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リエンジニアリングの定義

2021年08月01日 11時36分06秒 | 沼田利根の言いたい放題

業務・組織・戦略をゼロから根本的に再構築すること。
時代遅れになったルールを破棄し、企業競争力の回復を図ること。

既存の業務の流れを根本的に見直し、必要な機能だけに絞って業務を徹底的に再設計する極めて劇的で大胆な経営改善手法。
従来の部分的な改革では実現できなかった大きな飛躍ができるほか、無駄の徹底的な排除をもたらす。

何が本質であるかを分析し、その結果基づき、改革を進めていくのでる。
教育の、その本質が何であるかが分析されていない。
人は幸福になるために教育を受ける。
校門も重い鉄の柵に圧殺された女子高校せいが居たが、教育が幸福のなるためなら、事故死は不幸意外の何もnでもない。
教師も教師の立場を真には、理解していなかったのだ。

ところで、ギャンブルは、本質的に金儲けにはならない。
競輪では、車券の的中が快感であり、スリルであるなら、それを味わえば良いのだ。
漕ぎだした小船をどう操るか、それが問題である。

 

言われてみれば、若いのにその人には、快活さがなかった。
一方、快活な先輩の幸恵は、悠然とした装いをしていた。
「トンコ、何時になったら快活になるの」と後輩の敏子を揶揄する。
心の発露が言葉にならないのか、敏子は常に片隅に居て物静かであり、もっぱら聞き役である。
筆圧の話となる。
シャープペンシルの芯を何本を折ってしまう敏子を見て、幸恵は「紙に芯が付き抜けちゃうみたいね」と呆れる。


創作 人生の計算 続9)

2021年08月01日 11時29分48秒 | 創作欄

奈良岡久は、母親との同居を前提に結婚した。
だが、結婚は夫婦二人だけの問題ではないことを思い知らされたのだ。
つまり、結婚するって、二人が良ければいいっていう問題じゃなく、親との関係性も関わってくる。
夫を戦病死で失った母親の稲子には、4歳の娘の良子と1歳の息子の久が遺された。

幸い昭和20年の東京大空襲は、東京・中野には被災が及ばず小さな庭付き平屋は残された。
美容師である稲子は、子ども二人のために必死に働いたが、1時期である男が出来た。
その男は、昭和24に開設された後楽園競輪に夢中となり、しばしば稲子に金をたかるようになる。
結局、諍いが絶えなくなり、稲子は3年後に男を見限った。
息子の久は秋田美人の母親に似て、貴公子然としていた。
結婚は、子離れ・親離れの機会であるのだが、娘の良子が17歳で自殺してしまったことも尾引いて、稲子は息子の久に依存するようなった。
その結果、息子の独立が寂しすぎて嫁の典子に嫉妬する。
皮肉なもので、実家での母親と典子の同居は6カ月で終わる。
「どちらを選ぶの」典子に迫れた久は、大学の弁論部の同期生の神山一郎の勧めて、彼が住む千葉県船橋のアパートに住むこことなる。
奈良岡久が川口雄介を実家に誘った背景を知ることになる。
「母親も寂しだろうから、たまには、実家に顔を出してやらないとね」奈良岡は母親思いの優しい性格であった。
サラ金で借金をしていた雄介は、奈良岡にそのことを明かした。
「困ったもんだね。君のために僕のアルバイトを譲るよ」
まさに地獄に仏でった。
アルバイトは、医薬品現金卸のレポートとドラックストアのレポート、さらに株関係のレポートなどだった。
それで、月額10万円の臨時収入となる。
だが、サラ金の返済に回ったのは半分の5万円で、残りは競馬に消えてしまう。
さらに、病院事務長の機関誌の編集で月に2万円を得ていたのだ。
100万のサラ金の借入額は1時、40万円まで減ったが、それも増えたり、減ったりの状態となる。
後にも先にも1度きりだが、競馬で120万円余の払い戻しをしたこともあったが、その金でサラ金を完済せず、更に増やそうと目論見、失敗に帰す。
奈良岡久は後年、専門新聞社のデスクとなったが「取材現場がいい」と退社して自ら通信社を起こす。
雄介は奈良岡の通信社でもアルバイトをした。
皮肉なもので、奈良岡が突然死をしたのを機に、雄介は競馬から離れたのだ。
雄介は奈良岡の中野の実家に泊った日のことが時々、思い出された。
17歳で自殺した姉良子の遺影が、彼の机にあった。
美しい女性であり、なぜ死を自ら選んだのかと想ってみた。
雄介の夜間高校の同期生の小山内千賀子も17歳の時、京王線の線路に飛び込んで死んでいた。
常に寂しそうな顔をしていた彼女のことが、雄介には何時までも忘れることができない。
「人生など計算できないものだ」それは雄介の感慨である。


創作 人生の計算 続 8)

2021年08月01日 01時42分31秒 | 創作欄

人生において、親友と認める友に邂逅することは、稀である。

想えば、川口雄介と奈良岡久とは偶然、幼い頃に同じ時代の空気を吸っていたのである。
雄介が小学生の頃に、多摩川で悲惨な事故があった。
川にまさか先が尖った太い木の杭が埋まっているとは、誰もが知る由もなかった。
そこに、小学校5年生の男子生徒が飛び込んで、文字どおり釘刺し状態となる。
水飛沫と同時に、血飛沫が上がり水面が真っ赤に染まった。
男子生徒は即死だった。
当時、雄介は3年生で、死んだ小学生は先輩であったのだ。
隣町の小学生に通っていた奈良岡久もその事故の目撃者の一人であったのだ。

後年、川口雄介と奈良岡久は都庁の記者クラブで出会い親しくなる。
ある日、雄介は奈良岡に誘われて有楽町のガード下の居酒屋で酒を飲む。
「ところで、川口君の育ちはどこなの」
「大田区で多摩川の丸子橋の近く、駅は東急多摩川線の沼部」
「沼部?近くだ」奈良岡は目を大きく見開く。
「そうなんだ!奇遇だね。小学校は東調布第一だった」雄介は驚く。
「俺は東調布第三小学校。夏は多摩川で泳いでいたよ。事故があってね。遊泳禁止になるまで・・・」彼は顔を曇らせた。
「あの時の事故を奈良岡君も知っているんだね。僕も目撃してしまった」
「川を染めた血飛沫は夢に何度も出て来てね」奈良岡はコップの酒をあおるように飲む。
彼はその日、17歳で自殺した姉のことも語る。
「狂気の血が流れていると思ってね。だから、子どもはいらない」彼は社内の同僚と恋愛結婚していた。
奈良岡はその夜、船橋の自宅アパートには帰らず、母親が独りで住む中野の実家へ雄介を誘った。
彼の父親は戦病死していて、中学を出ると町工場で働いたそうだ。
その後、夜間高校で学び大学は奨学金をもらい経済学部で学んだ。
学生時代は弁論部で頭角を表し、国会議員秘書を勤めた時期もあったが、政治分野よりジャーナリストの道を選ぶ。
競馬にハマった雄介が、奈良岡の記者仲間たちとスキーに行った夜、麻雀に誘われる。
生まれて初めの麻雀であった。
「こんな面白ゲームがあったのか」雄介は歓喜する。

 

 

 

 

 

 

 


クレサラ(クレジットカード会社・サラ金会社)っていつ頃からあるのですか?

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

質問者
クレサラ(クレジットカード会社・サラ金会社)っていつ頃からあるのですか?

司法書士
 日本では、昭和30年代から昭和40年頃にかけて、団地金融が後にいうサラリーマン金融(以下、「サラ金」という)として少しずつ浸透し始めた言われています。この当時はサラリーマン本人というより専業主婦のための貸金という側面が強かったようです。
2.いつ頃からサラリーマンに貸すようになった?


質問者
サラリーマンにお金を貸すようになったのは、いつ頃からなのですか?

司法書士
 昭和30年代は、専業主婦がメインだった個人への貸金ですが、昭和50年代には次第にサラリーマンや自営業者などへの貸付に移行していったとされています。この当時は、貸金業の規制等に関する法律(昭和58年法律第32号[同法は、平成18年法律第115号による改正により題名が「貸金業法」に変更された](以下、これを「旧貸金業法」といいます。)もなく、一般的な貸金利息は70%から100%程度の貸金業者がほとんどでした。
3.貸付利息は70%から100%だった


質問者
利息70%ということは、100万円を借りた場合には、年間の利息は70万円ということですか? そんなの返せるわけないじゃないですか!

