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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

温暖化防止のため殺されて死んだ夢

2008-12-17 | 真夜中の夢
 深夜、うつらうつらと夢を見ていた。
 地球温暖化の根本原因は地球人口の大幅な過剰にあるということから、国連の秘密会合で大幅な人口削減計画とその実行について話しあわれたらしい。現在のペースで少々の省エネルギーをやったところで、地球上の人口をこのままにすれば、現在の地球温暖化の急速な進行を食い止めることは不可能である。今直ちに産業革命以前の人口に減じたとしても、既に排出蓄積した炭酸ガスのせいで、当面の温暖化の進行を食い止めることは出来ない。このような議論を経て、日本の適正人口は3千万人ということに決定したそうだ。何とわが国だけで1億人近い人口を削減しなければならないということとなった。
 わが国の人口削減計画は直ちに実行に移された。暴動や社会不安を引き起こさず、粛々と1億人を抹殺するということだ。このことについて、何の報道や予告もないまま、秘密裏に着手された。抹殺対象となる人々の機会の平等を保障するために、行動計画の対象は無作為に抽出された。世界中のすべての国で、やり方は異なるが同様のことが行われているとのことであった。
 夢は続く。
 自分はある大きなビルのオフィスで仕事をしていた。建物の内部に突然の緊張と殺気が走った。ビルのすべての出入り口が閉じられたことが分かった。屈強な実行部隊の隊員数名が殺人用の機材を持って廊下を走り抜けて行った。ビルの中に居るものは全員、社会的な地位などに関係なくすべて平等に死ななければならないことになったのだ。
 自分は逃げた。逃げると言っても、どこへも行くところがない。結局、一つの小さな部屋に逃げ込んで、内側から鍵をかけて息を潜めるだけのことであった。其処には2名の同僚が既に隠れていた。実行部隊の隊員は、各部屋を順に巡回し抹殺の処置を行っているようであった。遠くから物音が段々と近づいてくるので分った。やがて我々の隠れている部屋の前で足音が止まった。鍵の掛かったドアの向うで淡々と作業をしている。人の声は一切なかった。内部の自分を含めた3人は自然に身を寄せ合った。
 市民無差別殺害の手順は次のようのものであった。先ず最初にX線が照射された。いわゆるレントゲン撮影である。部屋の内部に人がいるかどうかの確認のためらしい。我々3名の位置がドアの向こう側で精細に検知され特定された模様だ。続いて、抹殺対象の所在場所に強力な放射線が数回にわたって照射された。自分の身体の中を放射線が通過していく。実感はないが、ジーという放射線源の密閉箱のフタの開閉音が聞こえてくるのでそれとなくわかる。3名は少しでも直接の被爆を避けようとしてお互いに後ろへ回り込んだ。3人の陣取り合戦は1分ほどで終わったが、3人とも何事もなかったように生きていた。実行部隊は次の部屋へ行って、同じ処置をしているようであった。
 次の瞬間、自分はビルの外を歩いていた。何だ、生きているではないかと思った。しかし、それは甘い考えであった。むしょうに喉が渇く。水が飲みたい。胸がムカムカする。吐きそうである。自分は、ふらふらしながら自宅まで帰った。しかしながら、自分の命は二日しか持たなかった。
 ビルの中で多くの人間を殺害すれば、その後の死体の処置が大変である。そんな予算も手数もない。それよりも、対象者は自力で自宅まで帰ってもらって、それぞれ家族に看取られて死んでいくのがよい。その後の葬式を経て行われる死体の処理も、それぞれの家庭の負担できちんと行われる。何ということか、そこまでの政府の計画者の深謀遠慮が働いているのだ。
 二日後に自分は死んだ。死んだ自分は地球上には居ない。人はいずれ死ぬのだ。全員が死ぬ。死というもの何も怖いものではない。本人にとっては至極気楽なものであった。
 このあたりで目が覚めた。夢でよかった。そして、ぼうっとしながら考え続けた。死ぬということ。それは仕方のないことだ。一人に一回の死が平等に与えられている。何も自分だけのことではない。騒ぐことはない。自分にしても、死んでしまえば、その後は何も出来ないという悔しさが残るが、それを思う自分が既に存在しないのであれば、まあそれでも良い。しかし、他ならぬ自分が死ぬということ。やはり尋常ではない。自分は良くても、周囲の者の悲しみは避けられない。妻や家族やこれまで付き合ってくれた友人たちとの永劫の別れとなるのだ。死の一番の問題は其処にある。
 結論として、死と言うもの、やはり、周囲の人々との別れというものが一番恐ろしいことなのであろうと、布団の中で暫し考えている今日の寝覚めであった。


一晩に多くの夢を見たマルチ夢

2008-09-07 | 真夜中の夢
 昨晩は多くの夢を見た。その都度、トイレに行ってお茶を飲んで寝直したので、その都度、直ぐにトイレに行きたくなって目が覚めた。目が覚める前には、いずれも何か夢を見ていた。どれも大した夢ではないが、その断片を少しずつ覚えている。大抵の夢は、次に寝たときに完全に忘れてしまうのに、不思議なことだ。
 一つ目の夢は、多分、昔の会社での出来事のような気がする。
上司や仲間への気遣いに、少々、疲れて、気晴らしにオフィスの外へ出た。目の覚めるような青空であった。そこは運動場のようである。敷地境界のフェンスに沿ってぶらぶら歩いていくと、一角に野外ステージがあった。ステージには数十人の子供が整列して合唱をやっていた。今日は体育祭の日かと思って、合唱中の子供達を見物していた。すると、突然、観客席の一角で小さなざわめきが起きた。かと思うと、一人の中年の男が合唱団の子供に向かって大きな岩の塊を投げつけたのである。石は最前列の子供に当り、子供が転倒した。大怪我をしたようであった。可哀想に、この男は何ということをするのかと思った。その男は、仕事疲れでノイローゼになっていたのであろうか。自分と同じように仕事中にオフィスから抜け出してきたのかもしれなかった。自分の頭の中で、この中年の男と自分とが重なった。突然、心の中でヤバイ、逃げろとの声が聞こえた。自分は何もしていないのに、なぜか必死になって逃げた。自分の後から大勢の人たちが追いかけてきた。ここで目が覚めた。いやな夢だったので、ゲン直しにトイレに行ってお茶を飲んで寝なおした。
 二つ目の夢は、乗り合いバスに乗っていて降り損ねた夢である。
会社からの帰りであったのか、自分は大阪市の市バスに乗っていた。帰宅先は、はるか50年以上も前に住んでいたと思われる場所であった。バスが大阪谷町六丁目の停車場の近くに来たので、降りる準備を始めた。冬であったのか、自分はバスの中では上着とオーバーコートを脱いでいた。やおら、上着を着て、その上にコートを重ねて着て、もたもたしている間に、降りるべき駅が目の前を通りすぎて行った。よくあることだが、しまったと思った。次の末吉橋の停留場でもいいかと思って、今度は荷物を手に持って降りる体制を早めに固めた。しかし、自分はリュックを背負った上に、みやげ物の入った紙の手提げ袋を二つ持ち、両手が完全にふさがった状態であった。ズボンの尻ポケットに入れた財布の中の切符をどのように取り出そうかと思っているうちに、次の駅も通り過ぎてしまったのである。自分は次に停まる駅は何処かと運転手に尋ねると、運転手は無愛想に、最後は神戸の車庫まで行くのだと答えた。神戸まで連れて行かれては大変だと思いながら、外を見ていると、バスは、嬉しいことに、大阪ミナミの道頓堀の近くで、停まった。自分は、今だ、と思って運転手に切符も見せず、バスから飛び降りた。無賃乗車と思った運転手が追いかけてきた。全速力で逃げている最中に目が覚めた。前の夢と同じく、いやな夢であった。ゲン直しに、また、トイレに行って、お茶を飲んで寝た。
 三つ目の夢は、手提げカバンを探し回っている夢であった。
会社からの帰りのことである。通勤用の黒い柔らかい革の手提げカバンを手に持って帰ろうとした。帰宅して、自宅でやるべき沢山の仕事を抱えていた。途中、廊下で持って帰るべき資料が足りないことに気がついて、カバンを廊下の手すりに乗せて部屋に戻った。資料を持って、元の場所に戻るとカバンが忽然と姿を消していた。おかしいなと思った。最近の自分には健忘症の気がある。全然別の場所に置いたことを忘れてしまっているのではないか。そう思って、自分の関係する部屋、机の周り、歩いたと思われる廊下、あらゆるところを探し回ったが、カバンは見つからなかった。明日の朝までやっておくべき仕事が一杯あるのに、資料がなくて一体どうすれば良いのかと、憔悴した気分で諦めて会社を出た。すると、何と、そのカバンは会社の出口の直ぐ外側のコンクリートの道路の上にちょこんと置いてあるではないか。自分は、ほっとして、カバンを手に取った。誰かがイタズラで外へ持ち出したのか、それとも自分の手で其処へ置いたのか、どう考えても思い出すことが出来なかった。夕暮れの暗闇の中で、探し物を誰にも言えずに探し回っている自分。既に認知症になっている自分の実体が分らず、正常と思って必死になって何かをしている自分。ひょっとして現在の自分は正常ではないのではないか。目が覚めてから、暫く、そんなことを布団の中で考えた。
 自分の心の中には、自分にも気がついていない、何かしらの不安がある。自分でもよく分らないが、夢の中でその断片のいくつかを覗いたような気がする。昨夜は、もう一つ、類似の夢を見たようにも思うのだが、いくら頭を振っても思い出すことが出来なかった。しかし、これだけのことを思い出せること自体、自分の脳ミソの能力は、現在のところ、まだそんなに大きな問題にはなっていないのではないかと思うことにして、今日1日の仕事のために、思い切り良く、寝床の布団を跳ね除けた朝であった。


