうとはしなかった。テッサはローマンの取材を半ば諦めたが、僅かな望みをかけて、彼の家に自分がこれまでに執筆した記事の抜き刷りを置いて帰った。

法的に責任を問われることこそなかったが、世間はジェイクを糾弾した。弁護士は「貴方とその家族の安全のためにも、別の州へ引っ越して名前を変えるべきだ」とジェイクにアドバイスした。その頃、ローマンは飛行機会社の顧問弁護士と面談していた。弁護士は慰謝料を払うと申し出たが、ローマンは「会社からの謝罪がないのに、私はこのお金を受け取るわけにはいかん」と突っぱねた。

衝突事故から1年後。ローマンは別の街で再び大工として働き始めていた。事故の慰霊式典に参加したローマンはテッサと再会した。ローマンは彼女に「管制官だったあの男は今どこで何をしているのか」と尋ねた。テッサはローマンの質問に答えることを躊躇したが、最終的には、ジェイクの職業と改名後の名前を教えてしまった。このとき、テッサは自分の行動が殺人事件に発展するなどとは思ってもいなかった。

キャスト

製作

2015年6月23日、アーノルド・シュワルツェネッガーが『478』というタイトルの映画で主演を務めることになったという報道があった。11月4日、エリオット・レスターが本作の監督に起用されると報じられた

11月に開催されたアメリカ・フィルム・マーケットで本作の配給権が世界各国の会社に販売された。12月24日、マリアナ・クラヴェーノが本作に出演するとの報道があった[7]

本作の主要撮影は12月6日にオハイオ州コロンバスで始まる予定だったが[8]、実際に始まったのは12月14日であった。撮影は2016年1月中旬には終了していた

批評家からの評価

本作に対する批評家の評価は芳しいものではない。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには41件のレビューがあり、批評家支持率は39%、平均点は10点満点で5.2点となっている。また、Metacriticには13件のレビューがあり、加重平均値は44/100となっている[11]

事件関係者からの評価

ローマン・メルニックのモデルとなったヴィタリー・カロエフ英語版は本作が事実を歪曲していると批判している。劇中のメルニックと違い、カロエフは飛行機会社や管制官からの謝罪、及び世間の同情を一切求めなかったのだという。カロエフは「ただ正義を実現しようとしていただけだ」と語っている。

また、カロエフによると、事故が発生したときの管制官は良心の呵責を一切感じていなかったように見えたのだという

 


映画 セント・オブ・ウーマン/夢の香り

2023年06月04日 09時48分26秒 | 社会・文化・政治・経済
 6月3日午前3時15分からCSテレビのザ・シネで観た。これで2度目である。
セント・オブ・ウーマン/夢の香りの画像
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セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(原題: Scent of a Woman)は、1992年に製作されたアメリカ映画。盲目の元軍人を演じたアル・パチーノアカデミー主演男優賞を受賞した。

概要

人生に悲観し、ふて腐れた孤独な盲目退役軍人が、自身もトラブルを抱え人生の選択に迫られている心優しい青年との数日間の交流を通じて、自分の人生を見つめ直し、新たな希望を見出すまでを描いたヒューマンドラマ。

アル・パチーノのまったく瞳を動かさない壮絶な演技と、タンゴ・プロジェクトによる「ポル・ウナ・カベサ」をバックにした、ガブリエル・アンウォーとのタンゴ・ダンスシーンが印象的。 のちにアカデミー主演男優賞を受賞することになるフィリップ・シーモア・ホフマンが、主人公と別の道を選択する級友を演じている。

本作はイタリアの作家ジョヴァンニ・アルピーノの小説 Il buio e il miele (「闇と蜂蜜」の意)を元にボー・ゴールドマンが自身の経験を加味して脚色した。

同原作の映画化としては1974年のイタリア映画『女の香り』がある。イタリア版では、ヴィットリオ・ガスマンが退役軍人の役を演じており、1974年度のカンヌ映画祭男優賞を受賞している。

