自民、20議席台も視野=立憲、第2党の勢い-比例代表【参院選情勢】

2019年07月14日 23時40分11秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年07月14日

 【自民】前回(19議席)や前々回(18議席)と同様の勢いを維持しており、10議席台後半は確実な情勢。新規に候補者を擁立した団体票の掘り起こしや無党派層への浸透がさらに進めば、2001年以来の20議席台も視野に入る。
改憲勢力、3分の2割れか=与党、改選過半数確保-立憲伸長、国民苦戦【参院選情勢】

 【公明】現職6人の議席を射程に捉え、改選7議席の維持も見込める。
 【立憲民主】6年前に旧民主党が獲得した7議席を上回り、2桁に乗せる勢い。17年の衆院選に続いて第2党になる見通しだ。
 【国民民主】党の支持率低迷から改選4議席の維持は困難な情勢。連合傘下の産業別労組の組織内候補5人が2~3議席を争う展開になりそうだ。
 【共産】過去2回と同様、改選5議席の維持が有力だ。
 【維新】大阪府知事、市長のダブル選を制した勢いを保っており、改選議席を上回る5議席を獲得する可能性がある。
 【社民】前々回から続く1議席を死守しそうだ。吉田忠智前党首の国政復帰が視野に入った。
 【諸派】政治団体「れいわ新選組」が議席を獲得する可能性がある。
【時事ドットコム】

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阪神近本お祭り男だ!矢野監督期待「球宴の勢いを」

2019年07月14日 23時24分04秒 | 野球

阪神近本光司外野手(24)が15日からの後半戦でも「お祭り男」になる。

球宴第2戦で初回先頭打者本塁打を含む5打数5安打でサイクル安打を達成し、MVPを獲得。勢いづくリードオフマンに対して、矢野監督から「球宴のムードと勢いをチームに持ち込んで」と指令が飛んだ。まずは今季4勝7敗と分が悪い中日との敵地での3連戦。黄金ルーキーで後半戦開幕ダッシュや!

笑顔でダッシュする近本

   ◇   ◇   ◇

球宴サイクル男の近本は、後半戦を翌日に控えた甲子園練習を終え、引き締まった表情で言った。「まずは明日。勝てるように頑張ります」。慢心はない。

13日の第2戦(甲子園)は全セの「1番中堅」で先発フル出場した。新人では史上初の初回先頭打者アーチにとどまらず、5打数5安打で92年古田(ヤクルト)以来史上2人目のサイクル安打。12球団の新人で唯一出場してMVPという離れ業をやってのけた。

一夜明けて矢野監督もファン同様に賛辞を送った。「最高でしょう。あれ以上、ないでしょう。内容もいいしねえ、打撃の」。その上で、勢いに期待を込め「球宴のムードと勢いをチームに持ち込んで、明日からやってもらえればいい」と“お祭り指令”を出した。

残り59試合で迎える後半戦。借金2で首位巨人とは9・5ゲーム差と、逆転優勝には文字通り、お祭り騒ぎのようなパワーが必要かもしれない。指揮官の期待を感じ取るように、近本も「しっかり僕が先頭で(塁に)出れば、勢いや流れが作れると思う。そういう自分の仕事を、しっかりやりたいですね」と1番打者としての自覚を見せた。

また、16日(ナゴヤドーム)の相手先発には「平成の怪物」松坂が予定される。初対決に向け、令和の初代お祭り男は「偉大なピッチャーなので、しっかり勝負を楽しみたいですね」と平常心で臨むつもりだ。

球宴では阪神勢の活躍が目立った。プラスワン投票で出場の原口が2戦連発、ファン投票で出場の梅野は甲子園で原口の直後にアーチを描き、2者連発をやってのけた。そして、最後はサイクル安打。大仕事をやってのけた翌朝、近本は小さな幸せもつかんだようで、未夢夫人の反応を聞かれ「よかったです。朝は豚汁を食べました」と照れ笑いを浮かべた。充実した4日間の球宴ブレークを過ごし、後半戦に向かう。前半戦より多く繰り出す塁上の「矢野ガッツ」が、反攻のバロメーターとなる。【真柴健】

