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「足湯」の効果は?

2016年07月27日 13時40分56秒 | 日記・断片
安房小湊では、初めて「足湯」を体験した。
誕生寺の近くである。
右足の血管が浮いた感じである。
動脈硬化の兆候であろうか、「足湯」の効果は?
などと想いながら、湯に足を入れていた。
外はあめが降っていた。
日蓮大聖人所縁の地であり、鎌倉時代の歴史を感じさせた。





人間は、他者との関わりの中で生きている

2016年07月27日 12時16分56秒 | 社会・文化・政治・経済
★「地方」「地域」の存在が、改めて見直されている。
「ふるさと納税」も控除や返礼品などの特典面ばかりが強調されるが、愛郷心や縁ある地域への愛着を見逃すことはできない。
その背景には「真の豊かさとは何か」との問い掛けがある。
★経済一辺倒の豊かさではなく、自然や地域との触れ合いを大切にする生き方も求まれており、田園回帰と呼ばれるように、地域を志向し地域を大切にしたいという若者も増えてきている。
★一つとして同じ所はない。
わが地域の魅力を見つめ直し、他の地域へ発信し、触発し合おうとい挑戦は多彩だ。
そこに湧く活力に、人々は自身の可能性と生活の多様性を見だそうしているのかもしれない。
★人間は、他者との関わりの中で生きている。
命と命が結び合い、絆となって、社会を地域がつくっている。
★「地域の魅力」とは、そこに暮らし、働く「人の魅力」でもあろう。
★自分自身が地域づくりの主体者となる。
その姿は、多様性に富む豊かな社会を創造する活力となるに違いない。

△▼厚生労働省▼△ 07月26日 19時 以降掲載

2016年07月27日 11時31分32秒 | 医科・歯科・介護

新着情報配信サービス

○ 政策分野

・平成28年度 厚生労働科学研究費補助金公募要項(3次)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223557

○ 審議会等

・厚生科学審議会疾病対策部会 第43回難病対策委員会 資料
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223559

△▼厚生労働省▼△

新着情報配信サービス

      07月25日 19時 以降掲載

○ 審議会等

・第172回労働政策審議会雇用均等分科会(2016年5月25日)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223521

・第171回労働政策審議会雇用均等分科会(2015年12月21日)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223523

△▼厚生労働省▼△

新着情報配信サービス

      07月26日 10時 以降掲載

○ 報道発表

・旧ソ連抑留中死亡者遺骨引渡式(ハバロフスク地方)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223525

・高齢者向け給付金の取組状況を公表します
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223527

・食品に関するリスクコミュニケーション 「食品中の放射性物質に対する取組と検査のあり方を考える」を開催します~8月29日に福島、9月2日に東京で開催。参加者を募集します~
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223529

・食品中の放射性物質の検査結果について(第991報)(東京電力福島原子力発電所事故関連)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223531

・個人型確定拠出年金の愛称の募集について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223533

・厚生年金保険の保険給付及び保険料の納付の特例等に関する法律の施行状況に関する報告(第17回)
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223535

○ 政策分野

・平成27年度雇用均等基本調査
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223537

・薬物乱用防止に関する情報
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223539

○ 審議会等

・第5回 労働安全衛生法に基づく定期健康診断等のあり方に関する検討会の開催中止(延期)について
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223541

・第9回 ゲノム情報を用いた医療等の実用化推進タスクフォース
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223543

・審議会、研究会等予定
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223545

・第1回 生活保護受給者の健康管理支援等に関する検討会 資料
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223547

○ その他

・採用情報(国家公務員一般職(厚生行政))
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223549

・調達情報 介護保険事業状況報告システムの政府共通プラットフォーム移行業務一式
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223551

・調達情報 平成28年度生活保護業務データシステム改修業務一式
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=223553

努力は、すぐに結果に表れないこともある

2016年07月27日 11時23分43秒 | 社会・文化・政治・経済
広島東洋カープの黒田博樹投手
7月23日、阪神戦で、見事、日米通算200勝を達成。
プロ入りして20年の右腕が、「かけがえのない財産」と語り続ける思い出がある。
「くるしまずして栄光なし」
降板に涙流す反骨のエース

