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矢野阪神と原巨人の差は「勝負への執着心」

2019年08月19日 22時13分11秒 | 野球

 先週末の巨人3連戦(東京ドーム)で、矢野阪神は無念の3連敗を喫した。巨人戦3連戦3連敗は今季4度目で1963年以来、56年ぶり2度目の屈辱。首位相手に一かけらの意地も見せられなかったふがいない戦いぶりに、現役通算320勝のレジェンド・小山正明氏は「情けない!」と嘆いた上で、巨人との差について「監督の勝利に対する意欲、執着心の違いだろう」と断じた。CS争いからも脱落しかねない状況だけに、残り30試合は1試合1試合が正念場となる。

  ◇  ◇

 ことここに至っても、かすかな希望と期待感は持っていた。借金4で迎えた首位巨人との3連戦。いくら敵地・東京ドームとはいえ、相手先発が3年目の桜井、新人の高橋とくれば、何とかなるかもしれない…。しかもこちらは安定感抜群の高橋遙と西だ。連勝すれば最後の山口だって撃破できる確率は高まる。イッキに3連勝で借金1だ-。これ、とんでもない「妄想」だった。結果は正反対の3連戦3連敗。何と今年巨人に4度目の屈辱である。実に1963年以来、56年ぶりだという。全く、お話にならない。

 いつものように小山正明氏の携帯を鳴らす。今回はどんなボヤキになるのか想像しながら待つと「きょうは3-6か…」と低い声が飛び込んできた。怒りを通り越した呆れ、が言葉にこもっていた。ただ、いつに増して語気は強かった。その理由は、5年ぶりのリーグV奪還にひた走る巨人・原監督の「勝利への執着心」を見せつけられたからだった。

 -言葉もない結果になりました。

 「16日の初戦を高橋遙で落としたのが痛かったわな。1点ビハインドの7回表、先頭の高橋遙をそのまま打席に立たせたのが議論を呼んだが、僕はやむなし、とみた。確かに1点を追わんといかんのやが、彼の投球内容とその後の継投ことを考えると(矢野監督の)決断はあり、やろう。ただ、それもいつもの貧打で台無しやわな」

 -初戦を逆転で取られた後はいいところなしの3連敗。同じチーム相手にシーズン4度目の3連戦3連敗ですから萎えますわ。

 「巨人・原監督の勝利への執念、意欲というものを痛烈に感じたね。2戦目(17日)の六回裏やったかな。無死一、二塁のチャンスで5番のゲレーロにバント(記録は捕犠)させたやろう。1点をリードしているんやし、5番に据えた助っ人なら打たせてええわけやけど、それにバントを命じたのは何としても追加点を取るという原監督の強い意志の表れ。あれを見て、三塁ベンチの矢野監督や阪神の選手達は何を感じたか。優勝という大目標のある巨人と、CS争いからも脱落しかかっている阪神の差はその辺にあると思ったよ」

 数年前、原監督に単独でインタビューしたことがあった。そのシーズン終盤、阪神戦で絶好調だった4番・村田(現2軍打撃コーチ)に同様のケースでバントさせたことについて理由を聞いたら、原監督は『勝ちに近づくにはそれが一番だったから』と答えた。試合はそれを端緒に巨人が大量得点を奪い、阪神に圧勝、そのまま優勝へと突っ走った。ゲレーロの犠打を見て、あの時の話を思い出した。

 敵将の“勝利への執念”に対し、矢野監督はどうだったか。優勝は無理としても、CS圏内はまだわからない。そこに向けて巨人を上回る執念を見せたのか。18日の3戦目、1点差に迫った七回裏にジョンソンを投入したのはその表れかもしれないが、ならば前の17日、同じ1点ビハインドの七回になぜ彼を使わなかったのか。また、得点力不足の打線にどんな工夫を施したのか。試合だけを見る限り、残念ながら工夫の跡を感じることはできなかった。

 -捕手出身の矢野監督には大いに期待していました。大阪人らしい明るさに加え、あのノムさん(元阪神監督・野村克也氏)に仕込まれた“捕手的嫌らしさ”で相手に圧力をかけてくれると思ってたからですが…。その点で言うと、少し期待外れの感は否めません。

 「監督の采配で言うと、何で大山を4番から下げたんや?という疑問がある。あれだけ我慢強く4番で使っていながら、何で今さら下げるのか。それならもっと早く見切るべきだったのと違うか。僕には分からんね」

 -今季残り30試合。3位・広島とは5差つけられています。打線が機能せず、先発投手陣にも疲労が見えていますが、これから阪神はどう戦えばいいんでしょう?

