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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

役人文化の歴史的考察

2008-12-24 | 雑記帳
 司馬遼太郎の数多くの作品の一つに「世に棲む日日」という歴史小説があり、幕末の長州が舞台になっている。この中に、当時の外国人から見た日本の役人についての面白い記述があり、大いなる感銘を受けたのでここに紹介する。

 1)「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚(ビューロクラシー)ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと「上司」ということばを使い、「上司の命令であるから」と言って、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。
 ―上司とはいったいだれか。その上司とかけあおう。
と外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と生命をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実体がないということがわかる。しかしヤクニンはあくまでも「上司、上司」と、それが日本の神社の神の託宣であるかのようにいう。日本にあっては上司とは責任ある個人ではなく祠(ほこら)であり、ヤクニンとは祠に仕える神主のようなぐあいであるのかもしれない。

 2)1853(嘉永六)年、アメリカのペリーと同じ目的で日本にきたロシア皇帝の代理者プチャーチン提督も、長崎で日本の役人に接触した。プチャーチンのこの日本航海記を執筆すべく官費でその随員となっていた作家ゴンチャロフは、日本のヤクニンのこの責任回避の能力のみが発達した特性に驚嘆し、悪口をかいている。当時のヨーロッパの水準からいえば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。そのロシア人ゴンチャロフでさえ(かれは大蔵省役人の前歴をもっていた)日本のヤクニンにおどろいたのである。

 明治維新により幕藩体制は崩壊した。しかし、制度などのハードはともかく、人々の精神構造のようなソフトは大きく変化しなかった。とりわけ、このお役人の精神や文化の構造は、全く変化を遂げず、そのまま温存された。徳川270年の鎖国時代は、わが国固有の文化を確立する上で大きな意味があったと評価されている。しかし、この役人文化は、徳川の時代270年を越えて、さらに明治以降120年以上にもわたって、連綿と続き、ますます進化してきているのである。
 今、政治が即断実行しなければならないのは、冗費節減のための行政改革はもちろんのこと、その根底にあるヤクニンの精神構造や文化の改革である。単なる行政の単位の統合や再編では同じ事を繰り返すだけである。
 ところで、世間を騒がせている社会保険庁の悪事の数々。歴代の社会保険庁長官は誰一人責任を取らず、みなさん快適な日常生活を送っておられる。現実には、組織ぐるみで何十年にも渡って、公文書偽造、詐欺、公費の不正使用などの犯罪を行ってきていることが明らかになっているに関らず。いったい、彼らの膨大な年俸や退職金の意味は何なのか。幹部に責任を取るだけの権限や指示命令がなかったとしたら、さらに報酬の意味はないのではないか。退職金を全額返納するか、刑に服するかどちらかになるべき構造だ。何の処置もなければ、不作為という最大の負の役人文化にさらなる歴史が加えられる。
 弱者である一般庶民を中心に、犠牲者が多数明確になってきている中で、これに対する刑事訴追が行われない現状を放置してよいのかと思う。役人の組織的な犯罪を追及する法の仕組みはどうなっているのか。このままうやむやにして、日本人の多くが正義感を喪失し、無力感にさいなまれ、国全体が亡国の瀬戸際に落ち込んでいくことを座視していて良いのか。これまで老年近くまでバカ正直に生きてきたものとして、悔しくて、悔しくてならない。

※上記1)2)は、司馬遼太郎「世に棲む日日(Ⅲ)」文春文庫より引用した。


人は考えているとおりの自分になる

2008-12-23 | 金言・名言
人は考えているとおりの自分になる。
We become what we think about. (As a man thinketh in his heart, so is he.)

