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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

贅肉について

2009-05-30 | 雑記帳
 世の中にはリスクマネジメントというコンセプトがあります。不意のリスクに備えて、特に重要な事象について、普段の準備を怠るなということです。会社のような組織もそうですが、個人的にも色々なリスクが考えられます。震災、地震、火災、事故、病気など数えていけばキリがありません。
 今日はごく身近な健康を話題にします。個人の病気のことばかりを話題にしたくありませんが、体験談の一つとしてお許し願います。
 私の現在の体重は54.0キロです。去年9月の第1回目の入院前には68.0キロありました。僅か1年近くの間に14.0キロも体重を落としたことになります。それまでは、ジョギングをしたり、飲む量を減らしたり、涙ぐましい努力をしていたのですが、今から思えば、この「やや肥満」と言うレベルの体重は神様が授けてくれた体重でありました。ムリに減少させる必要は少しもなかったのです。
 昨年秋の第1回目の入院で、治療方針が決まるまでの約1週間、点滴のみで栄養分が補給されました。この間に体重は68.0キロから62.0キロまで6.0キロ低下し、ほぼ理想体重近くになりました。いくらダイエットやジョギングで努力してもなかなか到達できない体重でありましたので、へこんだメタボ腹を見て快哉を叫んでいました。
 しかし、そうは問屋が卸さないものです。セカンドオピニオンを聞いて転院した、二つ目の病院での開腹手術直後の約1週間も、完全に点滴のみの栄養補給となりました。このときにも大幅な体重減少があり、62.0キロから54.0キロまで8.0キロも減ったのです。
 その後も、退院してから食欲不振などが長引いて、現在のところ、退院時の54.0キロを回復することが出来ずにいます。我ながら見ても、足やスネなどがすっかり痩せ細って、毎日の運動のための散歩を心がけると、足に筋肉痛が発生したりする有様です。もし、当初の体重に余裕がなければ、今時分はどうなっていることでしょうか? もっともっと大変な状態で、自らの足で動くことすらママならぬ状態になったのではないでしょうか? さらにもう一つ別の病気をするとどうなるのでしょうか? そんな余裕は全くありません。
 普通の皆様。ムリして体重を減らす必要はありません。少し太めくらいなら、その方がいいのです。身体にも貯金が必要でしょう。見た目のスリムさや格好のよさよりもいざと言う時の持久力や耐久力の方が大事です。現在の平和が常に続くとは限らないのです。個人のリスクマネジメントとしても、いざと言う時の災難や事故や病気に備えて、財布には蓄えを、身体には多少太めの贅肉をつけておくことが必要です。


老年の幸福の条件

2009-05-02 | 雑記帳
 人間と言うものは、生まれてから若年、中年、老年の長い時間を通じて形成される一つのシステムであろうか。最終段階の老年には、時間の経過とともに過ごした若年(青春)や中年時代の経験が含まれている。老年時代だけが孤島のように隔絶した状態で存在するのではなく、過去の経験や知識が連続して存在している。老年の時点で、突然、思いついたように新たな老年人生を構築しようとしても、過去に何も経験や勉強をしてこなかった老人には、相当に無理な相談となってくるのではないか。
 しかし、老年には肯定すべき老年の人生や生活があると考える。やたらと、青春時代を賛美し、老年になっても生涯青春を謳歌することばかりを願っていると、目の前にある老年にしか感受できない豊かな精神生活に気付かずに過ごすことにもなりかねない。いつまでも青春に未練をとどめず、老いを正面に見据え、老いを素直に受け止めることも、老人として賢明な姿勢ではないか。
 老年になり日々の仕事の制約がなくなると、また時に病弱となって、多くの肉体的な制約が課せられると、時間が心の内側を流れるようになってくる。思えば、若年・中年時代には関心が常に自分の外にあり、時間は自己の外側を流れている。仕事などの自己の外側の事情に忙しいだけに、内省する時間的余裕がない。ほとんどの人々は、後に必ず訪れる自分の老後のことなど考える暇もなく、青春の時間、中年の時間をあたふたと過ごす。時にふと老後を考えることもあろうが、大抵の場合は瞬事の出来事として終わってしまう。時間が自分の外側を中心に流れている以上、止むを得ないことなのである。
 現在のわが身を老年の視点において眺めなおすと、随分、いろいろと違ったものが見えてくる。例えば、春が訪れて桜が咲く。もちろん、若かりし頃の昔から、桜の花の咲くのは美しいとは思っていた。しかし、その感じ方が異なる。桜を単に美しいと見るだけではない。来年になって、自分は再び、同じような状態、感慨でその花を見ることができるだろうかと思っている。いつの間にか、自分の内部に桜の時間を投影しているのである。
 老年への曲がり角を通過する頃には、青春時代には容易に可能であったことの多くを断念せざるを得なくなる。自覚があろうとなかろうと、特に身体的な能力においては、実に多くのことを断念せざるを得なくなる。しかし、断念ばかりを継続させ、それを無意識の諦観に連結させているだけではつまらない。
 老いには、老いの時間にしか獲得できない、感受できない、様々な果実がある。ともかくも、今日も生きている喜びがある。季節の移ろいに敏感になる。現在の5月の涼やかで、新緑に映えた山々の何と美しいことか。自然の移り変わりに応じて、時間が自分の体の奥で通り過ぎていくように実感できる。このような生きる喜びは、青春時代の若さへの断念の代償として得られたものに他ならないとも考えられる。
 何が老年の生甲斐なのか。何が老年人生のクオリティーを決定するのか。それは決して、若年や中年時代の価値観の延長線上にあるものではないと思われる。老年への曲がり角で、一度、価値観の変更を模索する必要がある。悔しくはあるが、青春時代の若さ至上主義の価値観を改める必要があるのだ。諦めるべくは諦めなければならぬ。
 幸福感を伴って老いることは決して容易なことではない。老人がさらに老い続け、かつ幸せを感じるためには、それなりの努力が必要である。ただ何となく老いて、漫然と老人の苦痛や悲哀のみを感じて、諦めて、被害者のような気分で死んでいく。それが平均的な老年人生とすれば、人生とは何と悲しいものであろうか。自己の心の中に、老年の積極的な価値や老年を主体的に生き続ける喜びを創造していくことができないものだろうか。