 「何が何でもCSには出るんや、というのがチーム全体の目標のはず。ところが、今の戦いぶりにはそれが見えん。ただ普通に試合を消化している感じしか受けんのや。もう30試合しか残ってないんやで。このあとは全部勝ちきるぐらいの姿勢でやってほしい。スタンドにはまだ多くのファンが阪神の勝利を期待して来るんやから…。選手一人一人がそれを胸に刻んでプレーすべきやろう」

 20日(火)からは京セラドームで2位・DeNAとの3連戦。優勝を目指す今季の戦いは事実上幕を閉じたが、CS突破の希望はまだ捨てたくない。連日甲子園で観衆を魅了する高校球児たちの手本がプロのはず。窮地の今こそ、猛虎に“これぞプロ”を見せてほしい。(デイリースポーツ・中村正直=1997~99年阪神担当キャップ、前編集長、現販売局長)

 
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よき先輩、よき友情、よき先生、これで人生で決まる

2019年08月19日 22時08分46秒 | 社会・文化・政治・経済

ゲーテが一貫して念願していたのは、「いまあるがままの自分自身を鍛えあげ形成すること」であった。
何かに変身するのではない。
どこかに生まれ変わるのでもない。
今あるがままの自分を鍛えあげ、人間として完成させていく。
人生は苦難の連続とも言える。
だがゲーテは、現実がいかに厳しくても、決して「絶望」することなく、自らの意志で「希望」を選び取った。
あるがままの自分を見つめ、自分を信じた。
文学、思想、自然科学、教育、政治など、万般に不朽の価値を創造していった。
ゲーテの言葉は、人間への信頼感にあふれている。
「確信したものを実行するだけの力は、かならず誰でも持っている」
ゲーテが可能性を開花させた要因は、よき人をの出会いであった。
「大事なのは<出会い>です。一人では偉大になれない」
「よき先輩、よき友情、よき先生、これで人生で決まる」
さらにゲーテは「何事かをなしとげようと思ったら、他人の協力と刺激が必要だ」ゲーテの言葉


昭和天皇「拝謁記」入手 語れなかった戦争への悔恨

2019年08月19日 12時46分01秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年8月16日 NHK

繰り返し語る後悔の言葉

「拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。

田島長官は、このうち長官就任の翌年から5年近く、昭和天皇との具体的なやりとりや、そのときの様子などを手帳やノート合わせて18冊に詳細に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて近現代史の複数の専門家と分析しました。

その記述から昭和天皇が田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現して、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。

強くこだわった「反省」

さらに昭和天皇はサンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年5月3日、日本の独立回復を祝う式典で、おことばを述べますが、この中で、戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省の気持ちを国民の前で表明したいと、強く希望していたことがわかりました。

「拝謁記」には1年余りにおよぶ検討の過程が克明に記されていて、昭和天皇は、(昭和27年1月11日)「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り、(昭和27年2月20日)「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」などと述べ、反省の言葉に強くこだわり続けました。

削除された戦争への悔恨

当時の日本は、復興が進む中で、昭和天皇の退位問題もくすぶっていました。

田島長官から意見を求められた吉田総理大臣が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対し、昭和天皇が戦争への悔恨を込めた一節がすべて削除されたことがわかりました。

昭和天皇は田島長官に繰り返し不満を述べますが、最後は憲法で定められた「象徴」として総理大臣の意見に従いました。

吉田総理大臣が削除を求めた一節は、「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」という部分です。このうち、「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。

専門家「現代生きる者にも重い記録」


「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「戦争を回顧し、重要な局面でなぜミスをしてしまったのか、繰り返し考え話す中で、独立回復の際のおことばにも、やはり反省を盛り込みたいという気持ちが強くなっていったのだろう」と述べました。

そのうえで、「新憲法ができてから初めて、ある程度踏み込んだ発言ができるかもしれないチャンスが講和条約発効のおことばだった。反省なりおわびをして、どこかで戦争の問題にけりをつけたいということが出発点であり、一番の動機だというのははっきりしている」と指摘しました。

さらに、「象徴天皇としてどういう振る舞い方をするかということを学習した過程でもあるだろうが、昭和天皇個人にとっては苦渋の過程というか、今後ずっとこうやっていかなきゃいけないのかということを認識させられた苦い思い出の方が大きかったのではないか。その後、記者会見で、肝心なことは『言えない』で通したことが、このときの苦渋の思いを引きずっていたことの表れなのだと思う。そういう意味で昭和天皇にとって、とても重い体験だったのではないか」と述べました。