 永いながい時間を経て人は自分自身を構築する
 地位・性格・能力・財産・健康すべてにおいて
 良い方向にも 良くない方向にも
 人は考えているとおりの自分になっていく 
 その設計図の作成者は自分自身である
 親のせいでそうなったのではない
 友達のせいでそうなったのではない
 会社のせいでそうなったのではない
 そうなることを認めた自分のせいである
 努力不足の自分の必然の結果である
 そうなる前になりたい自分を夢に描いたか
 そうなる前になりたい自分への努力をしたか
 そうなる前に夢と現実との調整を試みたか
 そうなる前に普段の努力を継続したか
 今からでも遅くはない
 人生が続く限りチャンスはある
 現状の自分を嘆くならば
 なりたい自分のイメージを再構築せよ
 なりたい自分の設計図を描き直せ
 変化を恐れるな 変化を求めよ
 ひたすらに心に念じよ
 そしてひたすら努力せよ
 神に期待するな 世の中に奇跡はない
 自らを助けるものにしか神は微笑まない 
 たった一度の人生を幸せなものに仕上げていくために
 自身による自身のための懸命の努力をするしかない

※英語の部分は、MacK R. Douglas ;"How to Make a Habit of Succeeding (Motivational Series)"からの引用です。


生老病死とは

2008-12-22 | 徒然草
この世のあらゆるものは
問題ばかりでなく喜びも届けてくれる
お釈迦様によれば
人生の四苦とは生老病死をいうが
正しく受け止められなければならぬ
生はそれ自身が喜びであり
老はその終局の一時期の様相に過ぎず
病は都度生の価値を呼び覚まさせる警告であり
死もまた生の意味を悟らせる予告的の最後通牒である
生老病死とは
人に生の喜びを与え
その幸せを思い起こさせる神からの贈物である
そして人生の旅を価値あるものに仕上げてくれるものである


冬の季節

2008-12-21 | 徒然草
時は冬
日は朝(あした)
朝は7時
立てばめまい
食すれば吐き気
夕には発熱
この1週
苦楽の収支は苦の圧勝
何のために生きているとすら思う
だが自分には希望がある
快復すれば仕事に戻る夢がある
春になれば何食わぬ顔に戻って仕事しようと思う
以後長期的な苦楽の収支を改善しようと思う
一生を終えるときには何処に苦があったかと
知らん顔して消えて行こうと思う