夙川公園今日が桜満開日

2009-04-06 | 雑記帳
 私の住む近隣の夙川公園は今日が満開日です。まだ散り始めていません。快晴です。雲ひとつない真っ青な空の下、松の緑と満開の桜のコントラストは素晴らしい眺めです。夙川公園の1年のうちで最も美しい1日です。こんな日にこそ公園を歩いて、生きていることに感激し、感謝しても罰は当たりません。いや感謝、感激すべき日は、今日以外にないかもしれません。
 ところで、こんなに美しい快適な日があるのに、世界は無だとか、空だとか言う人の気が知れません。無とか、空とか言う前に現実のこの美しさに、身体ごと中へ入って全身全霊を曝すべきです。もちろん、あと1週間もすれば、花も散って、別段美しくもない景色になることは確実ですが、それは先のことです。現在のこの美しい桜を愛でずして、他に為すべきことがあるでしょうか。
 私が般若心経でまだ十分に理解できないところがあるのは、ここのところです。般若心経の世界はあまりにも結果中心主義です。結果を見て、以前から変化しているから、世の中を無常と主張します。そう言われればそうですが、途中の過程では、瞬時、瞬時に実体(色)を意識することが可能です。私たちの生きる世界はプロセスであり、結果だけで生きているわけではありません。今の瞬時を生きているのです。これを楽しむことが出来れば何を欲張って、先のことをとやかく言わなければならないのでしょうか。このような考えでは、私はまだまだ成仏できないかもしれません。
 夙川公園では、多分、明日も明後日もほぼ満開の桜を楽しむことが出来るでしょう。私はそれを楽しみにしています。1週間先の散った桜を想像して、ユーウツな気分を先取りする気は全然ありません。


ブログ続投・再開宣言

2009-03-07 | 雑記帳
 先日、入院先から退院しました。手術をした日から3週間も経っていませんので、まだ傷跡がずきずきと痛みます。詳細は私事にかかわりますが、今後のことについて、このブログでもおいおい触れていきます。残念ながら、手術の結果は決して明るいものではありませんでした。
 これを受けて、我が将来の夢実現の、たった一つの手掛かりであった会社(経営コンサル有限会社)についても、関連の役所に休業届けを正式に提出しました。コンサルタントその他一切の業務的な活動を辞めることにしました。
 今後はこれまでの自身の人生の総まとめを急ぎます。あまり無理はできませんが、可能な限り心無罣礙(しんむけいげ)と平常心で臨み、平凡で日常的な生活を楽しみたいと思っています。
 明るい話題が減り、年寄りくさい話が増えそうです。ほんの昨日までは、現場で活躍し、健康を謳歌し、大酒を飲み、自身の病気や死のことなどについて、あまり深く考えたこともありませんでしたが、この半年の急激な変化に自分自身も驚いています。
 いつまで続けられるか分りませんが、また、自分のことばかり書いてしまいそうですが、アクセスしていただける方に少しでも何らかのご参考になればと思い、ブログを再開し、暫く続けてみたいと考えています。


お役人は何故エライか?

2009-01-28 | 雑記帳
 わが国の歴史において、幕末の封建体制から維新を経て明治の中央集権の官僚体制へと飛躍するには、元々、ムリがあった。欧米先進国のような市民革命が行えるようなレベルにはなかった。士族を中心とする知識階級は別として、一般民衆のレベルが低すぎた。近代国家を形成するに足るだけの知識や能力は、一般大衆のレベルでは皆無であった。したがって、当時の政治リーダーは、人為的に、政治的に、各藩に所属していた士族に代って、民衆を指導する階層として、新しく権力を集中させた官僚とその体制を構築せざるを得なかった。以下の『 』内の文章は、司馬遼太郎「翔ぶがごとく(三)」からの引用であるが、この間の事情がよく理解できる。
 『大久保(利通)が確信している日本の近代化は、官僚の専制支配と指導によるものでなければならないというものだった。
 かれが西洋で見てきたあらゆる新しい価値を、国家という機関が作り出す。産業や学問や教育だけでなく、鉄道、電信その他、できれば夫婦以外のすべてのものを国家自身がつくるか、国家の容喙(ようかい)、介添によって作り出す以外に方法はないとみた。
 そのためには国家の絶対性をよほど重くしなければならないが、しかし国家といっても現実的にはたかが官僚であるにすぎない。民衆にとって官僚のお里は知れきったもので、そういうたかが生身の人間にすぎないこの官僚たちの地位をとびきり重くすることは魔法を用いないかぎり、不可能であった。
 この魔法として、天皇を用いた。天皇を国家的宗教にまで高めて神聖化することによって「天皇の官吏」である官僚の位置をそれと同重量に近い重さにしようとした。大久保のこの思想を制度の上で完成させるのは結局は山県有朋であったが、いずれにせよ大久保は近代化の要素が無にちかい日本において有をひねり出し欧州国家に近づけてゆくのは、国家の比重を極度にまで重くする以外にないという信念をもっていた』
 明治の初期の官員様は平民とは区別され破格の待遇であった。給与など報酬だけではなく、犯罪などの罪を犯した場合でも、平民と比べて刑罰は1ランクも2ランクも低く抑えられた。この待遇は士族からお役人になった者だけでなく、平民からお役人になった者にも平等に適用されたそうだ。
 このような官僚重視の体制は、明治から大正、昭和へと引き継がれ、第二次世界大戦で日本が敗戦するまで続いた。歴史の流れの中で、無からスタートした幕末を含め大きな歴史のある時期の流れの中ではやむを得ぬステップであったと理解できる。しかし、敗戦後の日本は、戦争した相手の米国の指導によって名実ともに民主主義の世の中に変わったはずであった。そして、官僚達は、天皇の役人から、市民に奉仕する公僕へと変わったはずであった。
 しかしながら、政治体制を含め、システムというものはハードとソフトから成り立っているのである。明治維新で幕藩体制が明治新政府の新体制に変わったように、ハードの変更は比較的容易に実行できた。日本でも形だけの民主主義は敗戦と同時に達成出来た。そして、現在までに60年以上が経過した。しかし、驚くのはソフトの変化の遅さである。官僚機構におけるソフト面での考え方は、現在も明治時代もあまり変わっていないように見える。
 どうやら、ソフト(いわゆる文化や人々の価値観)が変化するには、100年や200年単位の時間が必要らしい。世の中の官尊民卑の価値観や考え方には、一向に改まる気配がない。また、官は官で既得権益を制度化し、見えない部分ではますます拡大しているようにすら見える。
 当然のことであるが、今や幕末のように一般民衆が愚鈍といわれるような最低のレベルにはない。昭和の55年体制が確立された時点からみても、一般民衆の知的レベルや政治への関心は十分に高くなっている。このように大きな変化があるに関わらず、相変わらず政権与党も変わらなければ、その体制を支え、権限を行使しているのも中央省庁の官僚達である。しかも、中央官僚の権限ばかりが守られて、改革が一向に進まない。もういい加減にしてくれと言いたい。
 ハードの変革だけでは、必要な改革の半分も達成できない。我々はソフト(文化や人々の価値観)を同時に改革する必要がある。どのように改革すれば、ソフトも同時に変革できるか、よく考える必要があるのだ。またソフトの変革に結びつかない見掛け倒しの誤魔化しの改革には断固ノーを突きつけなければならない。


