tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

続 #選択的夫婦別姓 に置ける私見

2017-12-13 19:12:24 | 日記


#選択的夫婦別姓 に置ける私見の続き

まず、考えてください。【選択的】なのだから《別姓を選択した場合》でも、夫婦の同意は間違いなく必要だし、更には同居家族の同意すら伺う必要も出て来ます。つまり〘信頼関係が無ければ出来ない〙。それを【絆】と言うんじゃ無いですか?

〘《別姓の選択》も【家族の絆が無ければ出来ません。】〙 これが大前提です。

また、伝統とは全て国が保護してる訳では有りませんよね。それに〚選択的〛なのだから。【一定の保護】は保証されてます。夫婦同意の上で『同姓は伝統の尊重だ。』と思うなら一方の国家的保護である〚同姓を選択〛すれば良いだけ。

争点は【自由の価値】なので有って、識別性は各書類や身分証への但し書きの添付で幾らでも補完出来ます。

まずは社会的に、例えば【佐藤・鈴木夫妻】のような複合表記を普遍化し、免許証なら裏面のメモ部分に但し書きの添付と、必要なら公的の内容証明を行う制度を作れば良い。その他書類なら、夫婦証明の但し書きを行う為のスペースを設ければ良いんです。

また、子供が出来た際は夫婦同意の下、便宜的に一方の姓を選択して、本人が成人した際に、自らの選択が出来る制度を作れば良い。


重要なのは社会的固定観念を打ち砕く新たな定義だけなんです。



【選択的】なのだから。夫婦同意の上で『伝統の尊重・識別性の強化や同姓に依るアイデンティティの強化が出来る。』と信じるなら〚同姓を選択〛すれば良いし、更に言えば、その夫婦は曖昧な今まで依りも、更に強く意識するのだから、そもそも【観念の強化が起きます】。

逆に必要性に置いて『私達の絆は何が有ろうとも揺るがない。』と思うなら〚別姓を選択〛すれば良いんです。つまり、観念的に絆が弱まる事は無いし、【逆に強くなる】としか言えません。

その先に離別が有るなら、それは当該夫婦の質の問題だけです。


●《これを【Win―Win】と言うのだと私は信じます。》●

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