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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

西方浄土行きの列車を一人見送る夢

2006-08-10 | 真夜中の夢
 自分は東京営業所長として単身赴任中である。常宿は畳敷きの旅館である。今日も山のような仕事を抱えている。自分は一人座敷机に向かって、幹部会で説明する予定の、前月度実績報告の資料をまとめている。手元に情報やデータが十分に揃っておらず、白紙の模造紙に何から書き始めてよいのか、うーんとうなっている。
 半開きの入口の襖戸から薄暗い廊下を眺めていると、同僚の一人が歩いていく。こちらの部屋に首だけ入れて「夕飯に行ってくるぞ。キミはムリだろうな。そんなに仕事を抱えていたら何時メシを食いに行けるのかね?」などと気の毒がりながら、スマナサそうに消えていく。
 自分は元気を取り戻して仕事に取り掛かる。今夜中に仕上げないと明日が大変だ、と思う。何しろ、手元にはほとんど情報がない。やむを得ず、あちらの模造紙へ、こちらの模造紙へと、思いついたことの断片をマジックで書きまくる。何十枚の模造紙を使ったことか?
 ふふふ・・・と笑いが込み上げる。これが自分の得意ワザなのだ。後は、ハサミを使って、継ぎはぎしていくだけだ。さしたるアイディアがなくても、とにかく思い付きを書いて行けばよいのだ。後から前後関係や概念ごとにまとめて、並べ替えすりゃいいだけだからな。これはKJ法と言ってね。オレのようなバカには、至極、便利がいいもんだ。と考えながら仕事が進んでいく。
 何時間、没頭したことか。何百枚もの模造紙を切り刻んで、ついに1枚の模造紙への貼り付けが終わる。出来た。無から有を捏造する技術の完成だ。オレはさして能力もないのに、こんなテクニックを若いときに身に付けたお陰で、そして律儀に期限を必ず守ってやって来たお陰で、ここまで出世できたのだ。ふふふ・・・と、再び笑いが込み上げてくる。やっとメシにありつける。と思って外へ出る。
 外へ出ると朝だった。朝焼けの空と太陽が目にまぶしい。東京の近郊にしては草深い田舎みたいなところだ。多数の通勤者がぞろぞろと土手の上のプラットホームに向かって歩いている。押し合いへし合いの状況だ。そうだ。オレはひょっとすると会社の幹部を見送りに来たんだっけ?
 よく見ると、雑踏の中に、あちらに一人、こちらに一人と知った顔が混じっている。入社早々お世話になった元A課長。自分が係長をしているときに世話になった元B部長。そうそうたる先輩諸氏が歩いている。みんな、東京駅行きの電車に乗ると言う。
 自分は、電車全体が見渡せる丘に陣取って、お別れの手を振っている。超満員の電車に乗った一人ずつの顔の識別はできないが、電車のあちらこちらから、こちらに向かって手を振って応えてくれている。電車はゆっくりと進み始める。ご苦労様でした。自分は、一人、後の大事を託された重要人物を気取って、手を振り続ける。聞けば、その電車は東京駅で銀河鉄道特別列車に接続していて、乗客は全員、西方浄土行きに乗り換えることになっているらしい。
 電車が視界から消え去って、自分は仕事に戻るべく土手を降りる。土手を降りながら考える。自分も午後にはあの電車に乗る予定だ。早く仕事を片付けないと、あの電車に間に合わないかも…。と至極真面目に考えている。
 ここで目が覚める。朝だ。朝の寝覚めは、久しぶりの達成感に包まれて、爽やかなものだった。よし、今日はバリバリ仕事をやるぞ!と、やる気満々で布団をはね除けた。


煩悩処理装置の悪夢、二度と見たくない夢!

2006-07-21 | 真夜中の夢
 部屋の中央に土塁に囲まれたカマドがあった。カマドには何か燃えるものが入っているらしく、丁度真上となる天井の一部分が煤けていた。其処は我が家ではあったが、全く見覚えのない大きな部屋であった。小学校の体育館のようでもあり、天井も10メートル以上の高さがあった。
 自分は天井を凝視していた。カマドは大変な高温になっているようで、直上の天井の一部が灼熱した鉄片のように赤くなり始めた。「大変だ、火事になる」。自分は慌てて、傍にいた子供に言いつけた。「二階へ上って、床面に放水して天井を冷やしてくれ」。子供は即座に2階へ駆け上がった。やがて、赤くなりかけた天井は元の煤けた灰色に転じた。子供が帰ってきて報告した。「床に水を流し放しにしておいたからね」と。自分は、よかった、ともかく火事になることだけは避けることが出来たとほっとした。
 このカマドは、実は、もう何十年も昔から存在していたものだった。最初は、手のヒラに乗る程度の小さな坩堝(るつぼ)であった。自分が子供の時、理科の実験で、原子力技術者を気取って、米粒より小さなウラニウムを仕込んだのであった。それは、それなりに臨界点に達したのか、持続的に発熱するようになった。言わば、懐炉のようなもので、危険を感ずるほどのものではなく、いつの間にか自前の超小型原子炉を持つに至ったのであった。
 これは便利なものであった。家で発生するゴミや廃棄物のすべてを処分することができた。増え続ける廃棄物ために、坩堝を小型のカマドに改造した。その後も改造し続けてもう何十年経ったことか。今では、何でもかでもすべてカマドへ放り込めば、煙か蒸気になって、すべて雲散霧消するのであった。カマドも大型になり、それを収納する部屋も随分と拡張した。放り込む廃棄物の量も、さらに、どんどんと増えて行った。
 カマドには廃棄物だけではなく、いつの間にか、悲しみや怒りなど日常の否定的な自分の情動のすべてを投げ込むようになっていた。このカマドには不思議な能力があり、精神的な苦痛や苦悩のすべてを処理してくれた。このためか、カマドの拡大は、さらにスピードを速め、今では、周囲に土塁を回らせて防火対策をしなければならないほどの大きさになっていた。しかし、このような精神的な煩悩処理装置を自宅に持っていることについては、誰にも言えない自分だけの秘密であった。
 「まあ、火事にならなくて良かったワイ、消防が来たら、もう一寸で秘密がばれるとこだった」とつぶやいていると、その土塁の中に誰か人の立ち入る気配がした。手甲に脚絆、白い旅装束に身を整えた、見知らぬ老年男女の二人連れであった。「危ない、其処は高温だぞ」と叫んだ。しかし、二人は、平然とカマドに向かって手を合せて合掌していた。「あれ、彼らは死ぬつもりではないか?煩悩とわが身もろともカマドに投げ込むつもりではないか?」と思った。しかし、傍観者の自分にはどうすることも出来なかった。見る見るうちに、二人は立ったまま、合掌したまま、燃えあがって行くではないか。自分は呆然自失であった。暫くして、現場に近付くと、その跡には見事に何も残っていなかった。
 ここで目が覚めた。また、いやな夢を見てしまった。明け方、布団の中で、この夢を反芻した。あの白装束の二人は一体誰であったのか? しかし、現実との接点は何も思いつかなかった。「夢には悪夢もある。自分は自分だ。今日も一日、元気を出して、思う存分働くだけだ」と声を出して一人つぶやくのが精一杯であった。