上宮高校時代は3年間、補欠だった日々。
ひたすら草抜きをした日もあった。
それにもめげず、必死に走り、投げ込み、誰より練習に汗した。
「あの3年間を思い出すと勇気が湧く。どんな苦しみにも耐えられる」
専修大学から広島に入団。
努力は、すぐに結果に表れないこともある。
だが、歩みさえ止めなければ、実を結ぶ時が来る。
“青春の原点”を胸に鍛練を重ね、球界を代表する大投手となった彼の姿が、それを物語っていた。
若き日に、「これだけ頑張った」といえる“財産”を持てた人は強い。
苦難に打ち勝つ勇気になるからだ。

「普通」「異常」とは何なのか

2016年07月27日 11時01分06秒 | 社会・文化・政治・経済
コンビニ人間

著者 村田沙耶香さん

7月19日夜に選考会があった第155回芥川賞に輝いた。
この日も午前8時から午後1時までコンビニエンスストアで働いてから受賞者会見へ。
アルバイトは今後も続けるのかと問われると「店長に相談しようかと」。
主人公は古倉恵子、36歳。
コンビニで18年間アルバイトをしている。
独身で恋愛経験なし。
幼い頃から「普通」ではなかった。
そんな恵子が<初めて、世界の部品になることができた>のがコンビニだ。
根底には、作家が長年バイトするコンビニへの愛がある。
「普通」「異常」とは何なのか
「小説家が書くのは楽譜。芸術家たる読者が演奏してそれぞれの音楽を奏でる」のが信条。
本作は、あるダメ男の登場によって恵子の安寧が揺らぐが、恵子はやっぱりかわらない。
そこに村田文学の太い柱がある。
「普通」とは何なのか・・・・?
文・鶴谷真さん

創作欄 過酷な日々 3)

2016年07月27日 05時58分18秒 | 創作欄
2012年11 月 9日 (金曜日)

金沢紀夫には、筋ジストロフィーを発症し18歳で死んだ長男と同じ病で16歳で死んだ次男の他に、2人の娘がいた。
この娘たちは宗教の布教活動にのめり込み、非正規従業員として働いていた。
娘たちが結婚しないのは、母のより子の遺伝子の異常が自分の産んだ子に現れることを恐れたからだ。
一番、そのことで悲しんだのは母親であった。
長女の花梨はケーキ屋で働いていた。
また、次女の美咲は週に3日だけ介護施設で働いていた。
紀夫が経営していたコンビ店は、大きな交差点の角の立地であり、車が入りやすいことから順調に売上げを伸ばした。
開業して5年目に、店から徒歩5分の場所に土地を購入し、紀夫自身の好みで2階建てのログハウスを建設した。
だが娘2人は両親とは住まず、そのままコンビニ店の2階に住み続けていた。
長女も次女も父親の贔屓目にも美人であった。
そして2人は気持ちが優しかった。
また、長女の声は心地よい響きのソプラノで、話す相手に控えめな性格を感じさせた。
息子が生存している間、息子の身体の介護が、生活のなかに時計の刻みのように組み込まれていた。
その分、2人の娘たちには「手をかけられなかった」ことが両親にとっては負い目があった。
だが、娘たちからは不満の声は一度も聞かれなかった。
兄たちが2人を信仰に導いていたので、娘たちはむしろ感謝の思いを込めて祈りを捧げていた。
「おにいちゃんは、私たちに信仰へ導くための使命を持って生まれてきたのね」
長女の花梨は長男常雄の通夜の席で言っていた。
常雄の死に顔は実に穏やかであり、母親似の端正な顔立ちが一層、哀れであった。
「18年の生は何であったのだろうか?」紀夫は虚しさややるせなさに抗していた。
そのから2年後に次男の実るも後を追うように逝ってしまった。
16歳で逝った実は父親の紀夫に似の顔立ちでハンサムとは言えなかったが、安らかな顔立ちで、仏教で言われている「成仏している良い顔の相」と例えられる「半眼半口」の死に顔であった。