司法書士
 はい。多くの人が返せなくなりました。通常、70%を超えるような金利を支払い続けることは困難です。その結果、支払いをするために借りるという多重債務状態を多く生み出すことになりました。そして、当然そのような自転車操業が長続きするわけはありません。すぐに、支払えなくなり、債権者からの厳しい取立てが開始することになります。
4.厳しい取り立て


質問者
昔は、取立が厳しかったと言われていますが、昭和30年代から昭和40年頃も取立ては厳しかったのですか?

司法書士
 はい。昭和30年代から昭和40年頃は、旧貸金業法による規制はもちろん、現在の貸金業法のような取立て時間の規制もなく、金利の規制は出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律(昭和29年法律第195号。以下、「出資法」といいます)のみでした。したがって、支払いが遅れると、待っているのは現在では考えられないような過酷な取立でした。このように、当時は、いわば無法地帯の状況の中で、社会に知られることもなくクレサラ被害は拡大していきました。

質問者
具体的には、当時は、どのような取立てが行われていましたか?

司法書士
 それは、現在の貸金業法21条を読むとわかります。

 具体的には、

①貸金業者は、夜中に、電話をしたり、FAXを送りつけたり、自宅に訪問をして取立てを行っていました。

②貸金業者は、嫌がらせのために、債務者の勤務先に電話をしたり、勤務先に訪問をして取立てを行っていました。

③貸金業者は、債務者の自宅や勤務先に訪問したら、返済をするまで、退去をしませんでした(居座っていました)。

④貸金業者は、債務者の自宅の玄関のドアに、「借金返せ!」などと、「はり紙」を貼ったり、立看板を置いたりして、近所の人にわかるようにして債務者に心理的な圧力をかけ、取立てを行っていました。

⑤貸金業者は、債務者に対し、「親族でも、友人でも他で金を借りてきて、金を返せ!」と恫喝などして、取立てを行っていました。

⑥貸金業者は、債務者の家族に対し、「おたくの旦那さんの借金は奥さんにも責任があるんだ!」などと恫喝して、債務者以外の家族から取立てを行っていました。(※借金は、家族であっても返済義務はありません。もっとも、亡くなったことにより、借金を相続することはあります。)

⑦貸金業者は、弁護士や司法書士から債務者への直接の取立行為をやめるように求められても、債務者へ直接連絡を取り、取立てを行っていました。

質問者
まるで、「闇金ウシジマくん」や「ナニワ金融道」の世界みたいですね…

司法書士
その2つのマンガに関しては、誇張している部分もあるとは思いますが、概ね昔はよくあった貸金業の姿を描いたものです(「闇金ウシジマくん」は現在も闇金として存在しておりますが…)。
貸金業法21条(取立て行為の規制)
(取立て行為の規制)第二十一条 貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、貸付けの契約に基づく債権の取立てをするに当たつて、人を威迫し、又は次に掲げる言動その他の人の私生活若しくは業務の平穏を害するような言動をしてはならない。

一 正当な理由がないのに、社会通念に照らし不適当と認められる時間帯として内閣府令で定める時間帯に、債務者等に電話をかけ、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は債務者等の居宅を訪問すること。

二 債務者等が弁済し、又は連絡し、若しくは連絡を受ける時期を申し出た場合において、その申出が社会通念に照らし相当であると認められないことその他の正当な理由がないのに、前号に規定する内閣府令で定める時間帯以外の時間帯に、債務者等に電話をかけ、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は債務者等の居宅を訪問すること。

三 正当な理由がないのに、債務者等の勤務先その他の居宅以外の場所に電話をかけ、電報を送達し、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は債務者等の勤務先その他の居宅以外の場所を訪問すること。

四 債務者等の居宅又は勤務先その他の債務者等を訪問した場所において、債務者等から当該場所から退去すべき旨の意思を示されたにもかかわらず、当該場所から退去しないこと。

五 はり紙、立看板その他何らの方法をもつてするを問わず、債務者の借入れに関する事実その他債務者等の私生活に関する事実を債務者等以外の者に明らかにすること。

六 債務者等に対し、債務者等以外の者からの金銭の借入れその他これに類する方法により貸付けの契約に基づく債務の弁済資金を調達することを要求すること。

七 債務者等以外の者に対し、債務者等に代わつて債務を弁済することを要求すること。

八 債務者等以外の者が債務者等の居所又は連絡先を知らせることその他の債権の取立てに協力することを拒否している場合において、更に債権の取立てに協力することを要求すること。

九 債務者等が、貸付けの契約に基づく債権に係る債務の処理を弁護士若しくは弁護士法人若しくは司法書士若しくは司法書士法人(以下この号において「弁護士等」という。)に委託し、又はその処理のため必要な裁判所における民事事件に関する手続をとり、弁護士等又は裁判所から書面によりその旨の通知があつた場合において、正当な理由がないのに、債務者等に対し、電話をかけ、電報を送達し、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は訪問する方法により、当該債務を弁済することを要求し、これに対し債務者等から直接要求しないよう求められたにもかかわらず、更にこれらの方法で当該債務を弁済することを要求すること。

十 債務者等に対し、前各号(第六号を除く。)のいずれかに掲げる言動をすることを告げること。

2 貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、債務者等に対し、支払を催告するために書面又はこれに代わる電磁的記録を送付するときは、内閣府令で定めるところにより、これに次に掲げる事項を記載し、又は記録しなければならない。

一 貸金業を営む者の商号、名称又は氏名及び住所並びに電話番号

二 当該書面又は電磁的記録を送付する者の氏名

三 契約年月日

四 貸付けの金額

五 貸付けの利率

六 支払の催告に係る債権の弁済期

七 支払を催告する金額

八 前各号に掲げるもののほか、内閣府令で定める事項

3 前項に定めるもののほか、貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、貸付けの契約に基づく債権の取立てをするに当たり、相手方の請求があつたときは、貸金業を営む者の商号、名称又は氏名及びその取立てを行う者の氏名その他内閣府令で定める事項を、内閣府令で定める方法により、その相手方に明らかにしなければならない。
第3 昭和57年頃から平成2年頃

1.多重債務問題(サラ金問題)が社会問題に


質問者
多重債務問題(サラ金問題)は、当時、マスコミでは騒がれなかったのですか?

司法書士
 昭和57年頃、マスコミが連日のように過酷な取立ての状況を報道していました。その結果、借金をしていない人でも多重債務問題(過酷な取立て、自殺者の増加、恫喝の被害実態)を知ることになり、多重債務問題(サラ金問題)は社会問題として、認知されるようになりました。
2.旧貸金業法の制定の功罪


質問者
多重債務問題(サラ金問題)が社会で認知されたのに、国(政府)は何もしなかったのですか?

司法書士
 多重債務問題(サラ金問題)が社会で認知されるようになった結果、旧貸金業法(貸金業の規制等に関する法律)が制定されることになりました。たしかに、この旧貸金業法には多重債務問題を抑える一定の効果はありました。しかし、この旧貸金業法は、利息制限法をいわゆる「ザル法」にしてしまいました。なぜならば、旧貸金業法には、貸金業界団体の強い意向で、「みなし弁済規定」が盛り込まれたからです。
3.旧貸金業法の「みなし弁済」とは


質問者
「みなし弁済」とは、どのような規定だったのですか?

司法書士
 みなし弁済とは、貸金業者が利息制限法所定の制限利率を超える利率の利息を受領したとしても、旧貸金業法43条所定の要件を満たす場合には、有効な利息の弁済があったものとみなすという制度です。本来、利息制限法で「利息制限法で定めた利率を超えた利息(制限超過利息)の契約は無効」となっています。したがって、仮に貸金業者がその制限超過利息を受領した場合には、その制限超過部分は元本に充当され、計算上元本が完済となった後も制限超過利息を受領すれば、法律上の原因がないものとなり、過払い金として消費者に返還しなければならなくなります。しかし,この「みなし弁済」が適用されると,本来無効であるはずの制限超過利息の受領が有効となってしまいます。

 そして、この「みなし弁済」が旧貸金業法で制定されることになると、貸金業者は、ほぼすべての貸付で「みなし弁済」を主張し始めました。旧貸金業法の「みなし弁済」が利息制限法を「ザル法」にしたのです。
4.なぜ「みなし弁済規定」は盛り込まれた?


