空ずるということ 2009-09-30 | 番外編 老病死を「空(くう)ずる」とは 「ないと思う」ことではない 「気にしない」が正しい 老病死は現実にある 現実界に生きながら 生に執着することなく 素直に老い 素直に病み 素直に死んでく そんな生き方を手に入れること 「空ずる」とはそんなことだ « 幸福の必要条件 | トップ | 円熟した女性の美しさ »
20 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 10月の便り (ロディ) 2009-10-01 11:57:34 今日は仕事が休みなので身の周りのものの整理していました。最近は家庭の不要物も行政からのお達しにより7種類に分類し決まった日に出さねばならず、家中でやかましくあれこれと言われる頭の痛いことです。致し方なく自主的にまずわが身の周辺から整理することにしました。今まではなんでも後生大事に取りこんでいましたが何の徳もなく、とにかく一部の本以外は、服は言うに及ばず何でもをどんどんと廃棄捨て、家中すっきりこの際するつもりです。しかしそうは言っていても今日は朝から暑くもう少し涼しくなってからと先延ばしそうです。今年の野球はもう以前におわっていましたが、ここにきてちょっと星勘定をするようになりました。今週から朝の連続テレビ小説はあの海亀の日和佐が舞台です。半世紀前夏恒例のキャンプで(一番たくさんの友が参加した)行った場所です。懐かしく見始めていますが、それに合わせ昔のその折の事がことがいろいろと思いだしてきます。夜海中電池を持ってそのウミガメの産卵を砂浜に寝ころばって見たこと。古い小さな寺(弘法寺)で泊まり、縁側でサザエを食べきらないぐらい食べつくしていたこと。伊丹からYS11でがたがた揺られながら珍しく飛行機で行き、花火屋の団体さんかといわれるほどのたくさんお花火をおとがめもなく持ち込んで行ったこと。帰りの船は船でしかも普通席でなく一ランク上の階級で乗船をしたら、単に船室の隅っこにテープ区切りをされていただけだったこと。大阪についてどこで降りるのかと思えばなんと四つ橋の近くまで川をさかのぼり、降りたところから市電で朝家まで帰ったことなど。いろいろと思い出します。またこれから出るであろう薬王寺も私はお遍路で何回かは行っていますが懐かしい所です。今週の週末は周辺の村のだんじり祭りでにぎやかです。夜暗い道筋に提灯電燈の光が連なり、だんじり囃子が風に乗って聞こえてきます。庭では虫の声がにぎやかです。やっと秋の風情が感じられます。こちらは新型インフルで学級閉鎖もちらほらと出始めています。いつもはこの頃予防注射等をして備えますが、今回は我々老人には予防も必要がないのか、順番がが回ってきそうにありません。まあ年寄りは順番に先に行くのがいいらしく、まあいいかとという感じです。先月私は一足早く古希を迎えました。後期高齢者医療の狭間で若干医療費は安くなりそうです。唯自分自身生きてきた70年いささかその軌跡の重さに落ち込むことが多い毎日です。ではまた。 返信する ロディー様 (カフタラウ) 2009-10-01 13:02:28 早々に10月度のコメント有難う御座いました。 最近の自分の身の周りを見ると、ゴミか、ゴミでないか区別できなくなってきました。考えて見れば全部ゴミなのです。ところが捨てられないのです。もう少し生きて居れば何かの役に立つかも知らないと思えば、何も捨てられませんね。 夏のキャンプを思い出しますが、どうも日和佐の海岸には当方は参加しなかったみたいです。記憶が全然ありません。ボケたのでしょうか? 古希、原義は古来マレな年齢だったのでしょう。最近はみんな長生きしすぎて、そのために老人の病人が増えてきたようです。長生きも健康であればよいのですが、寝たきりの長生きもイヤですね。出来るだけ長い間、現場でがんばてくださいね。 3文同じコメントが入っていましたので、内二つは保留扱いにしました。3文必要なら回復します。では、 返信する 懐かしいなあ・・・・夏のキャンプ (弓太郎) 2009-10-02 11:43:38 懐かしいなあ、高校時代から毎年夏休みの恒例行事だったあのキャンプ。夏休みが近づいてくると期待に胸膨らみ、そわそわして落ち着かなかった。いつもロデイさんがキャンプのまとめ役。キャンプの数日前みんなで松屋町へ繰り出し、ワイワイ言いながら缶詰やら花火などをどっさり買い込んで、「さあ、今年もキャンプだぞ」と思うと、もう楽しくて楽しくてたまらなかった。