8/30(月) 19:18配信 FNNプライムオンライン
千葉県で新型コロナウイルスに感染し、自宅療養中だった20代の男性が死亡したことがわかった。
この男性は、8月中旬に40度の発熱があり、16日に陽性が判明したが、医師から、軽症で入院の必要はないと診断を受けていたという。
2日後の18日に、別居中だった家族から「本人と連絡が取れない」と119番通報があり、救急隊が駆けつけたが、自宅で死亡が確認された。
千葉県で20代が新型コロナウイルスで亡くなったのは2例目。
8/30(月) 19:18配信 FNNプライムオンライン
千葉県で新型コロナウイルスに感染し、自宅療養中だった20代の男性が死亡したことがわかった。
この男性は、8月中旬に40度の発熱があり、16日に陽性が判明したが、医師から、軽症で入院の必要はないと診断を受けていたという。
2日後の18日に、別居中だった家族から「本人と連絡が取れない」と119番通報があり、救急隊が駆けつけたが、自宅で死亡が確認された。
千葉県で20代が新型コロナウイルスで亡くなったのは2例目。
ニューヨーク=中井大助 ワシントン=高野遼2021年8月20日 16時00分
2001年9月11日。4機の旅客機がハイジャックされ、米ニューヨークの高層ビルなどに突入した。前代未聞の同時多発テロ事件は世界に大きな衝撃を与え、米国は「対テロ戦争」へと突き進んだ。あれから20年。
今年8月、米軍の支援を受けてきたアフガニスタンで政権が崩壊し、反政府勢力タリバンが国家運営の主導権を奪回した。米同時多発テロは米国を、そして世界をどう変えたのか。(肩書は当時)
犯人らがいるコックピットを襲撃した乗客たち
「9・11」は2001年9月11日、米国で起きた同時多発テロ事件を指す。国際テロ組織「アルカイダ」のメンバー19人が、4機の旅客機をハイジャックし、高層ビルに突入させるなどした前代未聞の事件は、世界に大きな衝撃を与えた。
米同時多発テロではまず、ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便と、ユナイテッド航空175便が乗っ取られた。午前9時前後、両機はニューヨークの世界貿易センター(WTC)の北棟と南棟に突っ込んだ。金融機関が集中するマンハッタン南端に位置し、それぞれ110階建てだったWTC両棟は73年の完成時には世界で最も高い建物で、米国の経済的繁栄の象徴だった。
両棟とも、約1時間後に崩落。ビルにいた人々に加え、飛行機の乗員乗客や救助にあたっていた消防士や警察官など、計2753人が亡くなった。
ワシントン近郊のダレス空港からロサンゼルスへ向かっていたアメリカン航空77便も乗っ取られ、午前9時37分にバージニア州の国防総省ビルに突っ込んだ。この現場では計184人が死亡した。
ニューヨーク近郊のニューアーク空港からサンフランシスコへ飛ぶ予定だったユナイテッド航空93便も午前9時30分ごろにハイジャックされた。しかし、携帯電話で地上と通信した乗客らは、他の飛行機がビルへの突撃に用いられたと知り、犯人らがいるコックピットを襲撃。同機は約30分後、ペンシルベニア州の畑に墜落し、乗員乗客が全員死亡したが、その他の被害は免れた。犯人たちは、ワシントンのホワイトハウスや連邦議会議事堂を標的にしていたとされる。(ニューヨーク=中井大助)
「想像力、政策、能力、マネジメントの失敗」
予兆はいくつもあった。事件を受け、米政府が設けた独立調査委員会(9・11委員会)は04年7月の最終報告書で、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者が米国の中東政策などに反発し、90年代から何度も攻撃を呼びかけていたと指摘。実際、アルカイダはアフリカで米国大使館を爆破したり、イエメンで米海軍のイージス艦に自爆攻撃したりしていた。
米国内でもイスラム過激派によるテロ事件は起きていた。93年には同じWTCの地下駐車場に爆弾が仕掛けられ、6人が死亡。その後にはニューヨーク周辺のトンネルなどを爆破する計画も、警察の捜査によって摘発された。
米国の情報機関も米同時多発テロの前からアルカイダのメンバーの動きを追い、01年8月にはブッシュ大統領に「ビンラディン、米本土への攻撃を決意」と報告していた。しかし、中央情報局(CIA)と連邦捜査局(FBI)の情報共有のまずさもあり、有効な手立てはとられなかった。9・11委員会の報告書はこう指摘する。「想像力、政策、能力、マネジメントの失敗だった」
20年を経ても、解明されていない謎がある。特にビンラディン容疑者のほか、実行犯19人のうち15人がサウジアラビア出身だったことから、サウジ政府との関係は注目され続けている。
米議会は02年、報告書でFBIなどからの情報とし、「実行犯の数人が米国で、サウジ政府と関連する可能性のある個人と連絡を取り、支援を受けていた」とし、引き続き捜査することを求めた。しかし、ブッシュ政権の意向でこの部分は非公開となり、16年にようやく機密解除された。
米議会は16年、テロに関与した外国政府を相手に訴訟を起こすことを認める法律を成立させた。ニューヨークの連邦裁判所では遺族らによるサウジ政府相手の集団訴訟が続く。裁判官は20年、サウジ王室の関係者らの証人尋問を認めたが、まだ実現していない。(ニューヨーク=中井大助)
泥沼化した戦いの道、見えない出口
「9・11」を機に、米国は対テロ戦争の幕を開けた。あれから20年、テロ根絶を目指した戦いは泥沼化の道を歩み、いまも出口を見つけるのに苦戦を強いられている。
2001年10月7日。ブッシュ大統領がホワイトハウスで星条旗を背に宣言した。「テロ組織アルカイダの訓練基地と軍事政権タリバンに対し、攻撃を開始した」。自国を守るためには、先制攻撃も辞さない。テロとの全面戦争の始まりだった。
戦いは拡大の一途をたどる。03年3月、ブッシュ政権はイラク戦争を開戦。フセイン政権が大量破壊兵器を持っているとし、放置すれば核や生物化学兵器がテロ集団の手に渡ってしまうことを理由に挙げた。
イラクでは開戦から21日目にフセイン体制が崩壊。5月には戦闘終結を宣言した。だが、肝心の大量破壊兵器は見つからなかった。
戦争が長期化するにつれ、米国内ではイラクからの撤退を求める声が高まるようになった。だが、軍事介入により中東での反米感情は高まり、いったん始めた対テロ戦争を終えるのは容易ではなかった。
イラクでは手製爆弾などによる米軍への攻撃が続いた。撤退すれば、再びテロリストの温床になるとの恐れは拭えない――。イラク戦争の終結を宣言したのは、オバマ政権となった11年のことだった。
それでも、イラクでの戦いは終わらない。次に過激派組織「イスラム国」(IS)が現れた。イラクで支配地域を広げるISに対し、オバマ政権は14年に空爆を再開。対テロ戦争の出口は遠のいた。
アフガニスタンでの戦闘も泥沼化した。01年の攻撃開始後すぐに首都カブールは陥落した。だが拡大するイラク戦争の陰でタリバンが盛り返し、抵抗を続けていた。米軍撤退を目指しつつ、治安が安定しないジレンマに陥った。
そんな中で17年に就任したのが「米国第一」を掲げるトランプ大統領だ。「何千億ドルも使い、戦うべき場所でない所で米軍は戦っている」。成果の出ない海外での対テロ戦争より国内課題を優先する考えを強調し、支持を集めた。
実際、この20年で米国は対テロ戦争に多大なコストをかけてきた。米ブラウン大の研究チームによると、「9・11」後の戦争にかかった費用は20年度予算までに6・4兆ドル(約700兆円)。イラクとアフガニスタンを中心に、戦地で死亡した兵士は7千人近くに達した。