質問者
「みなし弁済規定」には、だれも反対はしなかったのですか?

司法書士
 当時、最高裁判所により、利息制限法(昭和29年法律第100号)遵守の考え【債務者が利息制限法所定の制限をこえる金銭消費貸借上の利息、損害金を任意に支払つたときは、右制限をこえる部分は、民法第四九一条により、残存元本に充当されるものと解すべきである。】が示されており(最大判昭和39年11月18日民集18巻9号1868頁)、弁護士会を中心に強い反対意見がありました。しかし、当時の政治家は、貸金業界団体の強い意向を受け入れて、旧貸金業法に「みなし弁済規定」を盛り込みました。

質問者
なぜ、当時の政治家は、貸金業界団体の強い意向を受け入れて、旧貸金業法に「みなし弁済規定」を盛り込んだのですか?

司法書士
 それは、利益誘導政治という民主主義国家でよく起こる問題であり、最終的には、「選挙は大事」という話に繋がります。
5.当時の債務整理は自己破産が中心だった


質問者
当時の弁護士や司法書士は、貸金業者に対し、どのような対応をとっていたのでしょうか?

司法書士
 当時(昭和57年頃から平成2年頃)の債務整理は、旧破産法による破産(平成16年法律第75号による改正前の旧破産法)が中心でした。しかし、当時の貸金業者は、債務者が破産をしても、債務者本人に請求を続けていたようです。当時の弁護士や司法書士は、貸金業者に対し、あまりにも無力でした。

司法書士なかしま事務所


貸金業法改正運動③ 出資法の上限金利をめぐる動向

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

上限金利規制をめぐる動向 
 8月24日、金融庁では第19回貸金業制度等に関する懇談会が開催され、私は、日本司法書士会連合会の担当委員として傍聴に出かけた。開始30分前から傍聴席は満席となり、会場は立ち見の傍聴者や報道関係者で溢れ返っていた。この問題に対する各方面からの関心の高さが伺われる。
1 行政 
金融庁は、昨年3月30日、貸金業を取り巻くさまざまな制度に関する法改正のため、学識経験者や法曹、業界代表者等を委員とする「貸金業制度等に関する懇談会」(以下「懇談会」)を設置、多重債務者の発生や増大をいかに防止するかという共通認識の下で議論を重ね、本年4月21日、「座長としての中間整理」(座長・吉野直行慶応大学教授)を発表した。
中間整理で取り纏められた論点は、金利規制やグレーゾーンの問題に加え、過剰貸付け・多重債務の防止、契約・取立て等にかかる行為規制、参入規制・監督手法等、金融経済教育とカウンセリング等と多岐にわたる。
金利規制等について中間整理は「利息制限法の上限金利水準に向け、引き下げる方向で検討することが望ましいとの意見が委員の大勢」と指摘した。実は、本年3月頃まで、委員の大半は「日和見」状態であり、積極的に金利引下げを主張していたわけではない。むしろ、業界出身の委員により「金利規制の撤廃」「みなし弁済規定の存続」が未だ声高に叫ばれていたのである。それが、わずか1ヶ月の間に「引き下げ」へとドラスチックに転換した背景にはふたつの大きな要因があると指摘される。ひとつは4月14日に発表された「アイフル全店業務停止命令」であり、もうひとつは与謝野金融担当大臣並びに後藤田内閣府金融担当大臣政務官の両名が「引き下げ」実現に向けた強いリーダーシップを発揮し始めたのがこの頃なのだ。
2 司法 
グレーゾーンの誕生は、民事法である利息制限法と刑事法である出資法とで、異なる金利規制を設けたことに起因する。貸金業規制法が制定されたのは昭和58年、「第一次サラ金パニック」と呼ばれた時代のことである。規制という「ムチ」を課される業界の猛反発を交わすため、グレーソーンという「アメ」を与えた立法の過ちは、ノルマ至上主義という業界の体質とも相まって、高金利・過剰融資・過酷な取立てという「サラ金三悪」を社会に蔓延させたのだ。
グレーゾーンに最初にNOを突きつけたのは司法であった。最高裁判所は、平成16年2月20日に「利息制限法の厳格解釈」を宣言して以降今日まで、一貫してみなし弁済の成立を主張する貸金業者の訴えを退け、利息制限法を超える利息の取得を否定し続けたのである。もはや、みなし弁済規定を定めた貸金業規制法43条は、その存在意義を失ったと言っても過言ではない。
3 立法 
司法で勝ち、行政でも「委員の大勢」によって利息制限法まで引き下げと結論付けられた金利規制は、本年5月、優勢な状態を保ちつつ立法府へと議論の舞台が移された。しかし、事態は私たちに休息を許さなかった。業界団体の顧問に就任し、業界から政治献金を受け取っていると囁かれる某有力議員を中心に、「規制撤廃・金利引き上げ」を目指す超党派の団体結成が画策されたのだ。
この時点では、積極的に「引き下げ」を主張する自民党議員はまだまだ少数であった。「国を動かすのは地方と世論」という信念の下、私たちは日本弁護士会連合会やクレジット・サラ金問題対策協議会と連動し、街頭署名や全国キャラバン活動、全国各地での集会やデモ行進、地方議会に対する金利引き下げやみなし弁済撤廃を求める国への意見書採択の要請活動等、大々的な運動に精力的に取り組んだ。運動の輪は法律実務家や被害者団体に留まらず、消費者団体や労働団体にまで広がりを見せた。その一方で、国会議員へのロビー活動も着々と進められたが、業界の政治力は私たちを凌駕するほど熾烈を極めたとの報告もあり、予断を許さない状況が続いた。
自民党が公式に立場を示したのは6月15日のこと。党内に設置された「金融調査会・貸金業制度等に関する小委員会」で、出資法の上限金利を利息制限法の利率に一本化する旨のおおむねの合意が成立、7月6日には、自民党金融調査会と公明党金融問題調査委員会との与党連名による「貸金業制度等の改革に関する基本的考え方」(以下、「与党案」)が示され、グレーゾーンの廃止と、出資法の上限金利を利息制限法の金利水準に引き下げる方針が打ち出され、早ければ、今秋の臨時国会で法改正が実現される見込みとなった。
4 残された課題 
懇談会は4月の中間整理発表後は中断されていたが、与党両党の要請を受け、与党案に対する詳細な検討を加えるため、7月27日に再開された。冒頭の第19回懇談会は再開後の2回目。与党案に対する第18回懇談会での委員からの意見を踏まえ、金融庁から「検討状況」が示されたのだ。
グレーゾーン廃止、出資法金利と利息制限法金利の一本化の2点については、ほぼ合意に達している。残された課題は、①短期小口貸付けに対する特例金利の設定、②出資法金利の具体的な定め方(利息制限法同様15~20%とするのか、一律20%とするのか)③グレーソーン廃止・金利引き下げの施行時期の3点である。
①は、短期小口の資金需要が高いことから、一定の要件を具備した貸付けについて、利息制限法を超過する利息の取得を認めろとする業界側の主張だ。しかし、「高い」とされる資金需要の例が思い浮かばない。「旅先での手許不如意」等が挙げられることもあるが、極めてレアケースであり、特例を認めるほどの要請があるとは到底考えられない。懇談会でも、業界出身の委員以外はほぼ全員が「特例否定」を明確に示している。昭和58年の過ちは、2度と繰り返されてはならないのだ。
②は、出資法が刑罰金利を定める性質上、犯罪を構成するか否かを明確にするためにも20%に統一すべきとの主張だ。しかしこれも、10万円以上の貸付け(利息制限法では15~18%が上限)についてグレーゾーンと同様の不透明な「隙間」を生むことになり、過ちの繰り返しに繋がりかねない。そもそも、15・18・20という数字の違いが、犯罪か否かの判断の際にどれだけの不明瞭さを生じさせるのか、甚だ疑問である。
③は、グレーゾーン廃止・金利引き下げによる「激変緩和」(金融庁)を目的とするため、一定の経過措置を設けるべきとのこと。しかし、現に複数のカード会社が、引き下げ後を見据え、キャッシング金利を利息制限法の範囲内に自主的に引き下げているように、「引き下げ」は貸金業界を含んだ各方面において十分に予測され、準備されつつある合意事項だ。「激変」の生じる余地は少ない。
なお、紙面の関係で金利問題だけを取り上げたが、懇談会で議論されているその他の項目も、ぜひご一読頂きたい(http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kasikin/siryou/20060824/19-01.pdf)。
5 例外なき金利引き下げを! 
第19回懇談会の翌25日、与謝野大臣は「制度が移行する場合、緩やかに関係者が対応できる措置が必要」と会見し、時限付き特例金利を容認する意向を示した。「引き下げ」の牽引役であった大臣の発言であるため、大きな波紋を呼んでいる。
敵は国内の業界だけではない。日本の貸金業界へ参入しているGEキャピタル(レイク)・シティグループ(CFJ)の要請を受けた米国金融機関等が与謝野大臣宛てに引き下げ反対の書簡を送ったほか、米国財務省も非公式ながら日本政府に見直しを打診しているそうであり、外圧との闘いもある。秋の国会審議まで、まだまだ気の抜けない日々が続くことだろう。 
本稿が読者皆様のお手許に届く頃、金利情勢はどうなっているのだろうか?多重債務者救済の現場に携わる者として、共に「例外なき金利引き下げ」の実現に向けた運動に力を注ごうではありませんか。