大学生になってから、いつも男性ばかりでは味気ないということでロデイさんが骨を折って女性5~6人を誘って和歌山のアメリカ村など2回ほど行ったキャンプは忘れられません。帰ってからも参加者が集まりキャンプで撮った100枚あまりの写真を見ながら皆でワイワイ楽しんだり・・・・ あの女性達はその後どのような人生を送り今どうしておられるだろうか。ロデイさん、ご存知ですか。小生は大学卒業後就職して東京に移ってからは残念ながら恒例のキャンプには参加できなかった。 日和佐海岸へのキャンプは小生が東京に行ってからのキャンプだと思うので、残念ながら小生は参加していません。夜懐中電灯を持ってウミ亀の産卵を見たって! 朝ドラの場面そっくりなことを半世紀も前に楽しんだんだね。しかも帰りは高級船で四ツ橋近くまで来るとは! 自家用車並みの贅沢さ! 今は埋め立てられすっかり昔の面影がなくなってしまい寂しい限り・・・ 返信する 夏のキャンプ (カフタラウ) 2009-10-03 08:16:14 当方は外部からの参加者でありながら、100%の出席率ほこっていたつもりでしたが、その後にまだあったとは知りませんでした。 返信する Unknown (ジザイ) 2009-10-06 04:19:23 瀬を速み 岩にせかるる瀧川の 分れても末に 会わんとぞ思ふ 色即是空 空即是色 ということですね。 返信する ジザイ 様 (カフタラウ「) 2009-10-06 08:17:47 なるほど。そういわれてみれば分ります。今まで両者を関連つけて考えたことがありませんでした。 色即是空は言い尽くされた感がありますが、空即是色の方により多くの実際的な意味があります。心経は色の存在そのものを否定しているわけではありません。 返信する “愛別離苦”と“憧憬” (ジザイ) 2009-10-07 23:24:36 瀬を速み 岩にせかるる瀧川の ・・・ を情念の表出と観るだけでなしに、・・・ そうなのです、当時の世相の底に流れる「無常感」をもって詠んだと解したうえ、その先に言わば彼岸へのほのかな“憧憬”を読みとることが出来るなら100点でしょうね。色即是空の「色」を2分法により“物”と見る一方、「空」を例えば“心”ないし“精神”と見る考え方がある一方、いや、「色」とはむしろ“実世界のあらゆる現象・心象”で、「空」とはそれらの生起し来たる言わば“根元”だと観るなら「即是色」と述べる意味合いにより深みが出てきます。そしてその場合、貴方の「空ずる」ということは、“実世界のあらゆる苦悩や煩悩”などの“現象・心象”の全てを越えて言わば“悟る”ことを意味せねばならぬでしょう。そこで例えば「四苦八苦」という“苦悩”の分析概念がありますが、「四苦」とはご承知の通り“生老病死”で、「八苦」は、先の“四苦”に、①“愛別離苦”、②“怨憎会苦”、③“求不得苦”、④“五蘊盛苦”を合せたものをいうようです。(私はこの“生”を苦と観るところや、それこそ“生”の盛んな様を表す④を「八苦」の一つに上げていることが実に鋭いと思えるのですが・・・)先の和歌は、まさにこの“愛別離苦”を表現しつつ、それを超えた彼岸での出会いを想い、“憧憬”しているように思えるのですね。そのようなことをお判り頂けたのだと思いましたが、それでよろしいのでしょうか? 返信する ジザイ 様 (カフタラウ「) 2009-10-08 11:39:55 コメント有難う御座いました。 私は常識の範囲で、自由に思慮し、自分の理解の分際をわきまえていたいと思います。実際、般若心経には分らないところだらけですが、それで満足しています。 多分、貴殿の折角のご教示にも、完全に分ったとは言えないでしょうし、またどこが分らないかすら明確に言えないレベルの私です。 返信する Unknown (ジザイ) 2009-10-10 17:50:58 もう少し進みましょう。色即是空を広辞苑でみますと、「煩悩即菩提」、「生死即涅槃」の類語がでていました。久方の 光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ~の歌はこの「生死即涅槃」の心情が底流にあるのではと思うのです。月見れば千々にものこそ~は「煩悩即菩提」に通じ、心にもあらで浮き世に~及び、花の色は移りにけりな~は「四苦」の“老”を詠んだと解すれば如何?、 返信する ジザイ 様 (カフタラウ) 2009-10-11 11:35:36 毎度コメント有難う御座います 日本の和歌も背景には仏教思想が色濃く反映しているのは分りますが、一句一句具体的にその関連を考えたことがありませんでした。