今年1月に就任したバイデン大統領もこうしたコストを強調し、今後は対中国や新型コロナウイルス対策など新たな課題に向き合うべきだとの考えを示す。8月末にはアフガニスタンの米軍を完全撤退させ、年内にイラクでの戦闘任務も終えることを決めた。
米軍撤退を尻目にアフガニスタンではタリバンが勢力を拡大。ガニ大統領は8月15日、首都カブールを包囲した反政府勢力タリバンへの抵抗を断念し、国外に脱出した。米同時多発テロを契機に始まった米軍の駐留が終了するのを前に、ガニ政権は崩壊した。アフガニスタンがイスラム過激派の温床になりかねないとの懸念が国際社会で強まっている。20年前に始まった「米史上最長の戦争」を本当に終えられるのか、先行きは見通せない。(ワシントン=高野遼)
潮流・深層
古本陽荘・北米総局長
2020年6月6日
米中西部ミネソタ州で5月25日に起きた白人警察官による黒人男性の拘束死事件に対する抗議デモはあっという間に全米に広がった。
トランプ大統領は「法と秩序」の維持のため連邦軍の投入をちらつかせ、暴力的なデモや略奪の取り締まりを優先する姿勢を強調。
被害者の男性や黒人社会への共感は示さず、デモ参加者の怒りを増幅させた。一連の騒乱で露呈したのは、社会の多様な意見や要求を吸収することができなくなった米国の民主主義の制度疲労だ。
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『政治経済のトリレンマ』から見る世界政治
独立行政法人経済産業研究所 伊藤 宏之 客員研究員
変化する世界政治
今、多くの国々で政治的変革が起きている。 2017年に政権についた米国トランプ政権は、自国利益を最優先し、貿易相手国が同盟国であろうとなかろうとなりふり構わず関税増税をちらつかせながら、米国にとって有利な条件を交渉から引き出すというスタイルを貫いている。自国第一主義、反グローバリズムを大きく掲げることに対してなんのためらいも恥じらいもない。
自国第一主義は米国にとどまらず、EU離脱をとおして自国の主権回復を図る英国にも共通する。他の多くの国でも、政治的主張の左右を構わず自国第一主義を掲げるポピュリスト政権が生まれ、行き過ぎたグローバル化に歯止めをかけ、グローバル化によって失われたと主張する自国民の経済的利益を回復しようとしている。
貿易や金融市場の自由化によるグローバル化を「外のグローバル化」であるとすると、難民や移民の流入増加は「内のグローバル化」であり、それに対するバックラッシュ(反発)もヨーロッパ諸国や米国、南米などで起こっており、難民や移民による社会保障などのフリーライド(利益便乗)をとめ、自国民への利益分配を優先する政治的勢力に対する支持が上がってきている。
このような新しい政治的勢力の台頭は今までの世界政治の潮流とはかなり違ったものである。
例えば、ヨーロッパは、第二次世界大戦後、自国利益を多少犠牲にしても民主主義的なプロセスを保ちながら域内の政治、経済の統合を図ってきた。そんなヨーロッパにとって、自国民の利益優先や反グローバリズムの考えが台頭してきたことは、戦後のパラダイムの転換を意味しており、今まで築き上げてきたヨーロッパ統合が岐路に立たされている。
さらに、もともと比較的民主主義であった国においても、政権側と国民との間に軋轢が両者の対立を生み、政権側が非民主主義的、強権的な手段をもって国民を押さえつけようとする例も見られる。現在の香港や、ベネズエラ、そしてトルコなどがそれにあたる。
Rodrikの「政治経済のトリレンマ」
このような現在起こっている政治情勢の変化を「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション」の3つの観点から包括的に見ることができる。それが、Dani Rodrik(2000)の言う、「政治経済のトリレンマ」である。
「トリレンマ」と聞くと、国際経済に精通している人は「国際金融のトリレンマ」を思いつかれるかもしれない。
「国際金融のトリレンマ」とは、「為替の安定性」、「資本の自由な移動」、「金融政策の自立性」の3つの政策目標のうち、一度に2つは達成できるが、3つをすべて満たすことはできない、という理論で、Mundell(1960)やFleming(1961)に紹介され、それ以降、国際金融の中心的な理論となっている(図1-a)。
図1:『国際金融のトリレンマ』と『政治経済のトリレンマ』
Dani Rodrikはその理論を政治経済に当てはめ、「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション」の3つの政策目標・統治形態のうち、一度に2つは達成できるが、3つをすべて実現することはできない、とした。
例えば、ヨーロッパ連合(EU)加盟国は、それぞれ民主主義的な政体をもち、かつグローバル化されて国際経済や市場に対して開かれている。しかし、そのために加盟国は、自国の利益のみを追求し国家主権を(他の加盟国以上に)主張したりすることができない。つまり、加盟国はEUという『国際的連邦制』に属しているといえる(図1-bの三角形の右下の角)。
現在、EUからの離脱を進めている英国は、まさに自国の利益を追求するために国家主権を再獲得しようとしているのである。Rodrikの「政治経済のトリレンマ」によると、英国は自国の主権をより一層追及するには(つまり、図1-bの三角形の右下の角から「国家主権」の辺に向かうためには)、ある程度民主主義的な政策決定を制限するか、グローバル化した経済の開放度を下げるかをしなくてはならない。ジョンソン政権が厳格に民主主義のプロセスをとりながら行動していることを考えると、英国のEU離脱はグローバル化を犠牲にすることによってのみ実現されると言える。つまり、今後自国の利益追求をはかればはかるほど、国際市場へのアクセスを縮小しなくてはならないということになる。
自国の国家的主体性を保ちながら経済のグローバル化を図る国もある。そのような国は、自国のルールや基準を作る際に国際的なルールや基準に合わせようとし、必ずしも民主的なプロセスで政策決定をするとは限らない。つまり、そのような国は、自国民が民主的に決めた政策やルールよりは、多国的企業や国際機関が決めたルール、あるいは他国と行政機関(つまり、民主的に選ばれるわけではない官僚)が交わした条約や取り決めなどが国内基準を作るときのベースになる。この状態をトーマス・フリードマンは、“Golden Straitjacket(金の囚人服)”と名付けた(図1-bの三角形の頂点)。彼曰く、Golden Straitjacketとは「経済が強くなり、(民主)政治がなくなる」状態なのである。
このように国家主権が強く、グローバル化の利益を享受している国は、民主主義の感覚を強める、あるいはグローバル化の度合いを弱めることでGolden Straitjacketから解放される。
国益優先の政策を民主主義国家の下で選択することも可能である。しかしその場合は、グローバル化の利益を享受することはできない(図1-bの三角形の左下の角)。1944年から1971年まで続いたブレトン・ウッズ体制は、加盟国が国家間の資本移動に規制をかけることを許容し、現在よりも国際貿易も規模が限られていたので、政治経済トリレンマの観点からすると、民主主義と国益優先の政策組み合わせであるといえる。
このように、「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション」の3つの政策目標・統治形態のうち、一度に2つは達成できるが、3つをすべて満たすことはできない。
「政治経済のトリレンマ」の証明
しかし、それは本当にデータによって説明できるのであろうか?