司法書士法人浜松総合事務所


借金問題と利息の法定上限の歴史

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

サラ金の問題は、利息の上限の改正と密接に関連しています。
つまり、「借金地獄」などと言われる、厳しいサラ金の取り立てや、借金を苦にした自殺などの増加が社会問題となると、問題解決のための方策として、高金利を改めるべきという声が高まります。
そして、法律が改正され、利息の上限が下がるということになっていくのです。

具体的には、昭和58年に、第1次サラ金パニックと言われる社会問題に対応するため、上限金利の段階的引下げがなされました。
改正により、年109.5%であった出資法の上限金利が、40.004%まで下がることとなりました。

そして、平成11年には、商工ローンの大手の日栄の強硬な取り立てが社会問題となり、さらに上限金利が引き下げられました。この改正により、年29.2%が上限となりました。

この年29.2%の時代は長く続きましたが、平成22年、多重債務が社会問題化し、グレーゾーン金利の存在も問題視され、みなし弁済規定を空文化する最高裁判例が示されたことなどをうけ、またもや上限金利が改正されました。これによって、出資法の上限金利が、貸付額に応じ15%~20%と、利息制限法と同一の水準となりました。


消費者破産とマスコミの責任

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

【消費者破産の現状】

 平成11年の全国の破産申立件数は、ついに12万件を超え、12万2741件にも達しました。この件数の中には、法人や事業者の破産も含まれますが、その大半は消費者破産と言われる個人の自己破産です。
 消費者破産の原因の圧倒的多数は、生活費の不足を貸金業者(いわゆるサラ金)やクレジットカードによるキャッシングにより借り入れ賄うことから始まります。最近の消費者破産の急増は、若年層の安易な借り入れによるものが原因で、その使途は遊興費や、ギャンブル等に費消されているかのように考えられていますが、これは明らかに誤った見方です。
 確かに破産者の中には、遊興費や、ギャンブル等のために借り入れを繰り返し、破産に至るケースもありますが、それは極々少数であって、日常この種の事件を多数手掛けている筆者の経験によれば、圧倒的多数は、生活費の不足から多重債務に陥り、やがては自己破産に至るケースであり、年齢も若年層に限らず、各年齢層に及んでいます。
 筆者が相談を受けている経験から、消費者破産に至るケースを振り返ってみると、多重債務に至るきっかけとなる最初の借入れ原因は、妻の妊娠、家族の病気・怪我・交通事故、失業・転職、保証債務の支払い等による家計収入の減少や予定外の出費と様々です。しかしここで共通していることは、生活費の余裕の無さと金融知識の乏しさです。
 したがって、このトラブル(妊娠はトラブルではないが)発生による突然の出費に対して、貸金業者を利用してしまうのです。定期預金の一年ものの利率が年0.2%の時代に年30%近い金利で借り入れをしてしまうのです。

この時、貸金業者は極めて簡単な審査で貸し付け実行し、借り手としても面倒な手続きは殆どありません。何故なら貸金業者は、無差別に融資(過剰融資)をしているからです。
 年30%の金利でも、借入れ額が1社で30万円の場合には、金利月額7500円で、月々1万5000円を返済していけば、長期の返済にはなりますが、やがて完済することができます(28ヶ月乃至29ヶ月にて完済に至る、ちなみに同じ条件で利率のみ年5%にすると21ヶ月で完済に至る)。
 しかしながら、元々生活に余裕があったわけではなく、最初の借入れに至るトラブル発生以前においても、生活していくのに精一杯の収入であったのですから、最初の数ヶ月は、食費を切りつめたり、アルバイトをして返済資金を捻出しますが、それも長続きは難しく、ついには返済に行き詰まることとなります。この時借り手側がとる手段は、借入れ額の増額または他の貸金業者からの借入れによる返済資金の調達です。借入れ額の増額は貸金業者からの勧誘によることも少なくありません。
 この頃借り手は、借り入れ金の総額が、高額ではないため充分に返済できると考えていますが、支払い利息や収入金額から客観的に判断すると、この時点で既に法的対処を必要とするものが多くあります。以降はこの繰り返しにより借り入れ金額を、徐々に徐々に増加させ、やがては雪ダルマ式に借入れ額を増加させ、ついには月々の返済金額が、収入金額を超えるほどに増加し、自己破産に至ります。400万円を貸金業者会社から借入れ、この利率が平均年30%とすれば、月々の利息金額だけでも10万円にもなります

【第一次サラ金パニックから今日まで】

 さて先の12万2741件が如何に異常な数字であるかは、第一次サラ金パニックといわれた昭和50年代との比較で明らかになります。第一次サラ金パニックといえば、貸金業者への多額の負債と、貸金業者の過酷な取り立てのため、自殺者や夜逃げをする者が続発し社会問題となった時期でもあり、記憶をされている読者もいると思われます。この昭和50年代でも、最高は昭和59年の2万6384件です。 
 この時期にはマスコミ各社も一斉にこうした貸金業者の営業姿勢を批判し、「サラ金」という呼称は、この頃社会一般に認識されるに至りました。つまりサラリーマンが借り入れをすることができる金融会社、これを短縮して「サラ金」となったわけですが、貸金業者は、この「サラ金」という呼称を使うことをきわめて嫌います。なぜなら貸金業者自身が作り上げてしまった昭和50年代後半の、貸金業者のダーティーなマイナスイメージを払拭したいためですが、それは同時に彼ら自身の生い立ちの自己否定でもあります。
 貸金業者の営業姿勢は、その後今日まで本質的な部分では、何も変わることなく続いています。「サラ金」という言葉にマイナスのイメージがあるとすれば、それは彼ら自身の営業姿勢により是正されなくてはならないものであろうと考えます。
 その後破産申立件数は、昭和58年のいわゆるサラ金二法といわれる「貸金業の規制等に関する法律」「出資の受け入れ、預り金及び金利等の取締に関する法律」の施行により一時沈静化された感もありましが、平成3年に再び2万件を超え、平成4年には4万件を超えるという異常な数字を記録し、その後数年は4万件台を推移してきましたが、平成8年 5万6802件、平成9年 7万1299件と記録を更新しつづけました。平成10年にはついに10万件を突破し10万3803件、そして、平成11年の前記件数に至ったものです。

【毎年1000人に一人の割合で破産】

 日本の総人口は、総務庁統計局発表(平成10年3月1日現在)によると1億2622万人であり、このうち20歳未満の2716万人を除外すると、成人は9906万人となりますので、平成10年以降は成人1000人に1人以上の割合で毎年破産申し立てをしていることになります。皆さんの市町村の人口から、破産申立件数を計算してみてください、その数の異常さを実感するものと思います。
 この破産申立件数の増大は、長引く不況の影響も否定できませんが、貸金業者のイメージ戦略によるところが大きいと考えられます。すなわち無人契約機による借りやすさ、有名女優やタレントを起用したコマーシャル攻勢により、貸金業者のもつ「高金利」「過剰融資」「過酷な取り立て」というマイナスイメージを隠蔽し、貸し出し口数を増加させてきたことによるものと考えられます。
 これだけ多数の破産者が日々次々に発生しているわけですが、貸金業者にとっては、破産はすなわち貸し倒れを意味することになり、彼らの経営状態にも深刻な影響を及ぼすのではとの疑問もありますが、平成11年3月期の貸金業者大手三社の決算概要によれば、経常利益は武富士1800億円、アコムの1274億円、プロミスの882億円と何れも史上空前の利益を計上しています。また前記三社の貸倒償却率をみても、無担保融資分は何れも2パーセント台前半と銀行等よりも低い率を維持しています。貸倒率が高いが故に認められてきた高金利も、この貸倒率から判断すれば、暴利であると言っても言い過ぎではありません。

