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英語歴

2005年04月25日 | 自己紹介
私の英語歴は(実力のわりに)かなり長い。
一般の留学生よりもはるかに歳を取っている分、やっぱり、長い。

現代のお子様たちと違い、私が初めて英語に触れたのは中学に入ってからで、
目立って良い生徒でも悪い生徒でもなかった私の成績は3年間ずっと「3」。
高校に入ってからは(恥ずかしながら)勉強を一切放棄していたため、
英語の成績はずっと「2」。(つまり、高卒でも中卒並みの学力しかありません)
高校卒業後、大学には進学せず、英語を勉強することもなかったのだけど、
社会人になってから洋画を頻繁に見るようになり、
洋楽なんかもやっとこさ聴くようにもなり、
英語を耳にする機会は学生の頃よりも増えた。
が、その頃は特に「英語」を意識したことはなかった。
そして友人たちと海外旅行に行くようにもなり、
ある日語学留学経験のある友人から「ツアーを使わない個人旅行しよう」と誘われ、
「個人旅行なら少しは英語勉強したほうがいいかなぁ」
と、英語学習教材を購入する。(朝日新聞社のFirst trip to adventureというテープ)
それと同時にNHKラジオの「基礎英語シリーズ」と「ラジオ英会話」も欠かさず聞きまくり、
少しずつ、少しずつ、自分なりに英語を学ぶようになり、早速英語の魅力にとりつかれる。
(この出来事は私の人生をゴロリと変えたと言える)

勉強を始めてから半年後、ちょっとばかり旅行英語みたいなものに自信が付いた私は
自分の英語力を試すために、旅行に誘ってくれた友人を置いて、一人でアメリカに出発。
(これがはじめての海外一人旅)
そしてこの経験に味をしめ、それからも引き続きラジオで英語を勉強し、再びアメリカへ。
このように、当時の海外旅行の一番の目的は「英語を使うこと」で、
英語がそこらじゅうに溢れていて、肌から英語に触れられるこれら滞在期間は
私にとって最高の時間でありました。
(たいして話せなくても↑)
さらには会社を辞めてまでヨーロッパ(主にイギリス目当て)旅行に出かけ、
その後ワーホリでニュージーランドにも滞在。

が、ここらあたりで私の英語に対する情熱が薄れはじめる。

日常会話がほんの少しできるからと言ってなんなんだ。
海外旅行に行かなければ使う機会もない英語。私のやってることって無意味?!
まぁ、これと言って目に見える目標や結果がなかったことが、やる気を失った原因ではないかと思う。
そしてワーホリからの帰国後、ぴったりと英語の勉強をしなくなり、英語氷河期が訪れる。

しかし数年のブランクのあと、英語の勉強意欲が再びじわじわ湧き始め、
TOEICというビジネス英語のテストの存在を知り、
このテストに向け、「文法の勉強でもやってみるか。」
と、今までとは違った方法で英語に取り組むようになる。
テストスコアという形に残る結果と、いいスコアを取るぞという目標を持つことができ、
そしてそれまでちゃんと学んでこなかった文法にも真っ向から立ち向かい(大げさ)
改めて英語を学ぶ楽しさを味わう。
(ちなみに2001年に受験したTOEICの結果は685だす。パッとしませんね。)
そして当時TOEICを教えてくれていたイギリス人講師に留学を薦められ、
突然夢にも思わなかった留学を決意。
(その後TOEICからTOEFLの勉強に切り替え、節約のために英語教室をやめる。ごめんね、講師。)
でも実は留学の話をもちかけられたとき、
「私みたいなアホが留学できるわけないやんけ」
と、呆れた眼差しで講師を見てしまった私である。
なぜならば、留学と言えば(語学留学ならともかく)中学・高校でしっかり英語を学び、
堅実で特殊なバックグラウンドを持った「ご立派な学生」がするものだと
ず~~っと思っていたからだ。(マヌケ)
なので高校の勉強(特に英語)をすっ飛ばしてしまった私には
留学なんて全く考えもしなかったことで、
でも世の中には美味しい話が転がっているもので、
こんな私にもコミカレ留学という道があることを知り、2002年夏に渡米。
さらにはコミカレ経由で四大への学部留学も実現してしまい、
この「アメリカ留学」は奇跡と言ってもいいほどの夢物語。
多分、高校を出てからすぐに留学という形で進学されている若いお方たちにとっては
留学や大学進学というのは当然の流れだと思うけども(←非難しているわけではございません)、
私にとっての留学は本当にありがたい奇跡なのであります。
神様ありがとう~~。(←私はAtheistですが)