昔やれなかったことを夢の中で実現した夢

2008-08-13 | 真夜中の夢
 自分は会社を退職して10年以上を経過したOBである。しかし、今日はヘルメットに作業服姿で現場に居た。自分は銀色に輝く巨大化学プラントを見上げていた。広大な敷地に蒸留塔、反応塔、加熱炉の煙突などの先端が天をも圧する勢いで、青い空、白い雲のすき間に突き刺さっていた。自分は晴れがましい気分であった。このプラントこそ自分が一生をかけて開発し、設計し、ここに運転にこぎつけた作品であった。
 自分は試運転の総指揮を取っていた。サイト全体から、コンプレッサー、ブロワー、クーリングタワーの運転音が渾然一体となって、バックグランドミュージックを奏でていた。心地よかった。わが生涯の最良の日と感じていた。
 しかし、プラント全体から沸き上っていた、それらの音が、突然、停止した。自分は、一瞬ギクッとした。不気味な静寂が辺りを支配した。何か異常事態が発生した模様だ。プロセス全体が一斉に緊急停止をしたのだ。オペレーターが数名、あわただしく現場の方向に走っていった。自分も後を追った。いつの間にか自分が、彼らの先頭に立っていた。架構を駆け上がり、サル梯子を上って、地上50メートルはあろうかと思われる蒸留塔の頂上に立った。
 塔頂の圧力計の針が振り子のように左右に激しく揺れていた。蜘蛛の巣のように張り巡らされた大小の配管。どこか一箇所でも調子が悪いと、たちどころに全体に影響が出る。自分には直感的に具合の悪い場所が分った。「おい、あそこの制御弁が何かで閉止したのだ。現場へ行って手動で半開にしてきてくれ」と、作業員に怒鳴った。作業員が立ち去ると、間もなく、プラント全体から心地よい騒音の交響曲が復活した。オレの思ったとおりだった。自分の鋭い透察力に我ながら感心した。
 暫くすると、現場パトロールから戻った作業員が自分に報告に来た。「A架台トップの炉壁が灼熱して真っ赤になっています」。自分は「このまま行けば、再度、緊急停止だぞ」と思って、息せき切ってA架台の頂上に立った。熱い。輻射熱が顔に刺さった。見ると、加熱炉の炉壁の端のごく小さい一部が目地割れを起こしている。作業員にはそれが見えぬらしい。居合わせた他の作業員も口をそろえて何も異常は見えないと叫んだ。自分は作業員に命じた。「おい、応急修理用の耐熱シールがあったはずだ。今すぐそれをここに塗ってくれ」と。暫くして、作業員から「灼熱は解消しました」と報告があった。自分には、なぜかすべてが見えている。分っているのは自分だけだ。誇らしい気分になった。
 その後、プラントは暫く順調であった。しかし、束の間の安心であった。プラント上空のどこかで安全弁からの強烈な噴出音が炸裂した。可燃性ガスだ。有毒ガスが充満する。いつ爆発が起きても不思議はない。脳裏に、プラント全体が火炎に包まれ、燃え上がる状態がよぎった。しかし、噴出の原因が自分には一発で分った。自分は何も言わずに現場に飛び出した。数名の作業員が自分に従った。高い煙突の梯子を垂直に上った。地上がはるか下に見える部分に制御器が1台取り付けてあった。素子が誤作動を起こしたに違いないと思った。自分は作業員に「この制御器の基板を直ぐに取り替えてくれ」と頼んだ。自分にも何故これらの原因が一発で分るのか信じられなかった。
 修理が済んで緊急事態は収まった。数名の作業員が煙突から地上に降りようとしたが、サル梯子の覆いが小さくて人が通り抜けることが出来なかった。そこをどうやってみんなくぐり抜けて上ってきたのか不思議に思った。「緊急時には何も考えないから、出来ないことが出来てしまう。こうやって平時に戻ると、出来ないことがそのまま出来なくなってしまうもんだね」と呑気に考えている自分であった。作業員達は、「こういう場合は、これからの老い先の長い人間から優先的に避難することになっているのだ」と言って、若い者から順に命綱をつけて梯子の外側に身を乗り出して下りていった。自分は最後になったが、命綱も着けず、素手で簡単に下りた。
 「ああ、今日は色々なことがあった」と思った。「それにしても、自分には、誰にも出来ない神通力のようなものがある。現役の時には、なぜこれが発揮できなかったのだろうか。しかし、この年になって、最後の最後になって、やっとこれが出来るようになったのだ。ああ、オレは幸せ者だなぁ」と思っているうちに、見たばかりのことがすべて夢であることに気がついた。
 自分は、間もなく古希の年を迎える。特にケミカルエンジニアとして、昔、学生時代に勉強したことが、ほとんど何も役立たせずに終わりそうな気配である。10年くらい前までは、時に、何かしらやり残した気分に襲われたことがあった。そして、その都度、「仕方がない。これでも、自分としては常に最善の道を歩んできたのだ」と思って終わってきた。ずいぶん久しくこのような思考から離れていた自分であるが、久し振りに昔を思い出して、こんな夢を見てしまった。しかし、心の中では、いつまでもケミカルエンジニアである自分を発見して、何だか嬉しい気分になっていた。