一人ひとりの生きる意味

2009-01-24 | 雑記帳
 一般的で平凡な人が共通的に考えることに一つに「オレはこの世に、ここまで生きて来て、何か世の中の役に立ってきたか?」という疑問がある。最近、このことについて、自分は自信を持って「心配するな、十分に役に立ってきている」との結論に達した。老若男女、すべての人たちに適用できる考えで、どうやらそれで正解らしい。
 下記は、吉野弘「詩のすすめ-詩と言葉の通路」(思潮社)から引用した「生命は」と題する作品である。2回読めば中身が分る易しい詩である。

「生命は」 
 生命は
 自分自身だけでは完結できないように
 つくられているらしい
 花も
 めしべとおしべが揃っているだけでは
 不充分で
 虫や風が訪れて
 めしべとおしべを仲立ちする
 生命は
 その中に欠如を抱き
 それを他者から満たしてもらうのだ

 世界は多分
 他者の総和
 しかし
 互いに
 欠如を満たすなどとは
 知りもせず
 知らされもせず
 ばらまかれている者同士
 無関心でいられる間柄
 ときに
 うとましく思うことさえも許されている間柄
 そのように
 世界がゆるやかに構成されているのは
 なぜ?

 花が咲いている
 すぐ近くまで
 虻の姿をした他者が
 光をまとって飛んできている

 私も あるとき
 誰かのための虻だったろう

 あなたもあるとき
 私のための風だったかもしれない

 この詩を読んで自分ははっとさせられた。これまで、自分は、ものごとには何か目的があって、その目的の達成を目指して行動するということが常識になっていた。目的が達成された程度に応じて、役に立ったとか立たなかったとかの評価をしていたのである。したがって、当初の目的や目標が達成されなければ、あるいは達成度が低ければ低いほど、その仕事からの満足感が得られず、結局、何の役にも立たなかったという後悔だけが残った。
 会社の仕事などでは、そういうことかもしれないが、世の中にはそうでもない方がはるかに多いのではないかと、この詩を読んで思い知ったのである。
 普通には、大抵の奉仕には対価というものがあって、その対価のために仕事をしていると思っている。しかし、それは実は仕事全体の中のごく一部であって、何の対価も無く、ただひたすら行っている無意味のような仕事にこそ、実は大きな意味があって、それが大きく世の中の役に立っているのではないか。誰のために、何のために役に立っているか、通常はあまり意識されていない。また、行為を行っている者も、それで利益を得ている者も、お互いにその価値を知らない。というような貢献実行と利益享受との関係が、実に多く存在している。
 大体が、社員が現場で黙々と目立たぬ地道な仕事をしていても、社長は大抵の場合そんなことを知らない。給与や待遇は目立つことをした人にのみ優先的に与えられて、社長もそれを当然としている。だが、そういう下積みの人たちの働きが無ければ会社は前へ進まないのである。
 上記の詩の中でも、虫や虻や風が花の花粉の運び屋になって花の生命を維持しているなどと、虫や虻や風自身は全く意識していない。それを目的にやっているわけではない。花も誰かがやってくれていることを知らないのである。正しく、詩の冒頭の「世界は多分他者の総和」の世界の出来事なのである。
 そんなことを考えると、案外、自分達人間は、ただ生きているだけで、世の中でも大変多くの他人に役立つ活動をしており、自分達の働きや生きていること自体に、もっともっと誇りを持ってよいのではないかと思えてくる。
 ところで、初老の紳士が公園のベンチに腰を掛けて、ぼんやりと人生についえ考えている情景を想像して欲しい。この紳士は最近大病を患い、手術準備を兼ねて自宅での療養生活中である。人間の生命の有限であることを悟り、何かと人生について考えることが多くなった。病気をしなければ、そんなことはあまり考えなかった人である。
 その老人の目の前のブランコや滑り台で子供達が遊んでいる。何人かの母親が優しくそれを見守っている。この老人はいつの間にか彼らの人生とはどのようなものであるかを考えている。
 先ず、子供。子供達には人生の目的なんて発想は何もない。ただ目の前のブランコや滑り台がただただ楽しいだけのことである。その子供達の社会への貢献は何か。大いにあるのである。先ず、子供達が公園で楽しく遊んでくれているだけで、この老人には世の中の活気が感じられて癒やされる。この子達が大きくなって頑張ってくれるだろうと思うと、将来にも明るい希望が持ててくる。自分の人生が終わっても、日本の将来のことは任せたという思いをすら抱かせてくれる。このように子供達はただ存在しているだけで、もう十分に社会に貢献している。老人の目から見れば中学生や高校生や大学生もみな同じだ。元気に健康によく勉強してよい社会人になってくれ。それが彼らの存在意義だ。
 子供を見守っているお母さんにも一人ずつの人生がある。家へ帰れば主婦業も忙しかろう。主婦が家庭を守っているから、主人が会社で全力で仕事が出来るのである。主人だけが社会貢献をしているのではないことは言うまでもない。普段、夫婦喧嘩ばかりしている家庭でも、もし主人か奥さんかのどちらかが突然亡くなったらどう言うことになるか。人の役に立つとか、社会に貢献するとか、そんなことを考えている余裕が一切なくなるのだ。人が一人、健康に生きて、社会でも家庭でも何かの仕事をしているということは素晴らしいことなのだ。健康に生きていることだけで、もうこれ以上の社会への貢献はないとすら思われて来る。
 サラリーマンなどの社会人もそうだ。出来れば、みな何らかの目的や目標を持って頑張って欲しい。頑張った分の成果があればそれは楽しいことだ。仮に成果がゼロに見えても、冒頭の詩にあったように、決して成果はゼロではない。目的や目標にない、自分でも意識していない貢献があるのだ。知らずに既に十分の役目を果たしているのだ。狭い閉じこもった空間の考えで、自分が社会から孤立していると感じて絶望するな。仮に一人であっても、生きているだけで、それだけで十分立派なことなのだ。その上で、余裕があれば何かをやってやろうと言うくらいで丁度良いのだ。
 ベンチの老人は自分のことについても考えた。よく考えれば、自分も会社では何もして来なかった。いや死ぬほど働いたが、自分の成果や達成感は思いのほか少なかった。しかし、それで良かった。何も有名人になったり、高給取りにならなくても、知らぬ間に多くの影響力を世の中に行使してきた可能性がある。その結果については、一人ひとりの個人には分らないだけのことである。世の中の仕組みが「世界は他者の総和」というようになっていて、そのこと自体は仕方のないことなのだ。
 老人は、ベンチに座っている間に、色々なことを考えて大変気分が良くなった。しかし、以下のようなことも一寸気になった。
 有名人や高給取りは、自分ひとりが偉いからそうなったように思ってはいけない。どれだけ多くの利益を下積みの人たちから得ているかについても充分な思いを致すべきである。アメリカのCEOが退職金として何百億円という金額を手にする。果たして、それだけの貢献を自分ひとりでやったのか。ついでながら、「渡り」を繰り返して、多額の血税を退職金などの名目で懐(ふところ)にするお役所のエリート群。自分達の欲望の罪の深さを少しは意識して欲しい。自分達の成果の原資は何処から発生しているのかと。