雪に身を付す呉竹の
やがて世に立つ日を見よと
書生も希望を抱くなり

若かりし日の人生訓
いまだ顕在


温暖化防止のため殺されて死んだ夢

2008-12-17 | 真夜中の夢
 深夜、うつらうつらと夢を見ていた。
 地球温暖化の根本原因は地球人口の大幅な過剰にあるということから、国連の秘密会合で大幅な人口削減計画とその実行について話しあわれたらしい。現在のペースで少々の省エネルギーをやったところで、地球上の人口をこのままにすれば、現在の地球温暖化の急速な進行を食い止めることは不可能である。今直ちに産業革命以前の人口に減じたとしても、既に排出蓄積した炭酸ガスのせいで、当面の温暖化の進行を食い止めることは出来ない。このような議論を経て、日本の適正人口は3千万人ということに決定したそうだ。何とわが国だけで1億人近い人口を削減しなければならないということとなった。
 わが国の人口削減計画は直ちに実行に移された。暴動や社会不安を引き起こさず、粛々と1億人を抹殺するということだ。このことについて、何の報道や予告もないまま、秘密裏に着手された。抹殺対象となる人々の機会の平等を保障するために、行動計画の対象は無作為に抽出された。世界中のすべての国で、やり方は異なるが同様のことが行われているとのことであった。
 夢は続く。
 自分はある大きなビルのオフィスで仕事をしていた。建物の内部に突然の緊張と殺気が走った。ビルのすべての出入り口が閉じられたことが分かった。屈強な実行部隊の隊員数名が殺人用の機材を持って廊下を走り抜けて行った。ビルの中に居るものは全員、社会的な地位などに関係なくすべて平等に死ななければならないことになったのだ。
 自分は逃げた。逃げると言っても、どこへも行くところがない。結局、一つの小さな部屋に逃げ込んで、内側から鍵をかけて息を潜めるだけのことであった。其処には2名の同僚が既に隠れていた。実行部隊の隊員は、各部屋を順に巡回し抹殺の処置を行っているようであった。遠くから物音が段々と近づいてくるので分った。やがて我々の隠れている部屋の前で足音が止まった。鍵の掛かったドアの向うで淡々と作業をしている。人の声は一切なかった。内部の自分を含めた3人は自然に身を寄せ合った。
 市民無差別殺害の手順は次のようのものであった。先ず最初にX線が照射された。いわゆるレントゲン撮影である。部屋の内部に人がいるかどうかの確認のためらしい。我々3名の位置がドアの向こう側で精細に検知され特定された模様だ。続いて、抹殺対象の所在場所に強力な放射線が数回にわたって照射された。自分の身体の中を放射線が通過していく。実感はないが、ジーという放射線源の密閉箱のフタの開閉音が聞こえてくるのでそれとなくわかる。3名は少しでも直接の被爆を避けようとしてお互いに後ろへ回り込んだ。3人の陣取り合戦は1分ほどで終わったが、3人とも何事もなかったように生きていた。実行部隊は次の部屋へ行って、同じ処置をしているようであった。
 次の瞬間、自分はビルの外を歩いていた。何だ、生きているではないかと思った。しかし、それは甘い考えであった。むしょうに喉が渇く。水が飲みたい。胸がムカムカする。吐きそうである。自分は、ふらふらしながら自宅まで帰った。しかしながら、自分の命は二日しか持たなかった。
 ビルの中で多くの人間を殺害すれば、その後の死体の処置が大変である。そんな予算も手数もない。それよりも、対象者は自力で自宅まで帰ってもらって、それぞれ家族に看取られて死んでいくのがよい。その後の葬式を経て行われる死体の処理も、それぞれの家庭の負担できちんと行われる。何ということか、そこまでの政府の計画者の深謀遠慮が働いているのだ。
 二日後に自分は死んだ。死んだ自分は地球上には居ない。人はいずれ死ぬのだ。全員が死ぬ。死というもの何も怖いものではない。本人にとっては至極気楽なものであった。
 このあたりで目が覚めた。夢でよかった。そして、ぼうっとしながら考え続けた。死ぬということ。それは仕方のないことだ。一人に一回の死が平等に与えられている。何も自分だけのことではない。騒ぐことはない。自分にしても、死んでしまえば、その後は何も出来ないという悔しさが残るが、それを思う自分が既に存在しないのであれば、まあそれでも良い。しかし、他ならぬ自分が死ぬということ。やはり尋常ではない。自分は良くても、周囲の者の悲しみは避けられない。妻や家族やこれまで付き合ってくれた友人たちとの永劫の別れとなるのだ。死の一番の問題は其処にある。
 結論として、死と言うもの、やはり、周囲の人々との別れというものが一番恐ろしいことなのであろうと、布団の中で暫し考えている今日の寝覚めであった。


ISOことわざ小事典(16)

2008-12-16 | ISOことわざ小事典
56.今日あって明日ない身   
 昨今の劇的な不景気や有効性への疑問の増大から、企業
 のISOへの信頼が失われ、負のスパイラルに陥って審査
 の仕事がなくなる審査員の心配

57.拱手傍観         
 審査機関や組織からの要求が強くなり、一方で報酬が切
 り下げられていくと感じた普通の審査員が、現場に入っ
 て個人的にとる抵抗のための高等戦術

58.玉石混淆         
 ISOの認証登録をしても、その中には色々なレベルの組
 織が入り混じっていること

59.共存共栄         
 登録だけが目的で認証取得している組織に対して、甘い
 審査で応えて、お互いに楽する組織と審査員との関係

60.木を見て森を見ず     
 ISO規格要求事項の細部に捕われて、システム全体への
 影響を考えない組織や審査員の陥りやすい傾向


苦しい時の神だのみ

2008-12-14 | 金言・名言
苦しい時の神だのみ
Danger past, God forgotten.

