山村 「大迫さん、第一戦はスペインっすよ!」
大迫 「マジ?いきなりスペインかよ・・・・」
山村 「なんか・・・やたら強そうっすね」
大迫 「まずはディフェンスからでしょうが」
山村 「こないだのセレッソどころじゃないでしょうね」
大迫 「パスワークが早すぎて、見えないときがあるらしい」
山村 「マジっすか・・・・やだなあ」
大迫 「なでしこに差を付けられたら、やだよな」
山村 「確かに・・・・向こうは金で、こっちは全敗で予選落ちしたら・・・」
大迫 「柴崎がさっき変な顔してたよ」
山村 「ああ・・・・きっとロンドン行って、川澄さんと知り合いになりたかったんでしょう」
大迫 「確かに出会いのシチュエーションとしては最高だね」
山村 「オリンピックで始まった恋・・・・なんかいいなぁ」
大迫 「柴崎も連れてきたいな」
山村 「あいつは死ぬほど行きたいはずです!」
大迫 「山村君が、手紙でも渡してあげなよ」
山村 「え!なんか柴崎はけっこう本読んでて難しいこと言うんですよ。それで妄想癖もあるんです」
大迫 「なんか凝った手紙書きそうだね」
山村 「そうっすよ。川澄さんなんて難しいこと考えるタイプじゃないから、きっと困りますって」
大迫 「岩政さんに代わりに書いてもらおうか?」
山村 「ますます、ヤバイっすよ。奥さんに毎晩いじめられているらしいっすよ。女は怖いって・・・・」
大迫 「関塚さん、何とかしてくれないっすかね」
柴崎が憮然とした顔でやってくる。
柴崎 「僕も行くことになりました。ロンドンに・・・・」
山村 「え!選ばれてないでしょうが」
柴崎 「MFで二人怪我人が出て、僕が追加招集される夢をみました」
大迫 「へえ・・・・」
柴崎 「で、僕がスペイン戦でハットトリックをして川澄さんが感動して泣いていました」
山村 「それって、希望的妄想でしょ、得意の」
柴崎 「オリンピックのあと、ロンドンの教会で結婚しているシーンも出てきました」
大迫 「山村君、行こうか・・・・・」
山村 「そうっすね。柴崎がロンドン行ったら、大変なことになりそうだ・・・・」
柴崎 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
大迫 「いい言葉じゃん!誰が言ったの?」
柴崎 「将棋の天才、羽生の本に出ていました」
山村 「でも確かに言えてるかも・・・・手紙にその名言を書いてください」
柴崎 「俺も行くから心配しないでください」
大迫 「君の頭の方が心配なんだけど・・・・」
ロンドン五輪、わが鹿島アントラーズからは、大迫と山村が出場します。夏場にこの二人が抜けるのは、リーグ戦にとっては
痛いのですが、なにせ四年に一度のオリンピック。思う存分、暴れてきて欲しいものです。スペイン、ホンジュラス、モロッコ、
いずれも強そうです。特にスペインは強いでしょう・・・・。7月末まで怪我をすることなく、無事にオリンピックで活躍しても
らいたいものです。
まあ、なでしこの方は心配ないでしょう。最低でもメダルは取ってきそうです。スウェーデン戦が最初の難関ですね。お金が
あれば、行ってみたいものです・・・・・
イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンは、1913年11月に北海に臨む、海港ローストフトに生まれた。ブリテンは
五歳から作曲を始めたというモーツァルトのような天才肌だが、作風も万人に愛される童心があふれるような作品が多く、その点
でもモーツァルトに良く似ている。
特に有名なのは、「青少年のための管弦楽入門」だが、「シンプル・シンフォニー」は、20歳の王立音楽院の在学中に、9歳
から12歳までに書いた習作を素材して書いたという、若書きの傑作である。
第一楽章は、にぎやかなアレグロ楽章の「ブーレ」、第二楽章は、常にピチカートで演奏するトリオを持つスケルツォの、
「おどけたピチカート」。第三楽章は、「感傷的なサラバンド」。第四楽章が、「ふざけた終曲」。あふれるようなウィットと
若い作曲家にしか書けない新鮮な息吹に満ちている曲だ。
作曲者自身のブリテンが指揮した、ロンドン交響楽団の演奏がずっと名盤とされてきたが、ここでのオルフェウス室内オーケス
トラもややメカニックな感じの演奏だが、確かにうまい。
また、1976年に亡くなった、ブリテンの死を悼んで作られた、エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルトの「カントゥス」
・・・・ブリテンの思い出に・・・・も素晴らしい作品だ。
ロンドン五輪での日本の活躍、特に大迫と山村の大活躍を祈って・・・・・
アントラーズも再び黄金期を迎えますように!
今日は久しぶりに乳首シリーズです。左側が大迫の乳首、右側が山村の乳首です。
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(両方押すと、彼らは感じないそうなので気をつけてください・・・・・)