快癒十則

2009-01-15 | 雑記帳
①本人は、全快を目指して病気と闘う万全の決意をする。
②早期に社会復帰して、従前どおりの健康な勤労人生を送ると誓う。
③可能な限り、将来を悲観せず、楽観的、楽天的に振る舞う。全快すると心から信ずる。祈る。
④闘病生活にはゲーム感覚で立ち向かう。(例えば、体内の患部に侵入したインベーダーを光線銃でぶっ壊し、除去していくイメージを常に想像し続ける) 同様に、検査結果や症状の改善を示すデーターをゴルフのスコアカードを見る感覚で楽しんで見る。
⑤病気の症状や苦痛は、自分のことと思わず、他人事と思う。他人なら、同じことでも、もっと苦しんでいるかもしれないと想像する。
⑥手術台や検査台に上がる時は、自分を生物と思わずに丸太になったつもりで横たわる。そこで何が起ころうと、専門家の医師にお任せする。
⑦意識があるときは、患部などの急所に神経を集中させず、神経を分散させる。ひたすら、別のことを考える。そのためには、般若心経のようなお経の一部を繰り返し唱えてもよい。音楽でも同じ効果がある。
⑧病名、症状、回復の見込みなどについて、主治医、看護師、親族には真実を語り、真摯に相談する。友人や関係者の過度の同情を安易に受け入れない。彼らの心からの同情に幸福や安心を感じることで、逆に依存心をもたらせ、病気の回復を遅らせることがある。(病気であることを幸せに感じてしまう)
⑨親族以外の友人たちのお見舞いは回復期には喜んで受け入れるが、病状が深刻化する時期には遠慮してもらう。自分の無様(ぶざま)なひ弱い側面を人様に披露したくない。その時点で励ましを受けても役に立たない。本人が一番よく分っている。
⑩友人、仕事仲間など利害の交錯する人たちには、必ずしも真実を語らない。常に楽観を装う。真実を語ることにより、仕事への再起のための致命的なダメージを蒙ることがある。(職務の制限、人事異動、過度の保護、流言飛語の発信源、過度の心遣いなど)


言霊信仰の効果

2009-01-14 | 雑記帳
 日本は言霊(ことだま)の国といわれる。Wikipediaによれば、「声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである」と書かれている。
 さだめし、麻生首相の度重なる漢字の誤読は、単なる誤読などではなく、この言霊の天罰が災いして、支持率の急激な低下をもたらせたものと信じられる。このことについて、無頓着(単なる誤読としてシラを切りとおしていること)を決め込んでいる首相は、言霊に対する真摯な反省のない限り、今後とも災難が継続するものと思われる。
 この言霊信仰のお陰で、過去の日本の歴史において不都合なことが頻出した。例えば、太平洋戦争で「敗戦」が確実になっても、「負けるかもしれない」という不安を述べただけで、非国民扱いされ、実際に負けた場合の対応を取らせなかったことなどがある。言霊信仰は将来を楽観させ、都合のよいことのみを考えさせ、実現させるプラスの面もあったが、マイナス面も結構あったのではないか。
 自分自身のこれまでの人生においても、この言霊に対する信仰心は厚かった。日本人の本能なのか、身体の奥深く遺伝子に組み込まれているのか、悪い言葉は自分に悪い結果をもたらせるものと信じてきた。過去の会社生活においても、悪い結果を予想することは極力避けたし、個人生活においても、いつも楽天的且つ楽観することを重視してきたのであった。それはそれなりに意義のあったことと評価している。
 ところで、現在の自分は病気をかかえて生きている。そして、相も変わらず、悪い結果など、なるべく考えないようにしている。すなわち、言霊を信奉して、悪い結果の可能性については、出来る限り、思わず、語らず、避けている。これが吉と出るか、凶と出るかは分らない。しかし、しばらくは成り行きに任せて、現状を是認して生きていく予定である。
 また、その後、自分の病気の結果の先行きについて、悪いことを考えない、くよくよしないために大変良い方法を思いついて実行している。それは、前総理福田康男氏からの借用である。すなわち、自分のことであっても、素知らぬ顔をして、他人事を決め込むことである。もし、自分の病気のことでくよくよと深みに嵌りそうになったら、すかさず「あなたとは違うんです。私は客観的に物事が見えるんです」と言って、にやっと笑って、その場から足早に退場するのである。一度で効かなければ、大きな声で二度言えばよい。直ちに言霊効果を誘発して、その病気は自分のことではなく、他人のことのように思えてくるから不思議である。
 最後に、大抵の場合、男として生まれたからには、死ぬまで歯を食いしばって頑張るのが、わが国の成人の美徳であった。しかし、最後まで頑張りきることは、大変に辛い、しんどいことでもある。しかし、安倍元総理、福田前総理が続いて、「そんなこと、必要ないよ」とばかりに、見事な模範を見せてくださった。お陰さまで、老いた日本人の将来のストレスが大いに緩和された。死にかけた病人も、死ぬ思いで、いつまでも頑張らなくてもよいことを、率先垂範で示されたのである。ありがたいことである。