Aizenman and Ito (2019)は、「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション」の3つを数値化し、1975-2016年、139カ国分作成した。そしてその数値の加重平均が定数になれば、その3つの数値は直線関数の関係にあるといえる、つまり、「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション』の3つの変数はトリレンマの関係にあると仮定し、それを計量数学的に証明できるか分析した。
回帰分析の結果、先進国では、民主主義の度合いがサンプル期間一貫して高く安定していることから、3つの変数のトリレンマではなく、グローバル化と国家主権のジレンマ、つまり二者一択の関係にあることがわかった。また発展途上国は、Rodrikが主張するように、トリレンマの状態にあることが分かった。
3つの変数を注意深く見てみると、全般的に、先進国では民主主義のレベルは安定して高留まりしているのに対し、国家主権の度合いが下降トレンドにあり、グローバル化の度合いが上昇基調にあることがわかった。発展途上国では、国家主権の度合いが低下しており、民主主義とグローバル化の度合いが上昇基調にあり、現在は3つすべての指数が中程度のレベルに集まっている状態にあるということもわかった。
3つの政策目標・統治形態が政治・経済に与えうる影響
では、これらの「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション」の3つの政策目標・統治形態は、実際の政治・経済にどういった影響を与えるのであろうか? 特に、これらが政治的安定性と経済・金融危機の発生確率を従属変数として回帰分析を行ってみた。
その結果、民主主義の度合いが高い先進国ほど政治的不安定を経験する傾向が強く、発展途上国は、民主主義の度合いが高いほど政治的に安定する傾向が強いことがわかった。また、先進国では、国家主権の度合いが低いほど政治的安定性が高く、発展途上国ではその逆が見られた。グローバル化に関しては、その度合いが高いほど、先進国・発展途上国ともに政治的安定性、経済的安定性が高いことがわかった。
現在、先進国では特に米国と英国が国家主権を主張しながら自国優先政策と反グローバル化を掲げていることを考えると、この回帰分析の結果が正しいとすれば、このような政策は、政治的不安定を高め経済的危機が起こる確率をあげると考えられる。また、発展途上国の間では、反民主主義的な政策または反グローバル化を主張する国があるとすれば、政治的にも経済的にも不安定性が増すと考えられる。
果たしてこのような結果が実際に起こるのであろうか? 2020年のうちにその答えが出るかもしれない。
8/30(月) 14:54配信
時事通信
東京医科歯科大学医学部付属病院=東京都文京区
東京医科歯科大は30日、流行する新型コロナウイルスのデルタ株について、英国由来のアルファ株に類似した変異を持つ新たなタイプを国内で初めて確認したと発表した。
【図解】ワクチンを「接種しないつもり」と答えた人の割合(6月)
世界では8例の報告があるが、感染力の強さなどは不明という。
同大によると、新たなデルタ株は今月、同大付属病院の患者から検出された。デルタ株に特徴的な「L452R」変異に加え、アルファ株に特徴的な「N501Y」に類似した「N501S」変異があった。患者に海外渡航歴はなく、市中感染だったという。同大は、この変異は国内で起きた可能性が極めて高いとみている。
2021.08.27
平素から本県競輪事業にご理解、ご協力を賜り御礼申し上げます。
取手競輪場では県独自の非常事態宣言延長等に伴い、8月31日(火)までとしておりました取手競輪場の閉場を9月12日(日)まで延長いたします。
閉場期間中に開催する茨城県営競輪については、無観客で開催し、車券の発売は、電話投票、インターネット及び一部の場外車券売場で行います。
また、場外車券発売は全て中止とし、払戻業務については閉場期間中の場外車券発売を予定していた平日のみ、正門前にて行います。
閉場延長に伴う新たな無観客開催競輪及び中止となる場外発売は下記のとおりです。
コロナ禍、中田さんは一切の会合を欠席している。
「主人は基礎疾患があるから、コロナウイルスが怖いのね」と奥さんは代弁する。
また、赤嶺さんは「毎週日曜の会合が無くて、寂しな。コロナなんて怖くないよ。何時から再開するの」と富田さんに愚痴をこぼしているそうだ。
ところで、中田さんは会合には出ないが、奥さんの愚直なまでの地域活動では運転手として同行、活躍しているのだ。
奥さんのキリンビール勤務時代の同僚宅などを回っているそうで、「全部で100軒以上は訪問したい」と昨日の会合で奥さんが抱負を語っていた。
【著者】ピエール・ビルンボーム(Pierre Birnbaum)
1940 年生まれ。専門は政治社会学、フランス近代史。パリ第1 大学(パンテオン=ソルボンヌ)とパリ政治学院で教授を務めながら、ニューヨーク大学やコロンビア大学でも教鞭を執り、現在、パリ第1大学名誉教授。主な著書に、Les Sommets de l’État, Seuil, 1977(1994)〔田口富久治監訳、国広敏文訳『現代フランスの権力エリート』日本経済評論社、1988年〕; Le Peuple et les gros. Histoire d’un mythe, Grasset, 1979(Genèse du populisme. Le peuple et les gros, Pluriel, 2012); Les Fous de la République.Histoire politique des Juifs d’État, de Gambetta à Vichy, Fayard,1992(Seuil, 1994); La France imaginée. Déclin des rêves unitaires ?, Fayard, 1998(Gallimard, 2003); Le Moment antisémite : un tour de la France en 1898, Fayard, 1998(2015); Les Deux maisons. Essai sur la citoyenneté des Juifs( en France et aux États-Unis), Gallimard, 2012 ; La République et le cochon, Seuil, 2013〔村上祐二訳『共和国と豚』吉田書店、2020 年〕 Léon Blum: Prime Minister, Socialist, Zionist( Jewish Lives), Yale University Press, 2015 ; Sur un nouveau moment antisémite, Fayard, 2015 ; Les Désarrois d’un fou de l’État. Entretiens avec Jean Baumgarten et Yves Déloye, Paris, Albin Michel, 2015 などがある。その他,ベルトラン・バディとの共著が、『国家の歴史社会学〔再訂訳版〕』(小山勉、中野裕二訳、吉田書店、2015年)として刊行されている。
【訳者】大嶋 厚(おおしま・あつし)
1955 年東京生まれ。翻訳者。上智大学大学院博士前期課程修了。国際交流基金に勤務し、パリ日本文化会館設立などに携わる。訳書に、ミシェル・ヴィノック著『フランスの肖像─歴史・政治・思想』(吉田書店)、同『ミッテラン』(吉田書店)、同『フランス政治危機の100 年』(吉田書店)のほか、ヴァンサン・デュクレール著『ジャン・ジョレス 1859 −1914 』(吉田書店)、ジャン=ルイ・ドナディウー著『黒いナポレオン─ハイチ独立の英雄 トゥサン・ルヴェルチュールの生涯』(えにし書房)、パトリック・ヴェイユ『フランス人とは何か――国籍をめぐる包摂と排除のポリティクス』(共訳、明石書店)。
【目 次】
序 オメックスへの帰還
Ⅰ 最初の情景
Ⅱ 「フランス国」が私を殺した
Ⅲ 私は「正義の人」に救われた
Ⅳ 大統領、国家と国家の理論
Ⅴ 王との同盟の終わりか?