【消費者教育もコマーシャル攻勢の前では無力である】

 消費者破産の抑制の議論の中で、よく聞かれるものが消費者教育の充実という意見ですが、消費者破産の抑制に消費者教育は一定の効果はあると思われますが、質と量によって限界があり多くは期待できません。つまり消費者教育には、質的・量的に限界があるため、今日のように、貸金業者の大量のコマーシャル攻勢の前では無力にならざるを得ません。特にテレビコマーシャルの問題は、これを一層深刻なものとしています。テレビコマーシャルにより、耳に入りやすいフレ―ズの連呼により、無意識のうちに視聴者の脳の奥深くに入り込んでいきます。
 皆さんの中にも、何気なく口づさんでいたフレーズが貸金業者のものであったことはないでしょうか。
さらに極めて深刻な問題は今日生まれたばかりの赤ちゃんは、今後貸金業者のテレビコマーシャルを見聞きしながら成長していきますので、貸金業者から借入れをすることに何の抵抗も示さなくなることです。高利の資金を借入れるという緊張感は起きなくなるものと思われます。
 最近ではゴールデンタイムにも貸金業者は、番組提供スポンサーとして登場し、貸金業者のテレビコマーシャルを見聞きしない日は無いまでに至っています。数年前までは貸金業者のテレビコマーシャルは存在しませんでしたし、テレビに登場した当初は、深夜等に限定されていました。また大手新聞4社も平成6年までは、貸金業者の広告を掲載していませんでした。
 テレビ・新聞にとっての広告収入は欠くことができない収入源であり長引く不況の中、優良企業が広告費を削減する中、彼らマスコミにとっても、貸金業者は無視することができないほど強大な組織となったのです。

【マスコミは社会問題を増幅させている】

 貸金業者は「貸金業の規制等に関する法律」により認められた営業であり、貸金業を営むことのみをもって彼らを批判することは正しくなく、彼らを必要としている人たちもいることは事実です。しかしながら、何らかの理由により貸金業者等からの借り入れを始め、その後も借りれを繰り返さざるを得ない状況に追い込まれ、結果として年間12万人もの人達が破産申立をするという現実の状況を見たとき、彼らによって社会問題が創出されていると言わざるを得ません。
 破産者に対して、彼らの生活態度や金銭感覚の無さを責め、彼らを非難することは簡単です。しかし本当に問題としなくてはならないことは、彼らのような破産者を日々創出する社会のシステムが創り上げられてしまっていることです。彼らに対して簡単な審査のみで過剰な融資を繰り返し、そこから膨大な利益を上げる存在ではないでしょうか。
 そして、こうした社会問題をいち早く知り得る立場にあり、市民のため社会問題を摘発し、広く市民に知らしめる使命を負ったマスコミが、自らの広告収入のため、結果として社会問題を創出している貸金業者の広告を掲載、放送していることは、マスコミが社会問題を増幅していることなります。こうしたマスコミの姿勢に対してに強い怒りを感じると共に、マスコミ各社に対して猛省を求めます。

【静岡県司法書士会会報「HO2」VOL.87(平成10年10月1日発行)に掲載したものを一部修正しました。平成12年11月21日】

 


多重債務の構造的背景

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

一 貸 し手 ・借 り手 ・自己破産の統計分析一
大 山 小 夜

京都社会学年報 : KJS (1997), 5: 195-214

は じめに
負債 をめ ぐる家計 問題が戦後 の 日本で初 めて社会問題化 したの は、1970年 代 末 か ら1980年代 前半 にかけての こ とであ る。
 当時 「サ ラ金パニ ック」 と呼 ばれた この 問題 は、消費者金融業 者 に よる過 剰融 資 、高 金利 、過剰取 立(「 サ ラ金 三悪」)の 実態 が明 らか に され、「貸金 業規制 法」 の制 定 と 「出資法」 改 正 とい う法 整備 に よ って 、 ひ とまず幕 を閉 じた。
次 に負 債 をめ ぐる家計問題 が社 会の 関心 を集め たのは、1990年 代 に入 ってか らの ことである。
 クレジ ッ トカー ドやキ ャ ッシングカー ドの普及の結果 、多重債務 者や 自己破 産者が急増 した と して、再び社 会問題化 したので ある。
例 えば斎藤学 は、ア メ リカのセ ラ ピス ト、キ ャロ リン ・ウェ ッソンの著 書 を1992年 に翻訳 し、 日本 に 「買い物依存症」 とい う言葉 を紹介 した(Wesson,1990)。 
その後 、過剰消費 する個人 の姿 が様 々な局 面か ら浮 き彫 りに され るよ うにな る。時期 を相前後 して 「カード破 産」 とい う言葉が もて はや され、 ク レジ ッ トカー ドやキ ャ ッシ ングカー ドの普及 したい わゆる 「.カー ド社会」 に対 して過度 に適応 しようとす る個 人の病理 的側 面が 、多重債務や 自己破 産の要 因 と して注 目される ようになる。
また最近 では1997年 に、経 済学者 である西村隆男 が 「クレジ ッ トカ ウンセ リング」 と題す る著著 を出 した。
 この本 の中で彼 は、 アメ リカや フラ ンスで行 われ てい るク レジ ッ ト教育や家計管 理方法 、 日本の現状 を紹 介す る。 さ らに、 日本 におけ る多重債 務者の生 活再 建と、多重債 務の予 防策 と しての消費者教 育 に可能性 を求め、消費 者教育 の制度 化 も射程 に入 れて論 じてい る。 
この本 は、消 費者信用 の利用者 を専 門的 に扱 うカウ ンセ リングに関 して 日本 で初 めて体系的 な提 言 を行 った。 これ を機会 に、多重債務者 に関す るカ ウンセ リングや クレジ ッ ト教育 に関す る議論 の さらなる展 開が期待 され ている。
「サ ラ金パ ニ ック」 として負債が社 会問題 化 した第一期 で は貸 し手 の側が注 目 され たのに対 して、最近 の第二期 の一連 の研究 で は借 り手の側 に焦 点 を定 めた ものが多 い。

「買 い物依存 症」や 「カー ド破 産」 あ るいは 「カウ ンセ リング」 とい う切 り口か らの研究 は、 人京都社会学年報 第5号(1997)
i 大山 多重債務の構造的背景
負債 をめ ぐる問題 を個 人的側 面 か ら論 じた研 究 といえ るであ ろ う。

しか し他方 で 、負債 をめ ぐる問題状 況が個 人的次元 にお いてのみ論 じられ るこ とに なれ ば、 この 問題 を導い た他 の諸 要因、 と りわ け社会 的次元 における構造 的要因が後景 に押 しや られて しまうこ
とにな りかね ない。
本稿 の 目的 は、 多重 債務者や 自己破産者 の増 加 とい う問題状況 が顕 在化 す る現在 の 日本社 会の全体像 を描 くことにある。

ここで は既存 の統計 デ ータを解 読す るこ とによって、増加す る多 重債 務者 や 自己破産者 を取 り巻 いてい る社会 の一般 的状 況 を明 らか に したい と考える。

もちろん、 ミクロ ・レベ ルでの接近 や質的 な接近 も必要 であ るが 、それ らの試 みは稿 を改め て論 じたい。彼 らを取 り巻 く一般 的状 況 を数値 と して明確 に してお くことが、今後個 別的 なケース を扱 った り問題 要因 を特定 してい く時 の下地 になる と考 えるのであ る。
本稿 の構成 は次 の通 りで あ る。 貸 し手 に関す る状況(1節)、 借 り手の 家計状 況(2節)、
そ してそ の二 つの状況 とパ ラ レルな関係 にあ る 自己破産 の状 況(3節)、 の三点 に絞 り、 それ らの動向 をマ クロな水準 にお いて量的 に明 らか にす る。用 い る統計 デ ー タは、 「日本 の消費者信用統計」(日 本 クレジ ッ ト産業協会)、 「国民経 済計 算年報1(総 務庁)・ 「家計調査
年 蜘(経 済企 画庁)、 「司法統計 年報 民事 ・行 政編」(最 高裁判 所事務総局)か ら入手 している1>。

