下記は柏木哲夫著『「老い」はちっともこわくない』(日経ビジネス人文庫)からの引用である。題して、『急な病「矢先症候群」-したいことは先に延ばさず』という。
『六十三歳の男性患者が胃がんの末期症状でホスピスに入院してきました。妻は「主人は仕事第一。定年を迎え、これから二人で旅行を楽しもうと言っていた矢先にがんになりました。まさかと思っていました」。
五十八歳の女性患者。卵巣がんの痛みが強くホスピスへ入院。夫は「家内は五人の子供を立派に育ててくれました。末娘が嫁ぎ、二人だけになったので、これから温泉めぐりでもしようかと言っていた矢先にがんになりました。こんなことになろうとは」。
私はこのような状況を「矢先症候群」と名付けました。矢先に、まさかのことが起こるのです。ホスピス入院患者の平均年齢は六十三歳です。日本人の平均寿命からすると若い。これから第二の人生を始めようとする年です。その矢先にがんになるというのはいかにもせつない。
しかし、これが現実です。私たちは心のどこかで生の延長に死があると思っています。生がずっと続いて、平均寿命くらいで死ぬと思っていますが、実際には人間は日々死を背負って生きているのです。生と死とは紙の表と裏のようなもので、いつ表がひっくりかえって裏になるかわかりません。
人間は、色々な人生計画を立てます。定年になったらあれをしよう。娘が片付いたらあそこへ行こう・・・・。その矢先にまさかと思っていた死の影が忍び寄ります。
ホスピスという場で多くの人生に接して思うことは、したいこと、すべきことは先へ延ばさず、始めるほうがよいといういことです。何かをきっかけにして始めようと計画していても「矢先症候群」のためにできなくなるかもしれません。紙が裏返らないうちに始めることです。』
まさに人生とは「オセロゲーム」だ。あるとき、一斉に表が裏へ返るなんてことになる。各々方、ゆめゆめ油断してはいけませんよ。
当方の経験も似たようなものだ。このブログの「昔の思い出話」中、『第391話「突然の幕引き」(09.4.4)』の内容はプライバシーの問題として公開をためらっていたが、この柏木先生の記事を読んで、病名を秘密のままにしておくことを止めることにした。したがって、このブログの第391話は、内容を変更して再登録した。病名を秘密にしておくことの意味がなくなったからである。既に、自分はこれまで行ってきた現役の仕事から完全に引退しているし、今後、同じ場所への復帰の気持ちもない。
実は、自分は末期のすい臓がんである。別の臓器への転移もある。腫瘍の摘出手術が出来ない状況だ。関心のある方は、上記のブログを読んでみてくださっても結構であるが、自分はオセロゲームとして、一旦、黒地になった、人生の画面を精神力や念力で白地に返してやろうと思っている。
自分は、全く別の生活場面でオセロゲームを白地化したいのである。仕事はもう十分やった。去年9月時点で、特に処置しなければ余命7ヶ月と宣告されたが、その時間分は価値ある時間として十分にクリヤーできた。
あと数ヶ月で七十歳となるが、まだ少しは何とか生きることができそうである。それなら、これまでとは違った新しい場面で、何か新しいことを始めることができるではないか。生への強い期待と願望さえ持続できれば、黒地化した人生のゲーム盤を、一挙に白地化できる余地があるのではないか。最近、そのように思いが強く出てきたのである。