さて、私の英語歴はトータル何年でしょう?
(計算するのもいや)


大学選び(私の場合)

2005年03月26日 | 自己紹介
このブログのサブタイトルどおり、
私の留学は正真正銘「行き当たりばったり」。

私はもともと「旅行・ホテル業」の勉強のために渡米したのだけど、
コミカレ在学中に「国際関係」という専攻の存在を知り、
当初の(旅行業)アドバイザーには何も相談もせず専攻を変更した。
進路(専攻)を変更したあと
新しくついたアドバイザーは「政治学教授」だったのだけど
わたしが「●●大へ編入して国際関係を学びます」
とかなり言い切っていたためか、
はたまたアドバイザーに特別相談を持ち掛けなかったためか、
彼は私の編入に関してアドバイスなど全くくれなかった。(ほんとに全く)

結局誰からも何もアドバイスを受けず勢いだけで突き進んだ私の進学は
今思うとかなり無鉄砲なうえ、
「国際関係」がどのようなものか
ほとんど把握しないまま編入してしまったような気がする。
これは決して専攻の選択を後悔しているのではなく、
「国際関係」という専攻名だけにこだわり最初の大学を選んだ
当時の自分がアホに思えてしょうがないのである。

「国際関係」は政治学の一部であり、
政治学専攻がある大学なら、恐らくどこででも国際政治は学べる。(はず)
国際政治に強い大学とそうでない大学の差は「大きく」あると思うけども、
私の場合、まずはこの勉強ができればいいと思っていたので
(そして自分の英語力や資金的問題もあり)
大学のレベルには全くこだわりはなかった。
が、【IR国際関係】というタイトルは絶対だったので、
この専攻がある大学は編入先の絶対条件であり、
編入前当時、IR専攻のない現在わたしが通っている大学には
全く見向きもしなかったのである。

しかし、ひょんなことで今の大学のWebsiteを見て、
「政治学」として国際政治のクラスがたくさんオファーされていることを知る。
そして学びたい分野の「専攻名」だけでなく、
「クラスの種類」から大学を選ぶこともできたことに気づき、
自分の最初の大学選択を後悔すると同時に
今の大学へ「政治学専攻」で編入を決意。

最初に通った大学は「カレッジ」で、今通っている大学は「ユニバーシティ」。
そしてこのユニバーシティには、実は大学院にIRがある。
つまり、編入前見向きもしなかったこの大学は思いがけず、
「国際政治度」が高かったのである・・・。
質の面はまぁわかりませんが。
(でもユニバーシティだけに資料や情報など豊富そう)
学部生でも院レベルの授業を取ることが可能なので
たとえ学部留学であっても、
院レベルの専攻、クラスをも同時にチェックするのは
大学選びのキーポイントかもしれないぞと。
(私は院レベルのクラスは取りません)無理

しっかし、私のような、しかもいい大人の30代で、
計画倒れ行き当たりばったり留学をする人が
世の中にいるのだろうか・・・・。



進路

2005年03月13日 | 自己紹介
私が今学期履修している「Political Theory」の教授は
学生の頃Political Science(政治)ではなく
English(英語)を専攻していたらしく
そしてその教授の娘さんは「Russian Film」専攻で四大卒業後
Law schoolを出て、現在弁護士として活躍しているとか。

私の場合、
「インターナショナルな分野で仕事がしたい」
という大雑把な夢のために
「旅行・ホテル業」専攻で渡米したものの
留学1年目に急遽進路を変更。
そして編入した大学では「IR(国際関係)」を専攻したのだけど、
今学期から別の大学に移り
現在「Political Science(政治学)」を専攻している。