あわや拉致?必死になって逃げる夢

2006-06-26 | 真夜中の夢
 本屋へ行こうと大阪梅田近辺の通りを歩いていた。大阪梅田のつもりであったが、周辺の景色は全く見覚えのない街並みであった。夢の中で、これは夢かもしれないと何処となく意識していた。本屋を探しながら歩道を歩いていると、聞いたこともない外国語の会話が聞こえてきた。インドネシア語?ポリネシア語?何処の国の人か?と思って振り返ってみると、やや色の浅黒い南方系の顔立ちをした屈強な二人の男が歩いていた。
 二人の男は直ぐ後ろに接近してきた。自分は下手に関わりたくないので、素知らぬ顔で歩き続けたが、二人はあっという間に自分の背中が彼らと接触するくらいまで接近してきた。と思うや、自分は直ぐ横にある大きなビルの一室に押し込まれていた。
 部屋には数名の人物が居た。みなこの外国人の仲間のようであった。スーツにネクタイをし、きちんとした身なりをしていた。部長らしい男が言った。
 「あなたに私のプロジェクトの総務を担当して欲しいんだが…」
 「突然、何ですか?私には総務の経験など何もありませんよ。直ぐに解放してください」と怒って言った。相手は、すでに下調べがしてある。ほかに適任者がいない。どうしてもいやなら拉致するまでだと答えた。自分は、ここで負けてはならないと反論した。
 「ここは日本だ。日本の憲法では、基本的人権、奴隷的拘束及び苦役からの自由、職業選択の自由などが保障されていますよ。君達は、ここで日本人である私を拘束して、日本人としての権利と自由を踏みにじるつもりなのか?」自分は、憲法に関する知識を総動員した。これがまずかった。相手はにやりとして言った。
 「そこなんだ。あんたのそのような法律の知識を期待しているんだ。技術のことも、それ以外のことも、何でも出来るあんたこそ、総務担当に打って付けではないかね」
 部屋には新たな加勢が加わって、かなりの大人数が自分を取り囲んでいる。雰囲気は険悪なものとなり、生命の危険を感ずるほどに切迫してきた。自分は逃げようと思った。見ると部屋の奥にドアがあり、隣の部屋に通じているようだった。自分は難なくそのドアくぐり抜けて外へ出た。其処は玄関ロビーであった。広間の脇には、郵便物が宛先別に置かれており、自分宛の書類があることに気付いた。
 自分は逃げていることも忘れて、その書類を見た。昔勤務していた会社からの回覧物であった。天の助けとばかりに、自分はその回覧物に、現在犯罪者集団に捕らわれており、緊急事態であることをメモしようとした。誘拐されている!助けてくれ!と書こうとしたが、頭が真っ白で文章にならなかった。それでも意味のないことをとにかく数行書きとめてビルの守衛を呼んだ。守衛の部屋は空っぽであった。代わりに出てきたのは、見知らぬ男であった。あわてていた自分は、その男に、自分は今緊急の助けを求めているので淀屋橋の本社にこの回覧物を至急持って行って欲しい、と頼んでいるのであった。
 夢の記憶はここで終わる。最後の見知らぬ男もひょっとするとワルの仲間かもしれない。夢の筋書きとしては何がオチか分らない幕切れであった。しかし、最近見る夢は何者かから逃げる夢が圧倒的に多い。何十年も昔のように、もっと何かを追いかけ、何かを達成している夢を見たいものだ。この年では、それは無理と言うものだろうか?


最後の最後まで居残る人達の夢

2006-06-12 | 真夜中の夢
 我が家で、昔の仲間が集まって高等学校の同窓会をやっているらしい。100名近くが集まって、がやがやと騒々しくやっていた。時計を見ると、もう夜の10時近くになっている。カラオケの音。マイクを持って声高に演説をしている男。三々五々のおしゃべりの声。これ以上の賑やかさがないと思われるほどだ。
 こんな深夜に、こんなに騒いで、ご近所様の迷惑になっていないかと、ふと気になった。自分はマイクを取り上げて言った。
 「皆さん、当家の近隣にはしっかりした方たちが多いので、今は文句を言ってこなくても明日になればどんな仕返しが来るか分りません。少し会話のボリュームを下げてくれませんか?」
 婉曲に言ったつもりだったが、時間が時間だったので終了の挨拶に聞こえたらしい。参会者の多数が帰り始めた。終わらせてしまうつもりではなかったので、帰る、帰らないは自由に任せた。結局、20名ほどが残って、酔っ払い特有の大きな声でしゃべり続けていた。
 再び、時計を見ると、深夜の2時になっていた。自分は、この時間にしては、あまりにひどい騒ぎだと思って、今度は少し驚かせてやろうとユーモアのつもりでマイクで言った。
 「家の近くには古くからの墓地があります。この騒ぎでは、幽霊、亡霊、妖怪、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類が、目を覚まして、大挙押し寄せて、眠れないと抗議に来るかもしれません。どうぞ、もう少し小さな声で話してくれませんか?」
 みんなはドキッとしたように顔を見合わせ、時計を見た。今度こそ、本当の終わりの合図に聞こえたようで、全員が帰り支度を始めた。自分は、皆が帰ってほっと一息ついた。そこで、自分は忘れ物を取りに自分の仕事場に戻りロッカーを開けると、何とそこには数名の仲間が帰らずに身を潜めていた。他にも納戸や物入れなど、そこかしこから、5、6名の残留者がぞろぞろと集まって来るではないか。自分はあっけに取られた。世の中にはトコトン頑張る人がいるものだ。
 暫く、彼らと歓談した後、結局、皆さん全員にお引取り願って、いよいよ、自分も寝ようかと思って寝室に入った。そこで、あらためてびっくりした。仲間の一人が先にベッドに腰掛けていたのである。
 「おやおや、あなたはどちら様ですか? 帰っていただけないのですか?」
これに答えて、初老の紳士然とした闖入者の曰く、
 「私は経営コンサルをやっている者ですが、皆さんのように途中で引き上げたりはしませんよ。最後の最後まで頑張るつもりです。ここに、今しばらく居させてくれませんか?」
 この夢は、実は寝覚めの朝までずっと続いていたが、長くなりすぎるので、夢の話はこの辺で終わる。後で考えると、この闖入者はどうやら自分本人であったような気がする。最初のマイクで帰った人びとはきっと定年で直ぐに仕事を止めた人びとを意味しているのであろうか。暫く居残った人は、定年後も少し仕事をしていた人達であろう。定年だから、そこで直ぐに仕事を止めるというサッパリした人がいる反面、その後も頑張る人も居る。定年後にも頑張る人は少数派かもしれないが、その中でも自分はさらに最後の最後までやろうと、無意識層の何処かで考えているフシがある。そのことをこの夢が教えてくれたような気がしている。