 ふだんは神様を信じていないし
 拝みもしない人が
 困ったときになると
 神様に頼って助けてもらおうとする
 
 こういう人って結構多いんだね
 大体この世に神様が存在するかどうかわからない
 大抵の人は居ないと思っている

 神様は居ないとするのが正解か
 居るというのが正解か
 人間には永久にわからない
 どうやら
 神様は居ないと思う人には存在しないし
 居ると思う人には存在するようだ
 正解はその人の思想が首尾一貫しているかどうかだ

 神様だって
 都合の良い時だけ頼りにされてもいやだよね
 平素から信じてもらっておれば
 やる気になるだろうよ
 人様だって
 誠実に真面目に心から頼りにされれば
 一寸くらいムリしてでも助けてあげたくなるよね
 
 苦しいときの頼みの相手は神様だけじゃないぞ
 本当に助けてくれるのは人様の方が多いんだぞ
 自分だけ得するような毎日を送っていては失格だ
 困った時に手の平を返したように助けてもらおうとしても
 それは遅いというもんだ

 神様も人様も同じだぞ 
 すべての人を助けるなんて出来っこない
 不真面目で自堕落な人など誰が助ける気になるもんか
 困った時だけ突然目の前に現れても
 助けてやる気などきっと起こらんだろうね

 神様でも 人様でも
 普段の行いが大切だ
 双方の信頼関係が大切だ
 いざと言う時に備えて
 平素から
 心して真面目に生きていることが大切だ
 各々方 分るかね
 しっかりと胸に手を当てて考えてほしい

※ことわざの英語は学研教室「ことわざカレンダー」を参考にしています。


初めての入院経験

2008-12-13 | 雑記帳
 私事ながら、3ヶ月間の入院をした。わが68年の人生で記憶のある限り初めての体験であった。幸いにも、本日、とりあえず退院できた。まだ患部の根本原因を除去していないので、2ヵ月後に再入院し、処置がとられる予定である。
 何とか死ぬまで生きていたい。生きている限り、健康で健全な生活をしていたい。誰もがそのように思っているであろうが、現実はそのようには参らぬもののようであるらしい。生きていることと健康で健全な生活が保障されることとは関係がないのである。
 自分のことを例に上げて恐縮であるが、これまで、我が人生、かなりがむしゃらに仕事して来たが、健康には人一倍留意してきたつもりだ。好きな酒も適量で我慢してきたし、ジョギングやウォーキングの汗も流し続けた。管理医を定め、健康管理のために、月に一度は体調異常の有無に関らず相談に訪れ、検診を受けてきた。定年後も仕事をやっているので、国民健康保険も常に上限の最高額を負担し、支払い続けてきた。今のわが国の総理は、ぐうたらなふしだら生活をしている者だけが病気をすると思っておられるようであるが、現実はそうではない。万全の予防を行い、真面目の上にクソを付けて、注意に注意を重ねていても、避けられぬのが病気である。誰が好き好んで、辛い苦しい病気になりたいと思うものか。
 また、この3ヶ月間の入院生活で、医療現場の実体をつぶさに観察し、体験した。医療現場の実体は極めて真面目で誠実で健全である。医師も看護師もみな最善の努力をしている。看護師はみな明るく親切であり、患者を自分の親兄弟のように思って対応してくれた。深夜でもいやな顔一つせず、ナースコールに駆けつける。医師も担当の患者には足繁く通って適切に対応している。
 ある時、「実は、今日は会議があってね。遅くなって申し訳ない」と言いながら、真夜中の10時過ぎに同室の患者を診察に来て、丁寧なアドバイスをして帰宅された。他人事ながら、「この医師も真面目な人だね。これから自宅へ帰っての遅い夕食で気の毒だ。こんな毎日が続いて一体お医者の身体がもつのかね?」と思った。医師の仕事はまことに激務である。このような場面を毎日見ていると、「医者とは社会的に不適格な人が多くて...」なんていう発言がどこから出てくるのか不思議でならない。この国の総理は、すべて自分本位の仮想現実の世界に生きておられるのではないかと思われてくる。
 社会保険と言うものは、何も他人の面倒の負担の肩代わりをするだけでもあるまい。自分のために、余裕のあるときに貯金するような意味もある。他人様のお役に立てることができれば尚更結構なことではないか。それを、「ぐうたらな人のために税金を多く負担しなければならない」などと発言するとは! 何という発想をしてくれるのか。信じられない。このような話が、日本のニュースとして、外国にも伝わっていくかと思うと、わが国の文化や知的水準のレベルが知れて、本当に赤面の至りだ。


