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噴霧した消毒液が右目に入る

2016年07月02日 15時20分16秒 | 日記・断片
取手駅近くにある長禅寺へ蓮の花を見に行く。
残念ながら蓮の花は咲いていなかった。
ところが、業者の人たち3人が作業をしており、その中の一人が噴霧した消毒液が右目に入る。
業者の人視線があった。
その場で抗議をしようと思ったが、止める。
そしてミスターマックスのトイレの鏡で右目を確認したら右端が少し腫れていた。
単なる消毒薬か? それとも枯葉剤なのか?
心配になってきた。
近くにはご婦人が2人いた。
眼科医へ行くべきか?放置すべきか?
家人は「水で洗えばいいじゃないの」と軽視している。
当方もたいしたことではないと、軽視しているのだが・・・

町内会の選択も民主主義

2016年07月02日 11時24分39秒 | 医科・歯科・介護
山口建設(仮称)はあばら屋同然であったが、金銭問題が解決したようで更地になった。
その更地は約1か月で草地となる。
雑草は増える一方だ。
八重洲町内会はコンクリートを選択し、新道町内内は草 木 花を選択した。
元は水路であり、そこをコンクリートで覆ったのである。
この町内会の選択も民主主義。
草木とともに沿岸の桜も伐採された。
元の水路の面影は井野団地にのみ残っている。
春は桜が満開となる。




















人間に根差した目的観

2016年07月02日 09時00分58秒 | 社会・文化・政治・経済
ヘイトスピーチ、ヘイトデモ

人権の問題であり、それを見過ごしてはならない。
つまり、日本国民全体の問題なのだ。
思いやりの欠如。
弱い立場の人たちへの共感力の欠如。
人間性の低下なのだ。
人間再教育の問題に帰着する。

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教育は、生徒が自らの可能性を開花させてこそ、他者や社会への貢献の方途を見いだすことができる。
教育とは、ただ知識を増やすことだけでなく、自分自身を知り、深めていくプロセスである。
教育は本来講義中心ではなく、生徒が自分たちの興味を知り、開拓することで、能動的な学習を可能にする実践法。
学習の機会を自らつくり出すその方法は、民主主義的な教育のあり方だ。
アメリカ社会では人権や環境をめぐる問題を抱えており、それらは学校現場におけるいじめなどの問題とも、決して無関係ではない。
ゆえに、他者を思いやり、人権を尊重する社会の建設が不可欠だ。
子どもの幸福を第一義にする教育。
社会がまだその必要性に気付いていない時、正義のための変革を遂行するのは困難だ。
教育指導者は“道徳の核”を持つべきだ。
その核とは、何が正義で、何が悪かを見極める哲学のことであり、人間としての生き方の基礎をなすものだ。
そうした核を自らが持ち、生徒の心を育んでいくのも、教育者がもつ役割だ。
時代に先駆けて変革を起こす上で、強力な支えとなるのは市民の存在だ。
庶民の知恵は偉大だ。
そして教育は、地域に根差し、民衆奉仕の使命を果たしてこそ、その真価も最も発揮するこのだ。
アメリカ・レスリー大学助教・ステファン・グルド博士
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教育にあって、知能の発達以上に重要な目的は、自身について知り、人間関係のあり方や、尊敬をもって他者に接する大切さを学ぶことだ。
そして、学校やコミュニティー(共同体)が好きだというような。“帰属意識”を育むことも重要だ。
心の優しい人間の育成は、画一的で機械的な教育によってではなく、人との触れ合いの中でこそ、実現されていくものだ。
教師になるための最良の準備とは、自身を高め、他者との関係を深めていくことだ。
教師は「教える側」の立場であるが、生徒と一緒に成長成長しようとする謙虚な姿勢だ。
生徒を「一人の人間」として気に掛けていくことが必要だ。
自己を高めることを促し、どんな人に対しても、限りない可能性を信じ、愛情と尊敬をもって接すことだ。
教育は力だ。
しかし同時に、人類の歴史においては、「知識」の誤った使用が破壊や争いを招いてきたのも事実だ。
だからこそ、人間に根差した目的観が教育に求められている。
アメリカ・コンコーディア大学准教授・イザベル・ヌニェス博士

差別禁止法を制定すべきだ

2016年07月02日 06時03分08秒 | 社会・文化・政治・経済
ヘイトデモ
「ごみ、ウジ虫、ダニを駆除します」
「ゴキブリ朝鮮人を叩き出せ」
「一人残らず日本から出ていくまでじわじわと真綿で首を絞めてやる」
「朝鮮人は敵。敵はぶち殺せ」
ヘイトスピーチ、ヘイトデモの根底には何があるのか?
その憎悪の根源は何であるのか?
どこかに、突き動かす根拠があるはず。
「在日特権を許さない市民の会」などの一部の極端な人々に賛同する人がいるのだ。
背景には日本社会の在日コリアンに対する根が深い差別がある。
関東大震災の時代と変わっていない精神構造。
国は、在日コリアンに指紋押なつを強制するなど差別してきた。
国による差別の延長上にヘイトスピーチがある。
差別は違法で、社会的に容認できないという規範を国が作り、国自身が変わることだ。
ヘイトスピーチを違法とすべきで、賞罰の対象にすることだ。
しかし、刑事罰は最後の手段である。
まず、差別禁止法を制定すべきだ、という意見もある。