何度も見るが何度見てもいやな夢

2006-05-30 | 真夜中の夢
 遠い昔の時間を過ごしていた。学校へ行かなくてはならない時間なのに、なかなか準備が出来ない。今すぐに出れば、一時限目には間に合うと思いつつも、その前にしなければならないことが次から次へと出てくる。布団を上げたり、ネコに餌をやったり、まあ言うなれば雑事ばかりだ。気が付けば、2時限目も過ぎてしまっているではないか。焦り始めた。今度こそ、玄関から出ようとしたら、下宿代の集金のおばさんに出くわして、一寸、雑談している間に午前中の授業に出れなくなってしまった。このようなことは今日だけではない。もう何年も続いている。出席日数不足でオレは学校を卒業できないのではないか?
 場面が変わって、自分は会社勤めをしている。久しぶりに下宿のそばを通る。そういえば、昔この辺りに住んでいたことがあったねと懐かしく思い出している。ふと、自分は学校を卒業していないのではないかと思う。いくら思い出そうと努力しても、その記憶がない。会社へ帰って上司に自分のことを聞くわけにはいかないし、学校へ聞きに行って、本当は卒業していないことがバレてもいけない。オレは一体何者だ? どうして、知らん顔して、今、会社に居れるのだろうか?
 さらに場面が変わる。今度は会社に戻って仕事をしていると電話が鳴る。電話に出ると、それは学校からの電話であった。恐れていたとおりのことが発覚したのだ。電話が言うには、オレは単位不足で実は卒業できていない。卒業証書は学校のミスで発行したが、学校の方でも内緒にしておいてやるから、残りの単位を早急に取り直せとのことであった。エエ…と端午の絶句。夢であってくれ。こんなことが現実にあってなるものか…。
 恐る恐る目を開くと夢であった。ほっとした。このような夢は今まで何度見たことか?時間のムダではないか?夢よ。もうエエ加減にしてくれ。仏の顔も三度。同じ夢も三度が限度だぞ。


資格試験で最高点を取ったが何とも浮かない夢

2006-05-26 | 真夜中の夢
 何処かの大学の教室の机に座っていた。情報処理技術者?の資格試験があり、何故か自分も受験生の一人であった。問題用紙が配られ、「始め」の合図とともに受験生が一斉に試験問題に取り掛かった。
 出題は1問しかなかった。計算問題とのことであるが、何処にも「計算せよ」と書いていない。おびただしい数の専門用語と数字が並んでいるだけであった。受験準備として、定型的な過去問を見てきただけの自分には全くお手上げであった。頭が真っ白になった。
 何の手がかりもなく焦っているうちに時間だけが過ぎていく。「何じゃね。これは?」「エライところに首を突っ込んでしもうたワイ」と、後悔が汗に変わっていく。しかし、用語を何度も読み返しているうちに、情報システムの専門用語の中にちらほらマネジメントの用語の混ざっていることが発見できた。
 「時間がない。もう何でもええ」とばかりに二つのグループに用語を分けてみた。計算するにしても何を計算するのか分らないので、ともかくも二つのグループの数字の合計を出してみた。何と、どちらの合計もきちんと100となった。出題者の隠れた意図を発見して、ひょっとすると自分はこれで100点が取れたのではないかと思った。と、そこで試験終了のベルが鳴った。
 場面が変わって、今度は成績発表の場に居た。何と、この試験の結果で昇格や異動が決まるらしい。自分は、表層構造を発見することはできたが、深層構造まで究明できなかったので50点しか取れていなかった。何と受験生の中では最高点であったらしいが、50点では課長止まりとのことであった。与えられた用語から情報システムと経営システムのそれぞれの深層構造まで究明できたものは一人も居なかったらしい。人事部はこれで何の束縛もない自由な人事が出来ると言って安堵の声を上げていた。
 夢はここで終わりだ。またも取り止めのない夢であった。自分は目が覚めてから考えた。社長なら何点取っただろうかな? 多分、このような試験は受けないだろうし、社長になるような人はこのような試験に関心がない。もっと別のことで忙しいし、時間がないと言える立場もある。
 社長も社長でない人間も同じ一生を生きるが、ただあくせくしているだけでは結果は付いてこない。あくせくして試験を受けたがために、課長止まりになるなんてことがあるとすれば、それは願い下げにしてほしい。どのように生きていくか、結局は本人の選択の問題であると言うものの本当に難しい。大空を悠々と飛んでいるトンボだって、たまたま蜘蛛の巣に引っかかったときに、これを自己責任というのも可哀想だ。やっぱり、時の運、天の運、人の運っていうこともあるようだ。
 まあ、世の中のことは仕方のないことが多い。分っちゃいるが、自分としては、今日も1日、いつものようにあくせくとやっていくだけのことだね!自分にとっての「心の安らぎ」ってのは、それしかないからね。この夢のお陰で「悟り」の境地へ一歩前進したような気もしているがね。