2012年11 月 8日 (木曜日)
創作欄 過酷な日々 2)
金沢紀夫は取手駅前の大手スーパーで働いていた。
その前は、デパートの商品本部の仕入担当者であった。
父親が東京・秋葉原で自転車屋をしていたので、紀夫は商人の息子である。
何時か自分の店を持ちたいと願っていた。
息子二人が相次ぐように筋ジストロフィーを発症したのを期に、24時間営業のコンビニ店を始めた。
歩けなくなった息子を自動車に乗せ、小学校へ送って行く。
車を校舎の外階段の側に置き、息子を背負って3階の教室まで登って行く。
息子の教室が外階段の近くにあったので助かった。
雨の日は雨合羽を着た。
長男の息子常雄が突然声「あ~」と声を上げ背中で泣いた。
「弟の実は歩けるのに、僕、死にたいよ」
紀夫は言葉を失った。
背中の息子は体を震わせるようにして泣いている。
大粒の雨の雫が外階段で跳ねるのを見ながら、切ない気持ちで一歩一歩登って行く。
ずっしりと息子が重く感じた。
2年生の次男の実はまだ、何とか自分で歩いて教室へ行けたが、4年生の長男は自分の足では歩くことができず、もどかしくなっていた。
仏教で宿業というが、これは宿業であろうか?
父親としての自分の業、母親のとしての妻の業が息子二人に出たのだろうか?
そもそも業とは何であるのか?
自宅兼コンビニ店へ戻る車の中で、紀夫は考え続けた。
考えてもどうにもなる問題ではなかったのであるが、頭に錯綜するものが鉛の塊のように浮かんできた。
2012年11 月 8日 (木曜日)
創作欄 過酷な日々 1)
どうすれば最少の日本語で最大の世界を見せられるか? 
金沢紀夫は短歌、俳句の世界に高校生のころから遊んでいた。
石川啄木は短歌を「悲しみの玩具」と表現した。
だが、次第に虚無的な気持ちから、それらの玩具から距離を置きたいと思った。
長男の常雄が筋ジストロフィーを発症したのは、4歳の時であった。
同じく次男の実も5歳で筋ジストロフィーを発症した。
筋ジストロフィーとは、筋肉自体に遺伝性の異常が存在し進行性に筋肉の破壊が生じる様々な疾患を総称。
筋力低下や 筋萎縮して行く。
3~6歳で発症し、歩行障害が初発症状であった。
初期には、ふくらはぎに筋肥大が生じるのが特徴。
歩き方がおかしい、転びやすいなどの症状で発症が確認されることが多数である。
治療法が確立していない過酷な難病であり、30歳くらいが平均寿命。
遺伝子の異常で進行性の筋力低下を示す筋原性疾患であり、検査の結果妻が遺伝子を持っていたことが判明した。
妻のより子は3人姉妹の長女であったが、次女、三女には遺伝子の異常がなかった。
夫婦は思い余って信仰にすがった。
結局、長男は18歳で逝き、次男は16歳で天に召された。
思い返せば過酷な日々であり、息子二人の介護が夫婦の生活のリズムを大きく変えた。
妻は午前3時まで息子の身体介護をし、紀夫が午前3時に起きて面倒をみた。
夕食の時には酒を2合飲み、午後7時30分にはベッドに入り寝た。
動かずにいると筋力低下や筋肉の萎縮、関節の拘縮にも拍車がかかって、病気の進行が早まるという側面もあった。
寝たきりの息子二人は寝返りが打てないので、体を動かしてやるのだ。

創作欄 薄着の人

2016年07月27日 05時42分59秒 | 創作欄
2012年11 月22日 (木曜日)