▼阪神は、直近10年の球宴後10試合で、勝ち越し4回、負け越し4回、5勝5敗が2回。13年は新井貴が第2戦でMVPも、球宴後10戦で打率2割5分、4打点と振るわず、チームも3勝7敗と失速した。15年は球宴第1戦で藤浪がMVPを獲得。球宴後初登板となった7月24日のDeNA戦で完封勝利を挙げ、チームも10戦7勝3敗と勝ち越して一時は首位にも立った。近本には、球宴MVPの勢いに乗って後半戦スタートからチームを引っ張る活躍が期待される。

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聞き書 南原繁回顧録

2019年07月14日 21時44分15秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 南原 繁  (著), 丸山 眞男 (編集), 福田 歓一 (編集)

内容紹介
政治哲学者にして思想家,歌人である南原繁の生涯は,第2次大戦を境に180度の転換をとげたかに見える.「純粋のアカデミシャン」と「広く大衆に訴えかける思想家」と.いずれが虚像か実像か.その偏りを正し,偉大な政治哲学者の足跡と時代背景とを伝える.

丸山真男、福田歓一の質問に南原が答え、昭和の暗い谷間の時代の東大法学部の実態を描く。
自由主義経済学者・河合栄治郎は、2・26事件の直後に、『中央公論』誌上にそれをクーデタ―として真っ向から批判する論文を発表し、軍部の怒りに触れた。
東大経済学部の右派勢力は河合の辞職を求め、平賀総長は喧嘩両成敗で「自主的に」両派を辞職させた。法学部長・田中耕太郎が中心になって進めた「平賀粛学」の実態が描かれる。また、美濃部達吉が天皇機関説で貴族院を追われたときに、
南原たちはなぜもっと美濃部を擁護して戦えなかったのかが語られる。

政治哲学者である南原繁が亡くなったのは1974年。あの頃は、田中角栄の列島改造論が盛んだったと記憶する。この本を読んで、こういう人がいなくなった時が、日本の大きな変わり目だったように感じた。


南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。
1910年(明治43年)
6月 - 第一高等学校卒業。
7月 - 東京帝国大学法学部政治学科に入学する。
入学後、内村鑑三 (英語版)の弟子となり、生涯を通じて無教会主義キリスト教の熱心な信者であった。
一高に入学したときの校長は新渡戸稲造(英語版)であり、影響を受けた。

1914年(大正3年)
7月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業後内務省入省。

1921年(大正10年)
5月 - 内務省を辞め、東京帝国大学法学部助教授に就任。内務省時代、アテネ・フランセでフランス語を学んでいた。ヨーロッパ留学を経て、小野塚喜平次の後任として、政治学史を担当。
1925年(大正14年)
8月 - 教授となり、政治学史を担当。西欧の政治哲学とキリスト教をバックボーンに共同体論を深め、その研究は、1942年(昭和17年)『国家と宗教――ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年)、『フィヒテの政治哲学』(1959年、岩波書店)に結実する。福田歓一(政治学史)、丸山眞男(日本政治思想史)は彼の教え子である。
1945年(昭和20年)
3月 - 東京帝国大学法学部長に就任。高木八尺、田中耕太郎、末延三次、我妻栄、岡義武、鈴木竹雄とともに終戦工作に携わるが失敗に終わり、敗戦を迎える。
12月 - 東京帝国大学総長に就任。
1946年(昭和21年)
1946年(昭和21年)
2月11日 - 紀元節には日の丸をかかげ、日本精神そのものの革命を通じての「新日本文化の創造」を説く。
日本に宗教改革が必要であり、真の覚醒は神の発見とその神に従うことで可能となるため、日本的神学とは別の宗教が必要と述べた[1]。
3月 - 貴族院議員に勅撰( - 1947年5月)。単独講和を主張した当時の内閣総理大臣・吉田茂に対し全面講和論を掲げ、論争となった(単独講和と全面講和論)。
このことで、南原は吉田茂から「曲学阿世の徒」と名指しで批判された。
8月27日 - 貴族院本会議において、新憲法案の戦争放棄条項について、「歴史の現実を直視して、少くとも国家としての自衛権と、それに必要なる最小限度の兵備を考へると云ふことは、是は当然のこと」とした上で、将来日本が国際連合へ加入する場合、国連憲章で認められた自衛権と国連軍への兵力提供義務の双方を放棄するつもりなのか、また講和会議においても最小限度の防衛をも放棄するのか、吉田首相に質問した。
そして、「若しそれならば既に国家としての自由と独立を自ら放棄したものと選ぶ所はない」と主張した。
12月16日 - 貴族院本会議において、象徴天皇制への移行へ伴う皇室典範改正にともない、「天皇の自発的退位」の規定を設けることを主張。
これは南原が昭和天皇の退位を望んでいたためだが、反対多数で否決された。
1950年(昭和25年)
3月 - 退官。その後学士会理事長、日本学士院院長などを歴任。アララギ派の歌人としても知られ、歌集『形相』がある。
1967年(昭和42年)
1月 - 宮中歌会始召人を務める
1974年(昭和49年)
5月19日 - 死去。