目の前でトラブルに遭遇した原子力発電所の所長をしている夢

2006-05-07 | 真夜中の夢
 自分には縁もゆかりもない話だが、日本海に面した原子力発電所の所長をやっている夢を見た。それは深夜の出来事であった。所長の自分ではあったが、なぜかコントロール室に居て、ナイトシフトの勤務についていた。
 「所長、大変です。原子炉に異常が発生しました。システム全体が自動停止に向かいました」
 これを声として聞いたのか定かではないが、一瞬の緊張が背筋を走った。この発電所は基幹発電所である。現在、3基が稼動中であり、2基が長期の定期点検のため停止中である。現在送電している電力量は300万キロワット。主として、大阪都心部の電力負荷を担っている。ここが無予告に停止することになれば、システム全体が大混乱となること必定である。
 正面のコントロールパネルに灯っていた各所のランプが黄色から赤色に変わり、警告のブザー音とともに点滅に変わった。発電が止り、送電が停止し、所内の電源も予備のバッテリーに変わった。部屋全体が薄暗くなった。炉心、タービン、ボイラー系統、各種の補機がシークエンスに沿って順次停止していく。操作用のPCディスプレーを覗き込んでいるオペレーターは為す術なくただ傍観している。すべてシナリオどおり自動的に進行して行く。
 「所長、原因が分りません。システムが自発的に停止に向かっています。何度も、再起動を試みましたが、全く言うことを聞きません」
 オペレーターの声。これも声として聞いたか定かではない。原因は不明だ。オレにも理解できない。しかし、送電が完全に停止したことは間違いない。深夜とは言え、突然の停電のため、都心の病院では手術が失敗したかもしれない。マンションのエレベーターが途中階で停止しているかもしれない。夜間操業の工場では大混乱が起きているかもしれない。道路交通の信号が麻痺して事故が起き死者が出たかもしれない。チェルノブイリの二の舞いは避けられてほっとして、最悪ではない、ある種の安堵感を感じつつも、良からぬ想像が頭を駆け巡る。
 「所長、この責任は現場最高責任者のアナタですよ」
 誰かが背中で囁く。TVカメラの放列の前で、社長とともに「スミマセンでした」と頭を下げている光景が目に浮かぶ。オレのキャリヤもこれで終わりか...万事休した気分で目が覚めた。
 自分は電力会社とは何の接点もなく、原子力発電所の所長をやるような可能性は現在にも過去にも全くない。自分には何の必然性もない不可思議な夢であるが、逆に、これほどの存在感や世間との拘わり感を感じることの出来る人たちが羨ましい。はたまた、この夢は、自分の現役生活がそろそろ終わりに近いことを示す夢のお告げかもしれないなどと、寝床の中で、暫しぼんやりと考えていた。

※原子力発電所のような組織のことを「高信頼性組織」(High Reliability Organization)と言うのだそうだ。他の組織との違いは、敏感さ、意識の高さにあり、何らかの変化や危険の兆候があれば、それが如何に小さかろうと、何らかの調査・探索を行い、常に迅速な対策を講じている組織である。そのことによって事故を最小限に抑えている。この夢のようなことが絶対に起きないよう、皆さん細心の注意を払って居られるとのことだ。前日ブログに書いた「失敗のコミュニケーション/再発防止策」が心に残っていて、この夢を見た様な気がしていたが、再度、たまたま、このブログの後、別の経営心理学の本を読んでいたら「高信頼性組織」としての原子力発電所の記述に遭遇した。ユングの言う不思議な「共時性(シンクロニシティー)」を垣間見たような気がしている。

※高信頼性組織;DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部編訳「リーダーシップに心理学を生かす」(ダイヤモンド社)、p205、カール・E・ワイク「不測の事態の心理学」


どっと汗が出てぞっとするほど恐かった夢

2006-04-12 | 真夜中の夢
 前の晩、寝る前に寝床の中で考えた。最近、夢はよく見るのだが、目が覚めたときには何も憶えていない。いくら頑張って頭をひねっても何も思い出せない。橋本さんや野中さんや青木さんの記憶喪失もそんな感じではないか。1億円の献金は彼らが起きている昼間のことだったろうに、自分は寝ている間に見た夢の記憶喪失だから、自分の健忘症の方がまだ少しはましかね、などと考えている間に寝付いてしまった。
 夢の中で自分は目が覚めた。50年ほど前に住んでいた大阪の自宅、2階の部屋であった。一人で寝ていたようだが、何か胸騒ぎがした。何故、今一人なのか?と思った。薄暗い部屋であった。家内は1階で寝ているのかも?と不安な気持ちで起き上がった。真っ暗な階段を下りていくと、階段の途中に、日除けのヨシズを巻いた長いものが通せんぼうをしていた。誰だ!こんなものを階段の途中に置いたままにしておくとは!危ないではないか!と腹を立てながら、そのヨシズの巻物を階段と平行に置き直して通り道を確保した。ヨシズを除けると、後ろに隠れていた青白いほのかな小さな電灯の光が辺りを照らした。その明かりを頼りに階下の部屋に出ると、一瞬、ぞくっと背筋が寒くなった。和室の部屋の床には、一面、白い細石が敷き詰められていて、所々から緑色の草が芽を出していた。荒れ果てた墓地の地下室のようであった。あれ、どうしたのか? 誰も居ない上に、家財などの一切が無くなって、床は整地までされているではないか? 不審に思って、隣の部屋に通ずるフスマ戸を開けた。開けて、あっと息を呑んだ。そこは真夜中の色の無い世界、荒涼とした河原であった。白い玉砂利と所々に生えている雑草は、直前に通過した前の部屋とほとんど同じであった。家族は何処へ消えた? 自分の持物・財産は何処へ行った? 突然の喪失感が全身を覆った。家族も、肉親も、財産も、仕事も、自分の肉体までも、すべて失ったような感じであった。ここは一体何処だ? 自分は既に死んでいるのではないか? そして、黄泉の世界に一歩足を踏み入れたのではないか? 自分は身震いとともに大きな声を上げた。そして目が覚めた。すべては夢であった。
 不吉な夢であった。最近は、道に迷ったり、探し物をしたり、何者かから逃げる夢が多かった。しかし、この夢は今までの夢とはかなり違っている。ひょっとすると、自分は、夢の中では死んで魂となって浮遊していたのではなかろうか?じっとりと汗までかいていた。目覚める直前に声を上げたような気もした。一体この夢は何だろうか? 昼間、浮かれて、好き放題を言ったりしたりしている、傲慢不遜の自分への警告夢であろうか? 