中年から老年への転進

2009-01-10 | 雑記帳
 現在、本業の経営コンサル業は休業中である。9月下旬から約3ヶ月間の緊急入院をしたので、2008年度末までの3ヶ月間の売上は完全ゼロになった。また、本来なら、その間に継続して入る新らしい仕事の引合いなどもすべてシャットされたので、新年度の今後3ヶ月間の売上も完全ゼロとなる。都合6ヶ月間の完全空白は我がコンサル業の営業成績に極めて大きなダメージを与えている。この機会に廃業を視野に入れるべき重大事態に至っている。
 内心は、こんなに急速に廃業を決意しては、いろいろな方面への迷惑もあるし、自分自身の心の準備も出来ていないので、現在の病状回復後も、当面、コンサル業を継続したいと思っている。しかし、昨今の急速な市場全体の経営環境の悪化を考えると、これまでのように比較的容易にコンサル受注があるようにも思えない。ひょっとすると、今が絶好の廃業のタイミングかもしれないと思ったりもする。
 このような人生の危機や転機はどのようなときに来るのか?これまでの人生でも何度も迎えた転機であるが、大抵、突然やって来た。変化の基本的な条件はじわじわと忍び寄って来ているのであろうが、自分にはなかなか感知できないのだ。そして、突然びっくりするような事件や事態がたった1件発生しても、ほぼ強制的な転向が必須となってしまう。したがって、そのような変化への対応はいつでもできるように普段からの準備を怠ってはならないのである。
 自分は後一月弱で満69歳となる。これまでは中年の末席に座っていると思って現場で仕事を続けてきたが、今、コンサル業を廃業するとなると、老年(高齢者)の末席に席替えすることになる。さすれば何をして生きていけば良いか、全く見当もついていない。
 実は、そのような恐れもあり、入院中の時間を活用して、大小50冊ほどの本を読んだ。既に読んだことのある本が70%、初めて目を通す書物が30%程度の割合であった。既に読んだ2度目、3度目の書物が多いのは、私の読書の特色のひとつではないかと思う。自分の場合、どうも1回目の読書は読みが浅くて記憶がほとんど残らない。せいぜい全体の構成が分るくらいであろうか。2回目以上を読む本の数は多くないが、2回目を読む本は、気に入った本であり、全体の構成が大体飲み込めているので、端々の事項がよく記憶に残る。自分の場合、本当に読んだ本というのは2回以上読んだ本のことをいうのであろう。
 この入院中に読んだ本の傾向から見て、自分の興味・関心の在り処がおぼろげながら浮かび上がって来たような気がする。大体、次のようなものである。

 ①歴史書 古代史、幕末史→調査研究、関連史跡等訪問(読書・旅行)
 ②心理学 健康心理学、夢分析→読書・体験整理
 ③哲学  般若心経、西洋哲学→哲学の勉強・思索、寺社訪問、遍路行脚
 ④音楽  CD収集→音楽会(生演奏)、やさしい楽器演奏習得(オカリナ?)
 ⑤詩   詩文観賞、作詩→散歩・旅行・自然とのふれあい

 以上のような興味をさらに深めていこうとすると、中年の仕事人生からおさらばして、老年人生への転換をすすめていくことになるだろう。実際の行動や活動を上記の→以降に記載したが、大体が旅行や何かへの参加や読書・勉強ということになり、充実を図れば図るほど結構忙しくなりそうである。
 直近の入院や療養の4ヶ月、それ以前の読書時間の90%以上を占めていたマネジメント書やISO関連書物の時間は現在0%となっている。上記のような転換を遂げるかどうか最終決断をするまでには未だ時間がある。仕事中心の読書に再転換するか、このまま人生の転換点を迎えて、老年生活に転向していくか、また、中高年者の将来の夢と希望として、仕事の継続に代替するものになり得るかどうか、暫くじっくりと考えていきたいと思う。


健康心理学のすすめ

2009-01-07 | 雑記帳
 普段、普通の生活をし、仕事に明け暮れていると、人生の価値や意味についてなかなか深く考えるチャンスがない。つい毎日の些細な関心事に時を忘れがちとなる。たまには、病気になって、長期にわたって仕事から離れ、仕事以外の人生の価値などについて少し考えてみるのも良いことかもしれない。少なくとも、病気はマイナスばかりではない。
 下記は、ある書物(「健康心理学入門」アンソニー・カーチス著、外山紀子訳、新曜社)を参考にしたが、自分の場合にもよく当てはまる。

1)病気であることが、以前よりも人生の価値と意味を深く考えさせてくれる。
2)問題があるとはいえ、現状でも自分は自分の人生を楽しめている。
3)病気になったことで、友人はかけがえのない価値あるものであることを知った。
4)気分が良い時は、他に何もなくても幸せだと思う。
5)親族(特に妻)は本当に親身になって世話してくれる。
6)病気になったことで自分は自分自身についてより多くのことを知るようになった。

 もし、去年の9月以来、病気をせずに仕事一途に過去と同じペースを維持していたら、現在はどのような生活を送っていたであろうか。多分、何の変化もなく仕事のことばかり考えて生活していることであろう。仕事とさえ言っておけば、家族や友人や近くの人との約束は少々破ってもよいし、犠牲を要求してもよいと思っていたかもしれない。目の前の幸せではなく、将来の遠くの幸せばかりを重視して生きていたことであろう。
 しかし、この数ヶ月の療養生活で、人間の幸せというものはもっと近くにあるものであることが分ってきたのである。さらには、ごく普通の、痛くない、吐き気がしない、目眩がしない、自分の足で真っ直ぐに歩ける、などなど、ただそれだけのことが、どれだけ幸せなことであるかが身にしみて分ってきたのである。
 ところで、健康心理学という分野は面白いと思う。医療や治療に大いに役立つのではないかと思う。患者本人の心理を如何に前向きなものに変えるか、楽天的なものにしていくか、患者の将来に夢や希望を与えるかについて、医師や看護師や友人・家族、それに患者本人などが意識して取り組む価値がある。
 医師や看護師の楽観的な見通しは、それがウソであっても患者に百倍の勇気を与える。クソ真面目に本当のことを言って、患者の希望をくじいてはいけない場合もある。また、患者への無条件の愛情や同情は患者に依存心を助長させることがある。過度の同情は、患者に過度の幸福感を与え、病気を意識的に継続させてしまう逆効果となる。
 これらはすべて心理学の問題である。医療の現場における患者と医師など周辺の援助者との関係心理学について、もっともっと研究が必要と思われる。心理学の援用によって医学では治らぬ病気が治ったり、患者の延命が図られたり、患者のQOL(Quality of Life)が改善されたりする十分の可能性がある。
 自分自身、今年3月末まで続く、この療養の期間を人生の休養の期間ととらえて、もっともっと深く人生の価値や意味について考えてみたい。また、自分自身を実験台として、自身の健康心理学の実際を検討していきたいと考えている。