千葉県の常磐線我孫子駅のホームで直樹な度々、その人を見かけた。
冬でも薄着姿だった。
直樹は北海道の出身なのに、取手の寒さに堪えていた。
新潟育ちの作家 坂口安吾が取手の寒さに耐え難くなり温暖な小田原に住まいを移したことを知って、「人間はおかしなものだ」と直樹は思った。
その人がホームのそば屋に入ったので、直樹も後に続いた。
声をかけるチャンスだと思った。
その人はちくわそばを注文した。
直樹は隣に並ぶようにして、かけそばを注文した。
「あら、ちくわは2本なの?」その人は出されたそばに戸惑いながら、隣に立つ直樹に視線を注いだ。
そして直樹のかけそばに視線を注ぐ。
「失礼ですが、このちくわ1本食べていただけますか?」
その人は戸惑いながら言う。
恥じらうような表情を直樹な好ましく思った。
「喜んでいただきます」
直樹の言葉が笑いを誘った。
狭い店には7人の客が居た。
男子高校生たち4人が店の外で、談笑しながらそばを食べていた。
高校生は野球部員のようで野球帽をかぶり、大きなバックを足元に置いていた。
「薄着ですね、寒くないのですか?」
直樹は問いかけた。
「私のこと?」その人は考えごとをしていたようで、周囲に視線を注いだ。
相手の反応を見て直樹は思わず微笑んだ。
その人は12月なのに半袖姿だった。
2012年11 月22日 (木曜日)
創作欄 「存在する意義と価値」 
「存在することに意義がある」
人生の途次に出会った人が、発した言葉を何気なく聞いていた。
だが、その人の言葉が脳裏に深く残り続けていた。
人生の岐路に立って考えた。
「自分の存在価値は?」
高校の教師はいみじくも言った。
「相手から大嫌いだと言われたら、喜んでもいいんだ」
「先生、何故ですか?」
「相手はね、君のことを意識しているんだ。つまり、君の存在は相手にとっては無視できないんだ」
「よくわかりません」
「分からないかい?相手にとって君は無ではない。つまり君は相手の心を占めている。影響を及ぼしているんだ」
「影響ですか?」
「良くも、悪くも影響するのが人間関係。君の手相を見てみようか。左手を出して」
直樹は詩人でもあるその教師を崇拝していたので率直に従った。
「君は芸術家タイプだね。40歳以降、運が開けるね。頑張りなさい」
「先生、40歳以降ですか?」直樹は落胆して聞き返した。
直樹は広島の原爆で父母と兄弟を失っていた。
家族を全て失い、原爆手帳を持って身であり、自分は長生きができないと思って生きてきた。
2012年11 月17日 (土曜日)
創作欄 兄弟 3)
父親の幸吉は小金を貯めた。
当時は金利も高かったのだ。
金利が一番高かったのは郵便局の3年以上定額貯金で、石油ショック後の1974年8.0%、1980年は7.25%だった。
1984年には5.75に落ちた。
定額10年利回り12%。