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参考
ヴィシー政権(ヴィシーせいけん、フランス語: Régime de Vichy)は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。
この時期はフランス共和国という呼称が停止され、フランス国(フランス語: État français)という呼称が用いられた。
フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。「ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ぶ。
成立[編集]
1940年5月に開始されたドイツ軍のフランス侵攻で、フランスは敗北した。ポール・レノー首相ら抗戦派にかわって和平派が政権を握り、6月17日に副首相であったフィリップ・ペタン元帥が首相となった。
21日、ペタンの政府はドイツとイタリアに対し休戦を申し入れた。翌22日には独仏休戦協定が締結され、フランス北部などの地域の占領、陸軍の制限などが定められた。協定はフランス側にとって過酷であったが、主権国家としてのフランス政府存続は達成された。
ユダヤ人7万人をナチスに引き渡す。
「フランスは取り返しのつかない過ちを犯した」シラク大統領は公式に謝罪した。
フランスは国家としてユダヤ人迫害に加担したのである。
フランス政府は7月1日に臨時首都に指定していたボルドーから中部の都市であるヴィシーに移転した。政府主席兼首相には、第三共和政最後の首相で第一次世界大戦の英雄であったペタン元帥が就任し、副首相にはピエール・ラヴァルが就任した。
ラヴァルはヒトラーから好意的な扱いを受けるためには、「堕落した民主主義」を廃して「絶対的権力を持つ権威国家」を樹立する必要があると考え、熱心にロビー活動を行った。
8/27(金) 16:56配信
夕刊フジ
厚労省の分科会がワクチン接種後の健康被害を審査した
【ギモン解消!!ワクチン接種Q&A】
厚生労働省の感染症・予防接種審査分科会は、新型コロナウイルスワクチンの接種後にアナフィラキシーなどの健康被害が生じたとする医療手当の申請を初めて審査し、41人中29人の救済を認めた。認定されれば自己負担分の医療費や、入院・通院期間に応じた医療手当が支給される。
【表でみる】ワクチン2回接種で重症、死亡例なしに
審議されたのは、自治体を通じて審査申請した18歳から83歳までの男女41人。
ワクチン接種後に重いアレルギー反応である「アナフィラキシー」が認定されたのは15人で、内訳は22歳から66歳までの女性が14人、40歳の男性が1人だった。
「アナフィラキシー様症状」と認定されたのは、22歳から62歳の女性8人、「急性アレルギー反応」と認定されたのは26歳から64歳の女性6人だった。残り12人については保留とした。
新型コロナのワクチン接種は、疾病の蔓延(まんえん)防止のため緊急に実施される「臨時接種」に位置付けられている。分科会は、申請内容が予防接種法に基づく健康被害救済制度の対象かどうかを審議し、接種前後のカルテなどから健康被害との因果関係が認められれば補償の対象となる。
死亡は遺族に一時金4420万円などが支払われる。日常生活で介護が必要な1級障害が生じた場合は年間505万6800円の障害年金が給付される。請求期限はない。
8/30(月) 6:00配信
中国新聞デジタル
ワクチン接種後に亡くなった息子の画像が入ったスマートフォンを見ながら胸の内を語る父親(画像の一部を修整しています)
米モデルナ製の新型コロナウイルスワクチンに異物が混入していた問題で、広島県南部の会社員男性(30)が、使用を見合わせているロットのワクチン接種後に亡くなっていたことが29日、分かった。厚生労働省が28日に公表した30代男性2人の死亡事例のうちの1人とみられる。会社員男性の父親(63)が中国新聞の取材に応じ、息子を突然亡くした悲しみや接種後のケア体制などについて、胸の内を語った。
【写真】ロット番号が分かる男性の予防接種済証
父親によると、男性は県内の職域接種会場で、7月18日に1回目、今月22日に2回目の接種を受けた。23日に40度を超える熱が出て、勤め先を欠勤。市販の解熱剤を服用したところ、24日には平熱に戻り、出勤した。
その夜は自宅で母親(62)と夕食を取り、午後7時半ごろに自室へ戻った。25日朝、起こしに行った母親が布団の上でぐったりしている男性を発見。死亡が確認された。男性に基礎疾患やアレルギー歴、飲酒・喫煙の習慣はなかったという。
男性が2回目に打ったワクチンのロット番号は「3004734」。異物の混入が見つかったワクチンと同じ時期に同じ設備で製造されており、国が26日に使用見合わせを求めている。男性の死亡と接種の因果関係などは不明。地元自治体も経緯を把握している。
接種後のケアの大切さ痛感
「まさか息子が…。寂しくて仕方ない」。父親は涙ぐむ。男性は母親と2人で暮らし、父親は近くの実家に住んでいる。最後に言葉を交わしたのは、接種翌日の23日。男性宅の電話の調子が悪く、家に寄った父親が「直しておいて」と声を掛けた。熱が上がる前だったのか、体調の異変はまだ感じ取れなかったという。「やさしくて、周りの人にかわいがられる子だった。あれっきりになるとは思いもしなかった」
家族思いの男性は約3カ月前、「コロナが落ち着いたらみんなで旅行がしたい」と、大きめの車に買い替えたばかりだった。男性の死後、母親はその車の鍵を見るたびに胸が締め付けられるという。
父親は6月ごろ、男性に「機会があれば接種を受けた方がええよ」と勧めていた。地元自治体の当時の接種対象は高齢者だったこともあり、男性は「ほうじゃね」とだけ応じた。「私が言ったから、職域での接種を受けたのだろうか」。後悔の念にさいなまれながら、ワクチンの副反応の説明や、接種後のケア体制の大切さを痛感しているという。
自身も同じ職域接種会場で、男性が受けた6日前に2回目のワクチンを接種。該当ロットだった。翌日に発熱し、40度を超えたものの、大事には至らなかった。
「感染対策としてのワクチン接種の有効性は認識している。息子が亡くなった原因は分からない。誰を恨むこともできんし、悪いのはコロナだと思っている。この事実を伝えることで、より安全な接種になればいい」
厚労省と、国内の販売や流通を担う武田薬品工業は、28日に発表した男性2人の死亡事例について、ワクチン接種との因果関係を調べるとしている。
8/30(月) 11:12配信
文春オンライン
北海道警察旭川方面本部 ©文藝春秋
《旭川14歳少女イジメ凍死》“遺族の手記”全文公開「お母さん、死にたい」爽彩さんは2度母親に訴えた から続く
【画像】爽彩さんは裸の画像をいじめグループによって拡散された
今年3月、北海道旭川市の公園で凍った状態で発見された廣瀬爽彩(さあや)さんの遺族の代理人が8月18日、市内で記者会見を開き、遺族の手記を公開した。
文春オンラインでは、これまで、爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月、旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始した。遺族は今回公表した手記の中で、「爽彩に何があったのか、真相を明らかにして欲しいと願っています」と改めて訴えた。
しかし、その2日後の8月20日には新たに爽彩さんの死体検案書について、誤った病名が記載されていたことがわかった。全国紙社会部記者が明かす。
死亡原因欄に推測で書かれた「統合失調症」の病名
「死体検案書の死亡原因欄に実際はかかっていなかった『統合失調症』の病名が記入されていたのです。遺族側が解剖した病院に確認すると『服用していたPTSDの薬から道警が病名を推測して伝えたものを、医師がそのまま書いた』と答えたそうです。死体検案書はその後遺族の指摘を受け、訂正されました」
厚生労働省は死体検案書について、客観的事実の正確な記入を求めている。「なぜ、警察は“推測”で間違った病名を伝え、病院もまた警察の言葉を鵜呑みにしてしまったのか」と、遺族は疑問に思ったという。
実はこうした捜査機関への“疑問”を、遺族は爽彩さんが失踪した今年2月13日直後から何度も抱いてきた。爽彩さんの捜索にも携わった親族が明かす。
「爽彩が失踪した当日、母親は駆けつけた旭川東署の警察官から『些細なことでもいいので、何かなかったですか?』と聞かれたそうです。母親はお昼頃に仕事で爽彩のパソコンを使ったときに、データがデスクトップに保存されていて重くなっていたので、『全部デスクトップに保存しているから、しないほうがいいよ』と軽く注意したという話を思い出し、警察に告げたそうです。
なぜか調書で、母と爽彩さんが「大ゲンカした」ことに
その日は、親族や知人らも集まり、必死で爽彩を探しましたが足取りは掴めず、翌日になってしまいました。午前中に母親が旭川東署に呼ばれました。母親が署に到着すると、1階にある会議室に通され、警察が作成した『爽彩失踪についての調書』を読み上げられたそうです。
ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。
「噓を書かないでください」と泣きながら警察に抗議
母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」
爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。
〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬が☓☓☓☓まで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(☓☓―☓☓☓☓)までお知らせください。〉
記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。
「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。
「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」
しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。
そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)
初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった
娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。
「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。
その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)
失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った
親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。
「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」
取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。
「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」
爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。
もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば……
前出の遺族が肩を落とす。
「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」
爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。
◆ ◆ ◆
中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か?
凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「 娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件 」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。
「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班)
1918年の「スペイン風邪(インフルエンザ)」の流行以来、人類を襲ったいくつもの感染症。
科学史・医療社会学を専門とする著者は、10年にわたる調査をもとに、未知の病原体の発見と感染の急速な広がりが大規模な被害とパニックを引き起す過程、それらに対する科学者たちの懸命の取り組みを克明に描き出す。
人間の「認識の盲点」を突くパンデミックに対抗するには特定の分野の専門知だけでは不十分であり、生態学的・免疫学的・行動学的要因を総合的に分析する必要があることを明らかにする一冊。「フィナンシャル・タイムズ」ベストブック2019に選出された話題作に、新型コロナウイルスの章を加えた決定版!
医学史家。ロンドン大学シティ校ジャーナリズム担当上級講師。他の著書に『熱病の足跡――マラリアを探して』『インフルエンザとの共生――イギリスと1918年のパンデミックにまつわる忘れられた物語』(ともに未邦訳)などがある。
翻訳家。米国フロリダ州ニューカレッジ卒業(哲学・人類学専攻)。
訳書に、エリザベス・コルバート『6度目の大絶滅』『フンボルトの冒険』『猿神のロスト・シティ』(以上、NHK出版)、ロビン・ダンバー『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト)、マット・リドレー『繁栄』『進化は万能である』(以上、早川書房、共訳)、ヴァイバー・クリガン⁼リード『サピエンス異変』(飛鳥新社、共訳)、クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす』(河出書房新社)ほか多数。
昨年初めからもう1年半も続いている新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的な大流行(アウトブレーク)は、大波のうねりのように、変異しながら繰り返し何度も押し寄せ、収束の兆しはまだ見当もつかない。
政治家のしたたかな思惑や国民の切なる希望を次々と打ち壊すこの邪悪な病原体の猛威に、オリンピックがまさにいま開催されている日本はなすすべもなく翻弄され、ときにはパニックのごとき様相をも呈している。
スペイン風邪が、あれほどの速さで拡大した背景には、第一次世界大戦という人類史的出来事があった。
肺炎が最初に確認されたのはアメリカ。
戦争準備として若い兵士が兵舎に集められた。
つまり密集が感染を拡大させたのだ。
若い兵士が感染に倒れた。
新型のインフルエンザは、世界的に広がる。
兵舎(場所)感染の巨大な孵卵器(ふらんき)となり、あれほどの速さで広まる原因となる。
1918年に始まった「スペインかぜ」と呼ばれるインフルエンザのパンデミック(世界的な大流行)は、世界中で5000万人の命を奪い、史上最悪の疫病の一つとされている。
この流行の発生地については、科学者の間で何十年も論争が続いていて、フランス、中国、米国中西部など、さまざまな場所が提唱されている。起源を特定できないため、科学者はいまだに、ウイルスを生み出した条件や、将来同じようなパンデミックを起こしうる要因といった、この病気の実像をつかめずにいる。
スペインかぜは、パンデミック発生と同じ1918年に終結した第1次世界大戦よりも多くの命を奪った。近年の研究により、その第1次世界大戦中の忘れられたエピソードが、スペインかぜの拡大の発端になった可能性が指摘されている。それは、中国人労働者を列車に閉じ込めてカナダを横断させ、ヨーロッパまで運んだことだ。
カナダ、ウィルフリッド・ ローリエ大学の歴史学者マーク・ハンフリーズ氏によると、西部戦線で英軍とフランス軍の後方支援を行うために、9万6000人の労働者を中国から動員したことが、パンデミックの原因になった可能性があるという。氏が発見した記録が、それを裏付けているとしている。
ハンフリーズ氏の論文が学術誌「War in History」に発表されたのは2014年1月だった。その中で氏は、この仮説を検証するためには、スペインかぜの犠牲者からウイルスのサンプルを採取して調べる必要があると認めている。こうした証拠があれば、スペインかぜの起源を1つの場所に絞り込むことが可能になるだろう。
しかし一部の歴史学者は、氏の主張には説得力があると感じている。
「これらの記録は、歴史学者にとってはほぼ決定的証拠と言えるものです」と、米国における1918年のパンデミックを研究している歴史学者のジェームズ・ヒギンズ氏は言った。「当時のパンデミックについて、多くの疑問に答えてくれます」
最後に経験した大疫病
スペインかぜのパンデミックは3回に分けて世界を襲った。第1波が始まったのは1918年の春だった。現在も流行しているH1N1型インフルエンザの祖先にあたる株が病原体となった。
一般的なインフルエンザとは異なり、スペインかぜでは強い免疫系をもつ健康な若者に犠牲者が多かった。第1次世界大戦は、戦死者の多さだけでなく、スペインかぜも終戦の一因となったと言えるかもしれない。
「1918年のインフルエンザは人類が経験した大疫病の中では最も新しく、紛争の足跡を追うようにして世界に広がりました」とハンフリーズ氏は言う。
先に述べたように、このパンデミックの発生地は今でも不明とされているが、動員された中国人労働者が感染拡大の原因だったという説は以前から唱えられてきた。
ハンフリーズ氏は、1917年11月に中国北部で流行した呼吸器疾患が、その1年後に中国の保健当局によって、スペインかぜと同じものであったことが確認されたとする文献を発見した。
氏はまた、1917年からカナダを横断してヨーロッパに送られた2万5000人の中国人労働者のうち、検疫を受けた3000人強の多くにインフルエンザに似た症状が見られたとする医療記録も発見した。
二転、三転した起源
スペインかぜは1918年の秋にピークに達したが、1920年まで猛威をふるい続けた。世界中で大流行したにもかかわらず「スペイン」かぜと呼ばれるようになったのは、戦時中の検閲のせいで、中立国だったスペインでの大流行ばかりが報道されたためだ。
ヒギンズ氏によると、医師たちはスペインかぜが流行しだした当初からその起源をめぐって論争を始めていて、まもなく歴史学者もそれに加わるようになったという。
最初は、汚物と病気と死にまみれたフランス軍の塹壕(ざんごう)が、スペインかぜの温床になったと考えられていた。若者の犠牲者が多かったのは、塹壕にいる若い兵士にまん延したからだと説明された。また、ヨーロッパから米国に帰還した兵士たちが、米国のボストンやフィラデルフィアへ感染を広げたとされた。