 

 

 

 

 
 
 
 

 
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南原繁の生涯 信仰・思想・業績

2019年07月14日 21時16分32秒 | 社会・文化・政治・経済

南原繁の生涯 信仰・思想・業績

説明

戦後日本のオピニオン・リーダーであり、とりわけ教育改革で中心的役割を果たした政治哲学者・南原繁の初の本格的評伝。

膨大な文献を渉猟し、その生い立ちから最晩年まで、生涯と思想を統合的かつ立体的に描き出す。

無教会の信徒として、内村鑑三と新渡戸稲造の両者から直接の感化を受けた南原の、信仰生活の側面にまで分け入って書かれた貴重な評伝。

 [目次]

序章  南原繁と私

第一部  大学卒業まで

第一章  少年時代

第二章  第一高等学校・東京帝国大学時代

 第二部  内務省・大学教授時代

第三章  内務省時代

第四章  大学へ帰る──留学時代

第五章  大学教授時代(一)──昭和10年頃まで

第六章  大学教授時代(二)──日中・太平洋戦争下

 第三部  東大総長時代

第七章  東大総長就任

第八章  憲法議会

第九章  教育改革への参画

第一〇章  学内諸問題等──昭和二四年まで

第一一章  全面講和論と曲学阿世・その前後

第一二章  東大総長最後の一年

 第四部

第一三章  地方公演と海外出張

第一四章  学問的労作の完成等

第一五章  家庭における南原繁

 第五部  晩年

第一六章  輝かしい晩年の活動

第一七章  終焉

 終章  南原繁の今日的意義

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夏の坂道

2019年07月14日 20時50分15秒 | 社会・文化・政治・経済
 
村木嵐 (著)

商品の説明

内容紹介

戦後最初の東大総長として、敗戦に打ちひしがれた日本国民を鼓舞し、日本の針路の理想を示した男!
原動力となったのは、幼き日の母との約束。一高時代の新渡戸稲造、内村鑑三との出会い。
東京帝大教授として反戦を目指しながらも、教え子たちを戦場に送り出す苦悩を味わいながら戦争と対峙していった。

内容(「BOOK」データベースより)

あの日、「総長演説」が敗戦国日本を蘇らせた!学問と信仰で戦争に対峙した戦後最初の東大総長・南原繁の生涯を描く歴史長編。

著者について

1967 年生まれ。京都大学法学部卒業後、95 年より司馬遼太郎家夫人である福田みどり氏の個人秘書を19 年間勤める。2010 年「マルガリータ」で松本清張賞受賞。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