新年度の抱負

2009-01-01 | 雑記帳
 昨年度は、わが国の経済も世界の状況も晴れのち曇りのち大嵐となった。我が個人生活もよく似た経過を辿った。実は、自分は大晦日の午後まで、約1週間入院していた。昨日、夕刻、体調不全のまま正月ということで自宅に戻った。
 今日は正月1日だ。大晦日によく眠ったせいか今は比較的体調がよい。正月元旦ということで、何かを宣言したい気分で一杯になっている。今年は去年とは逆に、すべてを回復基調で進めたいと思う。今年こそは大嵐のち曇りのち晴れと行きたい。今年の年末には、すべてを笑って迎えたい。
 去年9月末からこの3ヶ月間、突然の入院のため仕事は完全に休業した。ビジネス機会や健康・体力など、1年間に失ったものは多いが、諦めが肝心だ。諦めた後に、代わりの新しいものを創っていけばよい。いつまでもメソメソしない。済んだことにこだわらない。
 自分もそろそろ中年のライフサイクルのフェーズを卒業して、老年のフェーズに入っていくのだ。実は、この1年、具体的に何をどうして良いのか分らない。これまで行ってきた経営コンサルやISOの仕事を大幅に転換する公算が大きい。しかし人生ある限り、基調は夢と希望だ。生きている限りそれしかない。
 先ず現状の認識が大切だ。現状を認識したら、それを粛々と受け入れるのが正解。受け入れた上で、再出発するのだ。具体的な行動計画は毎日毎日の継続的な努力の中で探し続けるしかない。途中で幕が下りたら、それもまた致し方なかろう。途中で幕が下りるなんて、考えたくもないが、万人共通、十分にありうることだ。
 ここ数ヶ月、西洋の哲学と東洋の仏教哲学(と言っても般若心経のみ)を平行して勉強した。実は、自身よく分ったとは言えない心境だ。しかし、西洋のハイデガーやニーチェやフッサールの哲学よりも、般若心経の哲学の方が自分にはよく共感できる。これらの西洋の哲学は、その後、人生の意味や価値を問う実存主義の哲学に結実していくのであるが、その論拠の分りにくさは、東洋の哲学とも大同小異であった。
 般若心経では、この世の実体は空であり無であるという。この空や無の認識が、我々の理解を困難にさせる一番の問題点であるが、最近、この部分をクリヤーできたと感ずるようになってきた。実は、この世の実体を空や無であると認識できなくても良いと思い始めた。ただ、常に変化していく実体を空と感じ、無と認識せよと言っているだけのことだ。何が起きても、現実を従容と認めることを「空ずる」というのである。また、「我を無にする」というのだ。一人の人間として、それが出来れば、どれほど心の荷が軽くなることか。人間みな、最後には、いずれ消えていく身であれば、結局は無であった、空であったという現実があるだけのことであり、やはりそれで正解なのだと思われる。
 人生あまり難しく考えないことだ。人生のプロセスとしては、空とか無とかのことをあまり深刻に考えず、実体は存在すると信じて精一杯の努力をして生きていくしかない。この世に実体などなく、すべてが無とか空とかであれば、バカらしくて生きる努力など、初めからやってみる元気が起きないではないか。般若心経のいう無や空とは、この世に存在する実体を、それぞれ、その人間が意識する時点で、如何に適切に認識するかというだけの問題に過ぎないように思われる。
 まあ、人生とは幕が下りるまで、精一杯の演技を続ける役者と思えばよいだけのこと。この1年も、そんなことを考えながら懸命に生きていこうと思う。今年も頑張るぞ。


役人文化の歴史的考察

2008-12-24 | 雑記帳
 司馬遼太郎の数多くの作品の一つに「世に棲む日日」という歴史小説があり、幕末の長州が舞台になっている。この中に、当時の外国人から見た日本の役人についての面白い記述があり、大いなる感銘を受けたのでここに紹介する。

 1)「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚(ビューロクラシー)ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと「上司」ということばを使い、「上司の命令であるから」と言って、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。
 ―上司とはいったいだれか。その上司とかけあおう。
と外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と生命をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実体がないということがわかる。しかしヤクニンはあくまでも「上司、上司」と、それが日本の神社の神の託宣であるかのようにいう。日本にあっては上司とは責任ある個人ではなく祠(ほこら)であり、ヤクニンとは祠に仕える神主のようなぐあいであるのかもしれない。

 2)1853(嘉永六)年、アメリカのペリーと同じ目的で日本にきたロシア皇帝の代理者プチャーチン提督も、長崎で日本の役人に接触した。プチャーチンのこの日本航海記を執筆すべく官費でその随員となっていた作家ゴンチャロフは、日本のヤクニンのこの責任回避の能力のみが発達した特性に驚嘆し、悪口をかいている。当時のヨーロッパの水準からいえば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。そのロシア人ゴンチャロフでさえ(かれは大蔵省役人の前歴をもっていた)日本のヤクニンにおどろいたのである。