また、「拝謁記に出てくることは全部、結局は日本が無謀な戦争を起こして負けてしまったことにつながる。天皇のあり方が戦前の主権者から象徴へと変わったのも、政治関与を厳しく制限する規定ができたのも、敗戦がきっかけで、しかも形式的な責任者は昭和天皇本人だった」と話しました。

そして、「拝謁記は、昭和の戦争というものは現代に生きるわれわれにまでいろいろな意味で重くのしかかっているということを改めて認識させる記録、忘れてはいけないということを語りかけてくれている記録ではないか」と話しました。

さらに、独立回復を祝う式典でのおことばについて、「昭和天皇は田島長官を通じて昭和23年の東京裁判の判決の際に、マッカーサー元帥に手紙で退位しないことを伝えていたが、これは当時公になっていないので、昭和天皇が自ら退位を否定した発言は、昭和27年の独立回復のときのおことばしかない。最終的に留位を決心していく状況や、そこに至る昭和天皇の気持ちや心の揺れはまったく表に出ておらず、これまでは断片的な資料から推測していたが、今回の拝謁記で初めてそれが詳細に手に取るようにわかった」と話しました。

また、おことばから戦争への深い悔恨を示す一節が削除されたことについて、「あのおことばが出る過程で、こんなにも長い期間いろいろな議論をしてあの形に落ち着いたということは、今回の拝謁記で初めてわかったことだ」と述べました。

そのうえで、「このときは、占領が終わって独立を回復するという1つの大きな区切りで、昭和天皇は占領下と違って自分が言いたいことがかなり制約なく言える可能性がある時期だと考えていたのだと思う。一方、田島の側からするとこのときが初めての例になるので、象徴天皇制が国民に受け入れられるためにはどこまで政治的な発言が許されて、どこまでが許されないのか、初めて決めなくてはならない局面だったのだろう」と指摘しました。

そして、「長い期間複雑なやりとりを重ねた末、最終的にあまり天皇の意向を表に出さないメッセージになってしまったが、そこに落ち着くまでに複雑なやりとりや議論があったということがよくわかる。とりあえず憲法で決められた象徴天皇制が、具体的にはどういう形になるかというのが、このおことばの検討過程で決まっていった。独立後の最初のメッセージがああいう形になったということが、天皇の政治的な発言がどこまで許されるのかの基準になった面があると思う」と話しました。

専門家「発言をほぼそのまま記録 非常に珍しい」


日本の近現代政治史が専門で、一橋大学の吉田裕特任教授は「昭和天皇の肉声の記録は『昭和天皇独白録』のような、形を整えるために後から手を入れたものが多いので、発言をほぼそのまま記録しているというのは非常に珍しい」と指摘しました。

そして、「昭和天皇と側近の内輪のやりとりが非常に克明にかなりまとまった形で残されているという点で非常に重要な資料だ。昭和天皇の肉声が聞こえてくるし、天皇自身の考えの揺らぎみたいなものが伝わってくる」と話しました。




あおり運転容疑者のインスタか 「もう二度と車に乗るな」コメント殺到

2019年08月19日 09時36分30秒 | 社会・文化・政治・経済

 茨城県守谷市の常磐自動車で発生したあおり運転暴行事件で、県警は2019年8月18日、指名手配していた宮崎文夫容疑者(43)を大阪市東住吉区で逮捕した。各メディアが報じた。

 逮捕報道を受けて、宮崎容疑者のものとされるインスタグラムアカウントに注目が集まっている。

■会社経営者を名乗り、高級車ブランド品の写真満載

 話題のアカウントは自らを会社の「代表取締役」と称し、「#企業経営者」「#会社経営者」といったハッシュタグでプロフィール欄が埋め尽くされている。

 48件の投稿のうち、最新のものは8月15日に更新されたもの。場所は記載されていないが、定食の写真を「#自然牛」「#厚切り牛タン」とのハッシュタグで紹介している。投稿をさかのぼると、食事のほかにも様々な高級車やブランドものの時計や財布などの写真も確認できる。また、「代表取締役 宮崎文夫」という肩書と名前の入った某サイトに掲載されたとみられる写真や、高層ホテルの窓際に座っているという写真も掲載されている。

 一方、8月12日には、車体の凹んだ黒いポルシェの写真とともに、

  「2019 06 08 午前0時15分10tトラックに追突された事故」

と投稿。追突事故にあったが、相手方から2か月以上経過してもなお連絡がないとする旨が記載され、

  「この投稿をお読みくださっている方々並びに企業様 個人事業主様 取引先銀行様 他 関係各所の皆様はどのように思って下さりますでしょうか?」

と自身が経営しているとされる会社の連絡先とともに、関係各所からの意見を求めている。

 このインスタアカウントには、指名手配報道がされた17日からコメントが多数寄せられ、最新の15日の投稿には18日現在、4100件のコメントがついている。とくに、逮捕報道後は、

