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テストはあくまで教育の道具の一つに過ぎない

2016年07月18日 16時52分27秒 | 社会・文化・政治・経済
★「現代は、他者への思いやりに欠ける社会になってしまった」
特に企業の人間化が不可欠。
人間を道具、手段にするようなブラック企業は、社会から排除されるべきだ。
★希望に燃え、勇気に燃えて、戦い続ける生命には変わらぬ若さが光る。
★自らの使命を自覚し、新たな挑戦を続けていくとことには、「向上」や「前進」の息吹があり、生命の躍動があある。
★「地球幸福度指数」コスタリカが1位に。

★「価値創造の教育」とは、個人と他者、個人と環境、個人と歴史など、さまざまな関係性を豊かにしていく教育である。
★現実の社会と関わりながら学ぶのである。
★「人間として生きる意味」「自然環境」「文化背景」「国際問題」などを幅広く探究する。
★教育の評価を決定する要素は、人間と社会関係性の豊かさにこそある。
★テストはあくまで教育の道具の一つに過ぎない。
★真の教育者とは、子どものパートナーとして共に成長していく存在である。
★「学び」とは、変化してやまない環境や、人間と社会の関係性適応していく挑戦である。
米国・南イリノイ大学・カーボンデール校・名誉教授・ラリー・ヒックマン博士

人間の無限の可能性を引き出す教育を

2016年07月18日 16時05分27秒 | 社会・文化・政治・経済
★「働く目的」(日本生産本部今年の意識調査)
「楽しく生活したい」41・7%。
「働き方」は、「人並みで十分58・3%。
★4年制大学卒の約36%が利子付き奨学金を利用。
約74%が「返済を負担に感じている」
★仕事は、質、スピードが問われるが、気配りに相手は感動するそうだ。
「さりげなく添えられていた一言がうれしかった」
★常に世の中で起きている問題を「自分ゴト化」できるかが大事だ。
★若い人は変なしがらみや先入観がなく、政策優先で投票先を選べるので大きな可能性がある。
国際医療福祉大学川上和久教授
★“よき人との出会いが人生を変える”
「人との絆が、豊かさ、生きる力を生み出していく」
「死にたい」という友人に心を惑わされ、中学生の若さで自ら命を断つこともある。
善友との出会いが肝心。
★成功とは結果で判断ぜず努力の総計で計るべきだ―エジソン
★「誰も置き去りにしない」
人間の無限の可能性を引き出す教育を。

創作欄 芳子の青春 4

2016年07月18日 12時12分01秒 | 創作欄
芳子は、就職先を世話してくれた恩師の辻村玲子にも手紙を書いた。
<芳子の手紙>
辻村玲子先生、新学期を迎え如何お過ごしでしょうか?
就職先をお世話いただき、先生には感謝しても感謝しきれません。
上京し早くも10日間が経過しましたが、沼田もそろそろ桜が咲く季節になりましたね。
高校1年の時に先生と夜桜を見に行ったことが思い出されます。
先生は大学を卒業したばかりで、母校に先生として赴任されて来られたのですが、先生というより私たち学生たちには優しいお姉さんのように想われました。
先生は、生徒たちに「視野を広げなさい」と言っていましたね。
母は、「沼田市内で職を見つけなさい」と言っていたのですが、私はいずれは沼田に戻ることがあったとしても、1度は外の世界を見てからと思っていたのです。
ですから、先生からお手伝いさんのお仕事を紹介された時は、「このチャンスを絶対に逃すまい」と思ったのです。
母は、「お前にとって花嫁修業になるかしら? お手伝いの仕事もいわね」と背中を押してくれました。
先生は、「お手伝いの仕事に留まらず、自分がやりたいことを見つけなさい。自立した女性の生き方が必要な時代になります」と言われました。
私はあの時の先生の助言を肝に銘じて励みに頑張りたいと思っています。
何卒 今後ともご教示ください。
小金井芳子

