tontonjyoのブログ

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続 #リベラル 考。宗教原理的な統制による慈悲の心や施しと【 リベラル 】は違います。

2017-12-09 15:19:46 | 日記


【 #リベラル 考 】の続き。



現代的な観測から言えば、広義のリベラル(Neoliberalis・Classical liberalism含む)とは〚国家や、社会や、権威が行おうとする統制に対して【個人が決定権】を持つとする立場〛です。

『狭義のリベラル』とは一般に、それと称される勢力。【既に自由が保証されてる社会的強者により、図らずも制限される〚社会的弱者の自由を確保〛する為に行動する人達の事】です。つまりこれが〘基本的に統制的な宗教原理による慈悲の念や施しとは違う〙所。

〚社会的弱者の自由確保〛とは、図らずも《「マイノリティ・ライツの身体的自由を確保すれば自ずと選択的自由も確保出来る。」》と言う体になります。


欧米的な哲学では、特にキリスト教義の統制を下地に、慈悲の念と伴う施しから《リベラリズム》を見出してる所が有るが、それでは他宗教・無宗教を説明出来なくなるし、例えばイスラム教へのコミットを図る場合に【宗教対立】に成ってしまう。そして、それが世界を混乱に貶めるんですよ。

更に言えば、例えばロヒンギャに対する仏教原理もそうで、そもそも宗教原理主義者とは統制的で不寛容な面がある。


【自由の価値】とは万国共通とも言えるのでは無いでしょうか?

キリスト教的な価値観が無くとも、その〘置かれた立場に関わらない共感性〙において『弱者の社会的要求に対して答えて行くべきだ!』と言う姿勢が【リベラル勢力には重要】なんです。結果的に、それが〚社会的弱者の自己決定権を担保する〛のだから。



更に言うなら、プログレッシブ・進歩主義者もリベラルに分類されます。

例えばフェミニストなら【女性の自由確保勢力】と成ります。

現代では田嶋陽子のように、攻撃性に富むラディカル・フェミニストだけでは無く、【女性的な特徴を最大限認め、それを活かす事を是認しながら、仕事のスキルなどの内面的な社会的評価や、性差による行動的な制限の是正などを介した平等性を求める人】。所謂、〚リベラル・フェミニスト〛も自覚を持って来ている。

当該は進歩主義者であり、リベラル勢力に分類されるされます。


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