狭い泥んこ道を一人走り行く夢

2006-03-06 | 真夜中の夢
 今朝方見た夢を記す。例によって何でもない夢だが、不思議と記憶は鮮明だ。
 自分は大学の研究室の一員になっていた。末席の研究員であった。「今日は天気が好いね。ひとつみんなで散歩にでも出かけようか」と、長老先生の一声があって、室員一同、ぞろぞろと先生の後ろについて部屋を出て行った。自分は一人参加しなかった。特に意思があって参加しなかったわけではない。自然に取り残されたのであった。ポツンと部屋に一人居ると、急に淋しくなってきた。
 「仕方ない。ジョギングでもするか」と、その足で街へ走りに出た。明るいコンクリートの道で気持ちが良かった。いつものような息切れもせず、快調に走れた。上り坂になっても楽であった。「そうだ。スピード上げて、先回りして、皆をびっくりさせてやろう。だが、同じ道を走ってはまずい。隣の道を行こう」と、並行して走る別の道に移った。暫く走って行くと、その道は川に当たって行き止まりとなった。川は、一昔前の大阪道頓堀川のような、異臭を放つ汚いドブ川であった。「しまった。この道には橋がないぞ。どうするかね」と、皆が行った道の方を見ると、そちらには橋が架かっているようであった。「同じ道を行くのは、やっぱり面白くないね」と反対側を見た。
 こちらの方は人が一人やっと歩ける程度の細い道で、しかも、泥んこの道であった。汚れた水溜りの底にはぬるぬるしたヘドロが沈んでいる。「まあ、ええわい」と目をつぶって、その道に走りこんだ。自分はいつの間にか裸足になっていた。しばらく走って気がついた。泥道の泥は見かけだけだった。足の裏は乾燥したさらさらの砂地で、心地良いくらいであった。「ナンだね。世の中は見かけと中身とは、ずいぶん違うもんだ」と思いつつ、仲間からはどんどんと離れて行く一方であった。
 夢はここで終わった。何でもない夢と思いつつ、現実世界を振り返ると思い当たることがないでもない。しかし、はっきり、そのことだと断言することもできない。夢は、いやなことでも苦しいことでも幾重にもオブラートで包んで抽象化して表現する。夢とは本当に不思議なものであるといつも感心している。


いつものように電車から降り損ねた夢

2006-02-12 | 真夜中の夢
 今朝方見た何でもない夢を以下に記す。
 自分は新しい集団に所属することになったのか、顔も名前も知らない仲間と合宿研修に参加していた。朝であった。旅館の大広間に沢山の布団が敷かれていて、まだ数名の人が布団の中に居て、自分の方に顔を向けていた。自分は、別の部屋で寝ていたのだが、皆に挨拶しなければいけないと思い部屋の中へ入った。普段、人見知りを仕勝ちな自分であったが、「皆さん、おはようございます」と快活を装って声をかけると、みんな、にこにこと温かな返事を返してくれた。部屋は大きな庭に面しており、一面、広いガラス戸になっていて、外を見ると朝の太陽がまぶしく輝き、気持ちの良い爽快な気分であった。
 研修会の場で、自分は専門の経営コンサルとして講師役の立場で実習指導をしていた。相手は、やや年配の大学の先生のような風貌の知的な印象を与える紳士であった。紙の上に、図や表を書き、それに○や×を入れて懇切な説明をした。当方の説明が終わって、紳士は軽く感謝の会釈したとき、紳士の片方の鼻が小さく膨らんで、汚い青バナのような風船が一瞬ちらっと見えた。が、すぐ引込んだ。風邪を引いているらしく、上品な人でもこんなことがあるのかと驚いた。見かけによらず、みんな、同じ人間だねと妙に納得がいった。
 研修会は電車の中でやっていたのだろうか? 降車駅が近づいているとのアナウンスを聞いた。自分は別の車両に書類を広げたままにしていることを思い出し、あわてて自分の車両に戻った。案の定、書類が乱雑に座席の上に散らばっていた。急いで書類をカバンに詰めようとしていると、電車が停止し、乗降ドアが開いた。未だ書類をカバンの中に収めきれないうちに、再びドアが閉まり電車が発車した。「しまった。いつもの通りだ。降り損ねたではないか。仕方ない。はるか彼方の次の駅までこのまま乗って行かねばならんがね...」と想定内の路線を歩いているような妙な安心感を覚えつつ、目が覚めた。
 夜中に見る夢はその人の願望や期待や恐れが無意識層から浮上したものだと言われているが、この夢はどのように解釈すれば良いのだろうか?