  「もう二度と車に乗るな 乗るのはパトカーだけにしとけや」
  「お前にはベンツでなくベンチで十分」

などといったコメントが殺到している。


矢野阪神、56年ぶり屈辱…G戦4度目の3タテ食らった

2019年08月19日 08時08分10秒 | 野球

8/19(月) サンケイスポーツ

(セ・リーグ、巨人6-3阪神、19回戦、巨人13勝6敗、18日、東京D)歴史的な屈辱だ。巨人に同一カード3連敗をシーズンで4度も喫するのは1963年以来、56年ぶり。就任直後に打倒Gを誓っていた阪神・矢野燿大監督(50)は残り30試合に向けて「どういう気持ちを出せるか」と唇をかんだ。4番のジェフリー・マルテ内野手(28)は胸の痛みを訴えて途中交代。もう踏んだり蹴ったりだ!

1点差までは詰め寄った。それでも、また、突き放された。毎年のように味わう、真夏の東京ドームでの屈辱。しかも、同じような負け方。矢野監督に代わっても歯が立たなかった。それが現実だった。

 「ジャイアンツにはもちろんね、そうだけど、残りの試合どう戦うかというのが俺ら問われているところやと思うし。逆にここからどう踏ん張れるかとか、どういう気持ちを出せるかというところが大事やと思うんで」

 同一カード3連敗を喫するのは今季7度目。しかも、伝統の一戦で1シーズンで4度は1963年(5度)以来、56年ぶり。“暗黒時代”や85年の日本一を通り越し、歴史的な傷となった。

 矢野監督は就任直後、大型補強をした巨人を警戒しながら「強いところを倒すというのは阪神ファンは喜んでくれる」と広島というよりも、伝統の一戦に重きをおくことを約束し、オールドファンの心をくすぐった。どれだけ打てなくても、どれだけ守れなくても、宿敵に土をつけることができれば、すべてよし。それが虎の意地だった。だが8年連続負け越し…。

 カモにされるだけじゃない。この日も歯車がかみ合わなかった。大山の不振により、4番を任せているマルテが試合途中、左胸が痛いと言いだした。六回1死一、二塁の状況で代打としてソラーテを送ったが、二ゴロ。マルテについて山下チーフトレーナーは「痛めたわけじゃなくて、ちょっとつったみたい。アイシングとかもしてないし。(20日からの試合出場については)問題ないと思う」と説明したが、攻撃のチグハグぶりは顕著だった。

 巨人戦は今季通算6勝13敗。矢野監督は「残りの試合でそういうところ(気持ち)を見せられるように頑張ります」と力を込めた。残り30試合。屈辱をバネにできるのか。タテジマの矜持をいつ示すのか。


あびこカッパまつりは8月31日

2019年08月19日 00時23分51秒 | 日記・断片

長い夏季休暇が終わった。
今年も父母の墓詣りに行かなかったことが心残り。
津久井の墓地は、あの「津久井やまゆり園」相模原障害者施設殺傷事件の近く。
献花台が設置されていたが、次男は「気持ち悪い」と言って車を停車することを避けた。
あれから3年の歳月が流れたのである。
家人も明日からパートの仕事へ。
夏季友好期間も終わった。
敢闘会の活動も始まる。
水曜日か木曜日には第97回(8月29日)のお知らせを会員宅へ届ける予定だ。
なお、24日には支部の会合も開かれる。
上野夏まつり、柏まつり、新道のまつり、白山のまつり、八坂神社のまつり、取手利根川の花火大会、家人は三谷まつりまで、そして田中酒造の日本酒ガーデンへ。
なお、24日は、取手駅西口駐車場でのソニックガーデンのイベント、灯ろう流し、取手駅東口広場でのカラオケ大会(24、25日)も。
あびこカッパまつりは8月31日。
松戸まつりは2019年10月5日〜2019年10月6日土曜日、日曜日 10:00〜17:00


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相模原障害者施設殺傷事件とは、2016年(平成28年)7月26日未明、神奈川県相模原市緑区千木良476番地にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の男A(犯行当時26歳)が侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件である。
殺害人数19人は、当事件が発生した時点で第二次世界大戦(太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としてはもっとも多く、事件発生当時は戦後最悪の大量殺人事件として、日本社会に衝撃を与えた。