引用・参考文献/追記
内容紹介(「BOOK」データベースより)
教育とは何かを問い、人びとがともに生きる民主主義のあり方を探究し実践した、アメリカを代表する思想家デューイ。彼の構想したコモン・マン、すなわち一般の人のための哲学は、現代の教育や社会にも大きな影響を及ぼしている。広範な学問分野にわたる思想をデューイ研究の第一人者が丹念に読み解き、今日的意義を展望する。
目次(「BOOK」データベースより)
第1章 デューイの思想形成ー生きることと学ぶことへの問い/第2章 シカゴ大学実験学校の挑戦ー学校と社会をつなぐ/第3章 民主主義と教育の再構成/第4章 日本と中国への訪問/第5章 教育の公共性と民主主義/第6章 コモン・マンの教育思想
著者情報(「BOOK」データベースより)
上野正道(ウエノマサミチ)
1974年生まれ。上智大学総合人間科学部教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。大東文化大学准教授、教授、山東師範大学、済南大学、西北大学客員教授などを経て、現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【感想】
デューイの中国訪問及びその影響に関する記述については、かなり興味をもって読むことになった。そういった影響を日本以外のアジアに与えているとは初耳だった。
経験主義は「這い回る」と揶揄されることもあるが、彼の目指した教育は決して這い回るようなものではなかった。
彼の目指す教育は、今日においても応用することが可能であり、今の時代だからこそ実践しやすい側面もあると思った。
評価3.003.00投稿日:2023年01月10日
後半はともかく、前半については、無駄に難しく、かつ、とっちらかった印象を受けましたが、あとがきを読んで、著者のこれまでの経緯を知り、それらの理由が少し納得できました。
デューイについては、「現代の教育は、100年ほど前にデューイが考えていたことを、少しも超えられていないのではないか」という思いを持ち続けていたこともあり、図書館で見つけたこの本を、手に取りました。
デューイについては、その著書である『学校と社会』でしか知らなかったのですが、教科か子どもか、知識か関心か、科学か生活か、などの二元論を踏まえつつ、二律背反・二項対立を超える姿勢を持ち続けた人だったのですね。
そして、教育学者、というだけでなく、哲学者であり、民主主義について考え続け、啓蒙し続けた人だったのですね。
この本を読んで、デューイの考え方や生き方には、改めて感服しましたし、「デューイを超えられていない」という点については、その意を強くしました。
同時に、教育について、新しいとされている様々な動きがある現代は、まさにデューイを見直すべき時であると思いました。
デューイは、教員になった人なら誰でも名前は知っていると思いますが、最近まではその著作をあまり読む人はいなかったかもしれません。
本書は、デューイが単なる講壇教育学者ではなく、社会的な活動も含めて活動した実践者であったことを示してくれます。
アクティブラーニングや主体的・対話的な学びと直結させるのは、筋違いだとしても、今、学びとは何かを考えるとき、デューイに立ち返ってみるのが良いのではないか、と思い手にとりました。
その哲学を、もう少し掘り下げてもらえると良かった感じがしますが、新書としては十分なのかもしれません。
面白いところをあげてみよう
○デューイは同志的妻のアリスをメキシコ訪問の翌年の1927年に亡くし、戦後の1946年に87歳で、42歳の寡婦ロバータと再婚し、戦争孤児2人を養子とした。その5年後、養子たちと遊んでいて、転んで怪我をし、翌年に肺炎で亡くなった。
○デューイは東京帝大での講演のため、アリス夫人と二人で1919年2月海路で、大正デモクラシー下の日本に到着した。資金は渋沢栄一が援助した。講義は数回行われ、1回目の参加者は1000名だったが、3回めは500人、終盤は数十名になった。西田幾太郎も内村鑑三も講義に失望した。
○2ヶ月半の日本滞在後に、夫人同伴で清朝崩壊後の中華民国にわたり、2年3ヶ月中国に滞在し、各地をまわり、200回ほどの講演を行った。
○デューイは1924年の大統領選挙で進歩党のラフォレットを応援したが、当選は共和党のクーリッジだった。1928年には社会党のトーマスを支持していたが最終的に民主党のスミスに投票し、当選は共和党のフーヴァーだった。1932年には共和党のノリスに新政党設立と出馬を勧めたが、説得できず、社会党のトーマスに投票し、結果は民主党のローズヴェルトの圧勝だった。
○デューイは貧困状態の移民労働者の支援に取り組み、女性の権利向上にも取り組んだ。全米有色人種地位向上協会の設立にも加わった。進化論を教えて有罪判決を受けた教師の弁護側に加わった。クークラックスクランを非難し、サッコとヴァンゼッティへの死刑判決に反対した。
○デューイは1928年に教育視察団に加わってソヴィエトロシアを訪問し、帰国後ロシアの学校を称賛したが、次第にスターリンの神格化に失望し、距離を置くようになった。
1937年にはトロッキー防衛のためのアメリカ委員会の委員長に就任し、起訴調査委員会の調査の結果、モスクワ裁判でのトロッキーの起訴内容はすべて捏造であったと発表した。
○デューイはアートを「経験」「生命活動全体に関わる想像性」「公共的なコミニュケーション」「探究」「民主主義の文化的基盤」と位置づけた。そのアート思想、アート政策は大恐慌下のニューディールアート政策に大きな影響を与え、失業アーティストの救済、芸術支援プロジェクトを後押しした。
○デューイは今日の「アクティブ・ラーニング」につながる教育論を提唱した人物として知られている。
しかし、パッシブな学びに代わってアクティブな学びを取り入れることを主張したわけではない。私達が経験する世界において能動性と受動性の関係は「能動ー受動的な事柄」として連続的なものなのである。
教員採用試験などに必ずと言って良いほど出てくるジョン・デューイであるが、92年の人生で40冊の著書と700本以上の論文を発表した「知の巨人」である。現在も世界中に彼の名前を冠した学会や研究機関があるなど、その影響は計り知れない。本書ではデューイの生涯を辿りながらその思想について丁寧に読み解いた一冊である。
デューイは、子ども中心で、その実生活と結びついた教育を重視する一方、知識偏重の教育に批判的なポジションという印象を持っていたが、本書を通じて実際には教科、知識、科学などの重要性も認識していたことが分かった。
若い頃から親しんでいたヘーゲルの思想などを頼りに、この二項対立を超えようとする考えが随所に見られ、大変興味深かった。
また、本書では日本や中国での滞在の様子などにも紙面を割いており、デューイの人生と思想、そしてその影響について幅広く理解できる。デューイを学ぶ上で絶好の入門書となっており、教育関係者に限らず、おすすめの一冊。
日本の戦後公教育に多大な影響を与える教育哲学。
その根幹はプラグマチズムに裏打ちされた革新的教育観の理解を説く。
啓蒙的な新書。現在進行中の「著作集」への架け橋的存在。流暢な筆致は澱みなく読み進められる。
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