川の中を泳いで逃げる夢

2006-01-28 | 真夜中の夢
 今朝は起き掛けに、かなり鮮明な夢を見た。夢の中身は次のようなものであった。
 訪問した客先でコンサル仕事の話をしている最中、ふと目の前のテーブルに、自分の財布があることを発見した。手にとってみると中は空っぽであった。アレっと思って中を覗いていると対談相手が言った。「昨日、あなたが財布を置き忘れて帰ったので、中身は別に保管しています」とのこと。暫くすると、相手は札束を持って戻ってきた。1万円札の札束で、ざっと100万円以上はあった。エエっと驚く自分。相手がそう言うので、変だと思いながら札束を財布に入れようとしたが入りきらない。一部がはみ出た状態で、上着の内ポケットに財布をしまったが、胸元が膨らんで何とも収まりが悪い。このお金は、一体、誰のお金なんだろうかといぶかしく思いながら、さして罪悪感もなく、元々自分のお金であったような振りをして外観を繕っていた。
 場面が変わって、その会社で社員がホールに集まって体操をしていた。会社独自の考案になる体操とのことで、中国の太極拳のようなゆっくりとした動作でポーズを作っている。両手のヒラをそろえて前方に差し出し、相手側に向けて動かすと、それは「返品イヤイヤ」という意味であると説明があった。両手のヒラを上に向けて、自分の方に対してオイデオイデをすると、それは「お客・入金ウエルカム」を意味しているのだという。何とも独創性のあふれた体操であった。
 同じ会社で再び場面が変わって、社員が広場に集まり、今度は全員が隊列を組んで行進していた。初老の社長は歩きながら、隊列の先頭で大きな声を出して演説をしている。何と、それは流暢なフランス語であった。自分には全くチンプンカンプンで何も分らなかった。社員達は完全に理解しているようであった。独創性だけでなく、教養や文化においても、自分よりは、はるかに高いレベルの会社だと思った。この会社には、自分如き能力の経営コンサルでは、モノの役にも立たないのではないかと思った。
 会社から一歩外へ出ると、そこは田舎の雰囲気で小さな川があった。土地の家族と思われる一団が子供を連れて、借金取りに追われているといった風情で、ベニヤ板1枚を筏にして逃げていく。あんな簡単な乗り物で川下りができるのかと驚いていると、一転、自分も何かに追いかけられており、逃げなければならないことが分った。辺りを見渡したが板切れ一枚見当たらない。仕方なく、服を着たまま川の中に飛び込んだ。流れに沿って、泳いでいると橋の下へ来た。橋下は真っ暗であった。川は意外と浅く足が底につく感じがした。これで助かるぞと思いつつ、何とか暗闇の岸辺を手すりにして、ゆっくりと橋下を泳ぎ抜けた。
 橋を抜けると、そこは陽の明るい市街地であった。これで逃げ遂せたと思いながら岸に上がった。いつの間にか自分はハダカになっており、パンツ一枚の姿であった。向うを見ると、監視員が居て不審者の自分を発見した。監視員は近づいてきて、携帯電話のカメラで自分を撮った。何かお咎めがあるかも知れないと思って、じっとしていると、それだけで仕事が終わったように、監視員は詰め所に帰っていった。詰め所の横は工場になっていて、工場の作業員全員が自分と同じパンツ一枚の上半身裸で作業中であった。自分は何の違和感もなく、工場の横をハダカで歩いて行った。
 ここで目が覚めた。折角、手に入れた札束は、結局、川の中で脱ぎ捨てた上着と一緒になったようだが、この夢を解読する糸口は、今のところ何もない。何かから自由になろうとしている自分が意識されるが、一体、自分は何から逃げようとしているのか? 自分でも意味の分らない夢を見て、一体、何のために夢を見るのか? 夢そのものの本質に対して疑問を感じてならない。


天空一面に氷の鏡が覆った夢

2006-01-09 | 真夜中の夢
 50年ほど前に住んでいた大阪松屋町筋の玩具問屋の店先に居た。ぼんやり立っていると、昼休みのカネが鳴った。ヒルメシの時間だと、店員一同全員が、一斉に食事に向かった。みんな、何故か遠く離れた外食食堂へ行くのだという。自分も一緒に安堂寺橋通りを横一列に並んで歩いていた。ふと、空を見上げると、天空一面がドームのように1枚の鏡に覆われていて、自分たちの歩いている町全体が逆さに映っている。日が射して明るい町並みや陰っている町並みなどがはっきりと見える。家々の屋根、街路、物干し台の洗濯物までもが見えている。まるで、飛行機に乗って下界を見下ろしているように、町全体が空に映って見えているのだ。「なんじゃね?これは」と横を歩いている一人が見上げながら自分に尋ねた。自分にも初めての見せ物であったが、何故かその現象の原因が一発で分るのであった。「これは大寒波の襲来で空気中の水滴が全部凍ったためなんだ。水滴の密度が異常に高かったので、水滴が全部くっついて壁になってしまったんだ。まあ、言ってみれば、氷が天空全体に行き渡って、強風の作用で鏡のようになったと考えればいいんだよ」と。理系の自分には完璧なる自信があった。自信満々たる当方の態度を見た店員は「さすがだね」と黙ってうなずくだけであった。
 暫く歩き続けると、店員の携帯電話が鳴った。「店が空っぽになって、誰か万引きしないか?」「いや、毎日、在庫チェックをしているから大丈夫だ」などと話している。電話の相手は、しつこく、「今現在の在庫の状態はどうか?」と食い下がっている模様だ。店員は笑いながら「5分以内に今の在庫の数字を知らせるから大丈夫だ」と言って、電話を切った。自分は、店に戻るだけでも5分は掛かるのに、出来もしないことを口から出任せに言って大丈夫かなと思った。が、よく考えてみると、ハッタリという点では、自分の「天空氷鏡反射説」と大同小異であった。咄嗟につじつまの合うことを自信を持って堂々と言っておれば、世の中は、それなりに結構うまく行くもんだ、と夢の中で妙に感心していた。
 ところで、この夢は一体何を主張しようとしているのか、いつもの通り、やっぱり分らない。大体、普段の仕事や生活の場面で、このような「万引き」のことや「在庫チェック」のことなど考えたこともない。しかし、夢とは言え、「天空氷鏡」や夢のストーリーは自分の無意識界のオリジナルであることには間違いない。一体全体、自分の無意識には、どれだけ多くのアイディアが詰まっているのであろうか?自分は著述の専門家になっても、夢を頼りにしておれば死ぬまでアイディアが枯渇しないような気もする。ひょっとして、これから何かに転向するとすれば、自分の進むべき道は著述業ではなかろうか?などと、白昼夢に長時間浸っている自分であった。