これは年8.0%半年複利で、10年後に約2.2倍になって戻って来る。
また、証券会社の人から勧められて、国債も買った。
株も勧められ、5社の株を買った。
上がった株もあったが、下がった株もあり全体として資産の運用は若干のプラスとなった。
だが、金利は1992年に4.07%、1993年2.05%、1995年1.15%、2001年0.07 %と下がる一方となった。
父親の幸吉が生きていたらがっかりしただろうが、バブルが弾ける前に幸吉は逝った。
本人は「21世紀まで生きたい」と願っていたのだが、自宅の風呂の洗い場で倒れ呆気ない最後であった。
通夜の席で幸太は、「親父の人生は、まあまあで良かったのではないか?」と弟の浩二に問いかけた。
「人に迷惑をかけるな」と2人の息子を諭してきた。
町内会の役員や老人会の会長として最後まで責任を全うしていた。
そして児童公園の管理をしたり、民生委員を務めたりして堅実な生活態度だった。
幸吉の父親は肝臓を悪化させて、47歳で亡くなっているので父親を反面教師としてきた。
通夜には、幸吉の弟の佐吉と妹の鶴が居た。
「兄貴は道楽者の親父を嫌っていた。苦労をした母親思いだったからな」
佐吉は通夜の席で酒をかなり飲み、赤ら顔になっていた。
「兄さんは、俺は宵越しの金は持たないなんて、バカなことを言っていてね」
鶴は甲府から駆けつけてきた。
痛風で正座ができないと喪服姿で小さな折りたたみ椅子に座っていた。
浩二は黙々とビールを何倍も飲んでいた。
「自分は自分、親父の生き方は親父の生き方」
クールに父親の人生を受けとめていた。
「ところで、兄貴は堅実だから金を残したんだろうな」
叔父の佐吉は幸太に尋ねた。
孝太は何て答えてよいのか口ごもり苦笑しながら、「小金は残したと思いますよい」と答えた。
「小金?」叔母の鶴は意味がわからないのだろう怪訝な顔をした。
「兄貴は俺にも、“小金を貯めないと金は残らない”と言っていたな」と唇を強く結びながら苦笑を浮かべた。
佐吉は酒代で小金を残さなかった。
大衆的な雰囲気の居酒屋で酒を飲むより、色気を好みバーやスナック洋酒を飲んでいた。
2012年11 月15日 (木曜日)
創作欄 兄弟 2)
競馬、パチンコなどと幸太は無縁であった。
父親の幸吉は「小金を貯めないと、金は貯まらないよ」と言っていた。
「小金?」幸太は父に聞き返した。
50歳を境に幸吉は酒を飲むのを止めた。
酒は定期検診で肝機能が低下していることを医者から指摘された。
幸吉の父親は肝臓を悪化させて、47歳で亡くなっている。
「親父のように死にたくない」と幸吉は酒を絶った。
そして煙草は息子の浩二が小児喘息であったので止めた。
タバコの煙によって炎症を起こした気道が、冷気など色々な刺激に対して過敏に反応してしまい、収縮することで喘息の発作が誘発される。
気道の炎症が慢性的に続いてすまうと、気道の壁が狭くなってしまい、どんな治療をしても気道が拡張しなくなってしまう。
幸吉は医者の説明と忠告を真摯に受け止めたのだ。
酒と煙草を止めた幸吉は、それまでの酒代、煙草代を貯蓄に回した。
煙草は37歳の時から吸わなくなったが、あっさりと止められたわけではない。
ニコチン中毒は薬物依存症の一つである。
幸吉はピースを好んで吸っていた。
だが、妻の鶴子が40歳でクモ膜下出血で亡くなった時、そのショックから再び煙草を吸い始めた。
だが、それを1か月後に決心して断った。
妻の鶴子の死を自分の宿業と捉えてたのだ。
鶴子は山登りが好きであった。
女友だちと半年に1回くらいのペースで、山へ向かっていたが、幸吉は商売に専念していたので一度も妻の山登りに同行したことがなかった。 
幸吉は山に登ったつもりで、貯蓄に金を回した。
幸太は父親の話を聞いてから、自分も小金を貯める決意をした。
2012年11 月15日 (木曜日)
創作欄 兄と弟 1)
結局のところ、人生をどのように生きるかである。
兄弟が2人なら、2人の違った人生がある。
長男である幸太は、父親のように商売の道を歩んだ。
次男である浩二は、農協に勤めていたが競馬をライフワークにした。
ネットを使って自らレースの予想をし、情報を発信していた。
どれくらいのファンがいるのだろうか?
冷やかしに聞いてみた。
「まあ、1000人といいたいけれど、100人くらいかな」
まんざらでもなそうに、浩二はネットの画面を兄に見せた。
画面には縫い繰る身の馬たちがユーモラスな姿で走っている様子が見えていた。
「“かわいいわね”」と言ってくれる女性ファンもいるんだ」
37歳となったが浩二はまだ独身である。
幸太は39歳で娘が4人いた。
娘は2人で十分と思ったが皮肉なもので、次は男の子と期待したのに生まれたのはまた女の子だった。
娘たちは叔父の幸太になついて、競馬場まで幼児のころから着いて行った。
商売人の幸太は、土日も休まず働き、月曜日を定休日としていた。
浩二は金曜日になると職場から一刻も早くと気がせくように自宅に戻り、競馬新聞やスポーツ新聞を並べて予想に没頭する。
過去の競馬のレースをビデオで見ていることもある。
その目は真剣であるというより、探るような目となっていた。
何度も繰り返しレースの内容を点検し、敗因や勝因を探っていく。
「オイ、浩二、それだけの情熱をもっと、健全な方面で発揮できないのか?」
兄として幸太が忠言した。
「健全?! 競馬はおれのライフワークなんだから、健全も不健全もあるものか!」
浩二は憤慨した。
幸太は舌打ちをして、弟の部屋を出た。
本棚は本好きであった母親の言わば遺品だった。
その本棚は、競馬関係の本や雑誌、ノート類ですべての棚が埋まっていた。
別の本棚には競馬のビデオテープがぎっしりと埋まっている。
40歳の春にクモ膜下出血で亡くなった母親の鶴子は、競馬にのめり込んでいる息子のことを心配していた。
鶴子の父親は競輪に狂って、家と田畑を失っていた。
このため勉強好きであったのに鶴子は、不本意にも中卒で働きに出た。

創作欄 アンモナイトの化石

2016年07月27日 05時34分54秒 | 創作欄
2012年12 月 2日 (日曜日)