だいたい「IR」の「学位」だけではその道の仕事に就けるはずがなく、
そして「政治学」となるとさらに
日本人の私には就職の道は完全閉ざされたようなもの。
(それでも政治学専攻にかなり満足している。念の為↑)
しか~し、教授や娘さんの専攻話を聞いて、
「大学だけでは人生決まらないものだ。」
と30過ぎた今でも、
自分の限りない可能性をビシバシ感じてしまう。(甘い)
もちろんその可能性のためには教授やその娘さんのように
更に上の学校を出るのが条件の一つになると思うけども、
大学院に行くとしてもどの方向に進むか実は全く未定な私。
自分が何に興味を示すかそのときにならないとわからないし、
とにかく知らないことが多すぎる今
進路を決めてしまうのはもったいない気がするからだ。おいおい
早いうちからやりたいことが見つかり、
その道にガシガシ一直線に進むのはすばらしいと思うけども
(↑私にはできなかったし、今もできない。)
留学前とは予定外の方向に進んでいる私としては
これからどんなことを新たに知り、
そして自分がどういう決断をくだすのかかなり楽しみだったりする。

日本だと入学前に専攻を決めて大学に進むせいか、
はたまた一度入学したら専攻は変えられないということのせいか、
進路が決められない場合は
大学に行けない、行ける訳がない、と思っていた。
しかしアメリカの場合、
大学は入学前に自分で決めた道のためだけでなく、
幅広い分野のクラスを取りながらやりたいことを見つける場でもある。
(なんでも浅く広くという薄っぺらな性質の私にはぴったり)

私が前通った大学と比べると、今通っている大学は
「偏りのない学習を通じ視野を広げ、自分の能力を見出すこと」
が重視されており、
卒業には専攻と被らない分野の副専攻が必要だし、
GE(一般教養)requirementの分野も厳しく設定されている。
なので、この大学の方針どおり(?)、
四大では知識を増やすことを目標とし、
それから自分がやりたいこと、できることを見つけようと思っている。
(そして大学院に進む)←無理
しっかし、
30過ぎてこんなのんびりしたことを言っていてよいのだろうか。
(いいんです)

先週、来学期のクラススケジュールが大学のWebsiteで公開された。
そして来学期は(も)卒業Requirementを埋めるために
今まで全く考えもしなかったクラスを幾つか取る予定である。(取らなきゃならん)
これでまた新しい世界を知ることになるのだろう。うーん、楽しみ♪


ドイツもの

2005年02月25日 | 自己紹介


最近自分の持ち物を(強引に)披露してるだけのような日記が続いている。
が、それなりに留学に関連させているつもり。←してない

先日ドイツの方からコメントをいただき、
それがきっかけでふと
「私のドイツものはどうしてるだろう?」
と、ダンボールに詰め込んであった本たちをガサガサ取り出してみた。

画像に写っている一番左端の日本語の本は「ドイツパン入門」。
これは写真のパンがあまりにも美味しそうだったので、
「眺めることを目的」に5年ほど前、
日本で買ったクッキング・ブックである。
それでも多少焼いてみたいとレシピもチェックしてみたのだけど、
私の家にはオーブンがない。ガーン。焼けない。
アメリカの家やアパートには必ず(?)オーブンがついているので
パンを焼くことができる!
と、このアメリカに持ってきたパンの本であるけども、
アメリカ滞在3年目、今まで一度も焼いたことなし。

ドイツパン入門の横3冊は
前の大学で拾った「ドイツ語練習問題集」みたいなもの。
ドイツ語はいつか機会があれば続きを勉強したいと思っていて、
(Elementary Levelのみ完了)
「もしかしたら今後役に立つかな~」とウキウキ拾ったわけで。←得意
拾った場所は大学の廊下なのだけど、
四大に限らずコミカレにも校舎の廊下などに
「ご自由にどうぞ」
というサインと共に、いらなくなった書籍が山積みで置いてある。
教授の部屋の前の廊下はチェックする価値大!でございます。