「青の洞門」を掘った禅海と自分を比べた夢

2008-06-24 | 真夜中の夢
 寝る前に寝床で本を読んだ。その本に、菊池寛の名作「恩讐の彼方に」が引用されていた。荒筋は、概ね、次のとおりだ。

 江戸時代のお話です。旗本の主人の妾とねんごろになった男が主人を殺して主人の妾と逐電しました。二人はやがて山賊となり木曾の山奥で旅人を襲っては金品を奪い、殺人を犯し、悪行の限りを尽くしたとのことです。ある日、殺害した女から、金品はもとより髪の毛から身に付けている全ての金目のものを奪い取る元妾の強欲さを目のあたりにして、男は目覚めます。男は女から逃げて、一人で大分県の湯布院まで到達したところで、お寺の前で行き倒れます。男はお寺の和尚に助けられ、介抱されるうちに、己の罪業の深さに気が付き、全てを和尚に懺悔します。男は住職の勧めで出家し、名前を禅海と改め仏門に入ります。
 禅海が耶馬溪まで托鉢に来たとき、そこには「親知らず」という交通の難所があることを知りました。大きな岩山が山国川の急流にせり出しており、旅人が足を踏み外すと命が危ない絶壁となっています。このとき禅海は、ここにトンネルを掘ればどれだけの人の命が助かるかと思い、自分の罪業を償うためにトンネルを掘ろうと決意します。一人でのみをふるう姿に、村人はその無謀を嘲笑します。それから30年。禅海は80歳になっていました。間もなく完成という時に、昔、殺害した主人の息子が「親の仇」を探し回っており、やっとの思いで禅海を見つけ出したのです。禅海は自らの罪を詫び「喜んで討たれたい」と言います。そして「この洞門が完成するまで待ってくれ」とも言います。仇討ちの息子は了解し、完成まで待つことにしました。しかし、息子は、痩せた身体に肉もなくあばら骨丸見えで、一心不乱にのみをふるい続ける禅海の懺悔し尽くした姿に心を打たれ、仇討ちを止め、洞門を掘る手伝いをし、去っていきます。やがて洞門は貫通します。禅海は88歳まで生きて、静かに息を引き取ったとのことです。この話は実話とのことです。

 自分は2、3年前に、九州大分へ仕事に行った。その帰りに「青の洞門」に立ち寄った。現物を見てがっかりした。「青の洞門」は自動車道路になっており、タクシーの運転手から「今通過したのが青の洞門です」と説明された。諸行無常と言うか、世の中が移り変わり、昔のよき物がどんどんと姿を消していく、この世の現実に少し失望を感じたことを思い出した。また、禅海のような一生の仕事を持った男を羨ましく思いつつ、寝入ったのであった。
 明け方、短い夢を見た。夢と「青の洞門」とは関係がなかった。しかし、夢の中での自分は九州大分の別府港から瀬戸内海を東に向かう船に乗っていた。間もなく神戸港に着くと言うアナウンスがあった。自分は、そろそろ下りる仕度をしなければと思った。自分には大きな荷物があった。船の備品となっている大きな機械である。あれを持って下りるとなると準備が大変だぞ。神戸港では間に合わない。仕方ない。大阪港まで行って、そこで下船するかと思っているうちに、船は神戸港に泊まった。神戸港で、僅かな時間、船を下りた。がらんとした港には誰も居なかった。良かった。此処で下りても仕方ない、やはり、大阪まで行こうと思った。ここから大阪までは僅か1時間の距離だ。その間にあの荷物を降ろす準備はできるであろうか。船長に機械の「搬出届」を今から出すことになるが、自分は何故今の今まで届出のことに気が付かなかったのか。しまった。間に合わない。ここで、目が覚めたのである。
 夢と寝る前に読んだ「青の洞門」の話とが妙に交錯して思い出された。禅海と自分が重なった。まだ完成していないトンネルを目の前にして、敵討ちの追手に見つけられた禅海。自分は、禅海のように悪事も働いていないし、その後の一心不乱のトンネル堀りもやっていない。大悟の高みにも到達していない。まだ自身のトンネルすら何処にあるかと思案している状態だ。比ぶべくもない。凡夫の自分だ。それはそれでよい。
 とは言うものの、自分もそろそろ船を下りなければならない時間ではないか。いつまで仕事をしているのだ。自分の船は既に別府から神戸まで来てしまった。我が人生も、後は神戸から大阪までの、ほんの僅かな時間を残すのみだ。いつまでも仕事をしているのが本当に良いことか。よく考えてみろ。と、この夢は警告していると思われてならない。


豪華レストランのオーナーになりそこなった夢

2008-04-29 | 真夜中の夢
 自分は須磨の海岸に居た。目の前が海水浴場で白い砂浜が広がっていた。不思議なことに直ぐ目の前に江ノ島と同じくらいの大きさの緑豊かな島があった。現実には須磨の海岸にそのような島はない。あるとしても遠くにかすむ淡路の島だ。しかし、自分は此処が須磨であることをはっきりと認識していた。
 なぜか自分は、その浜辺に面して立つ豪壮な邸宅を譲り受けたのであった。引越しが終わって、家族一同、食堂に集まっていた。食堂と言っても、玄関に直結しており、其処で商売が出来るほどの広さがあった。普通のレストランと同じように多数のテーブルや椅子があり、植栽のグリーンまで整備されていた。これから、この豪華な邸宅に家族一緒に住むようになるのだと幸福感が支配していた。
 自分は一人外へ出た。直ぐ傍に浜辺があったが、浜辺に出るまでの細い道の両側には、立派なヨーロッパスタイルのレストランや土産物店がずらりと並んでいた。これは良いところに住処を変えたものだと思った。自分も、夏の間くらいは、これらのレストランと張り合って商売ができるかもしれないと思った。これまでの人生で求め続けてきた、自分がオーナーとなるビジネスをいつでも始められるようになった。自然と喜びがこみ上げてくるのであった。
 浜辺を歩くと、海岸の直ぐ傍の島は結構大きな島であった。島の頂上に生えている松の木の一本一本までもがはっきりと見えた。実に風光明媚な場所であった。シーズンになれば沢山の海水浴客が来るだろうと期待に胸が躍った。
 周辺の探索を終えて、豪華なレストランの立ち並ぶ細道を通って自宅へ向かった。ふと気が付くと、自分の目の前を身だしなみの良い和服姿の老夫婦が並んで歩いていた。数メートル離れて、その後を歩いていると、その夫婦は何の遠慮もなく、何と我が家の玄関に向かい、そのまま家の中へ入って行くではないか。「あれ知らない人が家へ入っていく」と慌てて後を追った。
 玄関をくぐると、入口に直結する食堂はしんとしていて、其処には誰も居なかった。老夫婦は何処へ行ったのかと探した。隣の部屋に入ると、老夫婦が畳の上に二人並んで寝そべっていた。何と失礼な人たちだと思って声をかけた。二人は黙っていた。それもそのはずである。二人は其処で亡くなっていたのであった。二人の顔には涙の跡が幾筋も光っていた。悲嘆の思いのまま最期を迎えたようであった。
 自分はこの人たちに見覚えがなかった。しかし、この夫婦はこの邸宅の元の所有者であったらしい。数年前にこの家を建てるやいなや、不幸があって、二人一緒に亡くなったそうだ。長年の血の滲むような苦労がやっと実った直後のことであったらしい。この二人は、その後も、何度も亡霊になって、この辺りをさまよっていたという。自分が目撃したのも、どうやらその幽霊の背中であった。ぞくっと背中を寒いものが走った。直ぐに逃げ出さなくてはと思ったが足が動かなかった。
 暫くして、阪急電車に乗って須磨の駅で降りた。目の前には何もなかった。レストラン街も大きな島も何もなかった。自分は夢を見ていたのだと夢の中で考えていた。
 目が覚めてから思った。自分のような人間が何の苦労もなく、大きな財産を手に入れるはずがないのだ。また、平和で幸福に見える人や物でも、実際には自分の知らないことがその後ろに隠れていることがある。誰もが、一見、幸福に見えても、他人には告げることが出来ない不幸や悩みを抱えている。真実を知らず、他人の前で、自分のことばかりしゃべって、はしゃぎ回っていてはいけないのだ。