芳子は手紙をポストに投函してから、犬の散歩へ行く。
神学院の木立に隣接して、西側に通称「東條山」があった。
芳子は高校の受験勉強をしているお嬢さんの江梨子から、「東條山は、戦犯の東條英機の屋敷があるところなの」と教えられた。
芳子の父は戦死している。
戦争を遂行した責任者の一人が東條英機であことから、敵愾心も湧いてきた。
芳子はメスの柴犬のハナコを連れ、東條山へ足を踏み入れた。
その日は、日曜日で大野源太郎教授宅は午前8時であったが、みんながまだ寝ていた。
普段は午前5時起きの芳子も午前7時まで寝ていた。
東條山に足を踏み入れながら、芳子は人の気配を感じていた。
木立の間を見回す。
すると大きな欅の木を背に、ロングスカートの女性が立ち、神父服を着た長身の男性が女性を抱き寄せていた。
それはまるで映画の中の光景のように映じた。
女性は上目遣いになり、身を寄せながら自ら激しく男性の唇を求めていた。
芳子は見ていけないことを見た感情となり、山を駆け下りた。
犬のハナコは思わぬ方向転換に、戸惑いながら首輪を振って抵抗するように立ちあがった。
それから3日後、芳子はハナコの散歩で再び東條山へ行った。
東條英機は昭和23年(1948年)11月12日、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で死刑判決を受け、同年12月23日午前零時1分、東京都豊島区にあった巣鴨プリズンで絞首刑となった。
享年65歳。
昭和36年、もし東條英機が生きていれば78歳である。
芳子は好奇心から東條英機の屋敷の様子を窺った。
東條邸は何時もひっそりしていたがその日は、洗濯物を庭先で干している和服姿の人がいた。
東條英機夫人のかつ子さんであったかもしれない。
芳子は何か切ない感情が込み上げてきた。
浄土真宗の信仰が深かったとされる東條英機の未亡人かつ子さんのことを芳子は後年知った。


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2012年4 月19日 (木曜日)
創作欄 芳子の青春 5
岩戸景気は、1958年(昭和33年)7月~1961年(昭和36年)12月まで42か月間続いた高度経済成長時代の好景気である。
岩戸景気では、三種の神器は洗濯機・冷蔵庫・掃除機であった。
戦後の食糧難は続くものの、ようやく復興の兆しが見え始めていた。
昭和33年(1958)に、厚生省による国民栄養調査で4人に1人は栄養欠陥であると発表、昭和30年代の課題は「日本人の体位向上」とも言われた。
この年には栄養士と調理師の資格が制定された。
また、テレビに料理番組が登場し、色々なレシピ、材料、調味料をそろえたセットの数々が大評判となった。
欧米の料理も紹介され、テレビを見る日本の主婦たちの、ちょっとした「夢」であり、「あこがれ」を反映した番組となった。
「こんな料理をつくってみたい」「こんなめずらしい食材があるのか」「聞いたことのない料理だわ」。
主婦たちはそんなことを思いながら番組やテキストをじっと見ていたのである。

幸い35年はお米が空前の大豊作で、戦後、ようやく"腹いっぱい"お米が食べられるようになる。
それまでは、白米に麦が混ざっていた。
あるいはご飯に雑穀類を混ぜて炊きそれを食べていた。
すでに自動電気炊飯器が発売されていて、米の豊作を機に段々と普及していく。
「芳子さん、料理学校へ行きなさい。お金の心配はいりませんから」
ある夜、台所で芳子が米をといでいる時、大野夫人の伸江から言われた。
「私は病院の小児医師としてこれまで歩んできて、3人の子育てもしてきたのよ。毎日が診療に追うわれるばかりの生活のなかで、お料理を学ぶ機会がなかったのよ。ですから芳子さんお願いね」
伸江は両手を合わせるような仕草をした。
「奥様分かりました。私でよければ料理学校へ行かせていただきます」
料理を習わしていただけるのだから、ありがたいことだった。
芳子は率直な気持ちで伸江の申し出に応じた。
結局、芳子は用賀から渋谷の料理学校へ通学することとなった。
1週間に1回6か月の家庭コースであった。
芳子は基礎から学ぶことだできた。
ごはんの炊き方、汁だしの取り方。
味噌汁、とろろ昆布汁、野菜の切り方、魚のおろし方。
魚の照り焼き、鯵フライ、かれいの唐揚げ、いわしの香煮。
じゃがいもコロッケ、サラダ、 肉じゃが、豚汁、オムレツ、天丼、かつ丼、春キャベツの香り漬け、いり豆腐、れんこんつみれ汁、筑前煮、 ドーナッツなど。
それらが、大野邸の食卓に並び、家族たちを喜ばせた。

創作欄 薄着の人

2016年07月18日 11時51分47秒 | 医科・歯科・介護
2012年11 月22日 (木曜日)