失敗してはゴマ化してきた遠い昔の夢

2006-01-07 | 真夜中の夢
 昔、会社で仕事をしている時の夢だった。そろそろ退け時だったが、この後、遠く離れた山の中の会社の研修施設で管理者の集会があるとのことで、帰り支度をしていた。そこへ、後輩がやってきて、「あの研修施設の外回りは、石ころだらけで歩くのに大変ですから、履物には注意して行った方が良いですよ」と忠告してくれた。自分は、「なるほど」と思った。
 場面が変わって、自分は研修施設を目指して一人で山道を歩いていた。砂利道にざくざくと食い込む履物が心地よい。足元を見れば、自分は、いつの間にかゴルフ用のスパイクシューズを履いていた。「あの男は、なかなか、良いことを言ってくれたね。さすが、いつも専門的な仕事をしているから、細かいことにもよく気が付くんだね」と感心しながら坂道を上っていた。
 そこへ、会社の上司が現れた。いつの間にか、並んで歩いていた上司は、目ざとく当方の足元を見て言った。「キミー、その履物は何だ。そんな靴で会社の施設の中へ入ったら、廊下や階段がメチャクチャになってしまうじゃないか」。この一言で自分はびっくりした。思いもよらなかった。建物の中で履くべき代えの履物の用意はしていなかった。「コンチクショウ、ガミガミ言えば良いと言うもんじゃないぞ」。心の中で反発しつつ、半面、「シマッタ」と思った。「後輩は建物の外のことだけを言ってたんだ。この上司は、建物の中だけのことを言っている。どっちもどっちじゃないか」「この人はウルサイことばかり言うから、皆に嫌われるんだ」「まあ、ええわ。イザとなったら、裸足になるまでよ」「裸足で会議に出たら、みんなどう思うかな?」「まあ、早めに席について、机の下に足を隠してたら誰にもわからん。自分は知らん顔してたら良いじゃないか」などと、自分の浅慮を棚に上げて、この難局を乗り切る覚悟になっていた。
 目が覚めてから考えた。自分は子供のときから、人が良いといったことは、よく考えもせず実行して、よくミスをした。ミスが些細な場合は、何とかゴマかして切り抜けた。それは、いつも心の奥深くにしまいこんだ自分だけの秘密になった。時間が経って、そのまま忘れてしまった事件は数知れない。ただ一人ゴマカシを許さなかった小学校の女先生からは「あわて者」の烙印を押されていた。
 今のところ、近況でミスをしたかもしれないと、特に思い当たるフシはない。しかし、本当に何の心当たりもないか、無意識からの警告と受け止めて、暫し考えてみようと思っている。


とある学会の研究発表会を放浪する夢

2005-12-23 | 真夜中の夢
 夢は脳のどの部分で見るのであろうか? どうも記憶の宿る大脳の海馬や前頭葉皮質の特定の部分で見ているものではないらしい。夢を見た憶えはあっても中身がちゃんと思い出せないのだ。今から述べる夢は一昨日の夜に見た夢だが、記憶がほとんどないに関わらず、一昨日と昨日の昼間、その断片が何度も何度も意識に上ってきたので、今時分になって、やっとこさ、書ける状態になった。例によって、この夢には、一体、何の意味があるのか分らない。今の自分の関心は、このような意味のよく分からない夢を何故見るのかということだ。強い願望や期待、恐怖、昼間に経験した強い印象。そのような夢なら、それなりに理解できる。しかし、時間つぶしとしか考えられない、このような取り止めのない夢を、長時間、見てしまうことの意味は何処にあるのであろうか?

 そこはお寺の本堂のような薄暗い場所であった。何かを研究している学会の集まりであったらしい。偉い先生の研究発表があるとのことで、自分は畳の上に座って最前列で待っていた。最初のうちは集まりも悪く、閑散としていた。ふと気が付くと、既に講演が始まっており、多勢の人々がひしめいていた。先生は何かをしゃべっているが、どうも意味のない空理空論を発しているようであった。自分は身体を動かす隙間もない窮屈さと、むっとする人いきれを感じ、また、講演の内容には何の興味も見出せず、さらに義理も何もない先生の話だったので、自由を求めて、そっと部屋を出た。
 部屋を出ると、また畳敷きの部屋があった。そこでも研究発表が進行中であった。聴衆はほとんど居なかった。演者は若い作業員風の男であった。研究テーマは「私の生い立ち」とのこと。自分には、そのようなテーマが何故、研究テーマとして成立するのか理解できなかったので、傍に居る人に聞いてみた。その人は「何にぃ、研究も何も分っていない素人にしゃべらせて、そこから何か新しい研究の糸口が見出せないか、それを研究のネタにしているんだ。題目なんかどうでもいいんだよ」と答えた。「この学会では、みんな、行き詰まっていて、次に何をしたら良いのかサッパリ分らないんだ」とも言っていた。
 他人事ながら、がっかりして、自分は、また、部屋を出た。次の部屋に入ると、そこは普通の座敷であった。あまり明るくはなかった。その部屋の片隅に、昔の会社の上司が座っていた。職場では、大変エネルギッシュな人であったが、よく見ると、その人の右手には手首がなかった。自分が退職してから、その人が何か技術開発の研究をしているときに爆発事故が起きて、そのために手首を失ったらしい。「これは、また、お気の毒なことで。将来、どうやって研究生活を続けていかれるのかな?」と、どっと同情と憐憫の念に襲われた。しかし、その人は、手首のことなど全く意に介していない様子であった。やおら机の下から、一つのバイオリンを取り出してきた。続いて、大工が使うカンナのような道具を取り出して、自由になる方の手で、バイオリンの弦を縦にこすった。するとバイオリンは、カンナの動きに合わせて、見事なメロディーを奏で始めるではないか。何と、音楽好きのこの元上司は、持ち前の不屈の精神で、片手でバイオリンが弾ける新しい装置を開発したのであった。バイオリンなど、この人の本業とは全く関係がなかったのにと、自分は、大きな感銘を受けた。不屈の精神と不倒のエネルギーさえあれば何でもできるのだ。年齢など人間の創造力や価値とは何の関係もないのだ。今からでも、自分も何か始めなければならない。その意思さえ持続すれば、自分にも何か新しいことがやれるかもしれない。何か一念発起という怪物に背中を押されるような気分がして、自分はその部屋を出た。
 部屋を出るとそこは田舎の山道であった。小石の転がる砂利道でひどいデコボコがあり、長い急な上り坂となっていた。少し進むと坂道の途中に大きな障害物があった。ロンドン名物の赤い2階建てのバスであった。崖のようになった急な坂道の真中で、車の前半部がガレージに頭を突っ込んだような姿勢で道路にめり込んでいた。道幅とバスの車体とはほぼ同じ大きさであったので、先に進もうとすると、バスの車体をよじ登っていかざるを得なかった。人の背丈の三倍くらいの高さがあった。自分はバスに手をかけて、その屋根上へとよじ登り始めた。半分くらいまでは、何の苦もなかったが、それ以上は、手が滑って、前進も後退もままならないピンチに陥った。エライことになった。進退窮まれりと思って、横を見ると、すいすいと登っていく人が居るではないか。その人の登った跡を見ると、高い煙突に付いているコの字型の金物がずらっと並んでいるではないか? しまった、自分も良く見てから登り始めれば良かったのにと思った。

 この夢を見た本人には夢の意味がよく分らない。夢は無意識からの発信であるとも言われているが、一体、何を発信しているのか? 確かに、最近、自分は今までとは異なった分野で少し研究的な仕事をしてみたいと思い始めている。その意味でこの夢を考え直すと、下手な研究はするなと警告してくれている夢のようにも取れる。逆に、しっかりした研究をしろよと激励してくれているようにも取れる。本当に、夢をどう捉えるかは難しい。この際、夢を研究テーマに取り上げて、本格的に、心理学か精神世界の研究にでも取組んでみようかね?
 