戦争から10年後、米国のカンザス州が起源だったとする新たな説が登場する。州内で発生したインフルエンザの流行が、1918年3月に近くの陸軍駐屯地に広がり、48人の歩兵が死亡したという報告が根拠とされた。
だがハンフリーズ氏の論文によると、1917年に中国の万里の長城沿いの村々で呼吸器感染症が流行し、1日あたり数十人の死者が出ていたという。地元の保健当局が「冬季流感」と呼んでいたこの病気は、1917年末には6週間で500キロも離れたところまで広がった。
この病気は当初、肺ペストではないかと考えられていたが、死亡率は典型的な肺ペストよりはるかに低かった。
ハンフリーズ氏は、英国の在中国公使館職員による1918年の報告書に、この病気はインフルエンザだとする記述を発見した。中国人労働部隊と北京の英国公使館に関する戦時中の記録を、カナダと英国の歴史的公文書で探しているときに見つけたくだりだった。
医師たちは、喉の痛みを訴える労働者にひまし油を与えてキャンプに戻らせた。
中国人労働者たちは1918年1月には英国南部に到着し始め、そこからフランスに送られた。フランス北部のノイエル=シュル=メールの中国人病院には、呼吸器疾患により数百人が死亡したとの記録が残っている。
歴史学者らは、スペインかぜのウイルスが1918年の春に突然変異して致死性が高くなり、ヨーロッパから米国のボストンやシエラレオネのフリータウンなどの遠方の港町まで広がったのではないかと考えている。
一方で、パンデミックがピークに達したその年の秋には、ヨーロッパの中国人労働者の間で、そうした症例は報告されなくなっていた。
歴史が語りかけること
この研究で、スペインかぜの起源をめぐる謎に最終的な答えが出たわけではないことは、ハンフリーズ氏自身も認めていた。
「埋葬された遺体に保存されている当時のウイルスを、医学の専門家が調べることが必要です」と氏は言った。「そうすれば決着がつく可能性は大いにあります」
米軍病理学研究所のジェフリー・タウベンバーガー氏などの専門家は、スペインかぜの犠牲者の体内に保存されたウイルスのサンプルを求めて、世界各地で埋葬された遺体を探している。
2011年に氏の研究チームは、1918年にスペインかぜで亡くなった32人の遺体からインフルエンザウイルスのサンプルを得た。
これまでに見つかっている最も初期のサンプルは、1918年3月11日にアイオワ州キャンプ・ドッジで死亡した兵士のものだが、研究チームはさらに早い症例を探している。
パンデミック前後の犠牲者から幅広くサンプルを集めることができれば、スペインかぜの起源を絞り込めるだろう。そのためには、パンデミックが始まった1918年の春より前に死亡した犠牲者から、H1N1型インフルエンザウイルスのサンプルを採取する必要がある。
例えば、1917年の中国のサンプルを入手できれば理想的だ。
とはいえタウベンバーガー氏は、2009年のやや小規模なパンデミックの起源さえ確定できていないことを挙げ、「この問題に最終的な答えを出せるものなのか、確信はありません」と話す。
さらにハンフリーズ氏の論文についても、「この種の(歴史学的な)分析により、新興感染症の起源や拡散のパターンを確定的に明らかにはできません。とりわけ流行の初期段階に関してはそうです」と述べる。
しかし、起源がわかれば、未来のパンデミックを阻止するのに役立つ情報が得られる可能性があり、探る価値はある。
「こうした研究から得られる教訓は、新興感染症の発生地については『中国に注目せよ』ということです」とヒギンズ氏は言い、今世紀に入ってから鳥インフルエンザとSARS(重症急性呼吸器症候群)がアジアから出てきた点を、ハンフリーズ氏の論文が発表された当時に指摘していた。
世界保健機関(WHO)によると、SARSは2003年の流行時に775人の死者を出し、鳥インフルエンザA(H5N1)型は2003年以降、384人の死者を出しているという。大流行の兆候がないか、彼らはずっと注意深く見守っていた。
「この数十年間に、多くの新興感染症が世界中に広まっています」とヒギンズ氏は言う。
「歴史は繰り返します。1918年のスペインかぜの起源を探ることで、あのような災難を防ぐヒントが得られるはずです」
(文 Dan Vergano, National Geographic、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年3月15日付]
8/30(月) 5:31配信
毎日新聞
本を作った大阪府職労の小松康則執行委員長(左)らスタッフ=大阪市中央区大手前2で2021年8月26日午後0時58分、矢追健介撮影
2020年から新型コロナウイルス感染症に対応する最前線の一つが「保健所」だ。この間、大阪府内の保健所で働く保健師たちはどんな思いで対応してきたのか。【矢追健介】
【世界の5つの変異株】感染力、ワクチンの有効性は
保健所の業務内容は、赤ちゃんの健診や予防接種に加え、O157やHIV、結核といった感染症対策、難病支援、精神保健など幅広い。平常時から多忙を極めているが、そこにコロナが襲った。
府関係職員労働組合(府職労)は7月、保健師の声などをまとめた本「コロナ対応最前線 仕方ないからあきらめないへ」(日本機関紙出版センター、1100円)を出した。コロナ対策にあたった40代保健師の記事によると、朝5時半に起床し7時過ぎに家を出て、9時に勤務開始。終わるのは午前1時、家に着くのは2時だった。疫学調査や入院・宿泊療養・自宅療養の調整。療養者の健康観察をし、症状が悪化したら入院を調整する。クラスターを防ぐため、医療機関や福祉施設などへの感染症対策の支援もしたという。
感染が拡大するにつれ、コロナのために生活や通学ができなくなったり、必要な介護や医療などが受けられなくなったりした人が増えた。「コロナ以外の業務も増大。本庁は現場が必要としないシステムを投入して混乱を招き、業務はさらに膨大化。若手保健師が精神や体調不良を次々訴えた」
他の人たちの体験記も並ぶ。鳴り続ける電話に食事するのも難しい職員は多く、始発で帰る人、翌日の出勤時間まで残って仕事する人もいたようだ。
府職労の小松康則執行委員長は、オイルショック以降の地方財政危機による「行政改革路線」で、保健所の予算削減や再編が進められたと説明する。2000年には61カ所あった府内の保健所は現在18カ所だ。府内のある保健所長は「保健所には、結核対策ができたらいいという程度の体制しかなかった」と話した。
「このままでは救える命も救えなくなる」といった声が続々と届き、府職労は20年8月、保健所の人員を増やすキャンペーンを始めた。「職員を増やさず残業減らせと言われると、必要な仕事まで削らざるをえない」といった生の声をツイッターで紹介した。21年1月半ばに6万人を超えたオンライン署名を府に提出。「公務員は少ない方がいいという風潮の中、『府民の理解が得られない』などと断られてきたが、いま声を上げないと救える命も救えない」と増員を訴えた。
