サヘル・ローズさんの講演会に行く機会が有り お話を聞いてきました
イランで生まれて4歳の時イランイラク戦争による空爆で両親を失い ガレキの中からボランティアの女学生に助け出され7歳まで孤児院で過ごされました。
孤児院では食べるものは毎日出るとは限らなくて、とても ひもじかったそうです
何度も会いに来てくれた女学生に「お母さんになって」とお願いしたら 何とお母さんになってくれたのだそうです
実は養子を迎えるには3つの条件があり
結婚していること(日本へ働きに行っている夫が居た)、裕福であること(王族で裕福で有った)
そして子供が居ない事と産めないと言う条件(彼女はサヘルさんを迎えるために子供を産めないように手術をしたのだとか・・・)
お母さんはサヘルさんを養子を迎えた為に親族から縁を切られてしまいました 困り果て彼を頼って8歳のサヘルさんと共に日本へ渡って来られたのです。
初めは楽しかった3人での生活も 孤児院での癖が中々抜けなくて(食べ物をガツガツ食べるなど) 彼に嫌われて酷い虐待を受けるようになり
お母さんはサヘルさんを連れて家を出て公園でホームレス生活をしました
2週間経った頃、当時通っていた小学校の給食のおばちゃんが異臭がするサヘルさんに声をかけて事情を聞き
なんとお母さんと一緒に自分の家で1ヶ月も面倒見てくれて 家も探してくれたそうですよ
お母さんはイラン人が経営するペルシャ絨毯の工場で働いて居られたようですが、極貧生活が続いたそうです
毎日、1袋何十円のパンの耳やスーパーの試食コーナーを何度も回ったり 麺だけを炒めて塩コショーで味付けて食べたりと言う極限の生活
お風呂もなくて週に2回、2分間100円のコインシャワーを2人で浴び泡が残ったまま帰ったことも有ったとか (貧乏だけど愛する人と一緒に暮らせて楽しかったそうです)
当時イラン人が薬物や偽造テレカを違法販売してニュースになっていた時期で、中学の3年間は凄まじいイジメに遭われ地獄だったとか
特に酷い話は教師までもが見て見ぬ振りをしたという事
ある日、理科の実験で薔薇の花を持ってくるように言われました
ツナ缶1つを3日分の昼食にしていたお母さんには言いにくかったけれどお金を貰って200円の薔薇を買って学校へ行ったら
後ろから突き飛ばされ持っていた薔薇を踏みつけられて・・・・ 通りかかった教師は助けるどころか「お前は授業を受けられないからな」と言ったそうです
そんな事が度重なり絶望感と生きている意味を見いだせなくなり、本気で死のうとした事も・・・・
だけど、サヘルさんを引き取ったことで自分の人生を台無しにしてしまった働き詰めのお母さんに、まだ恩返しをしていない事に気が付き 思いとどまったのです
野菜が持ち帰れると言う理由で高校は園芸学校に進み そこで素晴らしい教師に巡り会えて人生が変わったのだとか
大学にも進んで演劇の勉強もして 現在は女優と講演活動で活躍されておられます
将来の夢はオスカー女優になってイランに孤児院を作りたいのだそうです。
日本人より綺麗な日本語を流暢に話されて1時間半のお話が終わりました。
平和ボケした日本人には想像も付かないような過酷な人生ですね
どうかサヘル・ローズさんの夢が、いつか叶う事を願わずには居られません