鳥になって飛んでいる夢

2008-01-27 | 真夜中の夢
 自分は人間の形をしたまま空を飛んでいた。両手を鳥のように上下に羽ばたいて飛んでいた。スピードを上げて飛ぼうとすれば両手を早く大きく振らなければならなかった。が、ふわふわと空を飛んでいるのは楽しいことであった。
 其処はヨーロッパの街路のようであった。しかし日本の道路のようでもあった。道の両側には電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、注意深く前を見て飛ばないと電線にぶち当たりそうになるのであった。
 暫く道路に沿って飛んでいると、左手にこげ茶色の高い尖塔のある三階建ての教会のような建物があった。自分は1階と2階の間くらいの高さを飛んでいたが、これが教会であるかどうかを確かめるために祭壇の所在を確かめたくなった。視界の届く1階にも2階にも祭壇はなかった。どうやら祭壇は3階のように思われた。
 上階へ飛び上がるために両手にさらに力を入れた。腕に相当強く力を入れなければならなかった。3階の窓から建物の中を覗くと、やはりここは教会であった。祭壇があった。祭壇が3階にあるようなところは、日本の都会にある商業用結婚式場のいかさま教会しか知らない。やっぱり此処は日本の国内に違いないと思った。そして自分は飛びながら考えた。ツマランことに好奇心をもって、こんなところで時間を食ってしまった。道草をしいるヒマはない。早く戻らないと日が暮れる。ここで無駄な時間を費やしたことを後悔した。
 自分は早く皆のいるところへ帰らなければならないと思った。風が強く吹いていたので、風に向かって飛んでいくには大変なエネルギーが要った。それもそのはずであった。自分は何一つ遮るものがない海岸の大きな河口に差し掛かっていた。対岸は遥か向うにあり、自分はその川を横切らなければならなかった。羽ばたきを止めると、水面まで下降して水に落ちそうになる。自分は必死になって、出来る限り水面から遠ざかるべく上昇した。一つ羽ばたくたびに身体は高く上がった。川面が遥か下になって、やっと心が落ち着いた。自分は飛び続けた。そして、真っ直ぐに対岸を目指して飛んだ。
 対岸に着くと、其処は公園であった。緑の中に多くの建物があった。その中の公衆トイレが目に付いた途端、急にトイレに行きたくなった。トイレには屋根の上部にしか入口がなかった。入口は四角い煙突のようであった。自分はその煙突へ飛び込んだ。入口は、丁度、人間の身体が一つ入れるかどうかギリギリの大きさであった。自分の身体は入りきれず煙突の途中で宙吊りになった。下を見ると、床には滔々と白波を立てて溢れるように青い水が流れていた。自分は溺死を免れた。九死に一生を得たのであった。
 どのようにしてその煙突から脱出したのか分からないが、自分は再び皆の居る場所を目指して飛んだ。目標の地点は直ぐ近くにあった。どうやら自分は先頭を切って飛んで来たようであった。其処に居た神様に「ただ今戻りました」と報告した。神様は大きくうなずいて言った。「やあ、ご苦労であった。オマエが一番だ。褒美としてオマエに自由を与える。契約は解除された。さあ、今からは何処へでも好きに飛んで行け」と。そう言われて嬉しかった。自分は皆の中で一番だった。しかも、好きにしてよいとのご褒美まで頂いた。
 此処で目が覚めた。もっと鳥になって飛んでいたかった。目が覚めたことが悔やまれた。自由を与えられた鳥は、夢が続けば一体何処へ飛んで行ったであろうか? 今此処で静かに横たわっている現実の自分は、段々年を取って、さてこれからどうするべきかと迷いが出始めているのである。此処までよく働いてきた。一人で遠くまで飛んできた鳥であるが、さて、これからどちらを向いて飛んで行くべきか迷っている。夢が続いて、もう少し先のところまで見せてくれていたら、大いに参考になったのにと悔やまれる。


祇園精舎の諸行無常の鐘を思い出させた夢

2007-12-31 | 真夜中の夢
 今年最後の夢見はあまり好いものではなかった。と言うのは自分の現在の主要な飯のタネであるISOに関係するものであったからだ。ISOマネジメントシステムの認証登録制度は将来崩壊すると言う予感であった。これが正夢にならぬことを祈る。
 それでは夢の現場に突入する。自分は東京都心の、とある広場に立っていた。何か見覚えのある場所であった。通行人に聞いた。
  「ここには昔、何があったのですか?」
通行人は答えた。
  「そうだね。10年前まではここにISOのある審査機関の
   事務所があったんだよ!」
 そう言えば、昔、時々この近くへ来たような見覚えのある場所であった。今は跡形もなく、完全なサラ地となっていた。かなり昔のこと。ISOの認証事業は順調に商売として繁盛していた。それが、あれよ、あれよと言う間に下火となって、事業として成り立たなくなった。評判のよくなかった審査機関から順番に廃業して行ったらしい。
 通行人は意外と博学だった。独白が続いた。
  「ISOと言うのはね。マネジメントシステムの規格だったんだ
   よ。それで品質や環境がよくなるってんで、多くの会社が
   懸命に努力して審査機関の認証を取得したってことだ。結構、
   お金もかかったんだがね」
  「あるとき、何処かの会社の社長が一人、突然、言ったんだっ
   てさ。こんなことやってて何の役に立つのって。そしたら、
   経営者、みんな自分が裸の王様のような気がして、あっと
   いう間に雪崩現象が起きたんだ。一人止めれば俺も俺もと
   みんな止めて行ったそうだ」
ええっ!と驚いて、夢主は聞いた。
  「ISOが全く経営の役に立たないなんて。そんなことありませ
   んよ。あの頃、ISOの有効性を高めて、少しでも経営の役に
   立たせないといけないと言う動きもありましたよ、それが
   一体どうなったんですか?」
通行人が答えた。
  「うん。確かにそのような動きもあったようだね。先ず大きな
   会社が登録を止めたんだ。何も審査機関に見てもらわなくて
   も自分でやれるからって。小さな会社も同じだよ。手順適合性
   だけなら、最初の2、3年はPDCAの基本を勉強する意味で、
   確かに意味はあったんだけど、同じことの繰り返しでは、
   しようがないと分かってね。
   ホント、さあっと潮が引くような感じだったね」
  「そしたら、審査機関の方、経営的に苦しくなって委託審査員の
   報酬を切り詰めたってワケさ。審査員諸君は特に委託審査員の
   仕事が少なくなった上に、安い報酬では生活していけないから、
   元気な人から先に辞めて行ったんだよ。後は経営をやったこと
   のない行き場のない審査機関の職員だけしか残らなかったもん
   だから、ますます経営の役に立たない手順だけうるさい形式的
   な審査になってしまったんだって。それでISOの人気がガタ落ち
   したってことよ!昔、誰かが言い始めた負のスパイラルに審査
   員がかみ込んで、突き抜けたよ!」
  「アガサ・クリスティーの『そして、誰も居なくなった!』と
   言う、あの小説を地で行くようなものだったね!」
 夢主は驚いた。それぞれの企業で経験をつんだ委託審査員達が難破する船から逃げるネズミよろしく蜘蛛の子を散らすように胡散霧消したのが始まりで、さらにお客が減ったのは、その後のことらしい。以上、ここまでが今朝の夢の話である。
 目が覚めてから寝床で考えた。そうだったなぁ。40年前のフラフープも、ダッコちゃんも、音楽喫茶も、主婦連も、労働組合も、学生運動も、みんな、そのときはそれが永遠に続くかと思われた。が、終わってみれば何もなくなっていた。その時は面白かったり、役に立ったりするけど、何年か経てば、それぞれの役割が終わっている。
 この世の中で単品商品だけで営業している産業は少ない。ISOの場合、その商品が品質で20年、環境で10年になる。いくら何でもライフサイクルが20年以上ある商品と言うこともないだろう。何か新商品の開発を考えないといけない時期だが、この業界にはそのような危機感に欠けている。これから世の中に必要とされるのは審査員でなく、行き詰まったISO企業を救済する経営コンサルタントではないか? などと色々な考えが脳内を巡るのであった。
 1000年前の平家物語の冒頭の言葉は名文句だ。曰く「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯(ただ)春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ」。
 今はまだ良い。しかし、10年後にISOはどうなっているであろうか? 自分はこれから必死になって流れに抵抗する側になるかもしれない。あるいは、流れの外に意外な仕事が待っているかもしれない。まあ、なるようにしかならぬから、平家武者のように奢らず、高ぶらず、そのまんまの宮崎県知事として生きていくしかしようがない。
 いずれにせよ、今日は年末の最後の大掃除の日だ。忙しい。この話、正月明けにゆっくり考えてみたい。