徹にとって「誇大妄想」は母譲りであった。
それは常に、現実との大きなギャップであった。
鳥のように空を飛んでみたいと、2階の屋根から何度も両手を広げて飛び降りた。
身軽な5歳の徹は一度も足を挫いたことがない。
幼馴染の米屋の太郎ちゃんの庭は柔らかい土でもあった。
臆病な太郎ちゃんは「足が折れちゃうよ」と尻込みをして1度も屋根から庭へ飛び降りなかった。
ある時、米屋の屋根に留まるカラスを見て「黒い花」を着想した。
「何処かに黒い花が咲いているはずだ」と探しに行くが何処にも咲いていなかった。
「そうだ、黒い花を書こう」と太郎ちゃんのお兄さんのクレヨンを使った。
「黙ってクレヨンを借りるの?お兄ちゃん怖いよ。叱られるよ」太郎ちゃんがたしなめるが、「少しだけ使うから、わかりやしないよ」それを無視する。
「徹ちゃんは絵、上手だね」と指をくわえて太郎ちゃんは脇で見ている。
「どうだ。ここに黒いは花が咲いているよ」と得意気に半紙に画いた絵を掲げる。
それから小学校時代の徹は、理科好きなりエジソンのように、何かを発明したいと思うようになる。
あるいは洋ちゃんの裏庭が貝塚の大地に連なっていたので、貝塚を採りつかれたように夢中になって掘り返す。
土器のかけらや動物の骨、牙などを掘り出したのだ。
それらは、当時の地元の高校生たちに言葉巧み褒められるとあっさりと譲った。
価値はあるものを含まれていたのだろうか?
何とアンモナイトの化石も見つけたのだ。
2012年12 月 2日 (日曜日)
創作 幼年時代の追憶
「実力を出し切れていない」と言われたことがずっと徹の頭に残っている。
「もったいないね」と言われたことも、ある意味で過分の評価であり、励ましと
もなった。
「そうか、自分は“もったいない存在”なのか!」と徹は気づかされたのだ。
「勉強をとことんやったら、それ相応の学校へ入れたようだ」
だが、勉強をほとんどしていない。
それから、英語の勉強は嫌米で全くだめだ。
子供のころの記憶がいけない。
日露戦争に従軍した近所のご老人が「米兵たち1日も早く、本国へ帰りやがれ!」と忌々し気に罵っていた。
「戦争に負けたから、敗戦国の惨めさを味わっているんだ」と隣の住民が慰めを言っていた。
「そのとおり、大国露助(ロスケ)を破った我々には誇りがあったが・・・」
老人は涙を浮かべていた。
老人の16歳の孫娘は米兵の慰め者となっていたのだ。
孫娘の父親は日本軍の将校で、ロシアに抑留されていた。
母親はいわゆる岸壁の妻であった。
東京・大田区田園調本町の桜坂で徹は、舞鶴へ向かうその人とすれ違った。
5歳の徹にもその人が、とてもやつれて見えた。白髪も増えていた。
「奥さん、頑張っているんだから、希望は捨てないでね」と徹の母が慰めた。
「今度の船に乗っているといいんだけれどね」
その人は寂しい笑顔を見せた。
「近野さんは、絶対に帰って来るわよ」
「そう願っているのだけれど・・・」
買い物へ行く割烹着姿の母親の手を握って徹は、桜坂を沼田駅へ向かっていくその人を、ぼんやりと見送っていた。
「気の毒にね。近野さんは結核なの、咳をしていたでしょ」と母親が言っていた。 
結核と言えば、幼馴染の洋ちゃんの13歳のお姉さんが離れに部屋で寝床に伏していた。よ
「結核は怖い病気だからね。洋ちゃんのお姉の寝ている部屋には近づかないでね」
母親は徹の手を握り念を押した。
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注:露助とはスケベの助ではありません。単なる日本人がロシア人を呼ぶときのスラングです。
日本人はアメリカ人の事をアメ公とかチャイニーズ(中国人)の事はチャンコロと呼ぶのと 同義語...