「竜馬がゆく」

2008-12-07 | 読後感
司馬遼太郎を読んだ
タイトルは「竜馬がゆく」である
文庫本で8冊
長編だった
昨年 同じ作者の「坂の上の雲」を読んだが
それ以上の読み応えがあった

西欧列強の威嚇的な開国要求が厳しくなる幕末の頃から
徳川慶喜の大政奉還に至るまでの激動の約二十年
熱血の英雄坂本竜馬の生き様を描く歴史小説である
竜馬は土佐では恵まれぬ階級の郷士(下士)に生まれた
若きより剣術の才能には秀でていたが
粗野で風采構わぬ野人でしかなく 才気煥発とは言えず
さしたる思想や哲学なく凡庸の少年時代を送った
だが竜馬は長足の進歩を遂げる
先人のない独自の見識を構築した
関心は土佐藩を越え日本を越え世界を志向した
商才と経営のセンスがあった
人間としての温かさがあった
多くの美人を魅了した
はるかに高い地位にある勝(海舟)や桂(小五郎)や西郷(隆盛)と相まみえた
公卿の三条実美や岩倉具視などとも相まみえた
彼らと対等に付き合った
既存の役人のヒエラルキーを上がるのではなく
自ら活躍する場を自分の力で構築していった
先例なき時代に海援隊という貿易商社を作った
有力者のコネや信用でこれを私設の軍事力(海軍)に発展させた
倒幕の原動力となった薩長同盟の陰の立役者でもあった
やがて維新の元勲となる連中の中でリーダーシップを持つに至った
ゴールである慶喜の大政奉還も竜馬の発想であったという
これをコーディネートし実現させたのも竜馬であった
明治維新の人事を含む政権構想も原案は竜馬が作った
身分なき脱藩浪士の竜馬にどうして可能であったのか
奇跡としか言いようがないが 秘密はある
他の人間とは目の付けどころが違うのだ
先ず小手先の策を弄しない
真っ直ぐに進む
西欧的国際ルールを理解している
部下に生命を投げ出させるほどの共感が得られる
人間性がある
人としての平等の意識に目覚めている
人を見る目がある
人を信頼している
細部に拘泥しない
大局観を持っている
目的意識が明確である
目的達成の使命感と情熱を持っている
人間のスケールが大きい

そして最後に竜馬は暗殺されて終わる
下手人は新撰組であったか真実が不明のまま終わる
維新回天に最も活躍した人間が何のリターンもなく死んで終わる
天の定めとは言え無情なものだ
天は最も努力した者を正当に評価するとは限らないのだ

ここでこれまで何もなかった我が人生と比べてみたい
自分は50年前に此の小説を読んでおれば良かったのにと思う
50年前に読んでおれば我が人生はもう少し変ったものになっていたかも知れぬと思う
ことに臨んで竜馬ならどうするかを常に考えて生きて来れば良かったのにと思う
心の持ち方の一つで自分にももう少し別のことが出来たかも知れぬと思う
我が人生 
惜しむらくは
細部に拘りすぎた
体面を気にしすぎた
大きな目的よりも小さな目標や戦術にこだわりすぎた
少しは竜馬のように生きてみる努力があれば良かった

さらに思う
現今のわが国の腐り切った官僚機構
徳川300年を経た幕藩官僚体制以上に出口なき閉塞感
明治維新のような平成の大維新を断行できぬものか?
出でよ!竜馬の如き平成の傑物!
言葉だけの改革ではなく
時代に適合せぬ現体制の大変革をやってくれ!


星に負けず

2008-12-06 | 徒然草
あの星は百万年前の光
この星は1千万年前の光
どの星も何万光年の彼方
悠久の時を経て輝く

たった数十年の
星の瞬きのような僅かな時間の中で 
不運であったとか
出来なかったとか
時間がなかったとか
そんなことを思うのは止そう

夜空の星と比べれば
人は何とも小さい
けちくさい
だが 
人は星に負けない
死ねば人の魂も無限の空間を占め
悠久の時間を楽しむことができると思え

せめて
生きている間
人は自由に夢想して
遠い先のことまで心配せず
今できる精一杯のことだけをして  
気楽に生きていようではないか