ホテルの部屋を転々と渡り歩く男の夢

2007-11-11 | 真夜中の夢
 こんな夢を見るなんて、これまで考えたこともなかった。いや、あまり大した話でもないんだが、今朝方見たばかりの夢をここに記す。
 自分はコンサル仲間でもある会社の社長の事務所を訪ねた。なかなか羽振りのいい男で、男の事務所は大阪で一番大きいホテルのスイートルームを借り切っていた。豪勢な部屋であった。社長との話が弾み、夜も遅くなった。社長は「こんなことになろうかと思って、キミの部屋も予約しておいてあげたからな。泊まっていけよ。366号室だ」と親切に言ってくれた。仕事の話は、未だ終わっていなかったが、一寸、トイレに行きたくなったので1階まで下りた。
 用を足して、部屋に戻ろうとすると、彼の事務所は忽然と姿を消して影も形もなくなっていた。自分は、「不思議だな。階数を間違えたかもしれないぞ」と思って、事務所のある階の1階上と1階下を端から端まで歩いて探した。何度歩いても、何処にも心当たりの部屋が見つからなかった。最初に訪問したはずの事務所のドアには鍵がかかっており、鍵穴からのぞいても中は真っ暗で、人の気配が全くなかった。
 「こんなことって、あるものか!」と思って、ホテルの受付に行った。「先ほどまで520号室に居たのですが、...」とクラークに聞くと、クラークは「一寸待ってください」と言って、調べてくれた。「お客様、520号室は本日は空室なんですが...」とのことであった。「そんなことあるもんか!今の今まで私は其処に居たんですから...」と食い下がったが、返事は変らなかった。「それじゃぁ、366号室に予約が入っているはずなんで、そのルームキーをください」と言った。クラークは不思議そうな顔をして言った。「お客様、366号室も空室です。特に予約は承っておりません」と。
 自分はキツネにつままれたような気がした。「バカな!そんなことが絶対にない」と確信を持っていたが、仕方なく、不承不承引き下がろうとして、振り向いた途端、ばったりとくだんの社長の顔と鉢合わせになった。社長は「アナタを探していたんですよ。迷い子になられたのではないかと思いましたので、迎えに来ました」と言った。
 自分は社長の後ろに付いて行った。何と、事務所はホテルのはるか上階の39階にあった。自分は「夢を見ていたのではないか?何としたことか!」と思った。39階は変な構造の階になっていた。社長は「ベランダから入るよ」と言って、狭い通路を通り抜けた。社長は窓越しに声をかけた。窓が少し開いて、女の事務員が顔を出した。「ああ、社長!」と言って、我々のために窓を広く開けてくれた。ベランダには色々なものが雑然と置いてあった。スリムな社長はなんなく通り抜けたが、自分には無理であった。表に回って、正規の入口から入ろうとした。
 振り返ると、白いヘルメットをかぶった黒い制服のホテルの警備員が立っていた。我々は尾行されていた。自分一人むんずと腕を捕まれ警備員室に連れて行かれた。冷や汗が出た。どのような経緯で、その全貌が明らかになったのか、夢の中のことでよく分からないが、結論は次のようなことであった。
 その社長は何年にも渡ってそのホテルに住み着いていたが、空室を転々としていたとのことだ。勿論、ホテルにお金など払わない隠密行動である。しかも其処を事務所にして正規の商売までやっていた。電気代はタダ。水道代もタダ。空調代もタダ。部屋代もタダ。来客用のお茶代もタダ。いつも掃除が済んだきれいな部屋を渡り歩いていたらしい。儲かるはずだ。ホテル側も、常駐の空き室狙いにうすうす気が付いていたが、その神出鬼没ぶりに追いつけず、何年にもわたってその尻尾が掴めなかったらしい。自分がロビーに行って、クラークに尋ねたことから足が付いたそうだ。
 自分は小説家でも何でもない。が、夢の中で、時々これまで考えもしなかったアイディアを貰うことがある。また、そのような夢を見る必然性に疑問を抱くことが多い。その夢は一体自分に何を語りかけているのだろうか。だから夢は面白いし、このブログに「真夜中の夢」と言うカテゴリーを設けて、時々、時間つぶしをしている次第だ。


ボケ老人になってそれでも懸命に頑張っている夢

2007-10-22 | 真夜中の夢
 自分は集団の中で行動していた。知らない人に混じってセミナーに参加しているようであった。着替えや履物などの身の周りのもの一式を部屋に持ち込んで、板の間のフロアーに寝そべったり、壁にもたれた格好で講師の話を聞いていた。極めてルーズで気楽な雰囲気の講習会であった。
 昼の休み時間になって、外へ食事に出かけることになった。自分は靴下を履かなければ靴が履けないと思った。カバンを開けて靴下を探すと、何処にも靴下がなかった。カバンの中のものを全部放り出して調べたが、やはり出てこなかった。たまたま居た隣の人に「靴下が無いんだ。キミのヤツを一つ貸してくれんか?」と頼んだ。
 その人は怪訝そうな顔をして言った。「アンタはもう靴下を履いてますよ」と。よく見ると、自分は靴下を履いていた。靴下には泥が一杯付いていたが、既に身に着けていることを他人から指摘されて恥ずかしく思った。
 昼休みの時間は1時間。外へ出て、食堂を探して、それから食事するには時間があまりないと思った。早く靴を履いて外へ出なければと教室の出口へ来た。沢山の靴が脱ぎ捨ててあり、自分はどのような靴を履いてきたのか覚えがなかった。「はてな、自分はどんな靴を履いてきたのかな?」と幾ら考えても思い出せなかった。当てずっぽうで、自分なら履くであろうと思われる格好の靴を選んで履いてみた。一つ目は小さすぎて足が入らなかった。二つ目は大きすぎて、ぶかぶかであった。あれこれいくつもテストしてみた。最後にぴったりの靴があったので、自信を持って、それを履いて外へ出た。
 外へ出ると、そこは見も知らぬ町であった。自分は当てもなくあちらこちらをうろつきまわった。一体、何をしているのか?と我ながら不審に思った。最後に、小さなラーメン屋を見つけた。好物のラーメンが食えるぞとほっとした。中へ入ると満員で空席が無かった。注文だけして、席が空くのを待った。時計を見ると、昼休みの時間がとうに過ぎていた。
 自分は注文をそのままにして、何も言わずに外へ出た。どの道をどのように帰ったのか、上の空であった。もと居た教室はすっかり内装が変っており、小物雑貨の売り場になっていた。自分は迷子になったのか?元の場所に帰ってくることが出来なかったのか?と冷や汗がどっと出たような気がした。やむなく、店員に尋ねた。「すみません、1時間ほど前まで、ここでセミナーを受講していたのですが…」。店員は黙って、部屋の角を指差した。
 そこは隣の部屋への入口になっていた。中では講習会のようなものが行われている気配があった。自分はその部屋へ入った。部屋は暗く、大きなスクリーンにスライドが映されていた。よく見ると、それは自分のこの1時間の行動を辿った実録であった。最後にタイトルが出た。タイトルには「ある老人のボケの実録」とあった。知らぬ間に自分はボケ老人の主役となり、教材にされていた。
 部屋を出ると、外は大きな運動場であった。三々五々に人の塊が出来ていた。それぞれグループディスカッションをしていた。「ああ、キミ。キミ。キミはさっきのスライドの主人公じゃありませんか?皆に、ボケの体験談を話してくれませんか?」と頼まれた。
 いつの間にか、自分は衆目の的になっていた。咄嗟にマイクを突きつけられた。マイクを見ると、それはただのソフトドリンクのアルミ缶であった。「バカな、こんなもので聞こえるか!」と思ったが、内部に半分ほど水が入っているらしく、その水が缶の中で音を増幅させるのか、結構大きな音として聞こえた。「ままよ」と話す内容が何もないのに、滔々と長時間しゃべった。支離滅裂の内容であったが、自分は得意であった。「年は食っても、人の前ではまだまだ、こんなに長時間しゃべれる。自分も捨てたものではない」と嬉しく感じた。聴衆は「さすが、本物のボケにはかないませんな」としきりに感心していた。その声がはっきり聞こえた。
 目が覚めた。自分の行動を完全に意識し、コントロールしているつもりでありながら、しかし常識外れで、他人から見れば意味の無いことを懸命にやっている姿。本当にボケが来て、脳ミソの機能が弱くなると、自分も本当にこのような姿になるかもしれない。ひょっとすると、これは既に現実の自分の姿ではないか。寝床の中で戦慄を覚える自分であった。