いずれ も毎年発行 されてお り、一般 に入手可能 な統計書 である。最後 に、量的 に明 らか に され た一般 的状 況 をふ まえた上で債務研 究 の今 後の方向性 を示す(4節)。
1貸 し手の状況
現 代 の消 費者信 用
消費行動 において用 い られる意味 での 「信用」(credit)と は、商 品 ・サ ー ビスの受 け取りが支払 い に先立 って行 われ る場 合、 商品 ・サ ー ビス を与 え る側 が取 引 の相 手 に対 して、金 を支払 うだろう とい う信頼 を指す。

言 い換 えれば、消費者信用 とは、貸 し手(creditor)
が消費 者 に信用 を供 与 して資 金 を調達 する こと、 つ ま り消費 者の信用 を最 大の担保 と した金融 の ことで あ り、 ク レジ ッ トあ るいは ローン と言 われ る ものであ る。消 費者信用 は販売信用 と消費者金融 に分 け られる。

販売信 用 とは商 品やサ ー ビス を購入 する際 に一括 払いや
分割払 い とい う形 態で資金 を調達す る ものであ り、消 費者金 融は資金 自体 を調達 する もので ある2)。
販売信用 の歴史 をふ りか えってみ ると、 日本で は19世 紀初 頭 に伊予 国桜井村 で始 まった「椀舟」 が起源 だ とされて いる。舟で紀州 か ら肥後 まで漆器や 陶器 を節季 払いで行商 したのがそ のは じま りであ る。

他方 の消費者 金融につ いては、室 町時代 の 日銭屋 、庶民 自身 に
よる頼母子 講 な どに原 型 をみる ことが で きる。
Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997
大山 多重債務の構造的背景 197
消費者信用 を厳密 に定 義す るの は難 しい。 ク レジ ッ トと債務社 会 につ いて論 じた イギ リスの社 会学者 フォー ド3)が述べ るように、 ク レジ ッ トすなわ ち信用 は取引 の誕生 とともに存在 してい たか らである(Ford,1988:12)。

けれ ども、今 日の信用 システ ム とかつ てのその前身 を大 き く分かつ基 準 と して次の よ うな ものが役 立つ だろ う。す なわち、貸 し借 り関係 が、既存 の社会的 関係 を個 人間で利用 する ことに よって成立 して いるか どうか、 とい う基 準で ある。

フ ォー ドは今 日の信 用 システム とか つての金 の貸 し借 り関係 を次の よ うに区別 す る。

かつての金 の貸 し借 りは既存 の社 会的関係 を基盤 とし、 「気 ま ぐれで、不定期 で、組織 化 されてお らず、個 々人 の連 な りに よって行 われ、時 には密 か に、近 隣間でや りと りされた」 とい う。

他方 、今 日の信 用 システムは既存 の社会的 関係 に依存せ ずに 「継続 的で定期 的で組織 化 され てお り、増加 する没個 人的 な ものの連 な りに よって行 われ、 しば しば個 々人 と諸制度 との 間の可視的 で官僚的 な もの」 として特 徴づ け られる。
その ように考 えれ ば、 先 に述べ た 日本の消 費者信用 の前 身 は、既存 の社会 的関係の延長線 上で貸 し借 りが行 われてい たこ とに よって特 徴づ け られ るだろ う。

本稿 で扱 う現代 の消費 者信 用 とは、血縁関係 や地縁 関係 や社縁 関係 といった先在す る社 会的 関係 を利用 して供与 される信用 ではな く、 システマ テ ィックに継続的 に与 えられ る制度 と しての信 用である。
1-1「 信用 統計 」 か らみ た貸 し手 の状 況
現代 の消費者信 用は、戦後 と りわけ1970年 代以 降急速 に成長 を遂 げた。 したが って、消費 者信 用 は官庁統 計の整備 が最 も立 ち遅れ ている領域 の一つで ある。

それ を補足 す る ものとして、 日本 ク レジッ ト産業協 会が編 纂 している 「日本 の消 費者信用統計 」(以 下、 「信用統計」 と記す)が 非常 に役 立つ。現 在、 「信 用統計 」 は 日本の消 費者信用産業 その ものの実態 を総合的 に報告 した唯 一の統計 書で ある。

しか しなが ら、 この統 計書が創刊 され たのは1978年 のため、 日本 の消 費者信用 産業の趨勢 を体 系的 に知 る ことがで きるのは ここ30余年 間に限 られ てい る。
「信用統計 」 は、消 費者信用 産業 を所 轄す る通 商産業省 の産業政策局 消費経済課 監修のもと、 当時 の 「社団法 人 日本割賦協会」 が1965年 以降の関係資 料 を系統的 に整備 して1978年 に創刊 された。1978年 は、消 費者信用 産業が 「サ ラ金パニ ック」 の首 謀者 と して糾 弾 さ
れ た年 であ る。

この統 計書創刊 の経緯 につ いて、当時の通 産省 産業政策 局消費経 済課長である佐藤剛男 は、 当時の社会状況 に言及 して次の ように述べ ている。消費者信用産業 は1950年代 、60年 代 におけ る耐久消 費財 の大衆 化 を契機 に飛躍的 な発展 を遂 げ、その後 も拡 大成長 す ると考 え られ る。

しか しなが ら、 「貨 幣信 用 の急 速 な発展 、信 用販売形 態の多様化 等
今 後の消費者信 用取引 の行 方 に影 響 を与 えるであ ろ う徴 候が現 れて きて お り、今後消 費者信用取 引 に構造 的変動が起 こるこ とが予想 され る」。 ところが それ まで は消 費者信用取 引
京都社会学年報 第5号(1997)
iss 大山:多 重債務の構造的背景
に関す る全体 的、包括 的資料が なか った。 そ こで、 同省 同局の消費者信 用班 の企 画 と監修の もとに、 日本割賦協会 よ り消費者信用統計年報 を発刊 する に至 った とい う(佐 藤 剛男 「監修 にあた って」 「消費者信用統計 」78年 版)。 以来、 「信用統計」 は少 しずつ内容 も拡充 さ
れ統計 分類 も整備 されつつ、毎年発行 されて今 日に至 る。
最 初 に、 この産業 の成 長の概要 をみてお こ う。

創刊号 か ら知 るこ とので きる最 も古 い年(1965年)に おけ る消費者信 用の新規信 用供 与額 、すな わちその年に新 たに消 費者 に供与
された信用 額 は1兆160億 円4)であ った。

そ の後1975年 には10兆3722億 円 、1985年 には34兆7085億 円、1995年 には72兆8595億 円 に膨れ上が る。 つ ま りここ30年 間で消 費者信 用産業 の市場 は約70倍 に拡大 したこ とに なる。
次 に消 費者信用 産業が 国内にお いて生産 され た財 とサ ー ビスの総額 に対 して どの程度の割合 を占めているのか を示 してお こ う。1995年 、 日本の 国内総 生産(GDP)は482.9兆 円であ った。

一方、同年消費者信用産業 から信用供与 され た金額 は72.9兆 円で ある。 したが っ
て 、この年の消費者 信用供与 額の対GDP比 は15%で あ り、 この金額 はち ょう ど日本 の国家予算 額 に匹敵 する。
「信 用統計」 には消費者信 用産業 に関す る資料 が多 く掲載 されて いるので、様 々 な角度か ら膨 大 な これ らの デー タを加工す る ことが で きる。 ここでは特 に、現代 の消費者信 用が社 会に どれ だけ浸透 しているのか とい うことに分析 の焦点 を限 った場合 、次の二点 が読み
とれる。
(1)与 信 額 の増 大
第一 に与信額の増大があげ られる。 「与信」 とは信用 を供与す るこ とであ り、 「与信額」とは与 信 に よって調達、融通 され た金額 の こ とをい う。新規与信 額の 内訳 につ いて述べ て
お こう。

1995年 の与信額 は総 額72兆8595億 円で、この うち4割 は販売信用 、残 りの6割 は消費者金 融 による。次 にそ の年 におけ る消 費者の未 返済総額(「 与信残高」)を 示 そ う。

1は 与信残 高の推 移 を表 してい る。 「第 一次 サ ラ金 パニ ック」 の只 中にある1978年 は11兆2085億 円、次 いで 「第二次サ ラ金パ ニ シク」 が頂点 に達 した1983年 は23兆4208億 円、最 近
(1995年)で は74兆8005億 円 となっている。