千葉県の常磐線我孫子駅のホームで直樹な度々、その人を見かけた。
冬でも薄着姿だった。
直樹は北海道の出身なのに、取手の寒さに堪えていた。
新潟育ちの作家 坂口安吾が取手の寒さに耐え難くなり温暖な小田原に住まいを移したことを知って、「人間はおかしなものだ」と直樹は思った。
その人がホームのそば屋に入ったので、直樹も後に続いた。
声をかけるチャンスだと思った。
その人はちくわそばを注文した。
直樹は隣に並ぶようにして、かけそばを注文した。
「あら、ちくわは2本なの?」その人は出されたそばに戸惑いながら、隣に立つ直樹に視線を注いだ。
そして直樹のかけそばに視線を注ぐ。
「失礼ですが、このちくわ1本食べていただけますか?」
その人は戸惑いながら言う。
恥じらうような表情を直樹な好ましく思った。
「喜んでいただきます」
直樹の言葉が笑いを誘った。
狭い店には7人の客が居た。
男子高校生たち4人が店の外で、談笑しながらそばを食べていた。
高校生は野球部員のようで野球帽をかぶり、大きなきなバックを足元に置いていた。
「薄着ですね、寒くないのですか?」
直樹は問いかけた。
「私のこと?」その人は考えごとをしていたようで、周囲に視線を注いだ。
相手の反応を見て直樹は思わず微笑んだ。
その人は12月なのに半袖姿だった。

茨城県の利根親水公園 古代蓮 

2016年07月18日 11時30分34秒 | 医科・歯科・介護
 四季旅遊
利根親水公園の開園は2001年9月(平成13年)で茨城県の水環境整備事業(豊田地区)として設置された。
水生植物園を中心とした公園で,面積は16.270平方メートルです。きらめき池,水生植物園,芝生広場,木道,
木製デッキ, 木橋などの施設があり、水辺の植物として古代ハス,スイレン,ヒメスイレン,ハンゲショウ,カキツバタ,
ノハナショウブが見られ,陸上ではアジサイ,ミソハギなどが見られます。


茨城県利根町中谷の利根親水公園、古代ハス(大賀ハス)・・・我孫子の我が家からバイクで、大利根橋から利根水郷ライン(170号線)
~栄橋(4号線)を渡り真っ直ぐ約2キロ走り~利根町中田切の下井橋から右へ2キロに利根親水公園(自宅から15K)がありました。
早朝でしたので、古代蓮(大賀ハス)が見頃を迎え親水公園の水辺にハスの花が綺麗に咲いていました。

面積は16.270平方メートル 無料  年中無休 茨城県北相馬郡利根町中谷1628
交通:JR常磐線取手駅下車立崎行きバス 「立木新田」で下車徒歩5分
関連ホームページ利根親水公園  

広大な利根親水公園です・・・満開になっても見学者も少ないです。
古代ハスは約2000年前のものとして、認定され大賀博士の名をとって "大賀ハス"と
命名された。1954年に「検見川の大賀ハス」として千葉県の天然記念物に1993年に
千葉市の花に指定され、各地に贈られ友好親善の輪を広げている。







参議院議員選挙結果をどう見るのか?

2016年07月18日 10時39分20秒 | 社会・文化・政治・経済
有権者は、それなりの答を出したのだと思われる。
生活が苦しい人にとっては「今のこの生活をどうしてくれるのか」と期待した。
つまり、共産党などが前面に出した争点の「憲法問題」には、有権者はほとんど関心を抱いていなかったのだろう。
自民党が勝ったというよりは、野党が負けたのだ。

「野党の主張を先取りしていることが、与党にプラスに働いたのだろう」慶応義塾大学・小林良彰教授
「資源の少ない日本では、ものづくりなどの技術力が根幹となっている。それに対する支援を充実してもらいたい。技術や開発の現場は疲弊している。特に基礎技術に対する投資が、日本は低迷している。人に優しい政治、未来のために投資する政治を進めてもらいたい」同教授

人間の尊厳を学ぶ教育に期待するほかない

2016年07月18日 10時11分04秒 | 社会・文化・政治・経済
何があろうと信じ抜く。
この師匠に生涯ついていこうと決意する。
多くの人々はそのような師匠との出会いに恵まれていない。
また、善友に出会うことは幸である。
だが、人生の挫折は悪友との出会いに起因している。
覚醒剤など身を滅ぼす悪因。
テロさえ、悪因に起因している。
皮肉にもパンドラの箱を開けてしまったのだ。
テロはさらに世界各地に拡散するだろう。
人間の尊厳を学ぶ教育に期待するほかない。
人類は悲劇からの開放に100年は待たねばならないかもしれない。
つまり、テロに走る人間は絶えないから、人間性を取り戻すにはなお、100年を要するだろう。