ストーリー

アメリカボストンにある全寮制名門高校に奨学金で入学した苦学生チャーリーは、裕福な家庭の子息ばかりの級友たちとの齟齬を感じつつも無難に学校生活を過ごしていた。

感謝祭の週末、クリスマスに故郷オレゴンへ帰るための旅費を稼ぐためチャーリーはアルバイトに出ることになっていた。

そのアルバイトとは姪一家の休暇旅行への同伴を拒否する盲目の退役軍人フランク・スレード中佐の世話をすること。

とてつもなく気難しく、周囲の誰をも拒絶し、離れで一人生活する毒舌家でエキセントリックなフランクにチャーリーは困惑するが、報酬の割の良さと中佐の姪カレンの熱心な懇願もあり、引き受けることにする。

感謝祭の前日、チャーリーは同級生のハヴァマイヤーたちによる校長の愛車ジャガー・XJSに対するイタズラの準備に遭遇。

生徒たちのイタズラに激怒した校長から犯人たちの名前を明かすなら超一流大学(ハーバード)への推薦、断れば退学の二者択一を迫られ、感謝祭休暇後の回答を要求される。チャーリーは同級生を売りハーバードへ進学するか、黙秘して退学するかで苦悩しながら休暇に入ることになった。

中佐はそんなチャーリーをニューヨークに強引に連れ出し、ウォルドルフ・アストリアホテルに泊まり、“計画”の手助けをしろ、という。

セント・オブ・ウーマン 夢の香り

チャーリーはニューヨークで、中佐の突拍子もない豪遊に付き合わされるはめになる。高級レストランで食事をし、スーツも新調し、美しい女性とティーラウンジで見事にタンゴのステップを披露したかと思うと、夜は高級娼婦を抱く。

だがチャーリーは、共に過ごすうちに中佐の人間的な魅力とその裏にある孤独を知り、徐々に信頼と友情を育んでいく。

旅行の終りが迫ったころ、中佐は絶望に突き動かされて、“計画”―拳銃での自殺を実行しようとするが、チャーリーは必死に中佐を引き止め、思いとどまらせる。ふたりは心通わせた実感を胸に帰途につくことができた。

しかし、休暇開けのチャーリーには、校長の諮問による公開懲戒委員会の試練が待っていた。チャーリーは、全校生徒の前で校長の追及によって窮地に立たされるが、そこに中佐が現れ、チャーリーの「保護者」として彼の高潔さを主張する大演説を打ち、見事にチャーリーを救うのだった。満場の拍手の中、中佐はチャーリーを引き連れ会場を後にする。

再び人生に希望を見いだした中佐と、これから人生に踏み出すチャーリーのふたりは、また新しい日常を歩み始めるのだった。

キャスト

アカデミー主演男優賞を受賞したアルパチーノの演技がやはり素晴らしい。

盲目となり、もはや過去の栄光以外に何もない、生きている価値もないと絶望し自ら最期を迎えようと計画する退役軍人。"I'm in the dark "という絶望の叫びが耳から離れない。
そして、アルパチーノもさることながら、フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が目を引いた。金持ちの親の元で甘やかされた御曹司感、仲間を裏切りたくないけど親には逆らえないジレンマの狭間で揺れ動く心情をすごくよく演じていたと思う。
あとはとにかくアルパチーノ演じるフランクがNYの街を我が物顔にひたすら散財しながら豪遊するところは観ていて痛快。

受賞/ノミネート

女性の香り

中佐が言及した、作中で登場した女性の着けていた香り

  • フローリス英語版 - 270年の歴史を持つ英国王室御用達の香水ブランド。NY行きの飛行機で出会うスチュワーデス・ダフネが、このブランドのコロンをつけている。[2]
  • オグリビーシスターズ・ソープ - アメリカの自然原料によるハンドメイドソープメーカー[3]。中佐のタンゴのパートナーとなる若い女性・ドナが、祖母から贈られたこの石鹸を使っている。
  • フルール・ドゥ・ロカーユ(Fleurs de Rocaille) - フランスの香水ブランド「キャロン」の香水。1993年に再構成されている。映画のラスト近く、中佐に声をかける女性教授が身につけている。香水名は、「石の花」あるいは「岸辺の花(Flowers from a brook)」の意味。
  • ミツコ - フランスの香水ブランド「ゲラン」の代表作。中佐がニューヨークへの旅の途中に立ち寄る兄の家の感謝祭のパーティで、中佐の甥の妻が身につけている。中佐曰く、「満たされない女性がつける香り。」