その気付きの糸口を与えてくださいました。有難うございました。なお、「久方の光のどけき春の日に静心無く花と散るらん」は、本歌とは一字違いですが、私の辞世の句にしたいとかねがね考えておりました。 返信する 面目躍如 (ジザイ) 2009-10-12 19:11:19 1字かえて辞世句とする省力化など、経営コンサルタントの面目躍如ですね。もっとも往々、春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 ~ という一首もまた捨て難い・・・という状況となって来るものですが~。 さて英詩にもご興味をお持ちなら、D・キーン氏絶賛というマックミラン・ピーター氏著の集英社新書「英詩訳・百人一首」は読まれましたか?和歌翻訳の四苦八苦状況がとても示唆に富み、面白い一書なのです。 返信する ジザイ 様 (カフタラウ) 2009-10-14 16:28:10 コメント有難う御座いました。 百人一首が英語に翻訳できるなどと考えたこともありません。異なった文化の差異がことごとく翻訳できるとも思われません。翻訳しようとすれば正しく四苦八苦でしょう。 日本人ですら5・7・5や5・7・5・7・7の形式の制約の中で字面だけでは理解できないことが一杯あります。 持統天皇の「春過ぎて...」の歌は、天皇の地位継承の正当性を自ら歌った歌としての評価しか理解しておりません。どんな意味が裏にあるのか知りたいものです。 返信する 「私の中のあなた」を観て (ジザイ) 2009-10-18 16:53:38 さきほど「私の中のあなた」を観てきました。重い映画ですが、主演のキャメロン・ディアスに脇役陣すべてが好演。ラストは解放され、“空ずる”ものでしたね。「春過ぎて・・・」の歌も、その開放感が良いのでは? 返信する 追伸 (ジザイ) 2009-10-19 21:43:02 持統天皇の「春過ぎて...」の歌の裏にどんな意味があるのかを知りたい・・・とおっしゃるのなら、丁度、偶々今日、読書家の友人が面白い本を一冊貸してくれました。織田正吉氏の集英社文庫「絢爛たる暗号ー百人一首の謎を解く」がそれです。いま読み進んでいるところですが、とても興味深い分析を加えていて、巻置くあたわずで、読書の秋に相応しい。やはり友を選ばば書をよみて~ですね。 返信する つい 2 (ジザイ) 2009-10-20 07:43:14 ゆうべ「絢爛たる暗号=」を飛ばし読みして、百首個々の和歌や語句の生むイメージの関連性が、背後の歴史的連想や、メッセージともども、まるで壮大な練習曲風に構成されているのだとの印象を受けました。このブログも多分にそうなのでしょうが、「春過ぎて...」の裏の意味よりも、それが他のどんなイメージないしどんな一首の連環を連想させるか・・・が問題となるのでしょうね?あなたの場合は如何? 返信する ジザイ 様 (カフタラウ) 2009-10-20 17:33:41 ジザイ様。再々のコメント有難う御座いました。 持統天皇の「春過ぎて…」の歌の、私の考える裏の意味は、歴史上、天智・天武両天皇の妻となり、天武の跡を継いだ持統天皇の勝利宣言の歌ではないかという推測です。 天の香具山という神聖な山に洗濯物を干す人は居りません。白妙の衣は天皇の権威を象徴する白鳥の翼か、天女の衣ではないでしょうか。持統天皇が即位を意識して、あるいは即位後に自分が天皇位に就いたことの誇らしい気分を歌ったものと、私は解釈しています。 私の知りたい裏の意味はこんな話ではなく「空ずる」ということとこの歌との間に関係が歩かないかどうかということです。是非、ジザイ様のご見解をしりたいと思います。 「空」は概念的によく理解できるのですが、「空ずる」とは具体的にどうすることなのかよく分っていません。 返信する 翼竜のトサカ (ジザイ) 2009-10-20 19:11:09 「空ずる」とは、“実世界のあらゆる苦悩や煩悩”などの“現象・心象”の全てを越えた“悟り”に至ること、例えば「四苦八苦」を超越する境地に入ることと解します。しかし、ブログではより砕けて、“イメージや連想を解放すること、多くのものに万遍なく心を開き、興味をもつこと”・・・という風に、上記の言葉を応用して解しても間違った方向とは言えないのはないでしょうか?例えば、私はそれに“滑空する”というイメージまで重ねてみました。羽を拡げればサッカーゴールポストの大きさのある「大翼竜プテラノドン」のトサカの後ろ側に70cm程のトサカが付いています。