村木/嵐
1967年京都市生まれ。京都大学法学部卒業。会社勤務等を経て、95年より司馬遼太郎家の家事手伝いとなる。司馬遼太郎氏の没後、夫人である福田みどり氏の個人秘書を19年間務める。2010年『マルガリータ』で第17回松本清張賞を受賞し、作家デビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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週刊朝日  2019年4月12日号

戦後初の東大総長、というより時の首相・吉田茂を怒らせ、「曲学阿世の徒」と暴言を吐かせた政治学者というほうが通りがいいか。時代に翻弄されながらも「真善美、それに正義」の頂を目指してひたすらに学究の道を歩んだ南原繁の生涯をたどる。

 内村鑑三に師事し、無教会主義キリスト教徒であり続けたが、多くの教え子を戦場に送り出さざるを得なかった。その苦悩が戦後、南原をして夢想に近い全面講和を掲げさせ、教育基本法の起草にあたり平和と個人の尊厳の尊重を盛り込ませる。

 新渡戸稲造、美濃部達吉、津田左右吉、矢内原忠雄、丸山眞男らとの心の交流も随所に描かれる。人文社会科学系研究の存在意義を問う声が強まる今の時代に、「よりよく生きるための学問」について考えるきっかけを与えてくれる小説だ。(浅井 聡) 
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 南原繁の青春と戦後改革への道

 学者を主人公にした小説を書くのは難しい。その精神のうちにどれほど大きな浮沈があるとしても、多くの学者の生涯は、千年一日のごとく淡々としたものに過ぎないからだ。ドラマチックな出来事など、例外中の例外である。ところが、本書は政治学者の南原繁を主人公とする小説である…

戦後改革への道

1)日本人が自主的に新しい憲法をつくろうという運動で、東大憲法研究委員会を立ちあげる。
2)自らが責任者となった教育基本法の制定。
いずれもが、「平和の希求」と「個人の尊重」を理想主義で支えるものであった。
カントの<恒久平和を求める>心にひかれて学業に励んだ南原にとって、新憲法はその具体化。
南原は、その理念を世界の人々に訴えようと、昭和24年の末、海外にとびたつ。
戦前の天皇制ファシズムも、満州事変以後の軍部の行動も、日本の大衆が支えたということを忘れてはならない。

 

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上野千鶴子のサバイバル語録

2019年07月14日 20時19分15秒 | 社会・文化・政治・経済

上野千鶴子

著者、初めての語録!

「相手のとどめを刺さず、もてあそびなさい」
「人は、自分の器に応じた理解力しかない」
「立ちはだかる壁は、迂回せよ」
「だれとでもいいから結婚すべきでない」
「『かわいいおばあちゃん』にならなくてもよい」
「女はすでに、がんばっている」

悪戦苦闘の人生から生まれた、140の金言を収録。

「いまを生きる女たちに、生き延びてもらいたい。そして、女であることを愛してもらいたい。人生の終わりに、生きていてよかったな、と思ってもらいたい。そのために、もしかしたら役に立つかもしれないことばを厳選しました」(上野千鶴子)

商品の説明

 

日本は議員も企業の管理職も女性比率が極端に低い。
世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指数は昨年も149か国中110位であり、国際的にも異様さが際立っている。
社会学者で女性学のパイオニアである著者の言葉は、生きづらさを抱える女性たちを支えてきた。
本書は40年間の文書や発言から、「いまを生きる女たちに、もしかしたら役に立つかもしれない」140の言葉を集めた。
「男並みの競争」とは、もともと男に有利にできたルールのもとでの競争を意味しています。
日本のジェンダー格差の原因はこんな言葉に見て取れる。
今春の東大入学式の式辞が話題になった著者の言葉は今さらに重みを増す。

内容紹介

毀誉褒貶のなか、長きにわたり戦い続けてきたフェミニストであり
人生お悩み相談の名手でもある著者による、初の「語録」。

過去30余年の著作群から抜粋した、名言の数々を収録。

「人生の勝負は、短期間では決まらない」

「万人に感じよく思われなくてもいい」

「人は、自分の器でしか理解しない」

「相手のとどめを刺さず、もて遊びなさい」

「どの年齢にも、よいことも悪いこともある」 ほか

家族との関係に悩んだら? 結婚、子育て、どう乗り越える?
会社と心中しないためには? ハラスメントに負けないためには?
老後、ひとりをどう過ごすか? 人生の優先順位をどうつけるか? など。

過酷な時代と人生を生き抜くための「140の金言」!