 明治維新により幕藩体制は崩壊した。しかし、制度などのハードはともかく、人々の精神構造のようなソフトは大きく変化しなかった。とりわけ、このお役人の精神や文化の構造は、全く変化を遂げず、そのまま温存された。徳川270年の鎖国時代は、わが国固有の文化を確立する上で大きな意味があったと評価されている。しかし、この役人文化は、徳川の時代270年を越えて、さらに明治以降120年以上にもわたって、連綿と続き、ますます進化してきているのである。
 今、政治が即断実行しなければならないのは、冗費節減のための行政改革はもちろんのこと、その根底にあるヤクニンの精神構造や文化の改革である。単なる行政の単位の統合や再編では同じ事を繰り返すだけである。
 ところで、世間を騒がせている社会保険庁の悪事の数々。歴代の社会保険庁長官は誰一人責任を取らず、みなさん快適な日常生活を送っておられる。現実には、組織ぐるみで何十年にも渡って、公文書偽造、詐欺、公費の不正使用などの犯罪を行ってきていることが明らかになっているに関らず。いったい、彼らの膨大な年俸や退職金の意味は何なのか。幹部に責任を取るだけの権限や指示命令がなかったとしたら、さらに報酬の意味はないのではないか。退職金を全額返納するか、刑に服するかどちらかになるべき構造だ。何の処置もなければ、不作為という最大の負の役人文化にさらなる歴史が加えられる。
 弱者である一般庶民を中心に、犠牲者が多数明確になってきている中で、これに対する刑事訴追が行われない現状を放置してよいのかと思う。役人の組織的な犯罪を追及する法の仕組みはどうなっているのか。このままうやむやにして、日本人の多くが正義感を喪失し、無力感にさいなまれ、国全体が亡国の瀬戸際に落ち込んでいくことを座視していて良いのか。これまで老年近くまでバカ正直に生きてきたものとして、悔しくて、悔しくてならない。

※上記1)2)は、司馬遼太郎「世に棲む日日(Ⅲ)」文春文庫より引用した。


初めての入院経験

2008-12-13 | 雑記帳
 私事ながら、3ヶ月間の入院をした。わが68年の人生で記憶のある限り初めての体験であった。幸いにも、本日、とりあえず退院できた。まだ患部の根本原因を除去していないので、2ヵ月後に再入院し、処置がとられる予定である。
 何とか死ぬまで生きていたい。生きている限り、健康で健全な生活をしていたい。誰もがそのように思っているであろうが、現実はそのようには参らぬもののようであるらしい。生きていることと健康で健全な生活が保障されることとは関係がないのである。
 自分のことを例に上げて恐縮であるが、これまで、我が人生、かなりがむしゃらに仕事して来たが、健康には人一倍留意してきたつもりだ。好きな酒も適量で我慢してきたし、ジョギングやウォーキングの汗も流し続けた。管理医を定め、健康管理のために、月に一度は体調異常の有無に関らず相談に訪れ、検診を受けてきた。定年後も仕事をやっているので、国民健康保険も常に上限の最高額を負担し、支払い続けてきた。今のわが国の総理は、ぐうたらなふしだら生活をしている者だけが病気をすると思っておられるようであるが、現実はそうではない。万全の予防を行い、真面目の上にクソを付けて、注意に注意を重ねていても、避けられぬのが病気である。誰が好き好んで、辛い苦しい病気になりたいと思うものか。
 また、この3ヶ月間の入院生活で、医療現場の実体をつぶさに観察し、体験した。医療現場の実体は極めて真面目で誠実で健全である。医師も看護師もみな最善の努力をしている。看護師はみな明るく親切であり、患者を自分の親兄弟のように思って対応してくれた。深夜でもいやな顔一つせず、ナースコールに駆けつける。医師も担当の患者には足繁く通って適切に対応している。
 ある時、「実は、今日は会議があってね。遅くなって申し訳ない」と言いながら、真夜中の10時過ぎに同室の患者を診察に来て、丁寧なアドバイスをして帰宅された。他人事ながら、「この医師も真面目な人だね。これから自宅へ帰っての遅い夕食で気の毒だ。こんな毎日が続いて一体お医者の身体がもつのかね?」と思った。医師の仕事はまことに激務である。このような場面を毎日見ていると、「医者とは社会的に不適格な人が多くて...」なんていう発言がどこから出てくるのか不思議でならない。この国の総理は、すべて自分本位の仮想現実の世界に生きておられるのではないかと思われてくる。
 社会保険と言うものは、何も他人の面倒の負担の肩代わりをするだけでもあるまい。自分のために、余裕のあるときに貯金するような意味もある。他人様のお役に立てることができれば尚更結構なことではないか。それを、「ぐうたらな人のために税金を多く負担しなければならない」などと発言するとは! 何という発想をしてくれるのか。信じられない。このような話が、日本のニュースとして、外国にも伝わっていくかと思うと、わが国の文化や知的水準のレベルが知れて、本当に赤面の至りだ。


今日は敬老の日

2008-09-15 | 雑記帳
 昨日、一昨日はISO審査員の勉強会とやらで、土日の丸2日間、朝早くから夕方6時までホテルに缶詰になり勉強しました。その前の2週間も、それぞれ1週のうちの3日間(前泊を入れると4日間)を遠方の地へ仕事で出張しましたので、ずっとホテル住まいで過ごしました。一人になっても二人になっても遠くへ出ると、なぜかアルコールが親しいお友達になります。この夏は特に暑かったので、大ジョッキか大瓶のビールを欠かした日が一日とてなく、大変楽しい毎日を過ごしたのですが、昨日夕刻頃にはついに夏バテと言うか、ダウン寸前の状態に陥りました。
 昨夕、勉強会からの帰り道、足下はふらふら、身体は浮いたような感じでした。お腹の辺りがムカムカして、血圧も高いような感じがして、何か凭れるものがあれば寄り掛かりたい、そんな気分で電車に乗って、自宅まで、ほうほうの体で帰りました。自宅へ帰っても全く食欲がなく、野菜ジュースを二杯飲むのが精一杯。夕食のおかずを前にしても箸を付けることが出来ず、さりとて、ほかに食べることが出来そうなものもなく、また、することもなく、8時前に布団の中へ倒れこみました。直ぐに寝入ってしまい、夜中にトイレのために1、2度目が覚めましたが、その都度、直ぐに寝入って、朝の7時まで延々と11時間寝ました。かなり体調が戻りましたが、まだ少し不全感が残っています。幸い、今日は敬老の日。無理をせず、ゆっくり過ごそうと思っています。
 普段はえらそうに「自分はもう年だなどと絶対に言うな」とか言っておりますが、やはり、よる年波と言いますか、段々とムリが出来なくなりつつあるようです。敬老の日とは自分以外のご老体を尊敬し、大事に扱うことを思い起こす日ということでしょうが、自分自身が老に入ればその老に思いを起こし、老体を労わって、少しでも長持ちするように以後気をつけることに思いを致す、そのような切掛けにする日と言うことでもありましょう。自分自身としては、老人の健康と言うことの基本には自助努力が大前提であるように思っています。
 しかし、今日は敬老の日というのに、これを高齢者の年金や健康の維持の話と結びつけて論じるニュースや番組が大変少ないことにがっかりしています。厚労省や社会保険庁の不祥事や不始末のネタがあまりにも多過ぎて、今さら敬老の日の話題にすることもない、もう話のネタが尽きたということでしょうか。日本の国全体がこのような状態になっていることについて、政治家の皆様におかれましては、大変恥ずかしく思っておられることと思います。
 麻生さんや与謝野さんや小池さん、それに石原さんや石破さん。敬老の日にこそ、敬老の意味を考えて、敬老に資するビジョンや政策を語ってください。あなた方には敬老と言う考え方や思想があまりにも無さ過ぎる。普段は、もっと国家の大事を語っていてくださっても結構ですが、せめて敬老の日には、敬老に関連した話題を一言くらいはしゃべってください。
 今日一日、誰が自民党の総裁に相応しいか、また自民党自身が国民の信に応えることができるものか、老後までを含めた国民の生活への気配りが本当に出来るかどうかなど、そのようなことを見定めるために、敬老(高齢者の生活保障)の一点に的を絞って、テレビや新聞をじっくり眺めて、総裁候補5人衆の資質や人間観をしっかりと観察したいと思っています。国民の一人ではあるが、自分に総裁選への投票権があるわけでも無く、また、自民党という一党派の中での話を、大新聞や大テレビが騒ぎ立てること自体、あまり愉快ではありません。一傍観者として自民党の総裁選を見たときには、赤の他人の猿芝居を見ているような感じがして、鼻白む以外にすることは何もありません。
 しかし、頭に考えの無いことは実行されません。考えとして披露されないものは永久に表に出ません。せめて、考え方だけでも明確にしてください。5人衆の皆様の頭の中にあることを、せめて、やがて来る予定の総選挙の参考にさせて頂きたいと思います。国民の皆様もテレビに顔が出る回数の知名度ではなく、その人は何を考え、何をしようとしているかの本質論で評価しなければなりません。


