HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

巡る季節

2012-10-04 19:21:02 | Weblog
 季節は正直に巡るものでござる。
 それを考えると、決して交わることの無い螺旋の時間の流れに生きているような気もせんではないのでござる。
 秋になると、そんなことを考えて感傷的になったりするものでござろうか。

 この花を見つけると毎年そのようなことを考える拙者でござるのだ。
 そしてスドシが上がるでござろうとその辺を血走った目で眺め回すのでござる。
 こうなると、ちょっと異常なのでござろうな。

 この花、アケボノソウなのでござるな。
 いつも送迎のする山道に列を成して咲いているのでござるな。
 今まで、峠の東には生育していたのでござり西側には無かったのでござるが、今年はその西側にも咲いているのが見つかったのでござるな。

 これは、毎年の種子で子孫継続をするもののようでござるようで、そういえば、前年のところの近くには咲いているのでござるが、決して同じ位置ということはござらぬのだ。
 それが面白いことでもござるのだ。
 そして、遠くから見ていると決して目立たぬ地味な花なのでござるが、一輪づつを見ているとその繊細さには毎度新鮮な驚きを覚える拙者なのでござる。

 先ほど螺旋の時間を記したところでござるが、最近のニュースに「いじめ」と言うことが出てくるのが多く感ずるところでござる。
 ニュースで聞いている段には簡単にその言葉が流れていくのでござるが、拙者にはその言葉がチクリンと感ずるのでござる。
 子供の虐待もそうでござるが、それは次の機会とするところでござる。

 かくいう拙者、少年期は「いじめられっこ」でござり、比較的体も弱く、影でいじめられていたのでござる。
 正面では決していじめる者はいなかったのでござるからして、同級生達もそれには気付かなかったと思うのでござる。
 加えて陽気に振舞うタイプであったらしいのでござるな。

 それから押して知るべしで、影でいじめられるものはそれを外へ言うことなほとんどないのでござる。
 人知れず「くそっ!」と思いもし、学校へ行く気になりもせずでござるが、それも言う言葉が無く、一人苦しむのでござる。
 家で家族に言っても、根性・・・!と言われたり、家族を苦しませることになると思うと言えるものではないのでござるな。

 「いじめ」ということを受けないものは、その気持ちを感ずることは出来ぬでござろうな。
 感ずることの出来ぬ者には、その対策などと言うのは出来ぬものなのでござる。
 だからその先生方は、「自らの保身」だけに走ったり、「格好だけ対策をしました」と言ってみたり、被害者を隠すような真似をするのでござるな。

 昔、「でもしか先生」と言うのが流行ったのでござる。
 これは何かと言うと、「先生でもするか」とか「先生しか出来ないのだ」といった類の先生なのでござる。
 この不景気なご時勢、「先生というお堅い仕事に付けば、将来何年かは安泰なのだ」と言う御仁が結構いるところではなかろうかと存ずる次第でござる。

 拙者の周りは、残念ながら「でもしか先生」の見本となる御仁はござらぬのだな。
 
 で、明日の心だ!

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