内容(「BOOK」データベースより)

人生、仕事、結婚、家庭、老後、ひとりを生き抜くために。過去30余年の著作群から選り抜いた、初の語録集。逆風を快楽に変える140の金言集。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

上野/千鶴子
1948年、富山県生まれ。東京大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授。NPO法人WAN理事長。女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニア(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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兵庫県へ行ってきた活動報告など

2019年07月14日 17時44分40秒 | 日記・断片

午前1時ころ、豪雨で目が覚めた。
どこまで激しい雨は降り続くのか、と心配してていたが小雨となる。

午前8時35分に富田さんと待ち合わせをして、小堀(おおほり)の赤嶺宅へ。

利根川沿いの成田方面への街道はいつもより、車の数が少なかった。
雨が激しかったので、外出を控える人も多いのだろうか、思ってみた。
今日は、支部の会合に14名が参加した。
初めて会合に参加した人を、司会者の久田さんが紹介した。
名古屋の出身だそうだ。
みなさんの活動報告を聞く。
久田さんは、2日間の日程で、兵庫県へ奥さんと行ってきたことなど活動内容を報告した。
何時ものお茶会で懇談する。
帰宅してから午前11時30分、佐々田さんと敢闘会の活動で、戸頭方面を回る。
昨日、松戸でお酒を飲む機会があったが、飲み過ぎて体調は万全ではなかったが、雨もやみそれなりの活動ができた。

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参院選兵庫選挙区 公明「常勝」堅持へ、与党の結束アピール

2019年07月14日 06時52分39秒 | 社会・文化・政治・経済

2019.7.4 産経新聞
参院選2019特集与党
改選数が2から3に増えた兵庫選挙区には、現職と新人の計6人が立候補。支持母体・創価学会の組織力を背景に「常勝」とされてきた公明は新人の高橋光男氏(42)を擁立、「最重点区」として総力戦で臨む。

山口那津男代表は神戸・元町の商業施設前を第一声の場に選び、「国内世界の課題解決には何よりも政治の安定が必要だ。

そのためには連立政権での公明の存在がなくてはならない」と声をからした。

 高橋氏を推薦する自民は、公示2日前に菅義偉官房長官が応援に訪れるなど、全面的にバックアップ。選挙事務所前で行われた出陣式には自民の国会議員も出席し、政権与党の“結束”をアピールした。それでも公明幹部は「まだまだ当選圏内にない」と引き締めを図る。

 一方で、自民は元防災相の故・鴻池祥肇氏の後継として新人の加田裕之氏(49)を擁立。県連は公明の動きに気をもむ。ある幹部は「公明から友好団体に手を突っ込まれ、引きはがされている」と危機感を募らせる。加田氏の出陣式には河村健夫・元官房長官らが駆けつけ、保守票の死守を訴えた。

 立憲民主は週末にかけ枝野幸男代表や蓮舫副代表が兵庫入りして新人の安田真理氏(41)を支援。唯一の現職、維新の清水貴之氏(45)は活動の遅れを知名度で巻き返せるかが注目される。共産新人の金田峰生氏(53)、諸派新人の原博義氏(47)も立候補している。

 

 

 

 

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 兵庫 混戦、必死の公明 自民との不協和音も

2019年07月14日 06時42分14秒 | 社会・文化・政治・経済

2019参院選・注目区ルポ
 毎日新聞2019年7月13日 

支持者らに囲まれ、タッチを交わす兵庫選挙区の候補=神戸市中央区で2019年7月4日
 「自公による安定政権のため、この最激戦区で勝利を」。

参院選公示直前の2日夜、港の夜景を望む神戸市内のホテルで、菅義偉官房長官が声を張り上げた。手を取り、一緒に拳を上げたのは公明党の新人、高橋光男氏。菅氏は6月2日にも高橋氏の応援で来県しており、現職の官房長官としては異例の動きだ。