個人として老齢化をどのように受け止めるか?

2008-08-23 | 雑記帳
 昨夜はいつものとおり、寝室の窓を開け放して寝ていたら、朝方ぞくっと寒気がして目が覚めた。慌てて厚めの布団を持ち出して頭からすっぽりかぶって寝直した。もう秋が直ぐ傍まで来ているようだ。うれしいことだ。
 それはそれとして、最近、よる年波と言うか、自分の体調が若いときとは大分違って来ていることに気がついて、はっとすることがある。昨夜のように気温の変化に自律神経が追いつかない。足下の一寸した段差につまづく。パソコン画面を見続けると目がしょぼしょぼしてきたり、冷たいものを勢いよく食べると歯にしみる。考えてみれば、自分も来年で数えの70歳になる。間もなく古希を迎えるのだ。
 これまで老年のことを考える時は、いつも観念として想像上の老年であった。それが今は現在進行形の老年に変化してきている。老人にはなりたくないと必死になって突っ張っているが、果たしていつまで続くことやら。
 現在は老年に伴う障害を頭から否定している。自分はまだ老年と言われる年ではないと必死に抵抗している。しかし、それが本当に最善の策であると言えるのか。むしろ、比較的早い時点から、現実の老年への変化を静かに受け入れて、その中での最善を考えていくほうが良いのではないかと思い始めた。
 老人になることに必死に抵抗すれば、抵抗している間は何とかやっていける。しかし、何かの事件や事故が起きて、その抵抗が出来なくなる瞬間を劇的に迎えてしまったとき、果たして、そのとき以降の生き方を急激に変化させることができるのであろうか。崖っぷちから、いきなり穴に落ち込めば、穴の底では、もう何もできることなく、瞬時にそこで絶命する以外、何もないのではないか。
 最近よく見る夢に、自分が認知症になって、さ迷っている夢がある。そうならないようになるべく娑婆の近くで仕事をしているのが良いと思って、現在も、これからも仕事を続けようと頑張っている。頑張るのはよい。しかし、やがて来る老化の存在を心の中で一切否定しているので、その備えは何一つ出来ていないし、する気も起こらない。心の中で、現在の仕事への傾倒と老年への準備の心構えの共存が出来ないのである。
 認知症の心配は自分だけではなく、当然に今は健康を謳歌している家内にもある。家事全般、その他生活上の心配の諸々を全面的に依存している彼女に、突然何かが起きたら一体どうなるのであろうか。普段、そのようなことは何も考えていないが、「一寸先は闇の世界」を生きている我々には、年を取るとともに、単なる観念を超えて現実となる可能性が高くなりつつある。正しく、現在進行形の世界なのである。
 老いの問題と比べて死ぬと言うこと。これはあまり心配していない。人間は生きている限り100%死ぬ。絶対に避けることが出来ない。しかも死ぬと言うことは、人間として一度でも経験できることではない。死んだ瞬間、自分の意識はそこにはない。死ぬことが苦しかったとか、辛かったとかの感想を述べることも出来ない。だから、死ぬと言うことは、案外、平気なのである。しかし、じわじわ忍び寄ってくる老いと言う状態、これは心理的には大変恐ろしいことである。その結果が、常に目の前にあり、その状況を実況中継のように認識させられ、黙って許容することを強制されるのである。
 自分は、最近、般若心経に何か惹かれるところがあり、よく目にし、よく口にする。空や無についても、少しずつ理解が深まっていくような気がしている。しかし、違和感もある。先ず、絶対の真理として、文句を言わずに、「色は空であり空は色であること」を飲み込まなければならない。無とか空とか言われて、いきなり、それを信じろと言われても、正直にそれを信ずることが出来るほど、人間が出来ていないからだ。
 他方、哲学として、世界や人間や人生への理解を深めたいとも思っている。この年になって、やっと、ニーチェやフッサール、ハイデッガーなどの勉強も始めている。お陰で、世界や人生のことが少しずつ分ってくるような気もしている。しかし、だからと言って、すべてが分かるようになるわけではない。特に、現在進行形の老齢化への対応をどのように受け止めるか、心の中では、切実なのである。だが、これらの哲学を勉強しても、現実の具体的な個人としての人生への対応策は何も深まっていかない。
 自分の現在はまだ良い。切実な問題に直面していない。しかし、何かの拍子に、突然に何かが現実化しないとも限らない。これから、どのように老年を迎えるか。我が老年時代も豊かな人生であったと言えるようになるか。いつまでも忙しく働くことで、この老齢化の問題を永遠に回避し続けることは出来ない。
 今朝の寒さを契機として、そろそろ、自分も個人としての老年のあり方を考えること、これらに対する心の準備をすること、などが必要ではないかと考え始めた。