我が敵前逃亡に理由が見つかりほっとした夢

2007-09-23 | 真夜中の夢
 大阪市内の何処か公園のような所で待ち合わせをしていた。相手は技術士さんであった。技術士の会合で研究発表をするので、原稿を事前に見て欲しいとのことであった。現れた技術士さんは自分より少し若かったが、白髪のなかなか貫禄ある紳士であった。自転車に乗り飄々とした出で立ちで現れた。
 技術士さんは顔を見るや否やカバンから原稿を取り出した。初めから自分に分かるような専門分野ではなかった。しかし、自分には先輩技術士としてのプライドがあり、何も分かりませんとは絶対に言えない立場にあった。実は、自分は技術士の資格だけは30年以上も前に取ってはいたが、その後は、どのような分野であれ、技術的な仕事を何一つやっていない素人であった。一方、相手の技術士さんはこの道一筋で何十年も過ごしてきた専門家であった。
 一瞬、場違いの自分を意識した。原稿を受け取ってパラパラと目を通したが、案の定、宇宙語の論文を見ているような感じで、中身は何も分からなかった。それでも、金輪際何も分かりませんとは言えないと思った。自分のプライドを保ちつつ、事態をどのように収束させればよいかだけを考えていた。
 「この漢字が間違っていますよ」「ここには句読点を入れた方がいいですね」「この図の配置は右より左の方が良いのではないですか」などと言いつつ時間を稼いだ。そのうちに何かひらめくだろうと思いながら、じりじりと時間だけが過ぎて行った。しかし、時間が経っても、気の利いたことは何一つ思いつかなかった。
 ふと思った。立場は逆であるが、自分が会社に居た頃、事務屋か技術屋か分からないような上司との面談で、自分の書いた技術報告書を介して、同じような雰囲気を感じたことがあった。この技術士さんも、当時の自分と同じように、ぺこぺこと頭を下げて感謝や反省の言葉を投げていた。自分は、まんざら悪い気もせず、大変重要な助言を沢山して上げたような気がしていた。
 それ以上、意味のありそうな話題がなくなって、相手の技術士さんは自転車に乗って帰ろうとした。技術士さんは、「後ろの荷台に乗れば、近くの駅まで送ってあげますよ」と言ってくれた。自分は喜んで荷台にまたがった。気が付けば、自転車を漕ぐ技術士さんとは別に、もう一人の男が技術士さんの前に乗っていて、一台の自転車に3人が乗っていることに気が付いた。3人乗りの自転車は意外とすいすいと走った。
 暫くすると、上りの坂道に差し掛かった。それでも自転車は何とか走っていたが、自転車を漕ぐ技術士さんに悪いと思って、自分は荷台から降りて後ろから押した。気が付くと前に乗っていたもう一人の男も自転車を押していた。暫く二人で自転車を押していると、坂道が勾配の違う二つの道に分かれていることに気が付いた。自転車は勾配の急な方を上がっていく。自分の方には大した勾配がない。段差のために、自分はこれ以上自転車が押せないところまで来た。自分は自転車から手を離した。もう一人の男は、こちらに気が付かないまま自転車を押し続けていた。そのうちに、自転車に乗って一段高い位置に居る技術士さんと自分とが横向きで顔が会った。
 技術士さんは怪訝そうな顔をしたが、そのまま前進した。自分も坂道が段差の異なる二つに分かれていることを理由にして、そのまま進んだ。暫くして技術士さんの自転車は完全に見えなくなった。技術士さんとは挨拶もせずそのまま別れた。実は、自分は自転車を押しながら、技術士さんに技術的な問題で的確なアドバイスができなかった自分のことを気にしていた。自分は不甲斐ない男ではないかと、悔やみ一杯の気分に支配されていた。
 自分は思った。ああ良かった。難しい状況に追い込まれずに済んだ。本当は、未だ何かのアドバイスをしなければ、自分の役割が終わっていないと思っていた。また、このままでは、自分の自尊心が満たされないとも思っていた。駅までまだ少々の時間があったからだ。しかし、たまたま差し掛かった道が二つに分かれていたのだ。自分から逃げたわけではないのだ。この単純な理由を理由として、急に自分には何も言い訳する必要がなくなった。自分は救われた思いで本当にほっとしていた。
 目が覚めてから、気の毒な安倍総理にも、何か本当らしい辻褄の合う理由を見つけてあげることが出来ないかと暫く考えていた。


無用な人間が不要なお節介をする夢

2007-09-02 | 真夜中の夢
 自分は社員として何処かの会社に居た。中堅どころの管理職をしているようだ。オフィスはがらんとしており、何か手持ち無沙汰であった。何となく本流から外れた気分で、仕事の上でも干されているような気分であった。
 「何かすることないかな?」「最近は誰も自分に何も言わなくなったようだ?」などと、ぼんやり机に向かって考えていた。突然、「そうだ!自分は朝から会議に出席しなくてはならなかったのだ」と、気がついた。自分は会議室へ行こうと立ち上がった。しかし、よく考えてみると、自分にはその会議が何処で行われているのか、どのような内容であるのか、全く記憶がないことに気がついた。「知らされているのに忘れたのか?」、「誰かが意地悪く自分に会議のことを伝えてくれなかったのか?」などと、急に不安が持ち上がって来た。
 「えーい、何でもよい。会議室を順番に覗いてみてやれ!」と一つ目の会議室へ向かった。そこでは自分の部下ばかりが多数集まっていた。「課内会議の最中だ。自分の課ではないか。どうやら、ここがその会議だったかもしれないぞ」と思って、そっと部屋に忍び込んだ。白熱の議論が交わされていた。しかし、みんな気がつかない振りをして、課長の自分を完全に無視しているではないか。自分は何だか透明人間のような感じがした。会議の話題も自分の知らないことばかりであった。「うーん。ここでは自分は必要とされていない」と淋しく感じた。
 「どうも会議室を間違えたようだ」と、次の会議室に向かった。次の会議室では、常務と上司の部長が何かひそひそと話していた。自分は「出席しなければならなかった会議は此処だった」と確信に近いものを感じて安堵した。自分はその中へ割って入った。丁度、常務が発言しているところであった。「最近、業績が思わしくないが、何か好い妙案がないかね?」と。自分は、何故か自分に直接聞かれたような気がした。咄嗟のことで何も思いつかなかった。時間稼ぎが必要だと思って、「部長が好い考えを持っていますよ!」と言って、とりあえずの時間を稼いで、部長の顔を見た。部長はすらすらと考えを述べた。自分が普段から考えていることと全く同じことを述べた。「しまった!それなら自分の口から先に言えばよかったのに!」と思ったが、後の祭りであった。
 常務は、いつの間にか部屋に入って来て着席している闖入者に気が付いた。常務は、「この会議にはキミを呼んだ憶えはないのだがね?」と不審な顔をした。自分は呼ばれもせぬ会議割り込んで、要らぬお節介をしただけのようであった。
 自分はオフィスに戻った。悄然とした気分であった。誰も居ないオフィスで一人考えていた。「お呼びでない会議に顔を出して、不要な発言をしてしまった!」「次にリストラがあるとしたら、間違いなく自分だろうな?」「一体、自分はこの会社に何のために居るのだろうか?」と、心が千々に乱れた。
 会社を辞めて10年も経つのにまだこんな夢を見る。「自分は無用な人間ではないか?」「自分は人の役に立つことは何もしていないのでは?」などと、心の何処かに、何かしらの不安が潜んでいる。寝覚めのよくない夢であった。


