錫 杖 流

我流を貫く自由人です。

奄美大島への旅 2019の思い出るバムから

2020-09-05 | 離島旅

昨年2019年9月奄美大島に旅したアルバムを振り返ります。

台風10号が奄美諸島に向かっています。

進路を見た感じでは

奄美よりも枕崎から鹿児島串木野あたりの被害が大きそうな感じがしています。

 

では、昨年のブログ記事を少し編集(追記)していきます。

 

山ばかりではなく海も好きな私(見る方)

オリジナルにアレンジした旅が好き

行き当たりばったりの出会いが大好き

旅での一期一会が自身を成長させてくれる

デジタルよりアナログ派

(情報はネットで取るファジー派でもあります。)

穂高の山を歩いて青い海が見たくなった。

雄大なアルプスの風景を見て、島国のあったかい人に会いたくなった。

 

今回は、鹿児島県南部の離島「奄美大島」に思い切って行ってきました。

1年前は、かなり自由人でした。

 

 

到着してすぐにレンタカー借りて観光 

🎶  スターティング ↑

この日は、とにかく日差しが強くて

さすが南国と実感しました。

 

 

 

涼みがてらに海の見えるレストラン

「AMAネシア」にて黒マグロ丼

これ最高に旨かった!

海が目の前なので台風の被害が出ないことを祈るばかりです。

 

南国ムードたっぷり

 

 

 

 

 

奄美大島に旅したかった理由その1

 

田中一村美術館

 

明治41(1908)年,栃木県に生まれる。

幼い頃から画才を発揮し,

7歳の時,父の濔吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられる。

大正15年東京美術学校入学後,

わずか2か月余りで中退,その後南画家として活動する。

第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが,

その後中央画壇とつながりをもつことはなかった。

昭和33年50歳で単身奄美大島に移住。

紬工場で染色工として働き,蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返し,

亜熱帯の植物や動物を描き続け,独特の世界をつくりあげた。

 

絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した一村は,

昭和52(1977)年69歳でひっそりとだれにも看取られずにその生涯を閉じた。

 

 

一村さんの生き様に共感します。

 

不思議な引き合いを感じつつ

美術館を後にしました。

 

今宵の宿は

奄美市の繁華街で飲み明かすではなくて

 

自然豊かな山間の村で「民泊」です。

人との出会いを大事にしようが

2つ目の目的です。

 

私らしいでしょ

 

しばらく旅はつづく