死んだカモノハシが登場する夢

2005-11-23 | 真夜中の夢
 明け方、トイレに行って、次に目が覚めるまで僅か1時間ほどの間に見た夢であるが、まるで正月のお雑煮のように、雑多の煮込みが詰まっていて、どれが本体の餅なのか分らないような夢だった。少し長くなるが全容を以下に記録しておく。誰方か、その解釈についてヒントを授けていただければ幸いである。
 夢では、車に乗って仲間が数人、日本全国を数十日に渡って旅行していたようだ。今日は、その最終日ということで、荷物の整理をするために、現在の住居の近場で宿泊した。昔、学生時代に下宿した京都宇治の平等院鳳凰堂の背中がすぐ傍に見える部屋だった。
 朝まだ早く、自分は布団の中で寝て居た。他の仲間達は自分を起こさないように、気を使いながら静かに起き出したようだが、誰かが無造作に枕元のラジオのスイッチをひねった。そのラジオは驚くほど大きな音で音楽を流し始めた。自分はびっくりして飛び起きた。ラジオはハイテク風で金属製の外観は極めて複雑だった。自分はどのスイッチをどうすれば静かになってくれるのかが分らなかった。
 夢の中で目が覚めてしまった自分(実際は寝入ったまま、夢を見続けています)は、今日の主たる仕事である帰り支度の荷物の整理を始めた。起き上がって最初に驚いたのは、薄い寝巻きは着ていたものの、下着は付けておらず、上半身も下半身も外から透けて丸見えであったことだ。「これはまずい」と手で身体を押さえながら、慌てて緑色のセーターを着込んで作業を始めた。
 荷造りの荷物は驚くほど多くあった。洗濯をしなければならない下着類、旅行用の道具類、なぜか旅行には不要の女性用呉服物などが押入れから、次から次へと出てくるのであった。それを丁寧に折りたたんだり、袋に入れたりして、旅行カバンに詰めていくが、あまりにも量が多くて、大きな旅行カバンでも、とても入りきれないように思えた。
 自分では品物の値打ちが分らなかったが、押入れの中の品物はすべてブランド物で、大変な高級品だったらしい。突然、家内が現れて「アンタ、旅行グループのリーダーになるのはイヤだと最後まで言うてたけど、その荷物見たら、みんな、アンタをリーダーにしたがるのは当たり前やんか」と言った。自分は心の中で「最後までリーダーにならんで、ほんまに良かったわい」と思っていた。
 カバンに詰める荷物はあまりにも多かった。もうこのくらいにして、後は捨てて帰ろうかと思っていると、突然、階下の外側の道路が騒がしくなった。驚いて、窓から外を見ると、部屋の外は古ぼけた商店街であった。商店街全体を解体する工事が進行中であったらしい。何十台というトラックが建築物の残骸を満載して、トレーラーか列車のように全部繋がって、土煙を上げて、商店街から出て行くところであった。轟々と地響きがする。瓦礫と化した商店街を後にトラックの車列が突進していく様は勇壮な出陣式の雰囲気があった。
 突然、背中の方から声がした。子供の頃の息子と娘が立っていた。「道にこんなものが落ちてた」と、動物の死骸を手にぶら下げていた。死骸は、車に轢かれたのかヒラメのように薄くなっていた。奇妙な動物であった。口は鳥のような黄色いクチバシになっており、胴体と四肢には毛が生えていて、その先には大きなミズカキが付いていた。自分は、それまで、そのような動物を見たことがなかったが、「おい、それ、ひょっとしてカモノハシとちゃうか?」と子供に教えていた。「気持ち悪いから、早よ、捨てて来いよ」と言いつつも、心の中では「剥製にして売れば高く売れるかもしれない」、また、「こんなところで、自分が発見したとでも新聞に載れば、有名人になるかもしれない」などと思ったりしていた。
 夢は、無意識からの呼びかけだと言う。無意識からにせよ、心のどこかにある何かが夢になって出て来ているそうだ。しかし、この夢のように脈絡なく、次から次へと色々のものが出てくると、前後の関係がまったく見えないし、夢は一体自分に何を言いたいのかと理解に苦しむ。寓意的というか、抽象的というか、本人にすらその意味がよく分らない。
 夢では旅行が終わったと告げていた。確かに、最近、自分が現在やっている仕事について、今後どのように続けていくか気にはなっている。そろそろ、これまでの人生の旅の整理をして、次のバスへ乗り換えてはどうかと考えたりしている。
 夢はフラクタル構造をしていると言われている。細かく見れば同じことの繰り返しだ。古い商店街の解体も、荷物の整理と同じことを意味しているのだろう。つまり、これまでの仕事を終了して、何か新しいことを始めてはどうかと言うようなことを繰り返しているのかもしれない。しかし、最後に見たカモノハシは、その死骸があまりにも生々しく具体的であり、一体全体、これは何を意味しているのかと深く考え込んでしまう。

※後から調べると、カモノハシとは哺乳類でありながら、卵生で孵った子を乳で育てるそうだ。クチバシやミズカキは鳥のようでもあり、獣との中間の形態をもった動物らしい。技術コンサルと経営コンサルの二股営業をしている自分自身もある意味ではカモノハシに似ている。そのカモノハシが死んだとは、「もう営業を止めろ(引退せよ)」と言うことなのか、あるいは「現在はカモノハシの特色が十分に発揮されていない(死んでいる)ので、もっと営業を活発にせよ」言うことなのか? 夢には突然に思いもかけないことが現れて、また、如何ようにでも解釈できるので、夢は面白いし、また、訳がわからんもんだと、夢を見る度に思う。

※フラクタルとは、全体の中から一部を取り出しても、それが全体と同一の構造をもっているような構造のことです。