これは極めて優秀な『進化の設計』(佐貫亦男著、講談社学術文庫)によるもので、飛行中、嘴の付いた頭を、首を支点に横風の方向に向けようとする際、もしこの後頭部の出っ張りがなく、同部位が相応の回転方向への風圧を受けなければ、少なくとも200g相当の余分な筋肉を首に必要としていた・・・との航空工学者の話を読んで、感心したばかりなのですが、上記「空ずる」のイメージに「滑空」をつなげてみても決して困ることはないのでは・・・と思うのですが如何? 返信する ヨクミキキシ、ワカリ (ジザイ) 2009-10-24 08:11:35 回り道のようでも回り道ではない。苦楽は表裏して一体となり、一瞬が永遠に連なる。すべてのものを見て、受け入れ、理解できる。ヨクミキキシ、ワカリ、ソシテワスレズ・・・全てのものが、すべて相つながってくる。さて、「春過ぎて…」の歌も心を空じれば、“昔、天女が白妙の衣を掛けたという山が、香具わしいばかりの新緑に包まれている・・・ああ、もう夏になったのだ・・・”という、初々しいイメージを自ら想起させるように思えるのですが・・・。 返信する ジザイ 様 (カフタラウ) 2009-10-25 10:46:01 空ずるとは、心を無限大に広げて、こだわらず、自由に考えを巡らせることだったのですね。よくわかりました。 返信する 訂正 (カフタラウ) 2009-12-05 13:59:52 2009-10-20 17:33:41 ジザイ様宛カフタラウ発信のコメントに思い違いを発見しました。文中「天智・天武両天皇の妻ととなり・・・」は持統天皇ではなく、額田王のことであったようです。持統天皇は天智の娘で、天武の妻でした。悪しからず、、、、訂正まで。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡
最近は家庭の不要物も行政からのお達しにより7種類に分類し決まった日に出さねばならず、家中でやかましくあれこれと言われる頭の痛いことです。致し方なく自主的にまずわが身の周辺から整理することにしました。
今まではなんでも後生大事に取りこんでいましたが何の徳もなく、とにかく一部の本以外は、服は言うに及ばず何でもをどんどんと廃棄捨て、家中すっきりこの際するつもりです。
しかしそうは言っていても今日は朝から暑くもう少し涼しくなってからと先延ばしそうです。
今年の野球はもう以前におわっていましたが、ここにきてちょっと星勘定をするようになりました。
今週から朝の連続テレビ小説はあの海亀の日和佐が舞台です。
半世紀前夏恒例のキャンプで(一番たくさんの友が参加した)行った場所です。懐かしく見始めていますが、それに合わせ昔のその折の事がことがいろいろと思いだしてきます。
夜海中電池を持ってそのウミガメの産卵を砂浜に寝ころばって見たこと。
古い小さな寺(弘法寺)で泊まり、縁側でサザエを食べきらないぐらい食べつくしていたこと。伊丹からYS11でがたがた揺られながら珍しく飛行機で行き、花火屋の団体さんかといわれるほどのたくさんお花火をおとがめもなく持ち込んで行ったこと。
帰りの船は船でしかも普通席でなく一ランク上の階級で乗船をしたら、単に船室の隅っこにテープ区切りをされていただけだったこと。
大阪についてどこで降りるのかと思えばなんと四つ橋の近くまで川をさかのぼり、降りたところから市電で朝家まで帰ったことなど。
いろいろと思い出します。
またこれから出るであろう薬王寺も私はお遍路で何回かは行っていますが懐かしい所です。
今週の週末は周辺の村のだんじり祭りでにぎやかです。夜暗い道筋に提灯電燈の光が連なり、だんじり囃子が風に乗って聞こえてきます。
庭では虫の声がにぎやかです。やっと秋の風情が感じられます。
こちらは新型インフルで学級閉鎖もちらほらと出始めています。いつもはこの頃予防注射等をして備えますが、今回は我々老人には予防も必要がないのか、順番がが回ってきそうにありません。まあ年寄りは順番に先に行くのがいいらしく、まあいいかとという感じです。
先月私は一足早く古希を迎えました。後期高齢者医療の狭間で若干医療費は安くなりそうです。唯自分自身生きてきた70年いささかその軌跡の重さに落ち込むことが多い毎日です。
ではまた。
最近の自分の身の周りを見ると、ゴミか、ゴミでないか区別できなくなってきました。考えて見れば全部ゴミなのです。ところが捨てられないのです。もう少し生きて居れば何かの役に立つかも知らないと思えば、何も捨てられませんね。
夏のキャンプを思い出しますが、どうも日和佐の海岸には当方は参加しなかったみたいです。記憶が全然ありません。ボケたのでしょうか?
