気まぐれ 花★旅日記

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命のともしび 父、育ての母の事

2015年08月31日 13時56分00秒 | Weblog

日曜日の朝、夢の中で携帯が鳴っていた
リビングに置きっぱなしにしていたのだが何度も鳴ってたらしく
ようやく目が覚めて携帯を開いてみると、大阪の父(84)からで、お留守番メッセージも入っていたので聞いてみた

私を育ててくれた継母(89)が危篤だと

大慌てで支度していたら又電話が鳴ったらしく今度は主人が折り返し電話してくれた

取る物も取り敢えず大急ぎで主人と病院へ向かう

10時前に到着したが容体は落ち着いてきたようでした  電話が有った頃が一番危なかったらしい

2年前に父を訪ねた時には継母も元気で一緒にカラオケに行ったのが思い出されます 
その時のブログ→ 大阪駅 トワイライトエクスプレスを撮り鉄(笑)

継母は今年3月から入院していたらしいが徐々に回復して7月には、もうじき退院できるかなと思っていたようす
お盆頃から徐々に容体が悪くなって3日前から意識が無くなったらしい

喉に開けられた呼吸器で話が出来ないのと耳も遠いのでずっと筆談していたらしくノートが3冊
途中からは父の日記のようになっていて父の辛い思いの程が綴られていた

尿も出なくなって
顔だけはむくんでいなかったが、手足のむくみが酷く血管が見付られず、もう点滴も出来ない状態
と言う事は何日も飲まず食わずでただ呼吸しているだけのようだ

実の両親が離婚したのは私が小学校1年生の時
その前から長い間、別居していたようだ

私は島根で母と妹と祖父母の家で暮らしていたが 
ある日、父が訪ねてきて「お母ちゃんが知子は要らん子や言うてたからお父ちゃんと一緒に行こう」と騙されて
今、思えば父に誘拐された形で大阪の親戚の家に預けられた
後から聞いた話だが島根の母たちは死に物狂いで探し回ったらしい 父親に連れ去られたと分かり泣く泣く諦めたのだとか

小3の時、父が再婚した
10歳年上の義姉もいた

継母はお嬢様育ちで嫁ぎ先も裕福な所だったらしくお手伝いさんが何人もいる家で子育ても人任せだったのだとか

私は小3だったからなのか中々継母と打ち解ける事が出来なかった
出来の悪い子だったせいか   冷たくされた事とか、いじわるされた事しか記憶にない

父はとても厳しくて、度々叩かれた 特別悪い事をした訳でもなく 些細な事で怒られた
例えば返事の仕方が悪いと直ぐに手が飛んできた まるで軍隊みたいに「はい!!」と返事しないといけなかった
(その返事は色んな所で笑われた)  実の両親の離婚はDVが原因だったのかも知れない

一度、「暴力を振るわんといて!」と口答えした時には掃除機が飛んで来て耳の後ろがざっくり切れて寝込んだ事が有るが
その時、父と継母は旅行に行ってしまった
2人は1~2ヶ月に1度は旅行に出かけていたが私は1度も連れて行ってもらった記憶はない

家に私の居場所は何処にも無かった  暴力にも耐えられず私は17歳で家出し 
その後の私が波乱万丈で生き抜いて来た事は容易に想像できるかと思います

10年前、今の優しい主人とお見合いで結婚した時に
主人が「もう水に流しましょう」と諭してくれた事がきっかけで又、父と交流を持つ事が出来るようになりました

私も自分の子供を産んで子育てで戸惑う事も多々有ったので父の事を多少理解できるようになったからかも知れません


病院の休憩室で父が突然涙を浮かべながら「ずっと知子に謝ろうと思ってたんや中々言い出せんかったんやけど子供の頃、1回だけ酷く叩いた事を
物凄く後悔してるんや  ずっと辛い思いをさせて本当にすまなかった 苦労させたな ほんまにごめんな」と何度も謝られました

お父さん叩いたん1回だけとちゃうで~ 何回叩かれたか数えきれん位や!と思ったけど
もう済んだ事やし許してるから交流を持ってる訳やし  
「私も子育てしてお父さんの気持ちは分かっているから、もうええよ」と伝えましたが、やっぱり ずっと気がかりやったんやなと胸が痛くなりました

継母もその事はやはり気がかりだったのかな
私が病室で話しかけると目から涙がこぼれました

意識は無いと言っても もしかしたら分かってるのかも?と思った瞬間でした

とりあえず落ち着いて居る様子だったので
主人と二人で食事へ

気が付くともうお昼でした  朝ごはん食べて無かったのでお腹ペコペコ

天ざる注文したらおにぎりまで付いて来て美味しかったけど食べ切れず(笑)



食事を済ませて病院へ戻り
その後、父が家に来てと言うので3人で家へ

色々な思い出話に花が咲きました
父は同じ話を何度もリピートするので横で主人が居眠りしたのが笑えました
ただ、身内の誕生日を全て覚えていて少しもボケては居ない様子

父もですが継母も赤穂浪士が大好きだった様で2年前カラオケで主人がたまたま歌った俵星玄蕃に継母が痛く感動した事とか
もう一回聞きたいって何度も言ってたそうです   PCが有ったらYouTubeで聞けたのにね

1人になったら寂しくなるなぁ~と涙を浮かべていた父に
「今度旅行に行く時は誘うから」と言うと凄く喜んでくれました

もう継母は、もって後 数日だと思います
点滴も出来ないのですから・・・


すみません  しばらくコメント欄閉じますね