靴もなく工事中で歩けない道や橋を一人行く夢

2007-05-12 | 真夜中の夢
 一仕事が終わった薄暮の夕刻だった。訪問先の会社(大学のような気もする)を辞去しようとすると、係員がテスト結果を持って帰れと言う。自分は何かの試験を受けたらしい。ずいぶん待たされた後、透明のポリエチ袋に入った紙の束を渡された。そのまま無造作にカバンに入れようとすると、係員は「再試験があるので中身をしっかり確認するように」と自分に注意した。透明のポリエチ袋を通して一番上の紙切れが見えた。書いてある文字は自分の筆跡のようでもあり、違うようでもあったが、「まあ、どっちでもええわい」とあまり気にせず、カバンに入れた。「余計な仕事が出来た」「時間がないのに!」「中身は難解そうだ」「自分に理解出来るかな?」などと不安な気持ちを感じていた。が、何はともあれ、家へ帰ろうと外へ出た。
 そこは工事現場であった。自分の足元から下は高い仮設の塀であった。道路は、はるか下にあった。「これはえらいことになった」と思いながら、壁にすがり付いて用心しながら下りた。地上に下りると自分の履物がないことに気が付いた。係の女性に「靴がない」と言うと、女性は黄色い安物の運動靴の明らかに大きさの異なる大中小3足を持って来た。「これは自分のものでない」と言うと、女性は「コンピューターで確認したから絶対に間違いない」と言う。何でも、名前、年齢、靴の価格など様々な情報がインプットされていて、該当する履物はこの靴しかないと言うのであった。靴の値段は260円だと言う。
 自分は、会社(大学?)の広いキャンパスの反対側の入口に、自分の靴を脱いできたような気がしたので、もう一度中へ入らせて欲しい。反対側の入口から出たいのだがと言った。女性は、構内いたる所、工事中なので中を通って表へは行けないと言う。やむを得ず、自分は外周の一般道を通って会社の入口まで行くことにした。外へ出ると其処に大きな川があった。
 川にはコンクリート製の大きな橋が掛かっていた。道路と橋のつなぎ目が切れていて、そのままでは橋を渡ることができなかった。見ていると、沢山の通行人が高いところから橋に飛び降りていた。自分も恐る々々高い壁にぶら下がって、何とかその橋の上に着地することが出来た。この橋も工事中であった。床面に配筋が行われたばかりで其処は歩くことが出来なかった。橋には欄干がなく、歩ける部分は水面と近接していて大変危険であった。が、何とか橋を渡った。
 橋を渡り終えると、通行人はみな右の方へ行くのに、自分はひとりだけ左側に用事があった。暫く行くと、また川があり橋があった。先ほど分かれた通行人も、みんな、この橋を渡らなければならなかった。結局、右側へ行った連中も遠回りして自分と同じ道になった。
 久し振りに見た夢であった。最近、夢は見るのだが思い出せないことが多い。また記憶している内容は断片的であり、ほとんど意味をなさない。この夢もまた支離滅裂であり、現在の現実との接点が理解できない。が、いつか将来、何か気付いたときの夢解きの楽しみとして記録だけ残しておく。


蛇に噛まれ絶壁で立ち往生した夢

2006-11-24 | 真夜中の夢
 自分は研修会に参加するため、会社の研修所の宿舎でうとうと眠っていた。はっと気が付いて目が覚めた。人の気配がしたからであった。何と同じ部屋には大勢の仲間がいて、既に研修会のグループ討議を始めていた。ほぼ討議が終わり、結論が出ていて、それを書いたものが自分の手元に回って来た。完全に出遅れた自分は、心の中で、しまったと思ったが、何食わぬ顔で、ほとんど目も通さずに「うん、自分の考えと同じだ」と同意した。心の中では、眠っている間に自分を抜きにして討議を進めた彼らに腹が立っていた。
 それでも、それはそれで良かった。しかし、仲間の顔を見ると、部屋が薄暗いのとメンバーの顔が塗りつぶされたようになって、どの顔を見ても、目、鼻、口がはっきり見えず、誰が誰やら識別できなかった。「そんなはず、あるもんか。自分は今、夢を見ているに違いない」と思った。
 また、暫く、うとうとしていると朝になった。目が覚めると、部屋には自分一人しかいなかった。朝食を食べなければと、宿舎から少し離れた別の建物の食堂へ行った。内部はカフェテリヤのようであった。誰もいなかったが、おいしそうな料理が部屋の隅に並べてあった。料理は一種類ずつ小さなお皿に乗せられているが、二種類も食べると多すぎると思って、一皿だけ、皿ごと取り上げてテーブルに座った。食べようとすると、そこにはナイフもフォークも無いことにきが付いた。ナイフとフォークを取りに行って、テーブルに戻ると、何と、先ほど取ってきた食べ物のお皿が忽然と消えていた。あれっと思って、別のお皿を取りに行き、食べようと思ったが、今度は水が無いことに気が付いた。再び、水を取りに行って、席に戻ると、何と、またまたテーブルの上のお皿がなくなっている。「何だ。ここは」と腹を立てて、入口を見ると、プレート(お盆)が高く積んであり、大勢の人が並んで居て、カウンターで、それぞれがプレートに取った料理分のお金を払っていた。「何だ。そうだったのか」と思って、自分もその行列に並び直した。
 ふと時計を見ると、9時5分前だった。研修会は9時から始まるので、今すぐ戻らないと遅刻だぞと、朝食は諦めた。結局、何も食べず、研修棟へ戻ろうと食堂を出た。出ると、そこは広い運動場で、その向こうに道路があり、研修棟は道路のさらに奥に見えていた。これでは完全に遅刻だ。前日のグループ討議に参加しなかった上に、全体会議に遅刻までしては面目丸つぶれだ。自分は、近道しようと運動場を斜めに横切って、道路に続く砂地の露出した高い崖をよじ登った。
 崖の勾配はきつかった。簡単に登りきれると思ったのが甘かった。掴まる所も無く崖の途中で立ち往生した。あと少しと上を見ると、崖の途中に窪みが2箇所あった。あれを手がかりにジャンプすれば道路に上がれると思い、その窪みに手をかけた。最初、窪みに指を入れたとき、何かぐにゃっとした異物を感じたので、思わず手を引っ込めた。自分は急いでいた。再び同じ穴に指をかけると、指の先がちくっとした。手を引っ込めて、指先を見ると何かに噛まれたような跡があり、血が滲みでてきた。と同時にその穴から30センチほどの長さの蛇が飛び出してきたのであった。
 しまった。毒蛇だったらどうしよう?と思って、思い切り指の先を吸った。蛇はニシキヘビの子供のような模様だった。大丈夫だ。マムシではない。マムシなら知っている。まあ、大丈夫だろうと指を吸い続けていると、目覚まし時計が鳴った。今度は、夢の中の目覚めではなくて、本当の目覚めであった。
 仲間から落ちこぼれた悲哀を味わい、食べようとしていた朝食を食べることができず、集合時間に遅れて、蛇にまで噛まれるとは、本当にロクでもない夢だ。このようなことは夢の中だけの話であって欲しい。今日も一日、このようなことは起きずに、何とか平穏無事であって欲しい。と、ぶつぶつぼやきながら、寝床から飛び出す一日の始まりであった。