府は3月、人員計画を公表。危機管理室や健康医療部の定員を増やし、各保健所に保健師を1人ずつ増員した。しかし、直後の第4波では保健所はさらに逼迫(ひっぱく)し、自宅で亡くなる人が続出。府内保健所のある保健師は「人々に幸せな生活を送ってもらう使命のため、保健所で働いていた。なのに入院させられず、命を切ることに加担した。あれはトリアージだったし、医療は崩壊していた。無力感しかなく、自分が嫌だった」と振り返る。
現在、府内では新規感染者が2000人を超える日が続いている。府人事課によると、9月から府管轄の保健所9カ所に3人ずつ応援職員を配置。電話の受け付けやデータ入力など、保健師の仕事を支援する。小松執行委員長は「春以降、何度もお願いしていたことが実現した。保健所は逼迫しており、府民の命を守るためにさらなる増員を検討してほしい」と現場の声を代弁した。
278
学びがある
600
わかりやすい
315
新しい視点
2021年8月1日
新型コロナウイルス感染収束の切り札であるワクチン接種が、全国で着実に進んでいます。この間、政府を支え、対策を一貫してリードしてきたのが公明党です。その取り組みについて、北海道医療大学の浅香正博学長、長崎県島原市の古川隆三郎市長、NPO法人日本リザルツの白須紀子代表の3氏に語ってもらいました。
必要量確保
北海道医療大学学長 浅香正博氏
日本を救った国会質疑。メーカーとの交渉が加速
北海道医療大学学長 浅香正博氏
コロナとの闘いにおいて、日本はワクチンという心強い武器を手に入れました。北海道医療大学はコロナワクチンの職域接種を全国に先駆けて行い、8月6日までに学生と教職員の接種を終了予定です。これによって本大学はコロナ禍から脱出できます。
実はワクチンを巡っては、昨年夏の時点で、海外から必要量が手に入るかどうか分かりませんでした。一方、国産ワクチンの実用化は、少なくとも数年かかる見通しでした。
こうした中、われわれ医療関係者を驚かせる高品質のワクチンが開発されました。それが米ファイザー社製、米モデルナ社製、英アストラゼネカ社製の三つでした。先進国間で早速、争奪戦が始まりました。日本はこれら製薬メーカーとの交渉に出遅れましたが、幸いにして昨年7月、参院での公明質問を契機に、3社との交渉が一気に進んだのです。
公明議員の質問に対し、いなつ久厚生労働副大臣(当時、公明党)は「予備費の活用を含めて果断に進める」と。この答弁によって、ワクチン確保の道が切り開かれました。二人の質疑応答が日本を救ったと言っても過言ではありません。
公明党がいなかったら、政府が国産ワクチンにこだわり続けていたら、十分な量の海外製ワクチンを確保できず、最悪のシナリオもあり得たと思っています。
費用無料化
長崎県島原市長 古川隆三郎氏
経済的理由での未接種を防ぐ前例ない体制に感謝
長崎県島原市長 古川隆三郎氏
希望する国民全員が無料でワクチンを接種できるという前例のない体制となったことについて、感謝しています。当初、ワクチン接種の議論が進む中、接種を希望しながらも経済的な理由から受けられない市民が出るような事態はどうしても避けたいと思っていました。公明党は切実な現場の声を受け止め、昨年9月、接種費用を国が全額賄うよう政府へ提言するなど積極的に動いてくれました。
円滑な接種に向けては、副反応が不安だとの声が市民の中から寄せられていました。この点でも、地元の声を公明党の市議が国会議員につないでくれ、健康被害が出た際に十分な補償を行う救済制度が創設されました。
地元の課題に機敏に対応してくれたのも公明党です。ワクチン接種会場へ自力で移動が難しい人のためのタクシー活用や、クラスター(感染者集団)対策として高齢者施設の入所者と64歳以下の職員が一括接種できる仕組みづくりを巡っては、国からの支援も必要でした。公明党のネットワークで政府に要望を届けてくれたことから実現できる運びとなりました。
先が見通せない大変な状況の中で、最優先の一大行事となったワクチン接種。これを国と連携しつつ、きちんと前に進められているのは公明党のおかげです。徹底した現場主義を貫く公明党は、本当に頼りになる存在です。
途上国支援
NPO法人日本リザルツ代表 白須紀子氏
世界的な視野から人間の尊厳重視する政党と評価
NPO法人日本リザルツ代表 白須紀子氏
国際的なワクチン調達枠組み「COVAXファシリティー」により、自力での確保が難しかったアフリカなどの途上国にもワクチン供給が始まりました。日本は昨年9月、COVAXへの参加を先進国の中でいち早く表明。現在、約190カ国・地域が加入する流れを牽引しました。
政府のCOVAX参加の決断の裏には、山口那津男代表を先頭に公明党が一丸となって促してくれた活躍がありました。さらに今年6月に開かれたCOVAXワクチン・サミットでも、公明党の要望に沿う形で、菅義偉首相が途上国支援のため従来の2億ドルに加え、8億ドルの追加拠出を表明。公明党はまさに、世界的視野から人間として生きる尊厳を保障する「人間の安全保障」を重視する政党だと評価できます。
パンデミック(世界的流行)の終息に向けては、まだ課題があります。現在、流通するコロナワクチンは海外企業が開発した製品です。海外に依存したままでは、供給停止や今後懸念される国内変異株への対応に遅れが生じる可能性があります。日本は医・化学分野でノーベル賞受賞者を多数輩出した実力があるにもかかわらず、まだ国産ワクチンは承認されていません。全ての人が安全に暮らせるよう、1日も早く国産の優れたワクチンが供給できるよう、党を挙げて後押ししていただきたい。
取り組みの経緯
公明党は、国民全員分をカバーする海外製ワクチン確保の道筋を付けました。昨年7月の国会質問で公明党参院議員が確保の予算措置を強く求め、当時の、いなつ久厚生労働副大臣(公明党)が政府として初めて「予備費の活用」も含めて対応すると表明。出遅れていた政府と海外製薬メーカーの交渉が加速しました。
無料接種も公明党の主張が反映したものです。昨年12月に無料接種の根拠となる改正予防接種法、今年1月に必要経費を計上した2020年度第3次補正予算を成立させました。加えて接種後の健康被害に国の責任で十分な補償を行う救済制度が、公明党の主張で改正予防接種法に盛り込まれました。
一方、日本共産党と立憲民主党は、海外製ワクチンの承認にブレーキをかけるような主張を展開。特に共産党は、接種の体制整備や実施に不可欠な費用を計上した20年度第2次・3次補正予算の両方に主要会派で唯一反対しました。
8/30(月) 8:19配信
Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE
虎の怪物ルーキー佐藤輝明がスタメン落ち。9回代打で起用されたが三振に終わり25打席ヒット無しとなった(資料写真)