つ ま り貸 し手の側 の統計 デー タか ら判 断すると、現在 、 「第一次サ ラ金パニ ック」 時の7倍 、 「第二次サ ラ金 パニ ック」 時の3倍 に相 当す る金 を、消 費者 は未だ返済 してい ない こ とになる。
(2)「 総 サ ラ金化 現象 」5)
次 に注 目するの は、急 増す る消 費者信用 の内訳 であ る(図1を 参 照)。
Kyoto Journal of Sociology V/December. 1997
大:山 多重債務の構造的背景 199
図1与 信残高(消 費者の未返済金額)の 推移
?肖誓を・者`金 陪虫
貝反う}己イま・書1.目

づ∫の販売信 用の 与・信残 高 は比 較的緩や かに成長 してい るの に対 して、他 方の消 費者金融 は、 と くに1970年 代 末頃か ら伸 びが激 しい.、したが って 、近年の消費者信 用の成長 は実質一L消費 者金融 に よって 支え られ ている と詫って よい、1990年 代 以降 、販売信 用 と消費 者金融の割 合 はほ ぼ安 定 に向 かって いる。

1995年 の与信 残高 の総額 は74兆8005億[.IJで あるが、 この うち2害1Jを販売信用 が占め 、残 りの8割 を消費者 金融 が 占め る。

さらに、消 費者金融の7害1Jを占め る無担 保の消 費者 ロー ンは年利20%か ら40%の 高金利であ るので、消費者 ロー ンの 与信残 高 に課 された利息 は、貸 し手の 大 きな収 益源 とな ってい る6」,
1970年 代末頃 よ り消費者信 用 と りわけ消 費者金融が急成長 を遂げた 主な理由は、第 一一に、オ イル シ ョック後、銀行 な どの 金融機 関が融 資先 を低 成長の企業 か ら消費 者信 用 業者 に変え、特 に近年で は超低金利 で資金提:供して きたこ とがあげ られ る。 
第二 に、1990年 代 の消費者金融 の急速 な膨張 は、 それ まで大蔵省 の規制 とい う保護 の ドで業務 を行 ってい た銀行が 住宅 ロー ン以外 の分 野で積極 的 に消費 者信用市場へ 参入 を始 めた こ とに よる。
の みな らず、信 用金庫 など他 の民間 金融 機関 、 さらに信販 会社や クレジッ トカー ド会社 まで もが軒並み この市場 に参 入 し始め てい るこ とに よる、,例えば、商 品の売買 を直接 介す る ショッピング と違 い、 キャ ッシン グは店の休 業 日で も使用 され る。

また、 シ ョッピングであれば一括 払 いに利rは つかないが 、キ ャ ッシングは 一日単位で利子 がつ く。 具体 的 な数値 と して 、消費 者ロー ン専 用カー ドを除 く 「クレジッ トカー ド」で さえ、現在 、与信額の3割 をキ ャ ッ
シ ングが占め てい る(「 信 用統 計」97年 度:162-164)。
以上か ら、近 年の 日本の消費 者信 用産業 は与信額の増 大 と 「総サ ラ金化現 象」 に特徴づけ られ る。 この よ うな消 費 者信 用の進展 は、消費者信 用業者 に対 する社会 的認 知の変化 を京都社会学年報 第5号(1997)
200 大山 多重債務の構造的背景伴 う。 
「サ ラ金パニ ック」時 には 「サ ラ金」 と負 のイメー ジを付 与 されて きた消費 者金融業者の うち大手 は、1990年 代 に入 って相次 いで株式 の店頭公 開、 さらに東証二部上 場 を果たす。
マ ス コミでの広告 が解禁 とな り、大手 の消費者 金融業者 は 「サ ラ金」 か ら 「普通 の企 業」 へ と変貌 を遂 げるに至 って いる7)。
成長の著 しいこ うした業者 は、金利 を大幅に引 き下 げるのでは な く、 む しろ高金利 を維持 した ままで与信 審査 を緩和 させ 、 よ り多 くの人々を顧客 として取 り込 む傾 向 にあ る。
2借 り手の状況では、実際に消費者信用は人びとの経済生活において どのような位置を占めているのだうか。
本節では与信を受ける側の家計 に焦点を定めている。家族生活 を営む人びとの負債状況を分析する。ここで使用するのは 「国民経済計算年報」 と 「家計調査年報」である。
2-1「 国民経 済」 か らみ た家計 状 況 ~国 民全 体の 負債 分析 ~
前節 では貸 し手 の成長ぶ りをみて きた。消費者信 用の発展 には借 り手 となる国民 全体の収入 の増 加が必 要であ ろ う。

けれ ども、近年 の消 費者信用 の増 大 は、 国民 の収 入増 減の動向 と一致 していない。
消費 者信 用 は、可処分所得 の増加 よ りは るかに速いペ ースで家計 に浸透 してい るの である。


退任の井上康生監督は号泣 威信失墜した日本柔道をユニーク手法で復権に導く 全柔連の内規で任期満了

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

7/31(土) 21:50配信

西日本スポーツ

柔道混合団体決勝、フランスに敗れ、出番のなかった大野将平(左)を思いやる井上康生監督=31日、日本武道館(撮影・軸丸雅訓)

 ◆東京オリンピック(五輪)柔道 混合団体決勝(31日、東京・日本武道館)

 表彰式後に胴上げで3度舞うと号泣した。57年ぶりの自国開催五輪という重圧の中、柔道の日本男子に史上最多の5個の金メダルをもたらした井上康生監督(43)=宮崎市出身=は、今大会を最後に全日本柔道連盟の内規で定めている最長任期の2期9年を終えて、退任する。

【写真】井上康生監督 最後に選手を抱きしめ、思わず…

 「勝って胴上げさせたかった悔しい気持ちが半分。でも、こんな素晴らしい選手たちと闘わせてもらった。これほど幸せな者はいない」

 2012年11月に就任。同年のロンドン五輪で日本男子が初の金メダルゼロに終わり、柔道界の暴力指導など相次ぐ不祥事で威信が損なわれていた時期だった。「自分で本当にいいのかという不安はあったが、柔道界が力を合わせて一つにまとまれば成功する」と信じて引き受けた。

 心掛けたのは講道館柔道の創始者、嘉納治五郎が掲げた「自他共栄」の精神だった。五輪代表決定前の昨年1月初旬、日本男子代表候補はハワイで約1週間合宿した。真っ先に行ったのがカヌー体験。「選考過程だけど、いかにチームで一つにまとまって強化できるかが重要」。ライバルたちが力を合わせ、慣れない手つきで舟をこいだ。

 不測の事態にも平常心で対応できるよう、高さ11メートルから降下する自衛隊の訓練や茶道の体験など柔道以外のトレーニングも導入。畳の外に出て重圧から解放される瞬間を設け、緊張と緩和のメリハリをつけさせた。

 自身が初優勝した00年シドニー五輪の代表には、既に五輪金メダルを獲得していた吉田秀彦や野村忠宏がいた。「大きいものを背負う感覚を持たずに闘えた」と感謝。監督として自らが批判の矛先になるように選手をかばってきた。

 31日の混合団体。男子73キロ級を2連覇した大野将平が初戦のドイツ戦で敗れた後、井上監督は何度も頭をなでた。監督就任直後の13年に代表入りした大野は「最後に金メダルを掛けられなかった申し訳なさが強いが、それすらも受け止めて『胸を張ってこい』と言ってくださる。選手全員が好きだし、尊敬している。これで終わると思うと何とも言えない」と寂しさを募らせた。井上監督の今後は未定。「この経験をいかに次なる道に生かしていくか。さらなる努力をしていきたい」と柔の道を進んでいく。(末継智章)

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サラ金地獄

2021年08月01日 01時42分31秒 | 社会・文化・政治・経済

参考

1980年代の日本では、サラ金による過剰な借金が問題となり、自殺者数は戦後最悪を更新した。
東京大学大学院の小島庸平准教授は「サラ金パニックで自殺したのはほとんどが男性。
家族を助けるために生命保険をかけて自殺していた。
そこには『潔い日本男子』というようなジェンダー規範を見てとれる」という――。1

1980年代初頭のサラ金各社の急激な融資残高の拡大は、再びサラ金パニックを引き起こした。第1次サラ金パニック(1977~78年)と区別して、第2次サラ金パニック(1981~83年)と呼ばれている。