しょぼくれて耳なし芳一を思った夢

2006-10-10 | 真夜中の夢
 大阪本町界隈の会社を訪問した。車を駐車させようと辺りを探したが、駐車場は満杯だった。どこかにスペースがないか探したところ、うまい具合に建物と建物の隙間に車一台分駐車できる空間を見つけた。ビルの谷間の古びた木造モルタル張りの商店の隣であった。
 訪問先では、不法駐車のことが気掛かりで気もそぞろであったが、一応、無難に仕事を終わらせた。帰り際に、夕方からの社員集会で少しお酒や料理も出るので、社員の激励のために寄って一言しゃべってほしいと頼まれた。まだ、時間も早かったので、出席の約束だけして、とりあえず会社を辞去した。
 会社を一歩出ると、車を何処へ駐車させたのかまったく記憶のないことに気が付いた。果たして、どの辺りに停めたんだっけ? 皆目、見当が付かなかった。まずは心斎橋寄りから始めて、堺筋、四ツ橋筋までの間を丹念に歩き回った。それらしい商店は見当たらなかった。続いて、淀屋橋までの間を同様に絨毯爆撃よろしく、細かい通りを一本ずつ確かめて歩いた。
 あった。白い愛車のクラウンがあった。驚いたことに、車は本町からはるか西の、なにわ筋を少し越えたところに置いてあった。確かに見覚えのある古びた商店の傍であった。こんな遠くに車を停めた覚えはなかった。自信があった自分の記憶力の喪失に愕然とする思いだった。
 自分は隣の商店を訪ねて、無断で駐車させたことを丁重に詫びた。商店主は気さくに、いいよ、いいよと笑って許してくれた。
 車に乗ろうとして車を見て再び驚いた。車には、あの琵琶法師「耳なし芳一」張りに車体全体に経文のような文字がびっしりと書かれているではないか。文字は車を駐車させたお咎めの文句であった。「あほ」「バカ」に始まり、「不法駐車お断り」だの、「駐車したものは地獄へ行け」だの、油性のマジックインクで隙間なく書かれている。きっとあの商店主が書いたに違いない。いいよ、いいよ、は当然ではないか。それだけの復讐は既に実行した後だった。車の塗装のやり直しに20万円以上はかかるに違いない。愕然とする思いだった。
 場面は変わって、自分は悄然とした思いでボロ自転車に乗っていた。会社で約束した社員集会に出るべきか迷っていた。もうすっかり暗くなって、遅刻であることには違いない。それにしても、あの車の落書きは不思議だった。一目見たときは、それが経文に見えた。即座に「耳なし芳一」を思い浮かべた。芳一なる盲目の琵琶法師が平家武者の人魂に囲まれて、卒塔婆の前でぼろんぼろんと琵琶を弾いている。これは一体何を意味しているのか? 俺はコンサル稼業をやっているが、所詮、「耳なし芳一」と同じ立場ではなかろうか? 時に経営者に説教を垂れたりしているが、何のお役に立っているというのか?
 ぼんやりと色々なことを考えながら自転車を漕いでいると、ポケットから大事なハンコの袋がはみ出て地面に落ちた。ハンコが散らばった。畜生!今日はロクでもない日だ。もう、社員集会へ行くのはやめた。何かしょぼくれた気分に圧倒されて、自転車は自然にスピードを上げて自宅の方に向かっていた。

※「耳なし芳一」とは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談に出てくるお話です。平家物語の琵琶の語り弾きを聞きたくて、亡霊となった平家の武者が盲目の芳一を墓場に招きます。それを知ったお寺の住職が、芳一の身体全体にお経を書いて芳一を守ります。お経を書いた身体の部分は、亡霊には見えなくなるからです。住職は芳一の耳だけ経文を書き忘れてしまいました。怒った亡霊は見えている芳一の耳を引き千切ってしまいます。


見当識を喪失し当てもなく放浪する夢

2006-09-07 | 真夜中の夢
 昨夜見た夢の中での話であるが、自分は何処かの会社で、ある組織の長とその組織の中の部署の長を兼務していた。前者は大阪市内に所在があり、後者は大阪近郊西宮市にあった。自分は大阪の方に出社することが多く、永らく西宮の方には顔を出していなかった。
 西宮の勤務先では、組織の長である自分からメンバーへの連絡や日常のコミュニケーションがほとんどなく、みな困っているようであった。メンバー個人の出張旅費の精算すら出来ていなかった。今日こそ、自分は西宮の方へ出勤して、みなのために、貯まっている雑用を片付けなければなるまいと思って自宅を出た。
 通勤電車は満員であった。満員の中に一人で座席に寝そべっている若いヤツが居た。一寸腹が立ったが、よく見ると手足の不自由な若者のようであった。これは仕方がないと思いながらも、電車は走り続けた。ふと我に帰ると、自分は西宮のどの駅で降りてよいのかサッパリ自信がないことに気が付いた。自信がないと言うよりも、完全に記憶を喪失しているのであった。電車は徐行を始め、西宮市内のある駅に停車した。見ているとほとんどの乗客が降りる。かなり大きい駅だ。多分、自分の降車駅もここだろうと勝手な推量をして降りた。
 改札口を出て駅前の道に出ると、其処は見覚えのある場所であった。良かった。助かった。まだ少しは記憶がある。と思って、歩き続けながら、足元を見ると、自分が履いているのは靴ではなく、何と稲藁を編んで作った底の浅いワラジであった。こんなもの履いて会社へ行けば大笑いだ。時計を見るとまだ朝の7時だった。うん、今なら一度自宅へ戻って、出直すことが出来そうだ。と思って、もと来た道へと引き返した。
 結局、この日も西宮の勤務先へは行かなかった。西宮へ行くには遅くなりすぎた。遅刻してはマズイと思ったからだ。自宅からは、今度は大阪の勤務先を目指して此花区の界隈を歩いていた。目指すと言うよりも、放浪していた。腹が減ったので、コンビニでジャガイモの一杯詰まったオムレツのようなものを買って、食べながら歩いた。自分は何処へ行こうとしているのか、何をしようとしているのか自分でも分らなくなっていた。懸命に自分の意識を探ろうとするが、意識的に努力すればするほど、暗黒の闇に落ち込んでいく。周囲の音が、ただ雑音として飛び込んでくるだけ、見えるものもぼんやりと目に映っているだけだった。完全に自己を喪失した状態。意識はあるが、意識のない状態。現在の自分とは何か?自分は何処へ行くのか?そんな意識だけが鮮明で、その他の知覚も存在の感覚も極めて曖昧になりながら、すーっと奈落の底へと吸い込まれていく...そんな感じを抱きながら現実の世界に復帰した。
 今日の夢はここで終わった。この夢は痴呆症への潜在的な恐怖なのか、あるいは現在の自分の生き様への無意識の不安なのか、一体全体、何のことか自分でもよく分らない夢だった。