司馬遼太郎の数多くの作品の一つに「世に棲む日日」という歴史小説があり、幕末の長州が舞台になっている。この中に、当時の外国人から見た日本の役人についての面白い記述があり、大いなる感銘を受けたのでここに紹介する。
1)「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚(ビューロクラシー)ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと「上司」ということばを使い、「上司の命令であるから」と言って、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。
―上司とはいったいだれか。その上司とかけあおう。
と外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と生命をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実体がないということがわかる。しかしヤクニンはあくまでも「上司、上司」と、それが日本の神社の神の託宣であるかのようにいう。日本にあっては上司とは責任ある個人ではなく祠(ほこら)であり、ヤクニンとは祠に仕える神主のようなぐあいであるのかもしれない。
2)1853(嘉永六)年、アメリカのペリーと同じ目的で日本にきたロシア皇帝の代理者プチャーチン提督も、長崎で日本の役人に接触した。プチャーチンのこの日本航海記を執筆すべく官費でその随員となっていた作家ゴンチャロフは、日本のヤクニンのこの責任回避の能力のみが発達した特性に驚嘆し、悪口をかいている。当時のヨーロッパの水準からいえば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。そのロシア人ゴンチャロフでさえ(かれは大蔵省役人の前歴をもっていた)日本のヤクニンにおどろいたのである。
明治維新により幕藩体制は崩壊した。しかし、制度などのハードはともかく、人々の精神構造のようなソフトは大きく変化しなかった。とりわけ、このお役人の精神や文化の構造は、全く変化を遂げず、そのまま温存された。徳川270年の鎖国時代は、わが国固有の文化を確立する上で大きな意味があったと評価されている。しかし、この役人文化は、徳川の時代270年を越えて、さらに明治以降120年以上にもわたって、連綿と続き、ますます進化してきているのである。
今、政治が即断実行しなければならないのは、冗費節減のための行政改革はもちろんのこと、その根底にあるヤクニンの精神構造や文化の改革である。単なる行政の単位の統合や再編では同じ事を繰り返すだけである。
ところで、世間を騒がせている社会保険庁の悪事の数々。歴代の社会保険庁長官は誰一人責任を取らず、みなさん快適な日常生活を送っておられる。現実には、組織ぐるみで何十年にも渡って、公文書偽造、詐欺、公費の不正使用などの犯罪を行ってきていることが明らかになっているに関らず。いったい、彼らの膨大な年俸や退職金の意味は何なのか。幹部に責任を取るだけの権限や指示命令がなかったとしたら、さらに報酬の意味はないのではないか。退職金を全額返納するか、刑に服するかどちらかになるべき構造だ。何の処置もなければ、不作為という最大の負の役人文化にさらなる歴史が加えられる。
弱者である一般庶民を中心に、犠牲者が多数明確になってきている中で、これに対する刑事訴追が行われない現状を放置してよいのかと思う。役人の組織的な犯罪を追及する法の仕組みはどうなっているのか。このままうやむやにして、日本人の多くが正義感を喪失し、無力感にさいなまれ、国全体が亡国の瀬戸際に落ち込んでいくことを座視していて良いのか。これまで老年近くまでバカ正直に生きてきたものとして、悔しくて、悔しくてならない。
※上記1)2)は、司馬遼太郎「世に棲む日日(Ⅲ)」文春文庫より引用した。


1)「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚(ビューロクラシー)ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと「上司」ということばを使い、「上司の命令であるから」と言って、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。
―上司とはいったいだれか。その上司とかけあおう。
と外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と生命をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実体がないということがわかる。しかしヤクニンはあくまでも「上司、上司」と、それが日本の神社の神の託宣であるかのようにいう。日本にあっては上司とは責任ある個人ではなく祠(ほこら)であり、ヤクニンとは祠に仕える神主のようなぐあいであるのかもしれない。
2)1853(嘉永六)年、アメリカのペリーと同じ目的で日本にきたロシア皇帝の代理者プチャーチン提督も、長崎で日本の役人に接触した。プチャーチンのこの日本航海記を執筆すべく官費でその随員となっていた作家ゴンチャロフは、日本のヤクニンのこの責任回避の能力のみが発達した特性に驚嘆し、悪口をかいている。当時のヨーロッパの水準からいえば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。そのロシア人ゴンチャロフでさえ(かれは大蔵省役人の前歴をもっていた)日本のヤクニンにおどろいたのである。
明治維新により幕藩体制は崩壊した。しかし、制度などのハードはともかく、人々の精神構造のようなソフトは大きく変化しなかった。とりわけ、このお役人の精神や文化の構造は、全く変化を遂げず、そのまま温存された。徳川270年の鎖国時代は、わが国固有の文化を確立する上で大きな意味があったと評価されている。しかし、この役人文化は、徳川の時代270年を越えて、さらに明治以降120年以上にもわたって、連綿と続き、ますます進化してきているのである。
今、政治が即断実行しなければならないのは、冗費節減のための行政改革はもちろんのこと、その根底にあるヤクニンの精神構造や文化の改革である。単なる行政の単位の統合や再編では同じ事を繰り返すだけである。
ところで、世間を騒がせている社会保険庁の悪事の数々。歴代の社会保険庁長官は誰一人責任を取らず、みなさん快適な日常生活を送っておられる。現実には、組織ぐるみで何十年にも渡って、公文書偽造、詐欺、公費の不正使用などの犯罪を行ってきていることが明らかになっているに関らず。いったい、彼らの膨大な年俸や退職金の意味は何なのか。幹部に責任を取るだけの権限や指示命令がなかったとしたら、さらに報酬の意味はないのではないか。退職金を全額返納するか、刑に服するかどちらかになるべき構造だ。何の処置もなければ、不作為という最大の負の役人文化にさらなる歴史が加えられる。
弱者である一般庶民を中心に、犠牲者が多数明確になってきている中で、これに対する刑事訴追が行われない現状を放置してよいのかと思う。役人の組織的な犯罪を追及する法の仕組みはどうなっているのか。このままうやむやにして、日本人の多くが正義感を喪失し、無力感にさいなまれ、国全体が亡国の瀬戸際に落ち込んでいくことを座視していて良いのか。これまで老年近くまでバカ正直に生きてきたものとして、悔しくて、悔しくてならない。
※上記1)2)は、司馬遼太郎「世に棲む日日(Ⅲ)」文春文庫より引用した。