被害の実態に特に大きな差はないが、第2次サラ金パニックでは、過剰な債務を背負って人生に行き詰まる人びとの存在がより明瞭に可視化された。それを端的に表しているのが、自殺者数の傾向的な増大だった。

図表1には、戦後の自殺者数の推移を掲げた。自殺者数は、高度経済成長期にいったん減少したものの、1970年代に入ると増えはじめ、1979年には再び2万人を超えた。1983年には2万5000人を超えて戦後最悪を更新しており、サラ金問題に伴う経済苦が増加の一因だった(『朝日』1984年4月3日付朝刊)。

1983年前半のサラ金苦を原因とする自殺や心中に関する報道をまとめたものである。その内容は「会社員夫婦がサラ金の借金を苦に二児を道連れに排ガス心中」、「息子の借金を苦に両親が首つり自殺、息子の会社員も半日後に自殺」など、悲惨と言うほかないものだった。

貸金業規制法の立法作業が一向に進まない中で引き起こされたサラ金パニックの実態を、利用者とサラ金社員の両視点から明らかにし、それを踏まえて貸金業規制法の制定過程とその影響を検討したい。

サラ金苦を理由とする自殺や犯罪の増加を重く受け止めていたのが、警察庁だった。

同庁は、貸金業が犯罪や自殺・家出の温床になっているとの認識から、1978年に貸金業の利用に関連する自殺・家出状況を調査している。その結果を示したのが図表3である。これによると、自殺や家出といった多重債務者の極端な行動には、明瞭な男女差が存在した。まずは女性の側の事情から見ていこう。

女性債務者の自殺者数18人に対し、家出人数は370人で、圧倒的に家出が多かった。過剰な債務を背負った女性たちは、自殺の衝動を抑制しうる程度には理性的な状態を保ちながらも、家出に走る可能性が相対的には高かった。なぜ彼女たちは家を出なければならなかったのか。借金を苦に家出したある主婦は、家族に向けて次のような手紙を書き送っている。

「最初に、だまって家を出た事をゆるして下さい。あやまってすむ事ではないこともわかっています。どんなにせめられても、ののしられてもしかたのない事です。又、多額の借金を残した事も申しわけありません。
前に話をした時に、あんなにこれだけかと言われたのに、額が大きすぎて、とても言えませんでした。結果的には、言わなかったのがもとで、ふえることになりました。自分ではどうにも出来ない事もわかっていたのに。
家を出てからというもの、一人で居るという事のさみしさといい、つらい事といい、これもみな自分自身のまいた事。今、罪をうけているのだと思います。
暗くなるのを待って、なんべんも家の近くまで行きました。こんな不祥事をおこして家を出たわたしが、二度とあなたや子供達の前に姿を現してはいけない事もわかっています。夜になり、7時、7時30分、8時と時間がたつにつれて、どんなテレビを見ているのかなあ、9時になると、もうねたかなあと思うだけで、涙があふれてとまりません。
これもみな自分が悪いのだと思うばかりです。
会社も改築して、これからだというのに申しわけありません。こんなわたしなんか、妻として、母親として資格なんかないのです。みんなのそばにいない方がいいのです。」(甲斐1982)
資格喪失という認識が女性を家出させていた
21世紀に入ってからの調査だが、宮坂(2008)は、多重債務問題を「家族には言えない・言いたくない」者の比率や、多重債務問題を契機に「別居や離婚の話が出ている」者の比率は、男性よりも女性の方が高かったと報告している。女性の方が婚姻解消のリスクが高く、多重債務問題を打ち明けにくいという構造があり、そのことがこの手紙にもよく表れている。

 

 


1年前とは違う“重症”の現実 感染症専門医が第5波に警鐘

2021年08月01日 01時18分32秒 | 医科・歯科・介護

速報
毎日新聞 2021/7/31 20:20

インタビューに答える国立国際医療研究センターの大曲貴夫国際感染症センター長=スクリーンショットから 拡大

 新型コロナウイルスの感染者の確認が全国で連日1万人を超え、東京都では31日、4000人を上回る新規感染者が確認された。国立国際医療研究センターの大曲貴夫国際感染症センター長は「1年前に比べ感染のリスクは高まっている。屋外屋内を問わず、マスクを外して会話することは絶対に避けてほしい」と呼びかける。押し寄せる第5波の現状を聞いた。【聞き手・金秀蓮】

 公衆衛生や医療のいろいろな場面が回らなくなっている。保健所はすごく大変だ。陽性者が出ると、保健所の人たちは全員に連絡し状況を聞き取り、自宅療養かホテル療養、入院するかを決める。入院が必要であれば入院先を決めるが、東京都で1日に2000人、3000人の陽性者が出ると追いつかない。手が回らず、悲鳴が聞こえてくる。


 保健所の手が回らないというのは、陽性者に目が届いていないということだ。陽性が判明した人の中には、検査は受けたが、医師と会って病状の評価を受けていない人が山ほどいる。不安は強いだろうし、中には悪化する人も出てくる。

 ワクチン接種が進み高齢者の新規感染者や重症者が減ったのは事実だが、感染者が爆発的に増え、40代、50代の重症者は増えている。医療が必要なのに、病院に入院できない人がいる。高齢者の重症者が減っているからといって、その事実を軽く捉えていいかというと違う。


デルタ株、広がりやすいのは明らか

 東京都の重症者は80人以上で推移している。ほかにも高濃度の酸素を必要とする人は多い。この1年半、治療法が変化し、人工呼吸器ではなく鼻から酸素を送り込む「ネーザルハイフロー」という呼吸療法を使うケースが増えた。これを使う人は、重症者にカウントされないが、酸素が足りずに身動きもとれない状況にある。重症者と同じように苦しんでいる人が、重症者の何倍も存在する。1年前と同じ感覚で重症者数だけを見て、「少ない」と言うのは状況の過小評価になる。

 第5波のピークがいつなのか、正直分からない。置き換わりが進むデルタ株は、他国の状況をみても広がりやすいのは明らかだ。この難局は、生半可なことでは越えられない。昨年春の第1波の時ぐらいに社会全体が行動変容をしないと越えられないのではないか。すでに感染後の治療や療養に至るまでの流れが滞ったり、一般医療でも手術予定が後回しになったりしている。自分のこととして考えてほしい。

 

 


30代以下が7割超 全国で新たに1万2342人の感染確認

2021年08月01日 01時16分46秒 | 社会・文化・政治・経済

7/31(土) 20:50配信

毎日新聞

高層ビルが建ち並ぶ東京都心。中央奥は皇居=東京都港区で

 新型コロナウイルスの感染者は31日、全国で新たに1万2342人が確認された。1万人を超えたのは3日連続で、過去最多も4日連続で更新した。東京都で初めて4000人を超えて4058人の感染が確認されるなど、首都圏の4都県を含む10都府県で過去最多となった。東京オリンピック開催中、都内を中心とした感染者急増の傾向がより鮮明となった。

【図解】緊急性の高い症状は

 都内では7月28日に3000人を突破し、29日には3865人にまで新規感染者が増え、30日も3000人台。31日の感染者数は前週土曜(1128人)の3・5倍以上で、感染拡大が加速している。都基準で集計した重症者は95人と第3波に見舞われた今年2月以来、約5カ月半ぶりに90人を超えた。自宅療養者は初めて1万人を超えて1万392人。

 年代別では30代以下が約71%と若い世代の感染が目立ち、ワクチン接種が進む65歳以上は約3%と感染が抑え込まれている。検査の陽性率は30日時点で19・5%に上昇しており、市中感染の広まりが感染拡大の主な要因とみられている。

 都医学総合研究所によると、都内の主要繁華街の滞留人口(午後0~12時)は、都内に4回目の緊急事態宣言が発令された後の7月18~24日には宣言前から約16%減少した。しかし、インドで確認された感染力が強い変異株「デルタ株」の影響もあり、感染拡大のスピードが人の流れの減少による効果を上回っている。

 最多を更新した10都府県は新潟、群馬、栃木、埼玉、東京、千葉、神奈川、静岡、京都、沖縄。首都圏4都県だけで7000人を上回った。まん延防止等重点措置から緊急事態宣言に切り替わる神奈川は1580人で、最多を更新するのは4日連続。埼玉県は初めて1000人を上回る1036人。大阪府は1040人で、5月8日以来の1000人超となった。【古関俊樹、内橋寿明】

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