更にその横の2冊の「ドイツ・マガジン」は友人Saraにもらったもの。
彼女のお婆さんはドイツ系で、ドイツのものをたくさんもっているらしい。
ドイツ語初心者でもマガジンならば・・・と思っていたけども
結局ほとんど読まずに写真を見るだけ。というか読めない。ガーン
文法はある程度わかっても単語力があまりにもなさすぎて、
内容が簡単そうなマガジンでも「読む」のはちょっと無理である。これが現実

そしてその横の本2冊は、コミカレで履修した
「Elementary German」のテキストブックと練習問題集。
ちなみにドイツ語文法のややこしさは相当なものである。
私が「難しい」と感じるときは
「自分がバカだから・・・」と思うのが常なのだけど、
このクラスだけは別。キッパリ
Elementary Levelにしちゃぁ、本当に難しいテストだった。ぶつぶつ・・

最後に、一番右端のドイツ語辞書は
パブリック・ライブラリーの古本セールで購入したもので、購入価格は1、2ドル。
テキストブックに掲載されているドイツ語はすべて訳が載っているので、
ドイツ語辞書は特に必要なかったのだけど、
あると便利かも・・・・と購入。しかーし、ほとんど使ったことなし。
でも持ってるだけでなんか嬉しい。(←幸せ者)

以上、
どれもこれも全・然・使っていない「ドイツもの自慢」でした。自慢にならん



深夜特急

2005年02月22日 | 自己紹介

初の海外旅行は21歳のときに友人たちと行ったグアム。
それ以降、安さと手軽さが気に入り
何度かグアムに通ったものだけど(ジムではない)、
それと同時に20代で嵌った旅行は「海外一人旅」である。
一人旅と言っても、いわゆる「貧乏旅行」と呼ばれる
バックパッカータイプの旅ではなく、
単に友人抜きで、一人でのそのそ海外旅行をしていただけのもの。

初めての海外一人旅では(ちなみにサンフランシスコ)
チケットとセットになったホテルが宿泊先だったし(贅沢)、
それ以降の海外旅行では
B&Bや安めのホテルを現地で見つけて泊まっていたし(贅沢)、
そしてワーホリ中にしたニュージーランド旅行は
車を使っての旅行だったせいか、ホステルに泊まっても
「バックパッカー」をしている気分は全くなかった。
(車があると寝袋をたたまなくてもいいので大変ラクである)

そんな私が初めて「バックパッカー」らしきことをしたのは
ワーホリからの帰国途中したオーストラリアと東南アジア旅行。
これらの旅行はただの「立ち寄り旅行」だったため資金があまりなく、
完全なるキツキツ旅行だった。
なので、「バックパッカーをするにもある程度の金がいるもんだ」
とひっそり感じ、色々な面で疲れたものである。(↑当たり前)
それでもこのバックパッカー旅行はとても楽しかったので、
お金を貯めてまた同じような旅行に出たいなぁとも思った。

その旅行(ワーホリ)からの帰国後すぐ、
「大沢たかおの深夜特急」をTVで見て
「沢木耕太郎の深夜特急」を知り、
会社の人が持っていた単行本を借りる。
1,2巻を読んでみて、すっかり興奮した私は
借りるだけでなく「自分の手元に持っておきたい」
と、3~6巻を購入。
(なので1,2巻は持っていない。画像参照)
TVと本の影響で
「ユーラシア大陸横断してみたいな~」
と、ものすごく思った当時であるけども、
思っただけで結局実行には移さず・・・・。
(その代わり大沢たかおファンになる)←?

そんなわけで・・・
ワーホリで立ち寄った東南アジア旅行以来、
ホステルに泊まる旅は一度もしていないし、
今後もすることは(絶対)ないだろう。と思うほど、
今はもうバックパック旅行する気力がない。
が、沢木耕太郎の単行本(と大沢たかおの写真集)を
日本からアメリカに持って来てある。
これらは何気に私の宝物の一つ・・・なのであーる。