古希、原義は古来マレな年齢だったのでしょう。最近はみんな長生きしすぎて、そのために老人の病人が増えてきたようです。長生きも健康であればよいのですが、寝たきりの長生きもイヤですね。出来るだけ長い間、現場でがんばてくださいね。
3文同じコメントが入っていましたので、内二つは保留扱いにしました。3文必要なら回復します。
では、
いつもロデイさんがキャンプのまとめ役。キャンプの数日前みんなで松屋町へ繰り出し、ワイワイ言いながら缶詰やら花火などをどっさり買い込んで、
「さあ、今年もキャンプだぞ」と思うと、もう楽しくて楽しくてたまらなかった。
大学生になってから、いつも男性ばかりでは味気ないということでロデイさんが骨を折って女性5~6人を誘って和歌山のアメリカ村など2回ほど行ったキャンプは忘れられません。帰ってからも参加者が集まりキャンプで撮った100枚あまりの写真を見ながら皆でワイワイ楽しんだり・・・・
あの女性達はその後どのような人生を送り今どうしておられるだろうか。ロデイさん、ご存知ですか。
小生は大学卒業後就職して東京に移ってからは残念ながら恒例のキャンプには参加できなかった。
日和佐海岸へのキャンプは小生が東京に行ってからのキャンプだと思うので、残念ながら小生は参加していません。夜懐中電灯を持ってウミ亀の産卵を見たって! 朝ドラの場面そっくりなことを半世紀も前に楽しんだんだね。
しかも帰りは高級船で四ツ橋近くまで来るとは! 自家用車並みの贅沢さ! 今は埋め立てられすっかり昔の面影がなくなってしまい寂しい限り・・・
色即是空 空即是色 ということですね。
色即是空の「色」を2分法により“物”と見る一方、「空」を例えば“心”ないし“精神”と見る考え方がある一方、いや、「色」とはむしろ“実世界のあらゆる現象・心象”で、「空」とはそれらの生起し来たる言わば“根元”だと観るなら「即是色」と述べる意味合いにより深みが出てきます。
そしてその場合、貴方の「空ずる」ということは、“実世界のあらゆる苦悩や煩悩”などの“現象・心象”の全てを越えて言わば“悟る”ことを意味せねばならぬでしょう。
そこで例えば「四苦八苦」という“苦悩”の分析概念がありますが、「四苦」とはご承知の通り“生老病死”で、「八苦」は、先の“四苦”に、①“愛別離苦”、②“怨憎会苦”、③“求不得苦”、④“五蘊盛苦”を合せたものをいうようです。(私はこの“生”を苦と観るところや、それこそ“生”の盛んな様を表す④を「八苦」の一つに上げていることが実に鋭いと思えるのですが・・・)先の和歌は、まさにこの“愛別離苦”を表現しつつ、それを超えた彼岸での出会いを想い、“憧憬”しているように思えるのですね。
そのようなことをお判り頂けたのだと思いましたが、それでよろしいのでしょうか?
私は常識の範囲で、自由に思慮し、自分の理解の分際をわきまえていたいと思います。実際、般若心経には分らないところだらけですが、それで満足しています。
多分、貴殿の折角のご教示にも、完全に分ったとは言えないでしょうし、またどこが分らないかすら明確に言えないレベルの私です。
久方の 光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ~の歌はこの「生死即涅槃」の心情が底流にあるのではと思うのです。月見れば千々にものこそ~は「煩悩即菩提」に通じ、心にもあらで浮き世に~及び、花の色は移りにけりな~は「四苦」の“老”を詠んだと解すれば如何?、
日本の和歌も背景には仏教思想が色濃く反映しているのは分りますが、一句一句具体的にその関連を考えたことがありませんでした。その気付きの糸口を与えてくださいました。有難うございました。なお、「久方の光のどけき春の日に静心無く花と散るらん」は、本歌とは一字違いですが、私の辞世の句にしたいとかねがね考えておりました。