阪神がついに首位陥落した。阪神は29日、敵地のマツダスタジアムで行われた広島戦に0-5で敗れ、同日、2位の巨人、3位のヤクルトがそれぞれ勝利したため、ゲーム差では上回っているが、勝率で2チームに抜かれるという異例の現象が起きて4月4日の中日戦以来守ってきた首位から陥落、一気に3位となった。
首位の巨人ともマイナス0.5ゲーム差。日替わり首位交代、3強のV争いになる可能性が高くなってきたが、阪神にはズルズルいく危険な兆候が見え隠れしている。
「最終的に一番上にいることが大事」
幕切れは象徴的シーンだった。
5点ビハインドで迎えた9回。二死二、三塁となると、矢野監督は、スタメンを外した怪物ルーキーの佐藤を代打に送った。マウンドには、島内。フルカウントから高めに投じられた151キロのストレートにバットは空を切った。弱点とされている空振りゾーン。悩める佐藤の連続無安打は25打席となった。
0-5の完敗。
デーゲームで1.5ゲーム差だった2位、巨人が中日に勝ち、巨人と0.5ゲーム差の3位、ヤクルトが横浜DeNAに勝ったため、ゲーム差では阪神が上回るが、勝率で3位に転落するという珍現象が起きた。
実感を抱きにくい首位陥落だが、巨人と最大8ゲーム差をつけ4月4日以来、守っていたトップの座から一気に3位まで落ちることになった。
関西のスポーツ紙各社の報道によると矢野監督は、「最終的に一番上にいることが大事。こういうことは受け止めているし、別に気持ちが下がって落ち込む必要もない。前を向いてやっていくしかない。今までの自分たちの野球をどうやっていくかだと思う」とコメントしたという。
阪神は引き分け数が3しかないが、巨人が12、ヤクルトが11あるため勝率で抜かれた。ただ、勝ち星は阪神が55で巨人より5つも多い。単なる数字上の首位陥落で大ショックを受ける結果ではないのだが、後半戦の再開後、横浜DeNA、中日、広島というBクラスチームを相手に7勝8敗と苦戦しており、対広島3連敗の内容が悪すぎるのが問題だ。
首位陥落で浮かび上がった問題点は3つある。
一つ目、二つ目の問題点は初回に現れた。先発陣の崩壊と、昨年以来の課題の守備の乱れである。
カープキラーの“神通力”も通じなかった。秋山は、今季対広島戦5試合に投げて4勝0敗。防御率1.84で、昨季も昨6試合4勝0敗、防御率1.45と、2年越しにカープをカモにしてきたが、負ければ、首位陥落のプレッシャーのかかる試合の立ち上がりに“神話”は崩れた。
またミスからだった。ポンポンと2アウトをとってから、小園の一塁を襲うゴロにサンズの足が動かない。少しバウンドは変わったが、サンズはグラブだけで打球を処理しようとしてボールを後ろに弾いた。マルテ不在のための急造一塁手とはいえ、今季チーム66個目のエラーである。小園が二塁へ進むと打率を3割に乗せた鈴木誠也に、初球の外角へのカットボールをレフトスタンドに運ばれてしまった。
今季の鈴木が初球をフェアゾーンに打ったのは、全打席の7%に満たない。秋山―梅野バッテリーが、そのデータから「初球は打たない」と安易に考え、ストライクを取りにいったのかもしれないが、ここまで対秋山に打率.214と抑えられていたカープの4番打者が積極打法に切り替えてきても不思議ではなかった。
先制の19号2ランに動揺したのか、秋山は「ここからもう1回チャンスを作れるように」と打席に入った坂倉にも、2球目の137キロの外角低めのストレートをうまくバットに乗せられた。連続被弾。4試合連続でヒットが続き、打率4割近く打っている絶好調の坂倉に対して、続けてストライクを取りにいったのも不用意だった。
防げる失点を防いでいかねば勝てなくなる。100勝に王手をかけながら6度も失敗している西がいい例だろう。現在、先発ローテーで安定しているのは青柳一人。26日の横浜DeNAで好投したガンケルが光明だが、前日の谷間に抜擢したルーキーの村上は、3回5失点と炎上。二保、藤浪はファーム再調整となっていて、青柳、西、伊藤将、秋山、ガンケルに続く6枚目の先発候補がいない。
秋山は、その後、6回まで追加点を許さなかったが、打線がふるわない状況において重すぎる3点となった。投打のバランスが崩壊しているのだ。
3つ目の問題点は、その打線だ。
矢野監督は、2日連続でスタメンを入れ替えた。
前日の広島戦で今季初めて代打を送った佐藤をスタメンから外して2軍から上げたばかりの小野寺を抜擢、前々日に4番を外して打順降格ではなくベンチ要員とした大山を6番でラインナップに戻し、空白となった5番には糸原を起用した。
糸原も打撃不振で8月22日から5試合、木浪に取って代わられた。前日は、大山に代わって三塁でスタメン復帰し二塁打を含むマルチ安打を放っているが、6回二死一、二塁のチャンスにカウント2-2からワンバウンドのツーシームに誘われて三振に倒れた。粘り強さが糸原の持ち味だが、まだボールの見極めができていない。その糸原の5番起用は、無謀としか言いようがない。
広島は侍ジャパンを故障で辞退したベテランの會澤が1軍復帰してマスクをかぶったが、カープの先発左腕の床田が「頼もしかった」と最敬礼する好リードで不振の阪神打線を手玉に取った。ことごとく狙い球の裏をかかれ、ボールゾーンを有効に使われた。
會澤は気配を消すため、サインを出したコース、球種にそぐわない位置に、しかもギリギリにミットを構えるなどの細かい工夫までしていた。
矢野監督の采配は迷走していると言わざるをえない。
“優勝するための4番”に指名したはずの大山を前日にスタメンから外したかと思えば、1日で戻し、今度は、快進撃のヒーロー佐藤を今季4度目となるベンチスタートにした。矢野監督の采配の特徴として、左右の投手との相性を理由にするものがあるが、おそらく今回も左右先発に合わせて、不調の2人を下げたのだろうが、その荒療治も効果は生まなかった。大山の得点圏打率は1割台にまで下がり、出塁率は.287しかなく、佐藤は25打席連続無安打である。これでは打線が線にはならない。打線変更は必須だが、その動かし方に問題が残る。
この非常時に打線の軸となるマルテがいないのも不可解だ。
「寝違え」などの情報などもあり、チーム内部のことはよくわからないが、五輪中断期間を利用して帰国を許し、再来日した後の調整法に問題はなかったのか。そもそも帰国時に来日後の復帰プランを明確にマルテに伝えてあったのか。矢野監督のマネジメント能力が問われる部分だろう。
また矢野監督は、機動力を使うことのできる島田、熊谷、植田の3人を控えメンバーとしてベンチに入れているが、僅差のゲームでは機動力も有効だが、爆発力にはならない。この今の状況でのメンバー構成として最適かどうかも疑問だ。
明日からは甲子園に戻っての中日3連戦。大野、柳、小笠原の表ローテーを巨人にぶつけた中日が裏ローテーに入るのが幸いだが、3日からは、巨人との3連戦を控えている。そこまでにチーム状態をどこまで元に戻すことができるのか。しばらくは、巨人、ヤクルト、阪神の3強が、日替わりで首位交代という構図になるのだろうが、ひとつ間違えばおいてけぼりを食らう。矢野阪神は正念場を迎えている。