5歳児餓死“金への執着”“ウソ”知人語る「ママ友」の「過去」

2021年03月24日 20時46分04秒 | 事件・事故

3/24(水) 19:35配信 FBS福岡放送

福岡県篠栗町で5歳の男の子が餓死した事件はきのう母親と「ママ友」の女が起訴されました。ママ友が家族を支配し多額の金を搾取していたとされる事件。女の過去を知る人たちの証言から「素顔」の一端が見えてきました。

白むく姿で微笑む女性。20年前の赤堀恵美子被告です。元夫は被告について次のように話します。

■赤堀被告の元夫
「普通にうそつくから」「お金はとにかく好きやけんね」

碇翔士郎ちゃんに十分な食事を与えなかったなどの保護責任者遺棄致死の罪で母親の碇利恵被告とともにきのう起訴された赤堀被告。

「ママ友」の関係だった2人。しかしー。

■「赤堀被告にだまされた」

調べによると赤堀被告は、碇被告の「ママ友」間のトラブルなどを解決するため架空の裁判をでっち上げ、自分の指示に従うよう仕向けていました。

捜査関係者によりますと赤堀被告は「裁判に勝つため質素な生活をしなければならない」などとして、碇被告に対し翔士郎ちゃんに与える食事の量などを無料通信アプリ「ライン」などで指示していました。

やりとりの履歴が残っていて、捜査側は親族ではない赤堀被告に、翔士郎ちゃん餓死の責任を問う証拠の一つとみています。

裁判費用などの名目で碇被告からおよそ1200万円を巻き上げたとされる赤堀被告。地元・大川市の古い知人は、赤堀被告から多額の借金を申し込まれ、いまだに一部しか返済されていないと証言します。

■知人は
「盗聴器を仕掛けられているから ものすごく恐ろしいから、それをとらないといけないから(お金貸して)って」

この女性が赤堀被告に貸したのは340万円以上。返済されたのはおよそ30万円程度にすぎないといいます。

金銭についての話は赤堀被告の元夫の口からもー。

■赤堀被告の元夫
「工場の経営が傾き運転資金が足りないと言われた。最初にお金を貸したのがそれ」「(合計は)4桁いくかいかないかぐらい」
「お金はとにかく好きやけんね」

ことあるごとに金を要求されたという元夫。赤堀被告とは2000年に結婚し、およそ10年ともに生活しましたがその後突然、行方をくらましました。

また、こんな過去も―。

■赤堀被告の元夫
「付き合いだして、3か月か4か月ずーっと偽名だった」

赤堀被告は「ゆか」という“偽名”を使っていたというのです。

■赤堀被告の元夫
「普通にうそつくから」「なぜうそをつく理由がある?って聞いたら、『私恵美子って好かんもん』と」

周囲が証言する「金への執着」と「ウソ」。赤堀被告は翔士郎ちゃんの死について「母親のせい」と自らの責任を否定しています。

 

 

事】

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母親にも闘病伝えず…五輪金メダリスト・柔道家 古賀稔彦さん死去

2021年03月24日 20時30分37秒 | 事件・事故

3/24(水) 19:23配信

佐賀ニュース サガテレビ

みやき町出身でバルセロナオリンピックで金メダルを獲得した柔道家の古賀稔彦さんが24日神奈川県の自宅で亡くなりました。53歳でした。

「赤い旗が上がるかどうか…上がった!金メダル!…」
古賀稔彦さんは旧北茂安町、現在のみやき町(ちょう)出身でオリンピックに3大会連続出場。1992年のバルセロナオリンピックでは練習中に左ひざを痛め、痛み止めを打ちながら試合に出場し金メダルを獲得しました。

古賀稔彦さんは切れ味鋭い背負い投げを得意とし「平成の三四郎」とも呼ばれ、金メダル獲得後には、県民栄誉賞の第一号に選ばれました。
現役引退後は、指導者として後進の指導にあたり、柔道の普及活動にも尽力。また、今年の東京オリンピック・パラリンピックでは、5月10日にみやき町内を走る聖火ランナーとして予定されていました。死因に関しては明らかになっていませんが、関係者によりますと古賀さんは去年がんの治療を受けていたということです。

小学生のころに柔道を指導した恩師は。
江口嗣則さん:「(53歳での死は)まだ若いからかわいそう。(小学生の古賀さんは)積極的に練習を申し出てくる子でした。指導者という立場になってから非常に話が上手くなった。すごい男ですよ、そう思います」
平野忻二さん:「家族で柔道に対する取り組みが違っていた。努力すれば大きな成果が出るんだと。古賀さんは(自分が)病気ということを自分では言わなかった。今思うと本当に涙が出るよう」

古賀さんの母 愛子さん:「心に残るような人間性があって人を喜ばせるのが好きみたいで。これ送ったらお母さんが喜ぶとかそういう気配りが強い」
みやき町に住む母愛子さんに古賀さんは、直接自身の体調のことを伝えていなかったといいます。
古賀さんの母 愛子さん:「親に心配させまいと思って言う子じゃないですもん。大丈夫大丈夫っていうのが性格だった、今までが。静かに逝ったことは良かったと思うしかない」

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