「党の基礎票34万票に25万以上を上乗せしなければ」と公明党県本部代表の赤羽衆議院議員はネジを巻いた。

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森鴎外の墓

2019年07月14日 05時20分12秒 | 社会・文化・政治・経済

「小説は何をどういうふうに書いてもよい」森鴎外
私は鴎外の気韻の高い文章が、とにかく好きであった。
どの小説を読んでも、言葉の難しさに拘わらず、すらすら読めるのは、鴎外が書くものを完全に頭の中で噛みくだいているからだろう。作家・瀬戸内寂聴さん

自分の文学的才能の有無など考えもせず、ひたすら小説家になりたいという無謀な夢だけに頼って放浪していた頃であった。
故郷の女学校の友人が嫁いでいるというだけの理由で、東京の三鷹にたどりつき、友人がさがしてくれた下宿に落ち着いた。
街道に面してその下宿から数軒先に禅林寺があった。
その寺に太宰治の墓があり、その前で新進作家の田中栄光が自殺したことで騒ぎがあった。

小さな太宰の墓の前には、ファンたちがささげた酒や煙草がいつも一杯だった。
その墓の斜め左前に、森鴎外の大きな墓があるのに、太宰ファンの若者たちはほとんど気づかなかった。
私はその墓に気づいた時、喜びのあまり、墓場で踊りあがった。
以来、毎朝、そこへ詣りつづけ、太宰の墓詣りもした。
そのことを、文通していた三島由紀夫に報せるとすぐ返事がきて、
「太宰の墓にお尻を向け、鴎外先生のお墓に、毎朝お花と水を、ぼくの分もふくめてささげてください」とあった。
私は太宰も愛読していたので、三島由紀夫に内緒で、毎朝二人等分に祈っていた。
瀬戸内さんが、鴎外を尊敬することは格別だった。

 


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東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地北京に同行。
1946年に帰国し、夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。
1950年に正式な離婚をし(長女とは後年出家後に和解したという)、東京へ行き本格的に小説家を目指し、三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。
少女世界社、ひまわり社、小学館、講談社で少女小説や童話を書く。
また丹羽文雄を訪ねて同人誌『文学者』に参加、解散後は『Z』に参加。
本格的に作家デビュー
1955年、処女作「痛い靴」を『文学者』に発表、1957年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。その受賞第1作『花芯』で、ポルノ小説であるとの批判にさらされ、批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られる。
その後数年間は文芸雑誌からの執筆依頼がなくなり、『講談倶楽部』『婦人公論』その他の大衆雑誌、週刊誌等で作品を発表。
1959年から同人誌『無名誌』に『田村俊子』の連載を開始。
並行して『東京新聞』に初の長編小説『女の海』を連載。
この時期の不倫(三角関係)の恋愛体験を描いた『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立する。
以後数多くの恋愛小説、伝記小説を書き人気作家となるが、30年間、純文学の賞、大衆文学の賞ともに受賞はなかった。

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広島市、政府に核兵器禁止条約批准要請

2019年07月14日 04時54分10秒 | 社会・文化・政治・経済

7/12 共同通信

 広島市は12日、被爆74年となる8月6日の平和記念式典で、松井一実市長が読み上げる平和宣言の内容を話し合う3回目の会合を開いた。松井市長は日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める直接的な言葉を盛り込むことを会合後、明らかにした。

 広島県内の30近い被爆者団体が条約批准を求める表現を盛り込むよう、松井市長に強く要請していた。会合は非公開で、被爆者や有識者ら7人が参加。松井市長は、要請を尊重するとした上で「会合でも賛同を得て決断した」と説明した。

 松井市長は8月1日に記者会見を開き、骨子を発表する予定。

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