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<参考>
岸壁の母(がんぺきのはは)とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、 引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称。
そのひとりで ある端野いせに取材した流行歌の楽曲、映画作品のタイトルともなった。
シベリヤ抑留からの引揚(ひきあげ)船が 着くたびに平桟橋にたたづむ母・妻子の姿があったという。はるかシベリアの空をあおぎ 、消息不明の息子・夫を待つ女性の気持ちはどんなだったろう。
戦後、舞鶴入港の引揚 船 ...

2012年11 月29日 (木曜日)
創作欄 「何だ、夢なのか?」
取手発8時30分の電車に乗るはずでった。
食事をしてから横になっていたら、寝てしまった。
結局、8時40分の電車に乗る。
その電車が天王台駅で2分の時間調整をする。
このため、我孫子駅で乗れるはずの8時51分の電車に乗れない。
次の電車は17分後である。
さらに乗り継ぎの武蔵野線も3分遅れる。
「やれやれ、初出勤なのに9時30分の出社に間に合わないではないか!」
徹は駅のベンチを足で蹴り上げる。
それから、降りた駅では自分が悪いのに、駅員に文句をつけて腹いせをする。
「駅長を呼べ!」
徹は超がつくクレーマーなので、駅員は困れ待てている。
「何だ、夢だったのか?」
徹は何時ものとおり散歩へ行く。
2012年11 月27日 (火曜日)
0.1パーセントでも可能性があるのであれば頑張れる!
~天の上を目指して~
2012年11月25日
東京医科歯科大学で講演しました

11/23(金)、大親友のスーパー歯科医の吉野敏明さんの主催で
東京医科歯科大学で特別講演をさせていただきました。
第82回臨床基礎歯科談話会例会で、歯科医師、衛生士、技工士の方々約40名の方に、
能力開発によって自分の運を上げる方法について、約2時話をさせていただきました。
講演終了後、皆様と懇親会で食事をしながら夜遅くまで話が盛り上がりました。
(登山家小西浩文さんのブログから引用)
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<参考>

飛行機が安定飛行に入る高さ。
ほとんどの人が30秒で意識を失い、命を落とすといわれている世界。
地上8000メートルとはそんな過酷な世界の広がる領域、
通称「デスゾーン(死の領域)」と呼ばれています。

人類が永住できる限界高度は4800メートル。
その限界をはるかに超えた困難かつ過酷な世界に酸素を使わず、
生身で挑戦し続けている男がいます。
登山家小西浩文さん
彼はいまだかつて、たったの3人しか達成し得ていない
8000メートル峰全14座無酸素登頂に挑戦し続ける日本人登山家の第一人者です。
現在6座の無酸素登頂に成功し、7座目の挑戦に向けて日々過酷な訓練に身を置い
ています。
「出来ない理由を探す人は多いが、それを出来る方向に持っていくのが重要。
 0.1パーセントでも可能性があるのであれば頑張れる!」

と小西さんは言います。
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創作欄 <挑戦する人>
人は限界を感じて、いま居る場から立ち去る。
あるいは引退する。
そろそろ、転身を図りたいと徹は思案を巡らせていた。
寝ずに考え続けた。
正確には、考えるほどに頭が混乱してきて眠れなくなったのだ。
「宿題」に答えを出す時期にきていた。
深酒の影響もあっただろう―夜道を走り出したい衝動にもかられた。
あるいは、野獣のように咆哮したくもなる。
「自分は、理性を失うのか? 尋常ではない」と呟き、さらに酒を飲み思いとどまる。
そして、朝に出会った女友だちからもらった雑誌を読む。
その雑誌に、挑戦する人のことが記されているのを見出し、徹は決意を新たにした。
徹のライフワークは「賭博者の社会心理学」である。
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<参考>
社会心理学には多種多様な研究アプローチがある。
それは、見方によれば、節操のなさに映るかも知れないが、そうではない。
むしろ、多くの心理学との重なりからより総合的な理論や統一的な指針を提供できる土壌を持っていると考えていいであろう。
それを成すには、広義のミクロ・マクロの相互作用的視点から問題を捉えることであろう。
加えて、生活、人生という時間軸は変化を含む連続体であると考えることは欠かせない。
人はなぜ賭けるのか
-不確実性から得られる満足感・期待感に関する心理学的・社会学的研究の動向と展望-
http://kiso.hus.osaka-u.ac.jp/morikawa/morikawa_pub_download/Why_Do_People_Bet.pdf